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汽械式浮揚船は蒸気推進器で飛んでます。
錬金術で固体化した水素、水晶を燃料に使って湯を沸かし蒸気を作り、それを噴射して飛んでいるわけです。
水素同様、酸素も錬金術で固体化できます。
なら現代の液体水素や酸素を使うロケットと同じ方法で飛ばせば水いらないんじゃないの? と思う方もいるでしょう。
ええ。
わたしも、そう思います。
汽械式浮揚船は、塔の屋上に横付する形で浮いていた。
クーは躊躇無く乗り込み手を差し伸べるが、エンナは一瞬、躊躇し、意を決したようにクーの手を掴んだ。
そこで、ようやくクーは気が付いた。塔と浮揚船の隙間から、下が見えたのだと。
クーは飛行汽械の専門家で、頻繁に汽械で空を飛んでいる。故に高所に対する恐怖は既に麻痺して感じないが、エンナは違うのだ。
「ゴメン、やっぱり高い場所は怖いよね……」
「いえ、自分でついて行くって決めたから」
そう言って、エンナも浮揚船へと乗り込む。
「ゲンザさん、高度を上げつつ若旦那と交代を。若旦那は、カーボライトの制御を頼みます!」
エンナが乗り込むと同時に、レイハは強い口調で言うと扉を閉めハンドルを回す。ハンドルを回す事で、扉に外向きの圧力を加え気密を維持するのだ。
「了解。エンナは、そこの椅子に座ってベルトで身体を固定して。たぶん、振り回すと思う」
ソラだった頃、エンナを自分が操縦する飛行汽に何度か乗せた事がある。安全ベルトの必要性、そして扱いも心得てるはずだ。
クーは、ゲンザと持ち場を替わりながら視界の隅ででエンナを見守る。ゲンザは、カーボライトの制御盤をクーの体格に合わせた設定に手早く調整し、機関部へと移動する。
「坊。一段落したら、カーボライトの制御方法を見直したいと思いますが、宜しいか?」
「じゃ、一段落したら、まずその問題点を説明して貰おうか」
ゲンザの言葉に、クーは楽しげに答える。
問題が出てくるのは承知の上だ。むしろ出てこない方がおかしい。改良点など、ごまんとあるだろう。
いずれにせよ、この場を切り抜ける必要がある。
「若旦那。どうします?」
レイハが指示を仰ぐ。
この汽械式浮揚船には武器は無い。船体の強度に任せて体当たりぐらいしか攻撃手段はないが、その場合、乗っている自分たちが無事でいられる保証など無い。
クーはカーボライト制御で浮揚船を上昇させつつ考える。
シルバは、あとは好きにしろと言った。
この浮揚船を飛ばした事で、道は開いたのだ。そして賢者の塔に対する浮揚船の攻撃が、その流れを勢いづけた。
つまり、目的は既に果たしたのだ。
教団の浮揚船も、現状では勝てないと理解しているだろう。現段階では、教団の浮揚船には打つ手など無いはずだ。
「今回の勝敗自体は、もう決してる。このまま引いてくれれば良いんだけど……」
呟きつつ、クーは窓から浮揚船を見つめる。
正面に浮かぶ教団の浮揚船は、破壊の光を放った時と同じ場所で静止を続けていた。
そして、クーは、ようやく、その意図に気づいた。
「機関全開。全速前進っ!」
叫ぶように指示を出すと、ゲンザは即差に従った。
直後に、教団の浮揚船が破壊の光を放った。
間一髪だった。あのまま上昇を続けていたら、破壊の光を浴びていたはずだ。
この浮揚船には、賢者の塔にあるような特別な力など無い。強いて言えば、カーボライトによる浮揚特性ぐらいだ。あの破壊の光を浴びていたら、丈夫なミスリルで作られているとは言え、無事で済むはずなど無い。
「動いている目標は狙えないってシルバ師は言ってたのに……」
エンナは信じられないとでも言いたげに呟くが、クーには納得がいっていた。
「低速かつ等速での垂直上昇。これなら相手の位置を先読みすれば当てられないって事はないよ」
呟きながらクーは反省する。
相手の出方を窺おうと単純な低速機動を取ってしまったが、長距離から攻撃できる相手に対し不用心にも程があった。
教団の浮揚船は、破壊の光が空振りと知った途端、こちらに対して上昇しつつ腹面を見せる。投影面積を最大にする事で、こちらの針路を塞ぐつもりなのだ。
教団の浮揚船に対し、正面を向けた上での機関全開。つまり相手に向かって全速で飛んでいる。そして、この汽械式浮揚船が先ほど見せた機動性では、このような手段を取られたら衝突は避けられないと考えたのだろう。
ぶつかり合ったら、お互い無事では済まない。相手は相打ち覚悟で、このような手段に出て来たのだ。
「推力そのまま。左旋回っ!」
クーは皆に指示を飛ばす。
レイハは飛行汽の機動では左旋回を多用する癖があった。つまり、左旋回が得意なのだ。汽械式浮揚船が予想外の機動をしても、得意な左旋回なら対応できるはず。
