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夕食の支度を終え、クーを呼びに甲板へ出たところで、レイハは思わず頭を抱えた。
甲板の一角が、布で周囲から隠されている。その中には、湯を張った風呂桶がわりの大たらい。その周りには水が飛び散り、クーの服が脱ぎ散らかされたまま。
「若旦那っ!」
大声でクーを呼ぶが、どこに行ったのか返事はない。
「まったく……」
愚痴をこぼしつつ、手早く後片付けを済ますと、クーを探しに船内を回る。大たらいの湯は、少し黒く色が付いていた。恐らく、髪の染め粉を落としたのだろう。なら、クーは船から出てはいないはず。
クーは、隠し船倉にいた。
身につけているのは、下着とシャツだけ。髪は、いい加減な洗い方をしたせいで、クーの地毛である淡い緑色の髪に、黒い染め粉の落ちなかった部分が斑に残っている。満足に拭きもしていないようで、髪も体も、まだ濡れていた。
「若旦那。ちょっと、動かないでくださいね!」
まだ、こちらに気づいていないらしいクーに、そう声をかけると、レイハは、慌てて船室へと上がった。手早く、タオルとクーの着替えを手に取ると、急いで隠し船倉へと戻る。
そして、自分が何をやったか、まったく自覚していないらしいクーの頭にタオルを被せ、押さえ込むようにして、無理矢理、髪を拭いてやる。
「ちょっ、ちょっと、レイハってば……」
クーは暴れるが、力は体格差からもレイハの方が強い。すぐに抵抗をあきらめ、おとなしくなる。
「ちゃんと体を拭かないと風邪ひきますよ。あと、散らかしたら、ちゃんと片づけてください」
拭きおわったタオルを見ると、染め粉の色が、黒く色移りしていた。
「若旦那……。髪を染めるの大変だったんですよ……」
レイハは、溜め息混じりに、ぼやく。
統連、到着前に、クーの緑色の髪を黒く染めた。最初、クーが自分でやって、斑だらけで染めきれず失敗。それを、レイハが染め直した。慣れない作業で、ずいぶんと苦労させられたのだ。
「染め粉で、頭が痒くて気持ち悪かったんだよぉ……」
クーは、ぼそぼそと言い訳をする。
「染め粉が、ちゃんと落ちてませんよ。あとで、わたしが洗ってあげますから」
「それくらい、ひとりで……」
クーは、レイハの言葉に、そう言い返そうとする。が、レイハが、笑顔で染め粉の色が移ったタオルを見せると、言葉が尻窄みに小さくなる。
この人は、昔からそうだ。と、レイハは思う。
汽械の事に関しては、何でもわかる。でも、その分、自分の事を、上手く把握できていないのだ。身だしなみにも無頓着で、後片付けも苦手。特に、こうなってからは、前に輪をかけて酷くなった気がする。
まあ、頭は痛いが、腹は立たない。この人は、自分の恩人だ。身よりのない自分を引き取り、読み書き、そして汽械術の基礎を教えてくれた。それに何より……。
小さく息をついて、レイハは考えを切り替える。
「若旦那。いったい何を、やっていたんです?」
濡れたままシャツを着たのだろう。シャツは湿り、肌に張り付いている部分もある。そんなクーを見て、レイハは思わず溜め息をつく。
着替えさせようと、シャツに手をかけると、クーは、慌てて距離を取った。仕方がないので、レイハは着替えを手渡す。
「いや、浮揚船を見てただけ……」
シャツのみを着替えて、そしてクーは、こたえた。
「はぁ……」
クーは、浮揚船に視線を向けた。そして、肩を震わせ押し殺したような不気味な笑い声を漏らす。そんな様子を見て、思わず呆れるレイハ。が、小さく笑って、気を取り直す。
「今すぐ、飛んでみます?」
無論、本気だ。だが、クーは、そうは思わなかったようだ。
「まだ、飛べる時期じゃない。飛んでも、すぐに落ちちゃうよ」
少し驚いたようにレイハを見ると、クーは、そう言った。
「月まで飛べるんですよね? 行ってみましょうよ。わたしは、若旦那に、ついていきますよ」
「風が吹いてないからダメ。一度、僕は……ソラは、失敗してるからね」
小さく息をついて、クーは言葉を続ける。
「風と言っても、本物の風じゃないよ。世の中の流れ……みたいなものかな」
風と言われ、本物の風を連想していたレイハは、思わず赤面してうつむく。
クーは、そんなレイハに気づいた気配はない。小さく息をつくと、レイハはたずねる。ずっと、気になっていた事。
「風を待つなら、別に、ここでなくても……。やっぱり、エンナさんが、いるから……?」
うつむき、上目遣いにクーを見ながら、恐る恐る言葉を紡ぐ。
「うん。それもある」
クーは、浮揚船を見つめたまま、きっぱりと断言した。
「あと、風を待つだけじゃなくて、起こすことも考えてて、それには、ここが一番、都合がいい場所だってのもあるね」
クーは、さらに言葉を続けたが、それは、レイハにとって、もう、どうでもいい話だ。
しばらく沈黙が続いたあと、クーが思い出したようにたずねる。
「そういえば、レイハって、僕に何か用があったのかな?」
すっかり忘れていた。
「忘れてました。……夕飯の準備ができたから、若旦那を呼びに来たんでした」
クーは、苦笑混じりに息をつく。
「あと、もう一つ質問。僕は誰?」
それも忘れていた。いつもの習慣どおりに、クーを若旦那と呼んでしまっていた。
「申し訳ありません。若……坊ちゃん」
「うん。気を付けよう……お腹空いたよ」
クーの、お腹が、かわいらしい音をたてて鳴る。照れたような笑みを浮かべると、クーは踵を返し、元気よく隠し船倉から出ていった。




