かくして彼は流された
その日、冬哉は日課である下界眺めをしていた。
天人にとって、下界眺めは数ある暇つぶしの一つだ。
時空の高層に留まりつつ下層に潜り込み、短時間冒険する。
要するに、水の中を潜って探検するような感覚だ。
もちろん、ある程度の規則は存在する。
ひとつ、下界眺めでの人への接触は禁止
ひとつ、下界の物、生物を持ち帰らない
ひとつ、下界で呪術を使わない
ひとつ、許可なしに人へ姿を晒さない
この4つを守れば下界眺めは誰にでもできる人気の娯楽である。
冬哉は見た目は下界の人でいう16歳〜17歳といったところだが、実際は180歳である。
それでも、月ではまだまだ若い分類だ。
さて、下界覗きは専用の鏡を用いて行う。
その鏡から下界へと潜り込み、そこに住む人々の日々をボーッと眺めたり、たまに月には存在しない動物と戯れる物もいる。
掟では、ヒトとの接触は禁止されているが、その他の動物の接触は禁止していない。
その為、見た目が愛らしい動物をかまう者は多いのだ。
冬哉もそのうちの一人であり、彼がよく可愛がっている動物は猫だった。
地球では珍しくない動物だが、月には猫はいない。
ふわふわの毛並みに愛らしい顔をした猫に、冬哉は下界眺めで癒されていた。
そうして見つけてしまったのだ。
「なんと酷いことを…」
月では若造とはいえ、地球ではなかなかの長寿の部類に入る冬哉だ。今まで瀕死の動物に出会ってきたのは数え切れないほどだが、彼は見たことがなかったのだ。
ヒトの手によって瀕死に追いやられた猫の事を。
酷く虐められた跡があり、もはや虫の息の猫。
今まで、冬哉は事故にあったり、病気であったりした猫を見かけたが、それが天命であり、ましてや月の住人、高層の天人である自分が手を出すべきものではないと理解し、ただ 最期まで寄り添い見守ってきた。
だが目の前にいる猫はどうだろう。
この猫が何をしたと言うのだろう。
冬哉はとっさに持っていた彼ら天人の命の源とも言える「水」をその猫に分け与えた。
なんてことはない。
これくらいなら誰でもやっていることだった。
問題はその先にあったのだ。
「みゃー…」
猫の傷口が「水」の力によって塞がり、呼吸が安定したことを確認したところで、冬哉はその場を立ち去り、上層へ上がる為、再び鏡へと道を通す。
最後に助けた猫を一目見ようとその場所を見たが、そこにあの猫はいなかった。
「まぁ…猫ってそんなもんだよなぁ…」
少し釈然としないが、長年の経験から、猫とはそんなものだと理解していた冬哉は、名残惜しいがそのまま高層世界へと帰還した。
「にゃー」という声と共に。
そう、助けた猫は冬哉の足元にいたのだ。
冬哉は気づかず猫を高層へと連れて帰ってしまった。
つまり。
「あらぁ、冬哉ちゃん規定違反よぉー」
「おっ…叔母上…?」
規定違反。
たまたま自室を訪れていた(つまり無断で部屋に入られていた)冬哉の所属する国の重役である叔母に、部屋に帰還した直後にそう言われた冬哉は、色々な意味で頭を抱えたい気分になったのは言うまでもない。
なんて注意力が足りないのか。
後悔先に立たずである。
そんな冬哉をよそに、彼の叔母はさながらコンビニへのお使いを頼むようにサクサクと冬哉に告げる。
「冬哉ちゃんは可愛い甥っ子だけど、規定違反は見逃してあげられないわ。いくらあなたでもね。処分は追って決定します。その間、あなたは望月の館で謹慎よ。いいわね」
「…はい、叔母上」
ここから先は簡単だ。
冬哉の犯した罪はごく軽いもので、猫を連れ帰る前の善意の行動、事故である事も考慮され、略式裁判での判決もそう時間をかけずに決まった。
下層での3年間の生活。
たまたま別件で裁判にかけられていたセレナにも同じ処分が下り、2人して外見相応の下層の学校へと送られる事となった。
こうして、冬哉は月の国際裁判所が決めた刑務所というべき私立天翔学園高校へと突っ込まれたのである。
ちなみにこの学校が選ばれたのは、月側の息がかかった学校だからだ。
若い月の天人が軽い罪を犯した際、生活に紛れやすくするために設立され、現理事長は天人だ。
しかしそれは学校というもの自体に入り込むための手立てとして用意されたものであって、冬哉たち罪人に直接接触してくることはないに等しい。
比較的「ヨソモノ」に対して閉鎖的であった1000年前では、竹という植物の中に幼子として入れられ、下界人に育ててもらうといった方法も取られたらしいが、現代で竹から人が出てきたら大惨事もいいところである。
かくして謹慎していた館の名前を苗字として、冬哉は地球へと「降」りた。
下層で暮らす人々の大半が経験するという、輝ける高校生活が幕を開けたのだ。
ー本人の意思とは一切関係なく。