並行する世界の話
言霊縛り、というものを、綾は初めて見た。
当たり前だがこの現代、言霊を使いこなす人間などいるはずもなく、精々テレビのインチキくさい霊能者やらを見る程度でしか、不思議な力に触れる機会などそうそうない。
言葉には霊力が宿り、それが縛りとなる。
綾はリアリストでは無いが、ある程度はそんな力は無いと思ってるし、だからと言って全く無いとは思ってない。
世間ごく一般の感覚と言えるだろうその感覚は、今日出来た美しき同級生2人によってあっさり打ち砕かれた。
『此処は我の空間、我の領土、何人も近づくことならず』
ホームルームが終わり、解散となったその瞬間、冬哉は言霊を使い教室から人払いをした。
皆一様に何かにとりつかれたかのように無言で自ら席を立ち、教室から出て行く。
恐怖すら感じるその光景と、入学式の浮ついた空気との落差に、綾は眩暈を起こしそうな気分だった。
もちろん、それは綾の錯覚にすぎないのだが。
「あ、あの…望月くん、私…」
最後の生徒がふらふらと教室から出て行ったのを見送り、綾は勇気を振りしぼって自分から冬哉に話しかける。
そんな綾を、冬哉は愉快そうに目を細めて見つめて口を開く。
「怖がることは何もないさ。君一人がどう騒いだところで、人間の心理は多数派に着くようにできている。言霊縛りなんていう現象は、この世界では存在しないものだ。だから俺は君一人をどうこうしようとは考えてない。むしろ協力して欲しいとも思っているんだ」
穏やかに、ちゃんと現代に沿った話し方をする冬哉を見ていると、今まであったことが全部夢だったかのような感覚に陥りそうになった綾だったが、現実問題として彼は言霊縛りで生徒と教師を教室から締め出してしまっているのだし、なにより言ってることは「綾が精神異常者だと思われる」と、脅しているのと大差ない事に気づき、我に帰る。
「あの、口調…」
とりあえず綾は、全てを惑わすような美貌から目をそらし、今現在直面している問題に対して質問する事にした。
「ああ、郷に入っては郷に従え、という事だよ。それに、柳瀬はこの方が話しやすいだろう?俺は別に、君を脅したいわけではないから…」
「まわりくどいぞ。さっさと核心に触れぬか」
冬哉が並べる丁寧な言葉の横から、セレナの苛ついた声がかけられた。
と、同時に、綾はセレナの存在を思い出した。
冬哉の距離が近すぎて、セレナのことをすっかり忘れてしまっていたと、声のする方を振り返る。
「わぁ…」
あまりの光景に綾は思わず驚いたような、呆れたような、中途半端な声を漏らした。
どういう理屈か知らないが、どこからどう見ても空中で座っているセレナがそこにいた。
完全に浮いている。
「ああ、わかってるよそんなに急かすな。あと君はもう少し馴染む努力をしようか」
「ふん、私はさっさとこんな生活から抜け出したいの。軍に戻りたいのよ」
「ぐ、軍…?」
この国ではあまりの聞かない単語が飛び出し、綾は反射的に聞き返してしまった。
ーもしかして、某国の軍が秘密裏に設立した異能部隊とかそういう…?
