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生徒達よ、健やかであれ

 十六.


「やあやあ我こそは地球が日本国が住人、横嶋・リンドヴルム・継美なり!」

 学園の上空に浮かんだ継美は、豪雨に負けぬように翼を強く揺さぶる。

「畏れ多くも、クラーゲンフルト帝国が大帝にして邪竜族が長である我が父君、ヴァイゲルング・リンドヴルム・クラーゲンフルト大帝陛下とその血族による、我が授業風景視察の出迎えに参った次第!」

 継美は矢を射るかのように一際巨大な竜を睨み、強く、強く、張り上げる。

「ではあるが、私は父君を快く出迎えられぬが故、その意を示すべく馳せ参じた次第である! 誉れ高き邪竜族の皆々様方、今しばらくその翼を休め、我が言葉に耳を貸されたし!」

 渾身の叫びが雨空を貫くと、一千五百もの鎧が擦れ合う音が止まる。継美は一度深く深呼吸してから、両腕を大きく広げる。

「ご覧になれば解るように、我が身には皆々様方と同じ邪竜族の血が濃く流れておりまする! だが、ご覧になれば解るように、我が身には我が母と同じ人間の血もまた濃く流れておりまする! そして、我が父君の祖国はクラーゲンフルト帝国でござりまするが、我が祖国は地球であり日本にござりまする! 故に、故に、故にぃいいいいいっ!」

 声を高ぶらせた継美は、翼で無数の雨粒を弾き飛ばす。

「我が父君の御意志といえども、私はその野望に助力することは決して決して望みはしませぬ! 更に申し上げれば、私は生まれも育ちも地球であるが故に邪竜族としての力は皆目持ち合わせておらず、父君のお望み通りに働けるはずがありませぬ! 故に、私を誉れ高き邪竜族の皆々様方と同列であるとお考えにならぬように御留意されたし! 私は斯くも無力であり、無能であり、無害なる、一介の女子高生に過ぎませぬ! 邪竜族の姫たり得る器ですらありませぬ!」

 涙のように雨を頬に伝わせながら、継美は荒く呼吸し、唾を飲み下す。

「……遅ればせながら申し上げまする。お初にお目に掛かれて光栄でござりまする、父君。長き歴史と重きさだめと気高き魂を宿せし血を受けた、あなた様が娘にござりまする。が、このような不逞の輩で大変申し訳ござりませぬ」

 邪竜族が雨雲と地上の間に入ってきたからだろう、雨音が心なしか弱まっている。その代わり、空から幾筋もの細い滝が流れ落ちていた。邪竜族の鎧の隙間に溜まった雨水が、螺倉に滴っているからだ。

「我が意志をお認めにならぬのならば、その時は、潔くこの首を差し出しましょうぞ。父君や血族の皆々様方に、牙を剥かぬために」

 羽ばたき続けて空中に留まった継美は、手で髪を束ね、首筋を曝す。一千五百もの数を誇る邪竜族の赤い瞳が蠢き、薄暗さによって幅広になった縦長の瞳孔が制服姿の少女を捉え、牙の隙間から呻きを漏らす。

 尖った緊張感が、学園のみならず螺倉全体を凍り付かせていた。いつしか誰もが言葉を失い、継美とその父親の静かな戦いを見守っていた。

 ず、と鉛色の雲が割れる。雨垂れを纏いながら緩やかに降下してきたのは、全長百メートルはあろうかという大きさのの竜だった。武器を帯びた近衛兵に前後左右を固められていて、厳かでさえある装飾が施された鎧を纏っている。差し渡し五十メートル以上はありそうな翼を広げて風を孕ませ、雨水によって艶やかな光沢を得た兜を下げる。兜と繋ぎ合わせている下顎を守る外装を軋ませながら開くと、太い喉元で、継美のそれよりもくすんだ浅葱色のウロコが波打つ。

「相分かった」

 地鳴りのように骨の髄まで揺さぶる言霊を発したのは、邪竜大帝だった。

「我らはそなたの成長を心待ちにしておるが故に、少々急ぎすぎたのやもしれぬ。だが、我が娘よ、そなたの言葉が真実であるならば、そなたの側女であり物見でもある踊り子の娘には厳刑を下さねばなるまいて。空言にて我を愚弄したばかりか、邪竜一族までもを翻弄したとあらば、首を刎ねるだけでは済まぬ」

