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徒手格闘訓練

四.


 翌日。

「待っていたぞ、阿部礼司。この私を待たせるとはいい度胸ではないか」

 健人とジュリエッタに絡まれながら礼司が校門をくぐると、金髪縦ロールを靡かせながらブレイヴィリアが三人の前に仁王立ちした。他の生徒から怪訝な目を向けられ、礼司は前後反転して姫騎士から逃げ出してしまいたかったが、無視するわけにはいかないので挨拶を返した。

「おはようございます、小林先輩」

「なんやの礼ちゃん、ベティちゃんを泣かせとった先輩と仲良うなったん?」

 礼司の首に足を巻きつけながら、健人が迫ってくる。礼司は健人の足を引き剥がしてから、あらぬ誤解を招く前にややこしくて面倒臭い事の次第を説明しようとしたが、ブレイヴィリアは礼司の襟首を引っ掴んで歩き出した。

「さあ行くぞ阿部礼司、まずは早朝訓練だ! 始業までの短時間だが、それ故に濃密なメニューを練り上げてきたから期待していいぞ!」

「何を訓練するんですか!」

 引き摺られまいと校門の鉄扉を掴んで力一杯踏ん張った礼司に、ブレイヴィリアは声を張り上げた。

「決まっている! 徒手格闘だ!」

「俺と先輩は友達になるんじゃなかったんですかぁ!?」

「友好関係を築くには、まずは互いの実力を知らねばならん!」

 とにかく来い、とブレイヴィリアに再度引っ張られ、礼司はタコとスライムに助けを求めて両手を伸ばした。だが、二人はにこやかに見送るだけだった。

「始業までには教室に来るんやでー、礼ちゃーん」

「いってらっしゃーいっ! みゅっぷるみゅっぷるるー!」

「この人でなし共がぁああああっ!」

 八つ当たり気味に礼司が罵倒すると、健人が気色悪いほど優しく微笑んだ。

「何を解り切ったことを言うとんねん」

「だぁよねぇー。ぴっぷるぷぅー」

 ジュリエッタは弾むように歩きながら、昇降口に向かっていった。健人もそれに続き、人外だらけの生徒の流れに紛れてしまった。なんとか体の自由を取り戻そうと礼司は出来る限り努力したが、ブレイヴィリアは襟首を引き千切りかねない腕力で礼司を連行した。そして辿り着いたのが、人気のない体育館裏だった。

 日当たりが悪く湿り気の濃い日陰に転がされた礼司は、ブレイヴィリアがブレザーを脱ぐ様を見上げる格好になった。折り畳みもせずに体育館裏の階段にブレザーを放り投げたブレイヴィリアは、ブラウスの袖も捲り上げて胸を張る。薄い布地を膨らませているのは身長の高さに見合った大きさの乳房で、早足で歩いてきたからだろう、汗を吸い込んだブラウスに下着の色味がほんのりと透けている。しかもその色が、濃い赤だったものだから。

 気まずくなった礼司はすぐさま目を逸らし、制服に付いた砂を払いながら立ち上がった。年相応に異性への幻想と好奇心を抱いている礼司には少々強すぎる刺激で、朝っぱらであるにもかかわらず妙な気持ちになりそうになった。だが、ブレイヴィリアに下心など見せたら細切れにされかねないので、礼司は堪えた。

「手を出せ」

 ブレイヴィリアに強く命じられ、礼司は右手をそのまま差し出そうとしたが、慌ててスラックスで拭ってから再度差し出した。

「こうですか?」

「そうだ。そのままじっとしていろ」

 徒手格闘とはこれのことなのか。礼司が訝っていると、ブレイヴィリアは息を詰めて自分の右手を差し出してきた。

「動くんじゃないぞ、決してだ」

 一メートル、五十センチ、三十センチ、十五センチ、十センチ、とブレイヴィリアはやたらと時間を掛けて礼司ににじり寄ってくる。何をしたいのだろうか、この人は。そして遂に、礼司の右手が少し体温の高い柔らかな手に握られた。

「よし、やっ」

 た、と言いかけて、ブレイヴィリアは己の腕を捻ると同時に礼司の足を払っていた。直後、礼司の視界が一回転して背中から地面に叩き付けられ、衝撃が下半身から上り詰めて脳天を揺さぶった。