などと映画に出てきそうな設定を思い描いていると、冬哉から訂正が入った。
「多分、君の推測はかすってもないからね」
ぴしゃりと言いはなち、綾が首を引っ込めたところで、冬哉は本題に入った。
「さて、柳瀬、君は竹取物語は読んだことがあるかい?」
「たけとり…うん…有名だし」
竹取物語と言えば、今日この国では中学生の国語で内容を習う。
もちろん古語でだ。
懐かしくも冒頭文を暗記させられたことを綾は思い出す。
「そうか、結論から言うと、その物語は真実だ。俺とセレナは月の住人、俺たち自身は自らを天人と呼んでいる、そんな存在だ」
「つ…月ってでも、そんな…」
「この宇宙には層が存在する。並行宇宙論は聞いたことあるか?」
冬哉は一人、語りはじめる。
「この層の住人たちの間でも提唱されていると聞いているけど、並行宇宙論とは、まぁ簡単に言うとパラレルワールドと呼ばれるものになるね。
俺たちの住む『月』と、君たちが認識しているけど月は同じではあるけれど、別物でもある。
俺たちが提唱している並行宇宙論はこの層のものとは異なるもので、『世界は複数の層で出来ている』というものだ」
流暢に語る冬哉出会ったが、聞いている綾からしたらちんぷんかんぷんもいいところだった。
「はぁ…ちょっと口を閉じておけ、若年寄り。私がわかりやすく説明する。お前の解説ではこの娘、100年たっても理解できんぞ。それともそれが目的か?」
訳のわからない理論の講義に目を白黒させていた綾を見かねたのか、セレナが割り込んできた。
すると冬哉は不服そうに「まだそんなに難しい所じゃない」と呟いたが、セレナはそれを完全に無視して解説を始める。
「つまりだ、私たちは君たちの言う所の異世界、とやらから来たのだよ。理由は…そうだな、軽い罪を犯し、その罰として、しばらくこの地球とやらに住むことになった。期間は三年、その間、私もそこの男も故郷には帰れず、肩身の狭い思いをする。分かるか?」
かなりざっくりとした説明になったようだが、ようやく言ってることが分かった綾は頷いた。
そんな綾に対してセレナは頷き返し、説明を続ける。
「私たちの世界では呪術、または魔術と呼ばれるものが発達している。
こちらの世界では科学というものが発展していると聞くが、その代わりと言ったようなものだ。
その男がさっき使ったのは『言霊縛り』、こいつの住む『朔の国』の者が好んで使う呪術の類だ。そしてこの私が今現在使用しているのがモラド魔術、私の国の者がよく使う。
で、私は朔・モラド連合軍の中尉という職についていた。見てわかる通り、休職中だけどな」
「な、なるほど」
まだ色々納得はいかないが、この目の前に起きている超常現象の説明としては筋が通ってはいる、と綾はフリーズしかけていた頭を再稼動させつつ考える。
セレナの説明がひと段落すると、冬哉が待ってましたとばかりに再び口を開いた。
「セレナは説明をはしょりすぎだよ。そうだなぁ、例えば、柳瀬が今ここにいるこの世界の層の上に、さらに別の高い層の世界が重なっているんだ。
そして、俺たちはその高い層からこちら側へ来たんだよ。
俺たちの世界の層では地球ではなく、月に住み、それぞれの国に分かれ、自治をして暮らしている。ここと大差はないさ
ところで、どうして俺から目をそらすんだ柳瀬?」
うんうん、と聞いていた綾だったが、最後の質問にギクリとする。
さっきから冬哉は綾と目を合わせようとしているのだが、綾は冬哉の顔を見ないようにしていたのだ。
理由は明白で、冬哉の容姿が気になりすぎて話に集中出来ないからだ。
だがそんなこと、本人には伝えづらすぎる。
「え、いや、その…近いかなって」
と、ごまかしてみるも、冬哉はわかっていないようだ。
首を傾げてさらに目を合わせるために近づいてくる。
近づけば近づくほどに恥ずかしいやら怖いやらといろんな感情がないまぜになりどんどん顔が火照っていくのが綾には分かった。
分かったからこそさらに赤くなる。
ーもう限界…!
そう思った時、冬哉がピクリと何かに気づいたかのように止まり、綾から離れた。
「可哀想に、ぐるぐる回ってるな…仕方ない。」
そう呟くと同時にため息をつき、そのままの距離で綾に話しかける。
「どうやらお迎えが来ているようだよ柳瀬。今日はここまでにしよう。あ、でも連絡先教えてくれる?」
「私にも教えてくれ。正直、このまま一人でこの生活を乗り切れる気がしない。助けてくれないか」
相変わらずこちらの是非を抑え込む笑顔で連絡先を聞いてくる冬哉と、頭が冷えて流石にこのままではまずいと思ったセレナの健気な頼みに、綾は首を縦に振るしかなかった。
とはいえ。
「二人とも、ケータイあるの…?」
その問いに、二人は制服のポケットからよく見るスマートフォンをつまみ出して机の上に置いた。
そして言う。
「「使い方がわからない」」
この瞬間、綾は2人に電源を入れる操作から教えなくてはいけないことを確信した。