目立ちたくないのに
「今後、この学園ですごす上での注意点です。あとは各教科の担当の先生に…」
担任教師だという古典の若い男性教師の話を適当に聞き流しながら、冬哉は高々3年、と自分に言い聞かせていた。
高々3年なのだから、すぐに終わる。自分たちにとっての3年は、永遠にも等しい時間のうちの何百分の一でしかない。
「えー…、それから、知ってるとは思いますが、明日は新入生テストです。ちゃんと春休み勉強してたか試されるので心して臨んでくださいね。マークシート式ですので、鉛筆忘れないようにしてください」
マークシート式テストは、下層世界では有名なテスト方式だが、冬哉たち天人にとってはさっぱりな単語だった。
ーこれは、下層世界では有名なのだろうか。まーく…?しーと…とは…ー
考えた所でわかるはずもなく、冬哉は後ろの席にいる綾に聞く事にした。
「柳瀬さん、まーくしーとってなんだかわからないんだけど…」
冬哉がそう言うと、綾は少し驚いた顔をしたが、親切に教えてくれた。
当たり前だがかのアメリカにだってマークシート式テストは普通に存在する。
「えっと、問題用紙に、ある程度答えが書いてあって、その答えに番号が振ってあるの。その中から自分が答えだと思う番号を選んで、こんな感じのシートの番号を塗りつぶすんだけど…アメリカでは、マークシート使わないの?」
「お、俺のいた学校では使わなくて…」
冬哉はなけなしの演技力で力なく笑って誤魔化した。
「へぇ、そうなんだね」
綾は不思議そうにそう返したがそれ以上突っ込んで聞いてくることはなかった。
その様子に冬哉がほっとしていると、教室の中央あたりの席からホームルームに不釣り合いな、机と椅子と床が織りなす大きな不協和音が上がった。
一斉に教室が静まり、妙な緊張が走った。
「く、クラヴィウスさん!何してるんですか!」
担任教師がもたついた声を上げて注意するも、不協和音の元凶たる彼女は見向きもしない。
不協和音の正体はセレナだ。
教室の中央、セレナの席の机は倒れ、その代わりと言わんばかりにセレナの前の席に座っていた男子生徒が彼女に胸ぐらを掴まれ、釣り上げられていた。
大方不躾な振る舞いをしてきたのだろうが、女の細腕一本で釣り上げらたような形にされている男子生徒は本当に哀れと言える。
「わ、わわ…」
さっきまでのぬるい空気から一変し、まるで今にも爆発しそうな雰囲気を感じた綾がオロオロし始めた時、セレナが口を開いた。
「お前、私をどうしたいのか?はっきりせい」
「えっ、えと…えっ…?」
プラチナブロンドの碧眼の少女はその凜とした声で、ありえないレベルの時代錯誤な口調で喋った。
途端に教室の空気は緊張から困惑へと変わった。
胸ぐらを掴まれている男子生徒は怖いやら驚いたやら困惑やらでなんとも形容しがたい複雑な表情をしていた。
もちろんセレナはそんな事は気にしない。
掴み上げる力を容赦なく上げた。
男子生徒がか細い悲鳴を上げる。
「はぁ…はっきりせい、と言っておるのが聞こえぬのか?それとも、私ごときの気に押されるほど、お前は腑抜けておるのか?…どちらでもよい、私は機嫌が悪いの。その首はねられたくなくば黙っておれ」
「ええと、うあ…ぐ…」
そろそろ介入しないとまずいか、と冬哉が椅子から腰を上げようとした時、弱々しい声がセレナを再び注意した。
「クラヴィウスさん、や、辞めなさい。外に出ましょう?ね、ほら手を離して、石田くんも一緒に…」
担任教師がセレナの身体を押して、男子生徒から引き剥がしにかかっていた。
もちろんビクともしないのだが、セレナの機嫌はさらに下降していく。
その場にいる全員、急に教室の温度が下がっていく感覚に襲われた。
「まずっ…ああもうっ」
「えっ…?」
綾が困惑の声を上げるのを聞きながら、冬哉は大きく息を吸い込み、力づくでセレナを抑えにかかる。
『大いなるものから逸れた現象は自然へ戻れ!』
冬哉がそう叫ぶと、パンッと何かがはじけるような音と共に、下降していた教室の温度が再び元に戻る。
間髪入れずに冬哉は再び叫ぶ。
『力なき者はしばし眠り、しばし忘れよ!』
すると、教室の生徒たちは一斉に眠りについた。
何かのドッキリ企画のような現象だが、冬哉の呪術の力による現象である。
さっきまでの緊迫した空気は消え、安らかな寝息のみが聞こえる空間。
起きているのは冬哉とセレナだけだった。
「ふん、言霊縛りか…。随分と強烈な力だな」
不遜な態度で冬哉を一瞥し、セレナは掴み上げていた眠っている男子生徒を文字通り落とした。
後で打ち身程度は感じるだろう扱いだが、自分に手を出させた代償だと思い、あえて冬哉は心の中で合掌するにとどめる。
「光栄だね、でも時と場をわきまえて欲しい。君ほどの術を抑え込むのにはなかなか疲れる」
はぁ…とため息をつき、演技である現代風の口調をやめ、冬哉はセレナに近寄りながらさらに苦言を呈す。
「上界に帰れぬとは言え、呪術の使用制限はかかっておらぬ。だからと言って、自分の機嫌一つで乱用されてはここのか弱い住人どもに迷惑というものだ。もう少し、俺に楽をさせてもらえぬかな若者よ」
とぼけたような言い様に、セレナはさも不快といった風に顔をしかめた。
冬哉とセレナはそうとしは離れていない。見た目年齢がそう変わらないのだから当たり前なのだが。
「年寄り扱いして欲しければ、もう500年過ぎてからにせい。さっきから言霊を剥がそうと力を返しているのにぴくりともせぬこの強さ。私はお前の素性を知らされておらぬが、大体の予想はつくものよ…」
「おや、なんの事を言っているのか、年寄りには分からぬよ」
冬哉はわかりやすく再びすっとぼけ、セレナは両手を挙げ、呆れたような声で誓う。
「今後一切の目立つ呪術の使い方はしませぬ、貴方に本気を出されたら私なぞ肉片になってしまう」
「俺の願いを聞いてくれて嬉しいぞ若者。さて、5分したら皆が起きる。前後数分の記憶は消してあるので、再びほーむるーむとやらが始まるぞ。それまでにその惨状、どうにかせねばな」
笑顔で「その机と椅子ちゃんとしとけよ」と言外に命令した冬哉は再び自分の席に戻ろうと振り向いた。
「あっ…もち…づ…」
全員冬哉の力で眠っているはずなのに、そこにはあまりの超現象に、自分の席で固まって動けないでいる柳瀬綾がいた。