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純喫茶ハザマにて

 八.


「で、俺にどうしろと」

 礼司と同じ文句を放ったのは、やる気なく足を組んで頬杖を付いている黒いエプロン姿の男だった。純喫茶ハザマの店主、狭間・グリマルキン・(まこと)である。

「そういうことはまず、教師に相談しやがれ。俺は真っ当な部外者だ」

「いや、俺もそうは思ったんですけど、内容が内容なので」

「だからって、なんでうちの店に来るんだよ」

「お忙しいんでしたら、別に話を聞いて頂かなくともいいんですけど」

「見ての通り暇なんだよ」

「だったら愚痴らないで下さいよ。俺は真っ当な暇潰しの材料になりますから」

「じゃあ飲め、喰え、そして金を落としていけ」

「無茶言わないで下さい」

 人選を間違えたかなぁ、と後悔しながら礼司はコーヒーを啜った。香ばしく深みのある香りに、控えめな酸味とまろやかな苦味が舌と胃に染み渡る。ゴールデンウィーク真っ直中の純喫茶ハザマは、静かなものだった。螺倉の住人達もそれぞれで連休を謳歌しているのだろう、商店街の店もいくつかはシャッターを閉ざしている。その中で、営業中の札が掛かっていて、客の姿もなく、おまけに店主が暇そうだったのが純喫茶ハザマだったのである。店主が限りなく人間に近い容貌だというのも、彼を相談相手に選んだ理由の一つでもあるのだが。ちなみに名前は、相談を持ち掛け始めた際に教え合った。

「はいははーいっ、サービスでぇーすぅっ」

 カウンターから飛び跳ねるように現れた包帯ウェイトレスは、礼司の前に熱々のホットケーキを置いてくれた。途端に狭間は渋面を作る。

「おい。その代金はお前の給料から引いておくぞ」

「売り上げがマイナスになるけど、御客様の心地良さには変えられないもーん」

 うふふ、とイタズラっぽく笑みながら、包帯ウェイトレスは左目だけを細めた。狭間に聞いたところ、彼女の名は霧崎・ジャックザリッパー・ジャクリーンというらしい。つまり、かの有名な切り裂きジャックだ。

「ありがとうございます」

 礼司がありがたくメープルシロップとアイスクリームがトッピングされたホットケーキを頂くと、ジャクリーンは狭間の隣に腰掛けた。

「いいのいいの、どうせ暇なんだしぃ。このお店だってまーくんの道楽だしぃ」

「で、その、お二人はご夫婦なんですか?」

 礼司はフォークで切ったホットケーキを、程良く溶けたアイスクリームを塗り付けながら頬張ると、ジャクリーンがきゃあーんと恥じらった。

「やぁだぁーんっ、そう見える? 見えちゃう? 見えるってぇまーくぅん!」

「うーるっせぇ! お前が俺を切り刻みやがったから、俺は悪魔の力を借りて体と魂を繋ぎ合わせて生き延びなきゃならなかった挙げ句、その悪魔を生かすために悪魔祓い師の真似事までしなきゃならなかったんだろうが! おまけに俺の左目まで奪いやがって! いい加減に返せ!」

 左目の眼帯を押さえて激昂する狭間を、ジャクリーンは人差し指で小突く。

「だからぁ、何度も言ったでしょーん? 私がまーくんを細切れにしたのはぁ、まーくんを私の住む世界に引き摺り込むためだってぇ。左目だってぇ、エンゲージリングの代わりだもぉん。同じ生体部品を共有するのってぇ、人間同士じゃ到底出来ないことだしぃ。だってだってぇ、まーくんが大好きなんだもぉん、うっふんあっはんきゃっふぅん」

 痴話ゲンカ以外の何物でもない光景を横目に、礼司はもそもそとホットケーキを咀嚼した。ふんわりと柔らかく、ほんのりと利いたバニラの香りと小麦の甘みが美味だった。ひとしきり二人は罵り合い、どつき合った後、話を戻した。