「いだっ!?」

「すまない! 努力したんだが!」

 礼司の手を離し、ブレイヴィリアは動揺して駆け寄ってきた。礼司は何が何だかさっぱり解らなかったが、痛みの波が収まるのを待ってから状況を把握した。

「えーと……俺、今、投げられたんですか?」

「そうだ。条件反射なんだ」

 ブレイヴィリアは礼司と一定の間を取ってから、気恥ずかしげに眉を下げた。

「私は地上界を統一したエクストリア家に生まれた時点で、アストラル界の者達と戦うことが定められていたのだ。よって、物心付く前から戦いの基礎を教え込まれていて、条件反射で応戦してしまうのだ。手を差し出されれば捻り、背中から声を掛けられれば肘で突いて首を薙ぎ払い、肩に手を載せられれば背負い投げ、目が合えば抉り出す、とな。おかげで戦死するようなことはなかったが、万事その調子だから私に誰も近付かなくなってしまったのだ。この学園に来てからは大分他人にも慣れたし、阿部礼司に対しては敵意を抱いていないからいけると踏んだんだが、そんなことはなかったらしい」

「もしかして徒手格闘の訓練ってのは、ベテルギスクと握手出来るようになるための練習なんですか?」

 やっと話が飲み込めた礼司がぼやくと、ブレイヴィリアは自嘲した。

「そうだ。無様だろう、戦いしか知らぬ女は」

 そうですね、と礼司は言いたくて仕方なかったが、ブレイヴィリアの神経を逆撫でするのは文字通り自殺行為なので我慢した。少なからずカルチャーショックを受けた礼司は、恨めしそうに己の右手を睨み付けている姫騎士を見やった。ブレイヴィリアとベテルギスクの素性は、これでもかと手垢が付いたファンタジーの設定そのものではあるが、当人達にとってはそれが現実だ。ゲームをプレイしている側からすれば、より強いキャラクターになってほしいと思うのが道理だが、明けても暮れても戦い続けることを決められて生きるのは辛いのだろう。だから、ブレイヴィリアはベテルギスクと和睦を結ぼうとしているのだ。

「貴様と手を繋げるようになれば、私はベテルギスク十三世への態度を軟化させることも叶うかもしれんのだ。手伝え、手伝わねば」

「二度と投げないで下さいよ。制服が汚れると親に怒られるし、痛いし」

 礼司が再度手を差し出すと、ブレイヴィリアは目を丸めた。

「いいのか?」

「いいってーか、またこの前みたいなことがあったら困るってだけですよ。俺、一応はベテルギスクの友達ですし」

 すると、ブレイヴィリアは唐突に涙を滲ませた。

「なんて気のいい男なんだ、貴様は。私を疎まぬばかりか、ベテルギスク十三世に義理立てするとは。平民にしておくには惜しいぞっ!」

 荒々しい仕草で目尻の涙を拭ってから、ブレイヴィリアは勇ましく親指を立ててみせた。体に染み付いた戦闘本能のせいで骨張った軍人気質が出来上がっているのではなく、元来の性格が激情家なのだろう。だから、語彙もいちいち大袈裟になっているようだ。

「では早速!」

 ブレイヴィリアは礼司の右手を取り、握り締めると同時に捻りを与えようとした腕を左手で押さえ込んで両足を踏ん張ったが、行く当てがなくなったパワーが右手にだけ集中したらしく、礼司の右手は圧砕されかけた。

「うっだぁあああっ!」

 骨の軋む音を聞いて本能的に絶叫した礼司は、死に物狂いでブレイヴィリアの手を振り払った。右手にはくっきりと手の形をした赤痣が付き、心なしか指の付け根の関節が外れかけているような。右手を庇い、脂汗を全身から垂らしながら後退った礼司に、ブレイヴィリアは戸惑う。

「そんなに力を入れたつもりはないんだが……」

「今日のところはもう、この辺で勘弁して下さい。授業もあるんで」

「そうだな。だが、また来てくれないか」

 返事をするかしないか、というタイミングで一限目の予鈴が鳴り響いた。礼司は左手で通学カバンを掴んで、失礼します、と言い残して体育館裏から逃げた。

 最短ルートを通って一年D組の教室に駆け込むと、授業はまだ始まっていなかったが時間はぎりぎりだった。自分の机に座って一息吐いていると、席替えしたために近くの席になった倉田・クラーケン・健人が近寄ってきた。