そう信じ、クーは旋回を補助するべくカーボライトを制御する。
右方向に強い圧力を感じ、浮揚船は急旋回した。
「曲がった……」
「こりゃ、練習がいるなぁ……」
クーとレイハは、呟いた。
だが、感覚は掴めてきた。
「レイハ。カーボライトで操舵を補助するから、好きに飛んでみて」
操縦桿の動きを見て、クーが機体の向きを変えるのだ。
とりあえずの危険は回避した。今後、どう転ぶにしろ少しでも操縦の練度を上げておく必要がある。
「いっそ、カーボライトを操縦桿と連動させるのも手ですな」
ゲンザの言葉に、クーは目から鱗の思いだ。その発想は、まだクーには無かったのだ。
「こりゃ、問題は山盛りだね」
楽しげに呟きつつ、クーはレイハの操縦を補助する。
「だいぶ、飛行汽に近い機動ができますね……」
レイハの言葉に、クーは思わず嬉しくなる。そうなるよう補助しているのだ。
飛行汽の操縦に関するレイハの癖は、よく知っている。曲芸飛行までは対応できないが、通常の飛行なら今でも手に負えそうだ。
教団の浮揚船を警戒しつつ、統連上空で飛行を続ける。
「教団の浮揚船。まだ統連に留まってるけど、何か狙いでもあるんでしょうか?」
エンナは心配そうに呟く。
諦めて帰ってくれるかと思いきや、教団の浮揚船は、こちらの機動を先読みしようとしてか右往左往している。が、もはや、その動きは驚異ではない。
教団の浮揚船が、この汽械式浮揚船に追いつけない事は間違いなく気づいている。にもかかわらず、未だ追跡を諦めないのには何か理由があるはずだ。
そこまで考え、クーは、ようやく相手の狙いに気がついた。
「水晶、水ともに、あと二割を切ってますぜ!」
ゲンザが叫ぶ。
そう、相手は燃料切れを待っているのだ。
蒸気推進器が使えなくなれば、この汽械式浮揚船は教団の浮揚船はおろか、飛行船以下の機動性になってしまう。
ゲンザは、逃げるべきか戦うべきか決断しろと言外に言っているのだ。
逃げられるのか?
クーは自問する。
教団の浮揚船は無限に飛んでいられるが、この汽械式浮揚船が高速で飛べる距離には限りがある。そして、降り立った地で燃料が都合良く調達できるとは限らない。仮にできても補給中に追いつかれる可能性が高いのだ。
確実に燃料が補給できる場所は、ここ統連だが、着陸したところを破壊の光で狙われたら、ひとたまりもない。
三発が限界だと楽観視していたが、そうだと断言できるだけの根拠は無いのだ。
「海上に相手を誘導できないかな?」
ここで決着を付けるしかない。クーは、そう決断した。
「こちらを追跡してますので、海に出れば相手もついてきますが……」
そう言いながらレイハは海へと浮揚船を向けた。
「推力を絞りつつ旋回し、統連北の断崖へ向かう。燃料切れを装いつつ間合いを詰めさせ、断崖手前で追いつかせる……できるかな?」
「若旦那の頼みとあれば、やってみせますよ!」
クーの問いにレイハは即答した。
「断崖直前で相手の上へ回り、高圧蒸気を浴びせて相手の頭を押さえ込み断崖へとぶつける」
その説明に、レイハとゲンザの返事はない。が、機体は減速しつつ旋回を始める。二人とも異存はないらしい。
クーは相手側の考えに対し思いを巡らす。
シルバが手を回したからかも知れないが、教団は、ラセルの工房を破壊するまでは人死にが出ないよう配慮していた。
飛行船に体当たりを受けた時は危うく死にかけたが、あれは明らかに挑発を繰り返した結果だ。明確な挑発や敵意を向けられない限り、人死にを出さないようにと言うのが教団の基本方針なのだろう。
が、汽械式浮揚船を飛ばしてからは、相打ち覚悟とも言える明確な殺意を向けてきた。
是が非でも月には辿り着いて欲しくない。その理由があるのだろう。
そのためには手段も選ばない。そう言う事なのだ。
「至近から蒸気推進を全開で浴びせれば、教団の浮揚船だって無事じゃ済まねえですよ」
だろうね。
ゲンザの言葉に、クーは声を出さずに答える。
だが、それはしたくない。
「相手を殺したくはない。戦意を奪い撤退させるか、飛行能力を奪うか……ともかく、浴びせるならば一瞬だけで。崖にぶつけるにしても、低速の方がいい」
背後からゲンザが息を飲む気配が伝わってくる。
「全く……お人好しにも程があります。毒を盛られ、若旦那は、危うく殺されかけたんですよ?」
どこか楽しげにレイハは笑い、そして言葉を続けた。
「だけど、それでこそ、あたしの大好きな若旦那です!」
レイハの言葉に、今度はエンナが息を飲む気配。
「まあ、従うしかないですな……坊が蒸気推進器を造ってくれなければ、あっしには月に行ける浮揚船は造れませんからな」
ゲンザも、推力を絞りつつ諦めたように言った。
やればできるはずだろ?