「で、俺にどうしろってんだよ、実際問題」

 狭間は後頭部で手を組み、黒いエプロンを付けた胸を反らす。骨格はそれほどがっしりしていないが、意外と筋肉がある。

「さっき言ったように俺もまあ人間とは程遠いが、他の連中ほど常軌を逸しちゃいないぞ。大体、その手のことに関しちゃ、俺よりも学園の連中の方が何十倍も長けている。年齢だって百や千じゃきかねぇし、多次元宇宙同士を繋ぐ蓋を開け閉め出来る権限を持っているのは他でもない学園の理事長だ。増して、相手が邪竜族の帝王となると尚更だ。一介の悪魔人間が手出し出来るようなレベルでもなきゃ、問題でもない」

「そりゃまあそうなんですけどね」

「あと、常連のベテルギスクの坊ちゃんにしたって、あっちの世界の問題はあっちで解決すべきことであって螺倉に持ち込むのは原則禁止なんだぞ? お前の話を顧みると、事を荒立てているのは姫騎士の姉ちゃんのようだが、きっぱりとはねつけないベテルギスクの坊ちゃんも良くねぇな。嫌いなら嫌いとすっぱり言って、仲良くしたいならそうしたいって態度で示せば拗れないんだよ。これだから、学生ってのは」

「でしょうねぇ」

 礼司が相槌を打つと、狭間は口角を吊り上げる。吸血鬼の如き牙が見えた。

「だったらいっそのこと、駆け落ちでもなんでもしたらどうだ?」

「なんでそうなるんですか」

「俺の見る限りじゃ、その姫騎士の姉ちゃんはベテルギスクの坊ちゃんを悪く思っちゃいないみたいだしな。ベテルギスクの坊ちゃんも、逃げ回ってはいるが根っこから嫌いってわけじゃなさそうだし」

「嫌いじゃないがイコールで好きとは限らないんじゃ」

 と、礼司が意見すると、ジャクリーンがときめいた。

「そうよぉっ、そうなのよぉーんっ! でもでもぉ、嫌いじゃないなぁって思ってくれる相手の心臓を引き摺り出して切り取って握り潰しちゃえば、きっと好きになってくれるんだからぁ! これ、私のとっておきの恋の魔法なんだから!」

「……あれは痛いぞ」

 身に覚えがあるのだろう、狭間は顔を背けた。

「聞いているだけで痛いです。てか、そんなことを小林先輩に言ったりしたら、あの人はリアルで実行します。しないわけがありません」

「こいつの言うことは当てにするな。ていうか少しは黙っていろ」

 そう言うや否や、狭間は左腕でジャクリーンの頭部を鷲掴みにした。その手は一瞬にして悪魔らしい骨張った紫色の腕に変わり、ジャクリーンを強かに叩き伏せた。店全体が揺れ、食器棚の食器が一斉に跳ねた。

「あっはぁ~ん……まーくんってば、カ・ゲ・キ……」

 仰向けに倒れたジャクリーンは、顔の部分の包帯が解けかけて空っぽの中身が覗いていたが、そんなことは構わずに弛緩していた。

「螺倉の中じゃ、その手の能力は使えないんじゃなかったんじゃないですか?」

 礼司の問いに、狭間は左手を元に戻して軽く振った。

「俺の場合は能力じゃない、体質だ。体と魂の繋ぎに悪魔グリマルキンを使っちまったから、ちょっとしたことで表に出ちまうんだ。能力は意図して使うもんだが、体質は意図しなくても出てくるだろ? まあいい、続けるぞ」

 狭間もまた人間ではなかったのだなぁと礼司は落胆したが、心中に収めた。

「あ、はい」

「駆け落ちってのは言い過ぎたが、要するにその二人の距離をどうにかして縮めてやれば、事態の根本的な解決は出来ないまでも現状は進展出来るんじゃないのか。お前らの休みはまだ三日はあるんだし、その間になんとかしてみろよ」

