無自覚交渉
ポンッと、綾のメッセージアプリの通知が鳴ったのは、夜の9時頃のことだった。
明日のテストのために勉強していた綾はいったん手を止め、確認する。
「望月くん…」
メッセージの送り主は冬哉だった。
綾は今日起こったことを思い出し、再びあれは現実なのだと認識する。
あの教室の一件以降は日常そのものだったので、つい何事もなかったかのような気がしていたが、間違いなく冬哉とセレナは自分たちとは違う何かだったのだ。
こんな時間に、いったい何の用なのかとアプリを起動させると、メッセージが表示される。
『キャットフードの選び方がわからない』
一瞬思考がフリーズした。
なぜキャットフード。なぜ今。
幸い綾の家では猫を一匹飼っていた。が、雑種だし、冬哉の猫が子猫なのか大人の猫なのかわからない。
そもそもその猫はこの世界の猫なのか。
そんな疑問がぐるぐる回るが、とりあえず返信しなくてはいけないと思い綾はメッセージを送る。
『子猫なのか、大人の猫なのか、教えてもらっていい?』
送ったメッセージはすぐに既読になり、しばらく待つと返信が来た。
『大人の猫、雑種、元気』
どうやら元気な雑種の大人猫らしい。
とりあえず綾は自分の家で買っているキャットフードの名前を送り、猫によって好みがあるから、いろいろと試してみるといいことを送った。
そのメッセージもすぐに既読がつき、返信が返ってくる。
『明日一緒に選んでくれ』
どうやら綾は完全にこの世界についての教育係のような立場になってしまったらしい。
光栄なようなそうじゃないような複雑な気分を胸に抱くが、確かに冬哉の猫のためにも一緒に選ぶ方がいい気がした。
『いいよ。明日の放課後、一緒に行こう』
そう返信してから、綾はふと、そういえば誠とその妹、又は祖父母以外と買い物に行くのは生まれて初めてかもしれないと思った。
これはこれで、なんだか少女漫画のヒロインのようだと考えてしまう。
なにせ相手は芸能人顔負けの美少年。何年生きてるのかは知らないし、異世界人だが。
ポンッと、アプリの通知が鳴る。
冬哉が返信して来たようだ。
『ありがとう』
慣れないスマホを使って、知らないことを聞いてくる冬哉を想像して、綾はつい笑ってしまった。
きっとあの年寄りしゃべりで猫になにを食べるのか聞いているのかもしれない。
『そなた、何を食べるのか?きゃっとふーどとやらは種類が多すぎてわからぬのじゃ…』
そんなことを言いながら右往左往する年寄りしゃべりの美少年。考えてみればすごくシュールな光景だ。
そういえば、セレナの方は何か飼っていないのだろうか。
そう考えた時、再びポンッとアプリの通知が鳴った。
『明日、テストだろう?勉強してるか?』
誠からのメッセージだった。
テストの心配をされるなんて、また妹扱いされた気がして、綾は少し落ち込みながら返信する。
『勉強してるよ当たり前でしょ』
『ならいいけど、明日奈緒が高田駅で待ち合わせして帰ろうって言ってる。どうする?』
「えっ、奈緒ちゃんが?」
思わず声を上げてしまった。
奈緒とは、誠の妹で、綾の親友とも呼べる幼馴染だ。
ぼんやりしているようでよく人を見ている、なんでも見通しているような気さえしてしまう。
同じ高校に行くと思っていたのだが、奈緒は綾の高校の近くにある公立の進学校に進学していた。
奈緒からその事実を伝えられた日、なんだか裏切られたような気がして、喧嘩別れのような形になってしまっていた。
考えてみれば奈緒の人生なのだから、奈緒の好きにするのが当たり前なのだ。
謝らないと、と思いながらもずるずると入学式を迎えてしまっていたが、ちょうどいいかもしれない。
うん、一緒に帰る。
と、返信しかけて気づく。
「そうだ、望月くんに付き合うって言ったんだった…どうしよう。」
そう、綾は冬哉とキャットフードを選ぶ約束をしていた。
学校から最寄である高田駅までの間にある、大きなショッピングモールにあるペットショップでキャットフードを買おうと思っていたが、それでは奈緒を駅で待たせてしまうことになる。
かと言って先約である冬哉との用事を、断るのは心が咎めた。
しばらく考え、返信を送る。
『ごめん、明日は望月くんと買い物行く約束してるや。』
すると間をほぼおかずして返信が返って来た。
『じゃあ俺もいく、奈緒も連れてく。』
『いいよ、ショッピングモールのペットショップ行くだけだし』
『奈緒と話ししたいだろ』
妙に食い下がる誠に違和感を覚えるが、それほど自分と奈緒に和解して欲しいと感じているのかもしれないと理解し、綾はとりあえず誠の申し入れを受けることにした。
『わかった。じゃあ奈緒ちゃんと誠くんも一緒に行こう。望月くんにも行っていいか聞いとくね』
綾はそう送ると、冬哉個人のメッセージボードに切り替えて、明日の餌選びでの人数追加の連絡を入れた。
するとすぐに『わかった、大丈夫』との返信が返ってきた。
こうして、綾は自覚のないまま、気疲れするショッピングをこなさなければならないことになったのだ。