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クーに手を引かれてエンナは歩く。
クーは、ずっと黙ったまま。エンナも喋らない。もともと、エンナは、お喋りは苦手だ。話しかけられれば、受け答えする事はできる。でも、自分から積極的に話をするのは駄目。同世代の子供と遊んだりしたことが、ほとんど無いためだと理由は自分でもわかる。
クーは、時折、何か話そうとするのだが、結局、何も話さない。口を開きかけるのだが、何か難しい顔をして口をつぐんでしまう。
「クー君……?」
「え? ああ、ちょっと遠くの店まで行くけど……。うん。汽械馬車を使うね」
エンナは、クーが何か言いたいことでもあるのかとたずねようとする。が、クーは、そう言うと、馬車を呼ぶため大通りへとエンナを連れて出た。
通りを走る馬車は、みな汽械馬車だ。汽械術によって造られた、汽馬と呼ばれる、汽関を内蔵した車型の汽械。汽械馬車は、馬の代わりに、その汽馬に牽かせる馬車。
馬車を呼び止めるため、クーは通りに向かって手を突き出す。……馬車は蒸気の白煙を上げて素通りした。
……気まずい沈黙。
ふたりの隣にゲンザが並び、通りに手を突き出した。別の馬車が止まる。
「どうぞ、乗ってください」
そう言うゲンザに、クーは恨めしげに見つめると、溜め息をついて馬車に乗り込む。そして、馬車の上からエンナに手を差し出した。
エンナは、その手を取って……そして、手すりを使い、クーの手に、できる限り体重をかけないように馬車へと乗り込む。
「ゴメン……。手を貸そうと思ったんだけど……」
「うん。でも、気持ちは嬉しかったよ」
エンナは小柄ではあるが、それでもクーよりは重いはずだ。自分より重い相手を支えるのは、クーには辛いだろう。
ふたりで汽械馬車に乗り込むとき、ソラは、いつも今のクーのように、馬車の上から手を差し出してくれた。だから、つい反射的に、その手を握ってしまった。
「海辺にある遠海庵まで頼めるかな?」
クーは、汽械馬車の御者に行き先を告げる。御者は怪訝な顔をして、最後に馬車に乗り込んだゲンザに視線を向けた。
「言われたとおりに」
ゲンザの言葉で、馬車は走り出した。
「坊……。坊は子供ですから、あんまり大人ぶるのは、やめましょうや」
「わかっては、いるんだけどね……」
苦笑混じりのゲンザに言われ、クーは不機嫌な口調でこたえる。
エンナの見たところ、クーは、子供が大人ぶってるような気配はない。エンナ自身、子供のことは、ほとんど知らない。が、能力に見合わない地位や立場に就いた者、そういった者が張る虚勢の類とは、全然違うのだ。
強いて言うなら、錬金術で共同作業を行うときの自分に近い気がする。
エンナは、錬金術師としては、最年少と呼べるほど若い部類に入る。そのせいか、エンナを、よく知らない錬金術師からは、実力を低く見られがちだ。おかげで、なかなか重要な技術を要求される仕事を回してはもらえない。
容れ物のせいで、中身を軽く見られる。そんな感じだ。
ただ、違っていることは、クーが、そういった扱いをされることに慣れていない点。エンナは、そういった扱いをされることは、もう慣れっこだ。
「クー君。どうかした?」
なにやら難しい顔をして汽馬を見つめるクー。そのクーに、エンナは声をかけた。
「いや、ずいぶん小さな汽馬なのに、力が強いんだな、って思って……」
「そりゃまあ、統連の汽械術は一番ですから。それに、これは新型の汽馬ですぜ」
クーの言葉に、汽械馬車の御者は得意気に言う。
エンナは、クーに視線を向ける。御者は得意気にこたえたが、クーは、別段、汽馬に感心している気配はない。
「うん。統連での汽械術の強みは、錬金術師がたくさんいることだからね。おかげで、錬金術でしか創り出せない素材が、かなり容易に手に入る。反面、それが弱みでもあるんだけど……」