「でも、小林先輩は戦闘種族なんですよ。理性の方はしっかりしているんですが、体が反応するんで、そのせいでベテルギスクは毎度毎度追い詰められるんです」

「追い詰めて、その先はどうするんだ?」

「さあ。そこまでは見たことがありません」

「なんだったら、最後の最後までやらせたらどうだ。進展するかもしれないぞ」

「そう言うと、なんだか寸止めエロコメ少年漫画みたいですね」

「その辺は大丈夫だろ、たぶん。ベテルギスクの坊ちゃんは女の尻よりもケーキの山を追い掛けていたいタイプだし」

「じゃ、試してみますか」

「どこでだ」

「学園内だと諸々に迷惑が掛かりそうなので、出来れば外で。あと、重要なのは、ベテルギスクを出来るだけ自然な形で誘き出すかってことになりますね。小林先輩は、携帯をワン切りすれば一分足らずで駆け付けそうな気がしますけど。となると、ベテルギスクの趣味嗜好に合わせた場所で、ってことになるんで」

「おい、まさか、やめてくれよ」

 狭間がやや身を引くが、礼司は畳み掛ける。言い出しっぺは狭間だからだ。

「ガーデンテラスの方が被害が少ないかもしれませんね。学割は利きますか」

「利くわけねぇだろそんなもんと言いたいところだが、利くんだよ」

 苦々しげな狭間に、ジャクリーンがまとわりついてくる。

「やってあげようよぉまーくぅん、うふふふふっ」

「だが、比較的暇な開店直後の二時間だけだからな? 一分でも超過したらきっちり全テーブル分の予約代金を頂くからな? 個人経営者の懐具合を舐めるな」

 引きつり気味の狭間に凄まれ、礼司は了承した。

「どうもありがとうございます」

「じゃあじゃあ、早速準備しないとね! ベテルギスク君の好きなケーキをたっぷり作ってあげて、気分良く話し合わせてあげないとね!」

 狭間に振り払われたジャクリーンは、スキップしながらカウンター裏の厨房に戻っていった。狭間は眉を吊り上げて口元を思い切り歪め、八重歯の位置から生えた鋭利な牙を見せつけながら毒突いた。

「だが、もう一つの方の問題は自分でなんとかしやがれ。二度目はないぞ」

「恩に着ます」

「そう思うんだったら、うちの店で財布の限りに飲み食いしろ」

 礼司としては是非とも約束したいところだが、先日の思い出作りで大分消耗したのでそうもいかない。なので、愛想笑いをして誤魔化すだけで精一杯だった。厨房ではベテルギスクと同等かそれ以上に脳内お花畑のジャクリーンが目を輝かせていて、しきりに狭間に声を掛けてきた。ケーキは何段か、テーブルを飾る花はどれくらいがいいか、いっそのことガーデンウェディングのセッティングにしてしまおうか、と次から次へと言い出すので、狭間は厨房に踏み込んで再度ジャクリーンを叩きのめした。中身のないジャクリーンは軽々と吹っ飛びはするがダメージは一切なく、それどころか狭間に構われたのが嬉しいとはしゃいでいた。

 そんな二人を横目に、礼司はガーデンテラスに出てベテルギスクに電話を掛けた。すると、ベテルギスクは猿島で拾い集めた貝殻をハート型の小瓶に詰めたらしく、弾んだ声色でキラキラした話題を語り始めた。礼司はそれを切りの良いところまで聞き流してから、明日の開店直後に純喫茶ハザマに来ないかと伝えた。ベテルギスクはちょっと疑問符を付けてはいたが了承してくれた。ブレイヴィリアにも電話して同じ内容を伝えると、ブレイヴィリアはすぐに了承してくれたが、妙に気落ちしていた。

「どうかしたんですか、小林先輩」

『いや、気にするな。大したことではない』

 エネルギーがはち切れそうな彼女らしからぬ語気の弱さで、溜め息すら混じっている。礼司は手近な椅子に腰を下ろしてから、再度問う。

「何かあったんですか?」

『簡潔に言えば、帰る場所がなくなったのだ』

「えっ……?」

 それはつまり、ブレイヴィリアの故郷の世界が亡んだということか。

『完全な私の手落ちだ。ベテルギスク十三世に気を取られるがあまり、故郷の守りを怠ってしまったのだ。幸いなことに民は落ち延びたが、空間軸と次元軸のみならず、地上界の存在している大陸そのものを支える魔法陣も破壊されたと伝令の書に書き記されていた。異分子の仕業と見ていいだろう。アストラル界も無傷ではないそうだが、あちらはまだいい方だ。だが、私の方は……』