「そんで礼ちゃん、あの先輩からどないなええことしてもろたんや、え?」

「この冷血動物共が」

 苛立ち紛れに礼司が毒突くと、机の隙間を滑ってジュリエッタも近付いてきた。

「にゅっぷるぷるーん。それが当たり前だよぉにょーん」

「で、ベテルギスクは?」

 教室の中で一際目立つ巨体が見当たらなかったので礼司が不思議がると、健人は肩らしき部分を竦めてみせる。

「保健室やと。ベティちゃん、あんなにごっつい体のくせして貧血持ちなんや」

 その理由はなんとなく解るような気がする。純喫茶ハザマのケーキを全種類制覇するほどの甘党である彼は、常日頃からそういったものばかりを食べているのだろう。だとすると、貧血を起こしがちになって当然だ。

 礼司も身に覚えがある。中学一年生の頃、両親が父方の実家で不幸があったとのことで一週間ほど家を空けていたことがある。その当時には高校二年生だった姉もいたのだが、奔放で自分勝手な姉は礼司を連日深夜まで外で遊び倒していたので、礼司は姉に代わって家事全般をする羽目になった。だが、そこは所詮中一男子の生活能力なので、炊事洗濯掃除のどれも上手くいかず、必然的に一番手を抜ける部分から手を抜くようになった。それが食事である。両親が置いていった生活費を出来るだけ温存するために安価なファストフードやスナック菓子で腹を満たしていたところ、一週間が終わる頃には頭がぼんやりして何もかもにやる気がなくなった。両親が帰ってきて、まともな食事に有り付くようになるとその症状も消え、弟を放置して遊び回っていた姉は両親から烈火の如く叱られた。それを機に、思春期真っ盛りでちょっと鬱陶しいと思い始めていた両親のありがたみを思い知ったのだった。

 その辺を踏まえて考えると、ベテルギスクとブレイヴィリアの関係を取り持つためには、もっと深く立ち入る必要がありそうだった。正直言ってそこまで深入りするつもりは更々なかったが、中途半端に放置していくのは気分が悪い。どこもかしこも平凡な人間であるからこそ、筋だけはきっちり通さなければ。

 だが、そのためにはまず、ブレイヴィリアを慣らすのが先決だ。礼司は背中に貼り付いている健人の足を剥がしてから、愛想笑いを作った。

「俺だけが良い思いをするのもなんだから、今度は健人も小林先輩に付き合え」

「嫌やわそんなん。ごっつベッピンな女でも、暴力振るわれるのは敵わんわ」

 寸分の隙もない正論である。礼司もそう思っているから、被害者を増やしてダメージを拡散させようと画策しているのだ。だったら、言い方を変えればいい。

「健人、お前ってエロ妄想が直接足を生やしているようなもんだけど、最後に女を触ったのってどのぐらい前なんだ?」

「そっ、そんなん聞いてどないすんねやぁっ!」

 健人は声を裏返したので、これはつけ込めると礼司は身を乗り出しかけた。が、話を切り出そうとした時に本鈴が鳴ったので、礼司はこれ見よがしににやけた。

「合法的に女に触るチャンスだぞ?」

「そないなことで屈するワシやないで、見くびったらアカンでホンマ!」

 口角から泡を飛ばす代わりに吸い口から墨を散らし、足先で礼司を小突きながら、健人は自分の席に戻っていった。

「んじゃあね、礼ちゃん! みっぷるぷー」

 ジュリエッタはウィンクしてから、滑りながら自分の席に戻っていった。礼司は一限目で使う教科書とノートを机に並べ、右手の動きを確かめた。ブレイヴィリアの手の形に赤らんでいた痣は黒ずみ始めていて、心霊スポットで悪霊に手を握られたAさん、とでもキャプションを付ければ簡単に恐怖を誘う写真を捏造出来そうだった。動きの鈍い手でシャープペンシルを握ってから、ふと窓際に目をやると、継美が礼司に目を向けていた。目が合いそうになったので動揺した礼司は黒板に向き、果てしなく後悔した。どうせなら、笑いかけるべきだった。



