15
雲行きが怪しい。
レイハは、空を見上げて溜め息をつく。確か、クーは傘を持っていかなかった。雨に降られたら、クーの髪の染め粉が流れてしまう。
「降ってきたなぁ……」
レイハは呟く。雨が降り出した。
朝は晴れていた。雨が降るなどとは思いもしなかった。が、甲板に洗濯物を干してるときに、他の船の船乗りに雨が降ると言われたのだ。そして、午後になり、雲行きが怪しくなったと思ったら、本当に降り出した。
洗濯物を干しているとき、突然、島の向こうから、轟音が響いてきた。見ると、大きな筒のような物が、炎と蒸気の白煙の尾を引いて、空へと昇っていくのが見えた。ソラの造った、蒸気推進汽にも似ていたが、それより、よほど大がかりな汽械だった。
あの轟音なら、クーも間違いなく気づいたはずだ。あれを見て、クーは、なんと思っただろう。
クーの髪を心配しつつも、レイハは、そんなことを考える。
いったん、船の中へと戻って、傘を取ると再び甲板へ。
出来るだけ早く戻ってくるとクーは言ったが、いつぐらいに戻ってくるかは聞かされていない。でも、ここで待っていたい。持ってきた服の中では、一番まともな服に着替えておいた。クーの都合次第だが、すぐにだって出かけられる。
雨の中、甲板の上で傘を差して、十分ほど待つ。
汽械馬車が一台、こちらへ向かって、ゆっくりと走ってくる。王都でも、まだ数の少ない、汽関を車体に内蔵した新型の汽械馬車だ。幌が立てられ、雨と相まって乗っている者の姿は見えないが、車体には尾を食む蛇の紋章が描かれている。
レイハは緊張する。あの馬車は、錬金術師の所有物だ。なら、乗っているのも錬金術師だ。そして、港のこんな場所まで錬金術師が理由もなく、やってくるとは思えない。
汽関に詰められた石炭には、少量の粗製水晶を混ぜておいた。火力が石炭以上に高いので、火を入れれば、船はすぐに動かせる。ただ、出港の報告も入れず、いきなり船を動かすと、以後この港に入りにくくなる。そうなると、統連に残したクーとゲンザを拾えなくなるかもしれない。
この船が目的とは、まだ判断できない。とりあえず、レイハは相手の出方を見ることにした。
馬車の幌の一部が開く。出てきたのはゲンザ。そして、その奥から顔を覗かせるのはクー。
「若……坊ちゃん!」
レイハは船の縁を越え、傘を差しながら器用に縄梯子を降りる。そして、クーの元へと、急いで走った。
「この馬車……。一体どうしたんです?」
「車体の改造を頼まれた」
事も無げにクーは言い、雨も気にせず馬車を降りようとする。そのクーに、レイハは慌てて傘をかざした。服が濡れるくらいなら構わないのだが、クーの染め粉が流れるのは困る。
「改造って……工房も無いのに」
「ラセル先生の工房を使わせてもらおうと思ってる」
ラセルの名前は、レイハも知っている。確か、ソラの師に当たる汽械術師だ。
「で、坊。どうなさいます?」
「はい?」
ゲンザの問いに、クーは首を傾げる。
「染め粉ですよ」
「あ……」
どうやらクーは、すっかり忘れていたらしい。レイハは内心、溜め息をついた。
「雨も降ってますし……」
この人は、こういう人なのだ。残念に思いつつも、止めにしましょうか? と、そう言いかけるレイハの手をクーが取る。
「じゃ、今から行こうか。準備はいい?」
「あ……えっと、坊ちゃんの傘を取ってこないと……」
急に言われ、あたふたと慌てるレイハに、クーは笑いかける。
「一緒に行くんだし、ひとつあれば、いいじゃない」
「それと、お財布……」
「持ってる」
そう言い、クーはレイハの手を引いた。レイハは困ったように、ゲンザに視線を向ける。
ゲンザは、雨に濡れるのも気にせず、汽械馬車の後ろへと回った。レイハの視線には、気づいてない様子。そして、なにやら馬車の汽関部をいじり始めた。
「ゲンザ、留守番、頼むよ」
「承知。レイハ、坊を頼むぞ」
クーが、レイハの手を引く。
レイハは、小さく溜め息をついてクーを見る。そして、小さく笑った。この人は、こういう人なんだ。
「はい!」
ゲンザに、そう返事を返してレイハは歩き出す。クーが、雨に濡れないよう気を使いながら。