「だったら、無理して出てこなくてもいいですよ、先輩」

 最悪のタイミングで最悪の話を持ち掛けてしまった。

『気にするなと最初に言ったではないか、もう忘れてしまったのか? 私は気高き姫騎士、エクストリア家の第一王位継承者にしてベテルギスク一族を貫く牙であり、民を背負う翼だ。民は生きている、我が王家も亡んだわけではない、だから私もまだ大地に伏すわけにはいかんのだ。決着を付ける』

「だったら尚更ダメですよ、先輩!」

 礼司は慌てて呼び掛けるが、通話が切られた。こうなったら直接女子寮に行ってブレイヴィリアを押し止めるしかない。元の世界で持ち合わせていた特殊能力が消え失せているとしても、ブレイヴィリアが持つ身体能力と戦闘能力は別物だ。礼司との待ち合わせだと思い込んで油断しきっているベテルギスクなら、彼女であればケーキナイフ一本で仕留められるに違いない。もしも、もしも、そんなことになってしまったら。

 礼司は飲んだばかりのコーヒーが喉に迫り上がってくるような感覚に苛まれながらも、出せる限りの速さで走った。人通りもなければ車通りもない学園に至る坂道を昇っていくと、その半ばでラミアに出くわした。それは継美の側近である、長尾・ラミュロス・マキナであった。

「う」

 なんでこんなところに。礼司は息を荒げながらマキナの隣を通り過ぎようとすると、マキナは音もなく蛇の下半身を伸ばし、礼司の足に絡み付けてきた。坂道に耐えかねていた膝は呆気なく折れ、礼司が転ぶと、マキナは鋭く言った。

「無力な人間めが。姫様を侮辱したばかりか、この私にひれ伏さずに通り過ぎるとは身の程知らずにも限度がある」

「あんたに構っている暇はないんだよ」

 喘ぎながら起き上がった礼司に、マキナは再び下半身を絡み付けてくる。その力は凄まじく、両足の関節が外れかけるほどに強烈で激痛も伴った。運動による汗とは違った汗が噴き出した礼司がうずくまると、マキナは先割れの舌を出す。

「エクストリアの姫騎士に何を伝えるつもりだ?」

「何って」

 この蛇女、何を知っている。礼司が呻きながら呟くと、マキナは腕を組む。

「あの女は実に愚かしい。戦うためだけに生まれ、育てられ、長らえながらも、戦いを遠のけようとしているのだからな。魂の叫ぶがまま、戦い抜いて果てればいいものを。滑稽にも程があるぞ」

「他人の人生だし、外野がぐちゃぐちゃ言うべきことじゃな……いっ!?」

 痛みを紛らわすべく礼司は反論したが、締め付けが強くなった。

「前例を作られたら困るのだ。よって、あの女の世界を破滅へと導いたのだ」

 マキナは這いずって礼司を木陰に引き摺り込み、学園からの死角に入った。蛇の下半身の長さは二メートル足らずで上半身は十歳も年下に見えるのに、その目付きは異様なまでに艶を帯びていた。やはり彼女もまた、魔性の者だ。

「いいか、人間。我が主君、ヴァイゲルング大帝陛下は飢えておられる。その配下の者達も、大帝と同じ血を引く者達もだ。それもこれも、人間が緩やかに邪竜族を滅ぼそうと繁栄を拒んだからだ。飢えは狂気を導き、狂気は深淵を開かせ、深淵は万物を飲み込む。そうなれば、十万年もの月日を長らえたクラーゲンフルト帝国も終わりを迎えてしまう。故に、大帝陛下の企ては成功させねばならぬ」