 昼休み。体育館裏。

「ぎひゃっ!」

 柔らかな固まりが地面に叩き付けられ、土埃が舞う。

「ま、まだまだや、まだワシは諦めてへんでぇえええっ!」

 今度は体育館の壁に激突し、土台である階段にも振動が及ぶ。

「ふははははははっ、ワシを舐めたらアカンでぇ! 塩っからいんやから!」

 また今度は、木の幹に後頭部から突っ込み、枝葉が散る。

「ワシはけったいな人間とは訳が違うんや、この程度でぇっ!」

 またまた今度は空中で一回転し、そのまま転がってフェンスにめり込む。

「ぐべっ!?」

 濁った悲鳴を上げたタコは、体中にフェンスの痕を付けながら滑り落ちた。

「死なないですよね?」

 徒手格闘訓練風景を傍観しながら弁当を食べていた礼司が尋ねると、軽く息を荒げているブレイヴィリアはハンカチで自分の手を何度も拭った。

「手加減しているから死にはしないが、何やら純粋な意味での殺意が沸くな」

「そらそうや! ワシは小林先輩のむっちんぱっつんな体を本気で揉みしだきに行っとんのやからなぁ! そんじょそこらの痴漢とは覚悟が違うでぇ!」

 意外と元気な健人はフェンスの跡が付いた顔を上げ、両袖から出ている足を広げて勝ち誇った。その自信とエネルギーの出所を知りたいものである。

「んで、どうです?」

 礼司が再びブレイヴィリアに尋ねると、彼女は右手を開閉させた。

「ほんの少しではあるが、反射的に投げ飛ばす前に間が出来るようになったぞ。だが、この程度では私は本懐を遂げられないだろう」

さあ掛かってこいやぁ、ぶちかましたらぁ、と両手足扱いしている四本足を全てうねらせながら健人はブレイヴィリアを挑発したが、当人は階段に腰掛けた。

「小休止する。糧食を胃に入れる暇がなくなるからな」

 ブレイヴィリアは階段の隅に置いてあった重箱の弁当箱を掴み、膝の上で広げた。三段全てに白飯とおかずが隙間なく詰め込まれていて、これもまた大きな水筒から注いだ麦茶を時折飲みながら食べている。おかずの内容は卵焼きにアスパラのベーコン巻きにブロッコリーのホイル焼きに唐揚げにパスタサラダにプチトマトと、出来は少々不格好だが味は良さそうだった。みるみるうちにその中身がなくなり、底が見え始めた。

「そう見るな。喰いづらいぞ」

 ブレイヴィリアは片眉を曲げ、コップに注いだ麦茶を飲み干した。礼司はその豪快な食べっぷりに素直に感心する。

「女性にこう言うのもなんですけど、小林先輩って燃費悪いんですか?」

「公にしたくはないのだが、元々食べるのが好きなんだ。ひとたび戦場に出てしまえば、娯楽というものは一切ないからな。男であれば女を買って憂さを晴らすことも出来るだろうが、私は曲がりなりにも王族であるし、女だ。たとえ腹心の部下が相手であろうと、胤をもらうわけにはいかんからな。なんだその顔は」

 明け透けなブレイヴィリアに、なぜか恥ずかしくなった礼司は俯いた。健人はフェンスにしがみつき、がっしゃんがっしゃんと揺さぶる。

「うおおおたまらんっ! たまらんでぇ! もっと、もっと頼んますぅ!」

「昼間っから話すことじゃないですよ、それ」

 礼司が諌めると、ブレイヴィリアは巻き方がいい加減な卵焼きを頬張った。

「そうか? 貴様らほどの年頃の男であれば、一番食い付きがいいんだが」

「そりゃ男同士でぎゃあぎゃあ話すのはすっげぇ楽しいですけど、先輩からそういう話をされるとぶっちゃけ困ります。なんてーか、超ハズいです」

「で、で、ででででっ、小林先輩はどないなんです!? ヴァ」

 健人の二の句を塞ぐため、礼司はペットボトルのお茶を全力で投擲した。それは柔らかな袋状の頭部にめりこみ、ぶよぶよした内臓を揺さぶられた健人は仰け反った末に転倒した。だが、健人の悲鳴には別の悲鳴が被った。

「ぷぎゅるっ」

 あの奇声が聞こえたので礼司が振り返ると、ブレイヴィリアが焦げ気味のアスパラのベーコン巻きに差してあったピックを放ったらしく、教室棟側から現れたジュリエッタの額に突き刺さっていた。だが、スライムなのでダメージはなく、青い粘液の中に取り込んでから口から吐き出し、手のひらの上に出した。