「御言葉でござりまするが、父君! マキナへは、既に私の手で罰を下しておりまするが故に、何とぞ、何とぞ、御容赦願いまする!」

 ちょっと慌てた継美が叫ぶと、マキナはすぐさま窓際でひれ伏した。

「どうか、どうか御慈悲を!」

「……ふむ」

 ヴァイゲルング大帝は近衛兵達に目をやり、問い掛けた。

「我が娘はああ申しておるが、そなた達はどう判断いたす。我としては、我が娘の判断に重きを置いておるのであるが。側女にして物見ではあるが所詮は踊り子の娘、首を刎ねたところで娯楽にすらなるまいて。さりとて、踊り子の娘を欠いてしまえば、我が娘がその小さな小さな胸を痛ませるやもしれぬ。そうなれば、我も幾ばくか魂が軋もうぞ。その時は、嵐の一つでも起きよう」

 その言葉に、邪竜族の近衛兵達は返事をしなかった。というより、出来ないのだろう。意見しろ、と最上位の大帝から尋ねられたが、否定を述べれば即刻罰を下されるに違いないからだ。だからこの場合、肯定しか求められていない。ついでに言えば、継美が悲しんだり苦しんだりしたら自分まで辛くなるからそんなことはしないよな、なあお前ら、みたいな空気もじわっと流れている。マキナの言う通り、ヴァイゲルング大帝は継美に対しては激甘だ。親馬鹿とも言える。

「大帝陛下の仰る通りにござりまする」

 やりづらい空気をどうにかするために、近衛兵の一人が返事をした。ヴァイゲルング大帝は一度瞬きしてから、分厚い瞼を開く。

「ならば、我が娘よ。そのように致せ。踊り子の娘や、今後はその滑りすぎる口から蝋を削ぎ落とし、忠実に我が命を果たすが良い」

「御寛大なる措置、誠に誠に御礼申し上げまする!」

 マキナはひれ伏しすぎて腰が浮き、床に額をめり込ませた。

「我が娘よ。息災であれ。皆の者、祖国に鼻面を向けよ」

 ヴァイゲルング大帝が羽ばたいて浮き上がると同時に突風が巻き起こり、雨粒が荒れ狂う。校舎すらがたついた。邪竜一族は一体残らず身を反転させ、次元と空間を繋ぐ穴へと戻るために飛び去っていった。血族達と共に遠のきつつある邪竜大帝に、継美は呼び掛けた。

「お父さん!」

 それまでの古めかしい言葉遣いから一転した、柔らかな呼び名だった。ヴァイゲルング大帝はびくりと尻尾を波打たせ、翼を止め、振り返る。束の間、継美は父親と一対一で向かい合いながら、照れ混じりの笑顔を浮かべる。

「今度は、私の方から会いに行くね」

「その日を待ち侘びておるぞ、我が娘よ。いや、継美よ」

 目を糸のように細めたヴァイゲルング大帝は、とろけそうなほど優しく娘の名を呼んだ。継美を心から愛しているのだと、誰にでも解るほどだった。住む世界が違い、生まれ落ちた種族が、生きる時間の違いが、両者を隔てられている。しかし、それは親子の情までも隔てられるものではないのだ。

 空を埋め尽くしている邪竜一族を見送りながら、継美はいつまでもいつまでも手を振っていた。雨が途切れると雨雲も千切れ、幾筋もの光が螺倉に差し込んでくる。その中の一条を浴びた継美の後ろ姿は、いつになく誇らしげだった。

「横嶋さん!」

 クラスメイト達を掻き分けて窓際に出た礼司が呼び掛けると、継美は振り返って教室に戻ってこようとしたが、その途中で失速した。

「うきゃあっ!?」

 何らかの原因で、翼の浮力がなくなったのだ。反っくり返った挙げ句に上下逆さまになった継美は素っ頓狂な悲鳴を上げ、両足をばたつかせる。だが、翼はいくら動かしても風を掴まない。このままでは、グラウンドに叩き付けられてしまう。と、その時、グラウンドに溜まった雨水が膨れ上がった。