「だから、って……なんで余所を」

「それは前述した通りだ。長らく敵対していた種族の当主同士が和解出来ると知ったらば、姫様は喜び勇んでそれを大帝陛下にお伝えするだろう。大帝陛下は角砂糖を氷砂糖で包み込んでガムシロップをたっぷり掛けて粉砂糖の衣を纏わせたものをハチミツに浸したものをシュガーレイズトしたものの数十倍はありそうな、長年付き従ってきた部下でさえもおいおいこれはちょっとないんじゃないの的な思考に陥るほどの子煩悩だ。故に、姫様が進言されたことであればなんであろうと聞いてしまう。聞かないわけがない。もしも大帝陛下が姫様の進言に逆らうことがあるとするならば、それはきっと姫様が結婚相手を連れてきた時だ。多少話は脱線したが、つまりはそういうことだ」

「だからどういうことなんだよ」

 途中からよく解らなくなったので礼司が聞き返したが、マキナは押し通した。

「つまりはそういうことだ。だから、貴様も邪魔だが、貴様を処分してしまえば姫様はきっとお嘆きになるであろう。今日は見逃してやるが、次はない」

 ずるりと重たく冷たいものが巡り、礼司の下半身はやっと解放された。だが、動脈を締め上げられていたため、しばらくは動けそうになかった。正座の痺れよりもひどい痺れに苛まれた足の感覚はほとんどなく、まるで他人の体だ。触ってみても皮膚感覚すら遠く、膝の曲げ伸ばしも利かない。仕方ないので両手で片足ずつを持ち上げて伸ばし、腰をずらして道路の斜面に寄り掛かった。

 異世界の事情など与り知らぬことであり、理解出来ることの方が少ないが、マキナの所業は理不尽としか言いようがないのは確かだ。学園の校舎は見えているが、学園ではマキナが待ち受けているだろうし、礼司がマキナの立場だったら間違いなくそうする。だが、マキナの言っていることももっともだ、とも思う。余所者が口出ししたところで、何がどうなる。

 足が回復すると、礼司はやりきれない敗北感を抱きながら坂道を下った。足の痺れと空しさが、やけに道程を長く感じさせた。



 翌日。

 約束通りの時間に、ベテルギスクとブレイヴィリアは純喫茶ハザマに訪れた。貸し切りなので二人以外の客は誰一人いない。ジャクリーンによってガーデンテラスの端に案内された二人は向かい合って座ったが、どちらも注文したきりで話を切り出そうとはしなかった。二人が来るまで厨房に身を潜めていた礼司は、カウンターから顔を出し、ガーデンテラスの様子を窺ってみた。

 ベテルギスクは一番のお気に入りだと言っていたフォンダンショコラをフォークで切り分け、一口ずつ大事そうに食べている。対するブレイヴィリアは外回りの途中で公園のベンチで一息入れるサラリーマンの如く、大股開きでコーヒーを口にした。ベテルギスクがフォンダンショコラを食べ終えた頃合いになり、ブレイヴィリアが話を切り出した。

「ベテルギスク十三世、私がなぜ螺倉に来たか、解るか」

「い、いいえ、そんなのは別に」

 がちんっ、とフォークを噛んだベテルギスクは巨躯を縮める。

「ならば、なぜ貴様は螺倉に来たのだ。己の宿命から逃げるためか」

「えっと……」

 ブレイヴィリアの痛烈な言葉に、ベテルギスクは言い淀む。

「怒鳴ったり、殴ったり、蹴ったり、投げたり、打ったり、切ったり、転ばせたり、突き落としたり、突いたり、しないって約束してくれますか?」

「それは」

 ブレイヴィリアはベテルギスクの気弱な文句に体が反応しかけたが、両足を踏ん張った。貧弱なミュールが石畳を噛み、ごきりと鳴る。

「……善処してやる」

「ありがとう、先輩」

 ベテルギスクはフォークを皿に横たえ、両手を膝の上に置いた。

「余は、余の時間を止めるために螺倉に来たんです。余の故郷のアストラル界と先輩の故郷の地上界も割と時間経過のずれはあるけど、大した長さでもないし、誤差の範囲で済む程度だから。でも、地球はあの世界に比べて公転周期も違えば時間経過も大分違うから、余はすぐには大人にならないって踏んで来たんです。実際、余は螺倉の小学校に進学した段階で五回目の脱皮を済ませていたけど、螺倉に来てからはずっと脱皮もせずに済んでいたし、余の体の成長も止まっていたんです。きっと、アストラル界から切り離されていたからだと思うんだけど。だから、余はずっとずっとずっとさなぎのままでいられるんだって思って……」