「みゅっぷるぅ、お返ししますぅにゅうにょー」

「見上げた心掛けだな、下等生物の分際で」

 ブレイヴィリアはジュリエッタからピックを受け取り、空の二段目に入れた。

「ベティちゃんの具合、どないやってん?」

 健人が近寄ると、ジュリエッタは片手にぶら下げていた巾着袋を振り回しながら、礼司とブレイヴィリアが座っている階段に腰掛けた。

「ベテルギスクはねぇねぇにょー、起きたくないってぇーんにょーん」

「で、なんか喰わせてやったのか?」

「ううん、何もいらないってさぁー。だからぁ、ベテルギスクは今日はもう寮に帰っちゃうんだってぇ。みゅっぷい」

 ジュリエッタは巾着袋を開くと、その中からサンドイッチを取り出し、頭部の粘液を口のような形に開いて次々に放り込んでいった。咀嚼する必要がないからだ。粘液の中に放り込んで間もなく消化され、サンドイッチは跡形もなく消え失せる様が透けて見えた。グロテスクな光景だった。ブレイヴィリアは七割は食べ終えた弁当箱を見下ろしていたが、蓋をした。

「ならば、陣中見舞いをせねばなるまい」

「だったら俺が行きますよ。ベテルギスクを刺激しないで済むだろうし」

 礼司が挙手すると、ブレイヴィリアは弁当箱の三段目に隙間なく詰まっていたいびつなおにぎりを取り出し、礼司に持たせてきた。

「では、これを喰わせてやれ。まだ手を付けていないからな」

「……この中身、またハチの子だったりしませんか?」

「心外だな。魚卵だ」

「タラコですか、イクラですか?」

「スッポンの卵だ」

 それは爬虫類の卵では。ついでに、ことごとくおにぎりの具がなぜ酒の肴なんだ。礼司はその辺りのことが気になって仕方なかったが、それをブレイヴィリアに言及すると引っぱたかれかねないので、胸に収め、そのスッポンの卵入りおにぎりを持って保健室に向かった。山盛りの弁当を食べ終えたブレイヴィリアは腹ごなしのためか、健人を相手に再び徒手格闘訓練を再開したらしく、健人の変態じみた悲鳴が聞こえてきた。

 ドアをノックしてから保健室に入ると、養護教諭はいなかった。職員室にでも行っているのだろう。人外だらけの生徒達に合わせているからか、ベッドは大きさが違うものが三つ並んでいて、戸棚にある医薬品も多種多様だ。窓際の一番大きなベッドがカーテンに囲まれており、ベテルギスクの通学カバンも足下に置いてあったので、礼司は声を掛けながらベージュのカーテンを開いた。

「ベテルギスク、大丈夫か?」

「あ、阿部君……」

 ベッドに腰掛けている魔王は、見るからに気落ちしていた。三つ目はどれも生気が抜け、分厚いウロコを載せた両肩が落ち、背中は一層丸まっている。

「お前さ、いつも何喰ってんだよ」

 ほれ、と誰が作ってきたかは説明せずに、礼司はおにぎりをベテルギスクの手に握らせると、ベテルギスクはいびつなおにぎりを見下ろして目を伏せた。

「阿部君には関係ないでしょ、そんなこと」

「ないわけないだろ」

 礼司は窓際の椅子に腰掛け、敢えて明るく言った。だが、ベテルギスクはスッポンの卵入りおにぎりを見つめ、溜め息を零した。

「いいよ、気を遣ってくれなくても。だって、余と先輩がどうなったとしても、阿部君がどうにかなるわけじゃないんだから。ごめんね、阿部君、余のせいで変なことに巻き込んじゃって」

「気にするなよ。ここまで深入りしちまったら、今更抜け出せないし」

「阿部君はさ、大人になりたくないって思ったこと、ある?」

「なんだよ、急に」

 礼司は少し考えてから、答えた。身に覚えがないわけでもない。

「まあ……二三はあるかな。お年玉とかもらえなくなるしな」

「余はね、今はまだ成体じゃないんだ。さなぎみたいなものなんだ。だからまだ、余は大人しくしていられる。本能もそんなに強くないし、理性だってちゃんとある。だけど、いずれ余は成体になる。そうなったらもう、今みたいにしていられないかもしれないんだ。小林先輩とはちょっとだけなら仲良くしたいと思うけど、本当に仲良くなっちゃったら、他でもない小林先輩を苦しめてしまう」

