8
朝、目が覚めると、見慣れない小部屋。小さな窓から、朝日が射し込む。
クーは、ぼんやりと天井を眺めて気づく。ああ、ここは船の中なんだ、と。
大きく伸びをして、ベッドから身を起こす。部屋が小綺麗に片づいているのは、毎日レイハが掃除してくれているおかげ。
帽子をかぶり、あくびを噛み殺しながら部屋を出る。向かう先は、船の甲板。この淡い緑色の髪を、黒く染めておく必要がある。
この国の人間の髪は、基本的に黒髪だ。そして、瞳の色は、黒ないし、それに近い茶色。クーの髪、そして瞳の色は、まず考えられないような色なのだ。目立ちたくない以上、染めるしかない。
レイハが染めてくれるというが、できれば自分で済ませたい。最近、レイハに子供扱いされているような気がする。そういった扱いをされることは、クーとしては嬉しくない。
甲板に出ると、甲板の一角が、昨日の夜の状態のまま、布で仕切られ周囲から隠されていた。
クーは首を傾げる。几帳面なレイハが、後片付けもしないで、出しっぱなしのまま、放置していたとは思いにくい。
「若……坊ちゃん。今日は、早いですね。おはようございます」
背後から声をかけられ、クーは思わず飛び上がる。振り向くと、湯気の立ち上る、大きなヤカンを持ったレイハがいた。
「えっと……」
クーは、素早く状況を把握する。甲板の、この一角は、レイハが今朝、仕切ったのだろう。理由は、無論、クーの髪を染めるため。
クーは、いかにして、この場を切り抜け、自分で髪を染めるかを考える。結論は、すぐに出た。
結論……無理。
「はい。腹、括ってくださいね」
まるで、クーの心を読んだかのように、レイハは、にっこり笑いながら言う。
「えっと、……自分で染めるのってダメ?」
一応、形だけでも悪あがきはしておく。
「染め粉が、あと一回分しか無いんですよ。つまり、やり直しは、きかないんです」
そう言うとレイハは、少し意地の悪い笑みを浮かべ言葉を続けた。
「構いませんよ。でも、上手く染められなかった場合、エンナさんに会いに行けなくなりますよ?」
クーは、沈黙する。そういえば、最初、自分で髪を染めたとき、染め粉をこんなに使ってと、レイハに怒られた記憶がある。そして、結局、自分では上手く染めきれず、レイハに髪を染めてもらった。そして、染め粉は、もう残り少ない。
「わかった……」
クーは、腹を括って、そう言った。が、クーは、染め粉の入った瓶を、クーに手渡すだけ。
「はい。後片付けは、わたしが、やっておきますから。坊ちゃん。上手く染めてくださいね」
笑みを含んだ楽しげなレイハの口調に、クーは思わず慌てる。手渡された瓶を見ると、確かに残り少ない。やり直しがきくなら、クーでも何とかできる。が、それほどの量は残ってはいない。
「あの、……レイハ?」
「はい」
クーの呼びかけに、レイハは楽しげにこたえる。
レイハが何を考えているか、クーにはわかった。クーは、小さく息をつく。
「お願いします。レイハさん、髪を染めてください」
「はい!」
クーの言葉に、レイハは嬉しそうに笑うと、手際よく準備を始める。
ヤカンの湯を、底の深い桶にあけると、それを水で埋める。そして、手を入れ温度を確かめると、クーに言った。
「さて、始めましょうか。濡れるから、シャツを脱いでください。そしたら、大たらいの上に、頭をかざして……」
レイハに言われるまま、クーは従う。頭に、お湯がかけられ、そして軽く水切り。染め粉が振りかけられ、レイハの手が、クーの髪をかき混ぜる。
前、レイハに染めてもらった時よりも、格段に手際がよくなっていた。クーひとりでは、絶対こうはいかない。
レイハは、念入りに染め粉を髪になじませると、クーの眉毛にも染め粉をなじませる。そして、余分な染め粉を洗い落とすと、クーの髪と顔を丁寧にふく。
「はい、坊ちゃん。終わりましたよ」
クーは顔を上げてレイハを見る。レイハの手は、染め粉で黒く斑に染まっていた。
「手……汚れちゃったね」
「坊ちゃんの顔は汚れてませんから、ご心配なく」
クーの言葉に、レイハは、にっこり笑って言葉を続ける。
「それに、汚れを気にしては、汽械なんか扱えませんよ」
「まぁ、そうなんだけどさ……」
クーは、シャツを身につけると、後片付けをしているレイハを見て言った。
「後片付けは、僕がやっとくよ」
「いえ、わたしがやりますよ。それより坊ちゃん。甲板に出るなら、黒眼鏡をかけないと……。あと、ちゃんと着替えて、出かける準備も済ませておいてください」
眼鏡のことは、すっかり忘れていた。それに、レイハは、言い出したら聞かないところがある。汽械術に関する事なら、クーの言うことは聞くが、家事全般に関することには、クーは一切、口を挟めない。
クーは、小さく溜め息をつく。
自分は、まるで子供だ。姿形は仕方ない、そう諦めることはできる。が、身内にまで、こう扱われると、さすがに傷つく。
以前の自分だったらと、クーは思い出してみる。……基本的に、変わっていない。
忙しかったため、周りに目がゆかず気にもならなかったが、以前も同様に、色々とレイハに言われたりしていた。最近、その頻度が増えたような気がするのは、同じ船に乗り、生活を共にしているので、顔を合わせる頻度が増えたから。単に、それだけだ。
新たに気づいた事実に、クーは愕然としつつ、その場を後にした。