「確かに私と貴様の住む世界の一年と、この世界での一年には大きな差がある。だが、誤差がどれほど広かろうとも成長は止められるものではない」

「うん。余もそれはよく解っていたんだけど、やっぱり怖くて……」

「成長することがか」

「もちろんそうだけど、成長することよりももっともっと怖いのは」

 ベテルギスクが肩を怒らせると、その手の爪が肉を切り裂いた。次の瞬間、テーブルが跳ね上がってコーヒーカップとソーサーが空を切り、空っぽのケーキ皿が石畳で砕ける。金髪縦ロールを踊らせたブレイヴィリアが矮小なコーヒースプーンで阻んだのは、ベテルギスクの滑り気を帯びた爪だった。

「成長による苦痛で理性を失うことだったんだ……!」

 コーヒースプーンは一秒と持たずに折れ曲がり、爪がブレイヴィリアの額に迫る。が、ブレイヴィリアは素早く後退して距離を取る。

「まだ、自我は残っているな?」

 胸のオーブの輝きが濁り、三つの目が険しく吊り上がっていく。

「うん……割と、ね……」

 えへへ、とベテルギスクは得意げに笑みを零すが、四肢のウロコが鬩ぎ合って軋みを立てている。ブレイヴィリアは折れ曲がったスプーンの上下を逆さまにし、コウモリの翼を意識した尖ったデザインの柄を構える。

「ならば、そのまま動くなよ」

「け、結局、こうなっちゃうんだぁ、なぁ……」

「住む世界を違えようと、宿命からは逃れられぬのはお互い様だ」

「い、痛く、しないで、下さい、ね?」

「先程言ったではないか、善処してみると!」

 一撃。

 ブレイヴィリアの握り締めた矮小な武器は、辛うじて己を律していたベテルギスクのオーブを貫いた。淀んだ輝きを帯びていた赤い半球体にコーヒースプーンがめり込むと、人間のそれよりも青味掛かった紫色の血液が飛び散って、ブレイヴィリアの髪と頬を汚す。たたらを踏んだベテルギスクは、植え込みに背中を埋める。何度か瞬きした後、ベテルギスクは脱力して手足を投げ出した。あまりのことに礼司がガーデンテラスに駆け出すと、ブレイヴィリアは構えを解く。

「死んではいない。奴の中枢神経の集積部に損傷を与えただけだ」

「てことは、ベテルギスクは眠っているだけってことですか?」

「そうだ。奴の種族のどこが急所なのかは、長年の戦いで知り得ていた。そこを突くための修練を気が遠くなるほど行い、相打ちであれば上等だと信じて日々を積み重ねてきた。後は首を落とし、肝を抉り出し、外殻を剥がし、骨と肉を切り分けて解体しなければ奴は死に至らない。自己再生能力は次元の相殺作用で衰えているが、傷の治りが早いのは元々生まれ持った性質だからそう消えるものでもないからな」

「解体……するんですか?」

 戦慄した礼司に、ブレイヴィリアは淡々と述べる。

「ベテルギスク一族の首を刎ね、皮を剥ぎ、己の鎧の材料を得るのはエクストリア家では最も誉れあることなのだ。天を衝く大きさの魔王を滅ぼした暁には、その骸を骨組みにして新たな城を築き上げることもある。魔王の規模にもよるが、骨から削いだ肉は一辺残らず切り分けられて民に振る舞われ、三日三晩盛大な宴が催される。そして魔王を討ち取った騎士の名を授けられた聖堂が建てられ、彫像が作られる。聖典も作られよう、昔語りにもなろう、タペストリーも織られよう、壁画にもなろう」

 その様は容易に思い浮かぶ。見目麗しく勇ましいブレイヴィリアであれば、凶悪な魔王を華麗に打ち倒す物語を組み立てやすいだろうし、絵画もさぞや素晴らしい出来になるだろう。剣を手にして兵隊を鼓舞するブレイヴィリアの彫像が据えられた聖堂は、荘厳だろう。だが、それらを並べ立てる彼女の語り口は誇らしげでもなければ自慢げでもなく、痛ましかった。

