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昨日、午後から降り出した雨は、朝になっても、まだ止みそうな気配はない。
エンナは、手早く身支度を負えると部屋を出た。塔の中にある食堂。そこに向かう途中、エンナは、後ろから呼び止められる。
「エンナ。ちょっといいか?」
呼び止めたのは、初老の男。少し走ったのか、心持ち息を切らせている。エンナの師匠のシルバ。死んだ父の知り合いで、高位の錬金術師でもある。エンナが正規の錬金術師になって以来、顔を合わせる機会も減ってしまった。
シルバの顔を見て、エンナは驚く。
高位の錬金術師が、塔のこんな場所にいることも、しかも、自分を追いかけてきたらしいということも、エンナにとっては意外だった。
「シルバ師。お久しぶりです。何か、ご用でしょうか?」
「昨日の騒動、お前も一枚、噛んでいるそうだが……」
シルバは言う。
昨日の騒動。恐らくラセルの昇宙汽械の打ち上げ実験だ。ここ、賢者の塔でも、結構な騒ぎになっていた。もっとも、それは主に騒音問題だったが。
「はぁ……。いえ、申しわけありません」
エンナは、あいまいに返事を返しかけ、慌てて頭を下げる。あの騒音は、完全に予想外だったが、エンナも関わっている以上、頭を下げないわけにはいかない。
「ラセルの実験に、お前が手を貸してると聞いたんだが、違ったのか?」
怪訝そうにシルバは問う。エンナの言葉の意味を、取り違えたらしい。
「ああ、関わってはいますが……」
「あの汽械について、聞かせて欲しい。出来るだけ詳しくな」
錬金術師が汽械に興味を持つことは珍しい。特に高位の錬金術師ならば、尚のこと。
昔、飛行船や汽械翼の飛行原理に興味を持ったことがあり、ソラから説明を受けていたのは見たことがある。が、それも一回だけ。それ以外に、汽械に興味を持った気配はないのだが……。
「詳しく……ですか」
エンナは戸惑ったように言う。作用反作用という基本的な原理はわかるのだが、上手く説明できるかというと、それは別問題。そもそも、昇宙汽械の構造も、まともに把握できているわけではないのだ。
「あの汽械の資料を、頂きましたから、それを、お渡ししましょうか? わたしの説明より、よほど詳しく、わかるかと思います」
「そんな物があるのか!? 仮にも、あれは汽械術師の秘技のひとつだろう?」
シルバは驚いたようにたずねる。
ソラの話をよく聞かされていたので違和感を感じなかったが、汽械術師は、あまり自分の技を隠さない。その点は、錬金術師と大きく異なる。
ソラの話によれば、汽械術で造られた物は、汽械術師が見れば、だいたいの理屈はわかるらしい。そして、腕が良ければ、その汽械も再現できる。錬金術の産物の場合、見ただけでは、造り方もわからず、その再現などは、はっきりいって至難の業だ。
その辺りも、錬金術師と汽械術師の態度の差に現れているのだろう。
「配布用の資料とは言ってましたが、構造など、詳しく書かれてますので……。あと、汽械術師は、我々ほど、技を秘匿しませんから」
エンナの説明に、シルバは一応、納得したようだった。
「なら、その資料を貸してくれるか?」
「いえ、差し上げます。同じ物が三通ほど入ってましたので」
ラセルに渡された封筒の中には、束ねられた分厚い資料が三通。そして、三通とも同じ物だった。
「今から取ってきましょうか?」
「ああ、そうしてくれ」
エンナの問いに、シルバは、そう返す。
それを、エンナは珍しいと思った。シルバは、気が長い錬金術師だ。そんなシルバが、あの汽械の話を聞きに、こんな場所まで自分から降りてきたのだ。普段だったら、使いをよこし、自室に人を呼びつけているのに。
「はい。では、取ってきますね」
エンナは一礼すると、自室へと戻る。
戻りつつ、エンナはシルバが、あの汽械に興味を持った理由を考えてみる。が、見当もつかない。
エンナは溜め息をつく。
この人は、まれに突飛なことをやる。何年か前も、禁忌に触れるとわかっていながら、カーボライトの精錬をやっていた。その手伝いを、エンナはさせられたのだ。
いちいち気にしていては、こちらの身が持たない。高位の錬金術師であるためか、その考えは、エンナにもわからないのだ。
読み返してて思うんですが、何で偉い人が、塔の高い場所に住んでるなんて設定にしたんでしょうか?
一応、カーボライトを使用したエレベーターはあるんですけどね……って、作中に書いたっけかな?
最後まで書いたら、また色々と手直ししていくと思います。