「坊!」
淡々とした口調で言葉を紡ぐクー。そのクーに、ゲンザが咎めるように声をかけた。クーは、慌てたように口をつぐむ。
「なぜ、それが弱みになるんで?」
だが、クーの言葉で、御者は気を悪くしたようだ。
「うちの坊が失礼した。申し訳ない」
手を伸ばして、ゲンザは無理矢理、クーの頭を下げさせる。御者は、何か言いたげだったが、強面のゲンザに睨まれ引き下がる。
「クー君、汽械術わかるの?」
「坊は、先代と若旦那の手ほどきを受けてますから、結構、侮れませんよ」
エンナの問いに、クーは答えようとする。が、それを阻むようにゲンザは言った。
「ということは、ソラさんの弟子でもあるんだ……」
ゲンザの言葉に、エンナは感心したように呟く。ソラと、その父は、汽械術、こと飛行汽械に関しての腕は、ここ統連にいる汽械術師たちでさえ、一目置いていた。
ソラの死後、人手に渡ったらしいが、かなり大規模な工房も持っていた。ソラは生前、自らの技術をひけらかしたりはしなかったものの、かなりの実力を持った汽械術師だったことは窺えた。
「まあ……、一応は」
クーは、曖昧な返事を返して黙り込んでしまう。
エンナは、小さく溜め息をつく。クーからソラの話を聞かせてもらいたかったが、クーは、ソラの話をしたくないように見える。なら、無理強いはできない。
馬車は、いつの間にか統連の町中を抜け、海に面した道を走っていた。エンナは周囲を見回す。食事と言ったので、街にある店かと思ったのだが、どうやら違ったらしい。
ここ統連には、町中以外にも料亭はある。が、主な目的は食事ではない。エンナも、今やっている高純度水晶の仕事を受ける際、似たような店に呼ばれたのだ。
「クー君……?」
単なる食事では、まず、こんな店は使われない。疑問に思い、エンナはクーにたずねる。
「ソラの件で、話したいことがあるんだ」
錬金術師たちは、手の内を知られることを嫌う。自らの技術を売り込む際、または、汽械術師が錬金術師に助力を仰ぐ際、こういった店を使うのだ。この手の店は、防音性に優れた個室に区切られているので、主に、そういった商談のための場として使われる。
「ソラさんの……?」
ソラの死を伝えに来た際、ゲンザは詳しい話を聞かせてはくれなかった。ソラが毒を盛られたという話も、実はゲンザではなく本家の使いから聞かされたことだった。
賢者の塔の面会室では、できない話。ソラの死の裏には、たぶん何かあるのだろうとは、エンナも気づいてはいたのだが……。
「さて、もう着くかな。詳しい話は、中でしよう」
汽械馬車が、静かに速度を落として止まった。
料亭、遠海庵は、石と漆喰で造られた立派な建物。店の前には、何台もの汽械馬車が停められている。その中に、見慣れない型の馬車が停められていた。
通常、汽械馬車は汽馬に車を牽かせる物だ。汽馬の形は様々だが、汽馬が牽く車の形は皆、似たような物だ。が、この汽械馬車は、車を牽くための汽馬がいなかった。そもそも、汽馬の類に牽かせるような構造の車ではない。
「王都の新型汽械馬車……」
ゲンザが驚いたように呟く。
その呟きを聞き、エンナは、その馬車を、よく見てみる。車体後部に、大きな汽械が組み込まれている。そして、御者席には、汽械の操作桿らしき物が幾つも。錬金術師の所有なのだろう。車体には錬金術の象徴である、自らの尾を食む蛇の紋章。
「車そのものに汽馬を組み込んでる……」
エンナも呟く。こんな汽械馬車、見たことが無かった。
「場所を変えるっ! 大至急、馬車を出して!」
突然、クーが慌てた様子で、叫ぶように言った。驚いた皆の視線が、クーに集まる。そして、ゲンザが怒鳴るように御者に指示を出す。
「坊に言われたとおり、早く馬車を出せ!」
「ええっと……どちらまで行きましょう?」
「いいから、速く走らせろ!」