「だから、まともなものを喰わないのか?」

「うん。そんなことしたって、余は大人になっちゃうのにね」

 切なげに漏らしたベテルギスクは、くしゃりとおにぎりを包むアルミホイルを歪ませた。礼司は忘れかけていた現実を突き付けられ、答えに窮した。

 ブレイヴィリアとベテルギスクの仲を取り持って両者が友達になれば、それで事が終わるのだと漠然と考えていた。だが、二人は何万年も戦い合ってきた異種族同士であり、それだけ長期間戦争が続くのにはそれ相応の理由があるのだ。ブレイヴィリアが本能的に異種族を排除する行動を取るように、ベテルギスクもまた。礼司はそれを聞くべきではない、ただの友達でいるべきだと感じていたが、聞かなければならないと己を奮い立て、ベテルギスクに問うた。

「お前が大人になったら、どうなるんだ?」

「余の父上や叔父上達は、皆、天を衝くほど大きくなって地上界を破壊しに行った。そういうものだから。余の一族の役割は地上界を殲滅して天界族の末裔を滅ぼすことにあるのと、人間を殺して一定の数に保つことでもあるから」

「それって、どうにも出来ないのか?」

「うん。どうにか出来たら、余はこんなことで悩んだりしないよ。だって、余の一族もアストラル界も、元々は天界から分離したものなんだ。つまり、天界は地上界と己の世界に刺激を与えるために、余の一族とアストラル界を創り出したんだ。地球で言うところの災害と同じだよ。文明や種が飽和して停滞したら、掻き混ぜてやる手が必要なんだ。それが余なんだ。先輩のエクストリア家も十万年近く続いたから、そろそろ滅ぼしてやる頃合いが来たって余の一族の皆が言っていた。だから、きっと」

 肩を小刻みに震わせ、ベテルギスクは口元を曲げて嗚咽を漏らした。礼司は安易な慰めの言葉も掛けられず、片手で顔を覆って泣きじゃくるベテルギスクの傍にも近寄れなかった。災害に意志は必要ない。そういうものだからだ。

 無力感に苛まれながら、礼司は保健室を後にした。泣き止んだベテルギスクが男子寮に帰るのを見送ってから、体育館裏に戻ると、フェンスの痕が付きすぎて網焼きにされたかのような姿の健人がベテルギスクはどうだったかと聞いてきたが、礼司は曖昧な返事を返すことしか出来なかった。ブレイヴィリアは食べるだけ食べて運動するだけ運動したら今度は眠くなったらしく、ジュリエッタが歪むほど強く抱きかかえて爆睡していた。本当に本能のままに生きている。

 昼休みが終わり、寝て起きてすっきりした面持ちのブレイヴィリアを見送ってから、礼司もタコとスライムと連れ立って教室に戻ることにした。その帰路の最中、どうでもいいことを喋り立てている健人に問い掛けた。

「健人、お前も異世界から来たんだよな?」

「見て解らんのかい。ワシが明石で釣られたとでも思うとったんか?」

「そこでのお前は、どういう役割だったんだ?」

「そら決まっとるがな、由緒正しい海の怪物やで。クラーケンやもん。ワシは今でこそこんな大きさやけど、地元じゃそらごっついもんでな、一本足だけで船を絞め殺せるほどやったんやで。どや、凄いやろー!」

「だったら、なんでそっちの世界に帰らないんだ? まあ、どうやって行き来しているのかは全然知らないけどさ」

「帰れるわけないやん。ワシの地元なんか、とっくの昔にパーやで」

「え?」

「多次元宇宙には色んなのがおるさかい、色んな世界を渡り歩いとるのがおるんや。そうやな、この星の概念やと勇者っつーもんやな。それがな、ある日ふらっとワシの地元に来おって海も陸も空もメッタメタにしてもうたんや。ワシんとこはベティちゃんとことは違って結構安定しとってな、ワシらみたいなのも人間と共存出来とったんやけど、その勇者のせいでバランスがダメになってしもて、皆、散り散りになったんや」

「悪かったよ、そんなこと聞いちゃって」

「ええってええって、気にせんといてや。ワシは螺倉も気に入っとるし、たまーに地元の海が恋しゅうなるけど、我慢出来へんもんでもないしな」

 授業の前に便所行こや、と健人はいつものように明るく言って礼司とジュリエッタを男子トイレに引き摺り込んだ。その間も健人は饒舌で、しきりに次こそはブレイヴィリアに触ってやると豪語していた。バックグラウンドがどうあれ、本人がこの態度を貫くのなら湿っぽい態度を取るのは間違いだ。

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