そう言おうと思ったが、クーは思い止まる。
どちらか片方だけで汽械式浮揚船を造った場合、この浮揚船ほどの性能は出せなかったはずだ。互いの長所を生かしあう事で造り上げたのが、この浮揚船なのだ。
クーは大きく息を吐いた。
「ゴメン、エンナ。覚悟を決めてね」
勝算はあっても危険は伴う。だからこそクーは言った。
「ソラさん。自分で連れて行ってくれって頼んだんですよ?」
何故か楽しげに言うエンナ。
クーが思っていたより、ずっと腹が据わっていた。
「推進器停止。若旦那はカーボライトで制動をかけてください。船首を上げるタイミングは任せます。以後、指示と操作は若旦那で、お願いします」
レイハの操舵は空力による物だ。対し、クーがやろうとしている機動は、空力による機動では不可能で、カーボライトによる姿勢制御が不可欠である。
皆が命を預けてくれたのだ。
クーは、後方確認用の窓に鏡を向ける。
教団の浮揚船は、徐々に間合いを詰めてきているが、想定より詰まり方が早い。
「ゲンザ。推進器で爆発を起こせるかな。少しだけ加速したい」
クーの言葉と同時に、船尾のノズルの中で小爆発が起こる。
「あと二回お願い!」
そして二回続けて小爆発が起こり、船体に振動が伝わる。が、思ったほど加速はしていない。
断崖は徐々に迫ってくる。
そして教団の浮揚船は、こちらに覆い被さるよう直上を飛んでいた。頭を抑える事で、断崖に衝突させる気なのだろう。だが、これなら、クーの思惑通り、相手を減速させられる。
カーボライトの制御で船を減速させるが、断崖までに静止させる事は無理のようだ。が、構わない。そもそも止まる気など無いのだ。
「推力全開っ!」
クーの言葉と同時に、船体が一気に加速する。
直上の浮揚船の下から飛び出すと同時に、クーはカーボライトの制御で船首を引き上げた。
推力の調整などしている余裕など無い。だから、全てがクーのカーボライト制御に係っていた。だが、目まぐるしく流れていく窓の外を、クーは、ほとんど認識できなかったのだ。
直後に、浮揚船は制御を失った。
思った以上に長くなったので、ここで切ります。
場面転換や視点切り替えで話を区切ってますが、ここで切る必要はなかったかと。
でも次はレイハ視点で書いてみますね。
書いてて思うわけですが、蒸気推進器は釜に火が入っている限り水素が燃焼しているわけですから、湯が沸こうと沸くまいと湯気を纏ったような状態になるかと。
この辺の表現を後で付け足したいと思います。
教団の浮揚船はビーム撃ってますが、作中で撃たせる予定はありませんが賢者の塔もビーム撃てます。あと浮揚船側には対ビーム用の防御システムはありません。
統連というか賢者の塔は建前上、教団に対して専守防衛という立場を取ってるだけです。
本気で喧嘩になった場合、お互い無事じゃ済みませんからね。
ちなみにクーの蒸気推進器。
高純度水晶を燃料に使った場合、水が瞬時にプラズマ化するほどの高温になります。
ですが、中の人間が蒸し焼きになる事はありません。
さあ、一体どうなってるんでしょうか?
……なんにも考えてないよ俺。




