18
血を吐く夢を見た。
夢の中で、何度も何度も血を吐いた。
夢の中だからだろうか? 不思議と苦しくはない。でも、実際、血を吐いたときは、ものすごく苦しかった。そして、その時、同様に、夢の中で自分は、苦しんでいるかのように、のたうち回っている。
当時、毒を盛られたのだと、すぐに、そう直感した。でも、どこで盛られたのか、見当も付かない。
せめてもの救いは、家族同様のふたり、ゲンザとレイハが無事らしいという事。ゲンザは、愕然としたように自分を見つめ、レイハも、涙で顔を、くしゃくしゃにしながら、こちらを見ている。
婚約者のエンナの事を考える。
初めて会ったときは、婚約者である自分に、エンナは何の興味も持っていなかったようだ。ただ、寂しそうに、外を見つめていただけ。
かく言う自分も、エンナに、さして興味を持っていたわけでもない。十歳も歳が離れていたし、何よりも、親が勝手に決めたことで乗り気ではなかった。とりあえず、形だけ取り繕っておき、適当なところで、婚約を解消できないものだろうかと、最初は考えていたのだ。
最初、話しかけたときは、エンナは返事もしなかった。一応、話は聞いてくれてるようなので、色々な話をしてみた。
自分の日常の話。最近、造っている汽械の話。汽械翼で、初めて飛んだときの話。どれも、興味を持ってくれたような気配はない。
仕方ないから、失敗談に話を切り替えたら、ようやく興味を持ってくれた。失敗談に、ではない。汽械翼で高い空を飛んでいたら、風に流され見知らぬ土地に飛ばされてしまった。その、見知らぬ土地の話。
そこが何処なのか、統連との位置関係など。そういった内容を、地図まで書いて説明した。仕舞いには、統連の地図と現在位置まで書かされたのだ。
たぶん、世界を知らなかったのだろう。本当に、色々と説明させられた。ずいぶん疲れたが、喜んでもらえたのは嬉しかった。そして、また来る約束をした。
統連の外の地理は、二年足らずで話せることが無くなってしまった。でも、自分が足を運べば、エンナは喜んでくれた。だから、何度も足を運んだ。そんな事が、もう十年近くも続いていた。
外へ連れて行く約束もした。自分としては、統連の外に魅力を感じなかったので、大風呂敷を広げてみたのだ。月へ行こう。君と月へ、と。
その時の、呆気にとられたようなエンナの顔は、今でも覚えている。
エンナを好きだと意識したことはない。でも、こうやって死に面した状態で考えてみると、自分は、エンナのことが好きだったんだと思った。
白濁した意識の中、何かを無理矢理、飲まされた記憶がある。ゲンザが自分の口を、こじ開け、そこにレイハが何かを流し込んだんだ。
後で思い出したのだが、これはエンナの父が錬金術で造った万能薬。大抵の毒や病気なら、この薬で対処できる。そう言われて渡された薬だった。
元の発端は、この人だった。不完全ながらもカーボライトを精錬してみせ、それを父の元に持ち込んだ。そして、浮揚船を造ろうと持ちかけたのだ。
教団の定めた禁忌に触れる、危険な行為。それを知らされていたにもかかわらず、父は、その話に乗った。そして、気が付いたら、自分も関わっていた。
教団との対立も見越し、エンナの父は、対策を考えてはいた。
禁忌に触れる情報の、徹底的な隠蔽。そして教団の強攻策の手口、その対策も。この薬も、その一環。
教団は、カーボライトを隠し持っていることには気づいていたようだが、その証拠は押さえられなかった。だからだろう。本来、禁忌に触れない蒸気推進汽械、その実験にまで口を挟んできたのだ。
形だけは従うふりをしたのだが、それが拙かったのだろう。その結果が、これだ。
薬を飲まされ、しばらくした後、またさらに何度も血を吐いた。そして、体中が、灼けるように熱くなる。
まだ、死にたくはなかった。何度も何度も夜空に見上げた、あの青い月に行ってみたかった。そして、なによりもう一度、エンナに会いたかった。