「しかし、それが何になるというのだ」

 ブレイヴィリアはベテルギスクの傍に跪くと、彼の分厚く硬い手に己の手を添えた。ベテルギスクが気を失っているため、ブレイヴィリアが彼を投げ飛ばすこともなければ、ベテルギスクがブレイヴィリアを阻むこともなかった。黒曜石にも劣らぬ艶と色味を持った硬い爪を手に収め、手のひらが裂けるのも厭わずに握り締めたブレイヴィリアは、安堵に唇を綻ばせた。

「こうでもしないと貴様と対等になれぬとは、なんとも皮肉だな」

「あの……小林先輩」

 礼司はブレイヴィリアの傍に寄り、ベテルギスクを示した。

「こんな時に言うのもなんですけど、ベテルギスクはゴールデンウィークが明けたら元の世界に帰るつもりでいたんです。普段、あんなにビビりまくっている小林先輩に会うって決めたのも、これが最後だからってことで踏ん切りが付いたからなんだと思います」

「そうか」

 ブレイヴィリアは長い睫毛を伏せ、赤と紫の血に濡れた手のひらを見つめた。

「ならば、その願いを叶えてやろう。成人の儀を終え、誰もいない地上界で暴れ尽くせば、奴もまた理性を取り戻すであろう」

「でも、どうやって世界を行き来するんですか?」

「螺倉遺跡だ。そこに、多次元宇宙を貫く特異点が据えられている。だが、その特異点を操作する権限を得ているのは理事長先生だけなのだ。私やベテルギスクが螺倉に至れたのは、我らの住む世界に闇の井戸と呼ばれる次元の穴が空いていたからだ。それは螺倉に繋がる一方通行の穴でしかなく、行き来することは叶わない。だから、螺倉遺跡の特異点でしか戻ることは出来ないのだ。ならば、ベテルギスクは理事長先生に話を通していた、ということか」

 ブレイヴィリアはベテルギスクの爪を握る手を緩め、立ち上がった。

「一度、学園に連れて行こう。それから、奴を送り届けてやろう」

「なんだかしんみりとした展開になっているところを邪魔して悪いんだがね」

 荒れたガーデンテラスに入ってきた狭間は、苛立ちを隠そうともしていなかった。その背中からは悪魔の片翼がはみ出していて、心なしか空気が禍々しい。

「コーヒーカップとソーサーとコーヒースプーンとケーキ皿とフォークとテーブルとついでに植え込みに修繕費、耳を揃えて弁償しやがれ」

「ふむ、ならばこれでどうだ」

 ブレイヴィリアは財布を開くと、そこから数枚のスナップ写真を出した。それはブレイヴィリアの下着姿やしどけない寝姿といったものばかりだった。

「どこの世界でも男というものは変わらんようでな、こいつをネットオークションに掛けるとなかなかの高値で売り捌けるのだ。それが私の収入源だ」

「現金で寄越せ、現金で」

 そうは言いつつも、狭間はその写真を受け取った。すると、狭間の背にジャクリーンが飛び掛かり、がっくんがっくんと前後に揺さぶった。

「まぁーくぅううううんっ! えっちいのだったらぁ、私がいっくらでもしてあげるからぁ! いつだってどこだって何だって触らせてあげるからぁああっ!」

「じゃかあしいっ!」

 狭間は振り返り様に翼を振るってジャクリーンを張り倒し、翼を引っ込めた。

「仕方ない、借用書代わりに受け取ってやるよ」

「だが、私の腕力でも気絶したベテルギスクを学園まで運ぶのは骨が折れるな。となれば、道具を借りてこなければなるまい」

 現状を維持しその場で待機、とブレイヴィリアは力強く命じると、軽く助走を付けて植え込みを一息に飛び越え、駆けていった。取り残された形になった礼司は、ジャクリーンに泣き付かれて自由が効かない狭間にせっつかれ、片付けをする羽目になった。本を正せば自分が原因なので拒否出来なかった。

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