戸惑ったような御者に、ゲンザが再び怒鳴りつける。その剣幕に気圧されて、御者は慌てたように馬車を動かした。
遠海庵の扉が開き、中から、ふたり連れの男たちが出てくる。その男たちに、エンナは見覚えがあった。美原見の本家、その使いの者たち。ソラの死後、本家に連れ戻そうと、何度もエンナの元にやってきている。
ひとりは、エンナの従兄に当たるらしい若い錬金術師。少し前に求婚されたが、エンナは丁重に、お断りした。ヒスイという名前で、気障っぽい男だ。もうひとりは中年の男。ヒスイの付き人で、ギンという名前。四六時中、無表情で、物静かを通り過ぎ、何か不気味な印象。
ヒスイは、何気ない仕草で、エンナたちの乗った馬車に目を向ける。それに気づきエンナは慌てて、身を隠すように、馬車の座席に深く腰掛けた。
「ゲンザっ! やっぱり、ここにいたのか!」
恐らく、ゲンザの顔を見たのだろう。後ろから、そんなヒスイの声が聞こえてくる。
エンナは、そっと身を乗り出して後ろを見てみる。
……ヒスイと目が合った。
「エンナさんっ!」
ヒスイが叫ぶ。そして、停めてあった、新型の汽械馬車に駆け乗った。
「ヒスイったら……こんな所まで、あの汽械馬車を持ってくるなんて……」
クーは後ろを振り返って呟いた。その口調は、どこか楽しげだ。
「坊、どうします?」
ゲンザが問う。クーもゲンザも、もう慌てたような気配はない。エンナは自分のせいで状況を悪化させたかと思ったが、そうではないようで、ほっと息をつく。
エンナが後ろを見ると、ふたりの乗った汽械馬車が、蒸気の白煙を上げて追い上げてくる。まだ距離は離れているが、その距離も詰まりつつある。
「えっと、エンナさんと、あとゲンザも。まず後ろを向いて、あ、ゲンザは屈んでね……」
クーは、ふたりに言う。エンナとゲンザは、クーに言われるままに、後ろの馬車に向き合った。すると、クーが、さらに指示を出す。
「右手の人差し指をたてて、右目の目元に当てる。で……、いち、にの、さんで、あっかんべ~」
三人並んで舌を出す。
追いかけてくる汽械馬車のふたり。御者席に乗っているギンは無表情。その隣に座っているヒスイは、明らかに面食らったような表情。
エンナは、我に返り、思わず赤面する。
「クー君、いったい何をやらせるのよ!」
そう言うエンナに、クーは、くすくす笑いながら言葉を返す。
「そういう表情も、かわいいなぁ」
「馬鹿っ!」
状況が、全く把握できない御者が、堪りかねたように口を開いた。
「ちょっと、お客さん方。追いかけっこなんて、ご免被りますよ!」
「統連の新型汽馬じゃ、王都の新型汽械馬車には、勝てないかぁ……。なら、仕方ないね」
クーは、どこか楽しげに、挑発するようなことを言う。クーの言葉と同時に、馬車は加速した。
「汽関の性能なら、たぶん、こっちが上ですが……」
「なら、直線で勝負。牽引型だから曲がりくねった道じゃ分は悪いけど、この道は真っ直ぐの一本道。まず、負けないよ」
難しい顔で言うゲンザに、クーは答える。クーの言葉通り、その距離は、徐々に広がりつつある。
「ところで旦那がた。何で逃げてるんです!?」
御者は、馬車を走らせながら、叫ぶようにしてたずねる。
「うん。なんで逃げてるんだろう?」
「向こうも、似たようなことを考えているようですな……」
クーとゲンザの掛け合い。それを聞き、エンナが後ろを振り返ると、もう汽械馬車は追ってきてはいなかった。
勝手に馬車を停めたらしいギンに、ヒスイが食ってかかっている様子が見える。
ほっと息をつくと、エンナのお腹が、かわいらしい音をたてて鳴った。今日は、起きてから、まだ何も口にしていなかった。クーは、思わず赤面したエンナを、小さく笑って一瞥する。
「白の公園まで、お願い。そこで降ろして」
クーは御者に声をかける。今度は、ゲンザに確認をとらず、御者はクーの言葉に従った。