「にゅっぷるぱーん!」

 それは、青沼ジュリエッタだった。だが、その質量はヴァイゲルング大帝に匹敵する規模に大増殖していた。大方、雨水を掻き集めたのだろう。そんなウルトラ怪獣のようなジュリエッタは、柔らかな手で継美を受け止めてくれた。質量が増えに増えたスライムの手の上に落ちた継美は、緊張が切れたのか号泣した。

「うああああっ、怖かったよぉ! すっごい怖かったぁああああー!」

「みゅっぷるぷるー」

 ジュリエッタは継美を宥めつつ、一年D組の教室に戻してくれた。窓から室内に戻された継美は手近な女子生徒からタオルを貸してもらい、ずぶ濡れの体を拭きながらも啜り泣いている。礼司は慰めに行きたかったが、継美の濡れたブラウスが透けていて下着と素肌に貼り付いているので、おいそれと近付けなかった。煩悩に負けて凝視したら、それこそ社会的に殺される羽目になる。

「にゅぷるりるんっ、皆、もう大丈夫! 静ちゃんの演算能力も借りたから、予定よりも早く作業が完了したよ! 空間隔壁を犠牲にしたけど、次元軸と空間軸と時間軸の調整は完了したから螺倉の空間修正を開始したよ! でもって!」

 大きすぎるジュリエッタはまともな語彙を操りながら、空の彼方を示した。その胴体の中には、事務員姿の静子が浮かんでいた。静子の手には湯飲みが載った盆があるので、恐らくお茶汲みの途中で連れてこられたのだろう。この前は静子のスケキヨマスクの正体である大脳皮質を外皮にして成人男性に似た姿を取っていたが、要は大脳皮質がジュリエッタの生体組織に接触していればなんでもいいのだろう。超古代エウロパ文明の遺産である生体コンピューターにしては、アバウトな気もするが。

 ジュリエッタが指し示した雲の切れ間から、またも巨大な影が舞い降りてきた。だが、そのシルエットは邪竜一族とは大きく異なっている。武骨で屈強ではあるが無駄のないリンドヴルムに比べ、装飾過剰でシルエットも二足歩行型に近い。それは風と雲を纏いながら学園に迫ると、グラウンドに着地した。

「たっだいまぁー!」

 その、声色に重みと威厳はあれど締まりのない言葉遣いは、伊東・ベテルギスク十三世・三郎に他ならなかった。しかし、彼の外見は随分と様変わりしていた。いわゆる、魔王の最終形態、とでも言うのだろうか。黒曜石のような分厚いウロコで全身が覆われていたがため、威圧感の固まりではあるがシルエットが野暮ったかったベテルギスクは、悪魔じみた六枚の翼と左右合わせて八本のツノと複数のオーブを体のそこかしこに備え、赤紫の鉱石の薄い外殻を纏ったスレンダーな体形の魔王と化していた。真紅の三つ目は相変わらずだったが、人間と同じ位置に付いている二つの目は切れ長で色気すらある。

「あれ? つーちゃん、どうしたの? 何か怖いことでもあったの?」

 ベテルギスクは腰を曲げ、教室を覗き込んでくる。継美は洟を啜る。

「さっきね、お父さんと会ってね、言いたいことを言えたんだ……」

「わあ、凄いね! 余もなんだか嬉しいや!」

 太い牙が生えた凶相に似合わない笑みを浮かべたベテルギスクに、礼司は教室の隅で恐る恐る顔を上げたブレイヴィリアを気にしつつ、話し掛けた。

「お帰りベテルギスク、それが成人した体ってやつなのか?」

「うん、そうだよ。でもね、脱皮するまでが大変だったんだぁ。地上界に誰もいないからよかったけど、体が痛くて痛くて暴れずにはいられなかったんだ。それまではなんで同族の皆が地上界で暴れるのか解らなかったけど、やっとその理由が解ったよ。ウロコが一枚剥がれるたびにとんでもない痛みが起きるから、そうでもしないと気が狂いそうになるからだったんだ。実際、余も何度かヤバかったけど、皆にまた会いたいから頑張ったんだ。えへへ」

 ベテルギスクは、死神の鎌のように長い爪で頬の辺りを擦る。

「で、ベティちゃんはずっとその大きさのままなんか?」

 おひさしー、と言いつつ窓から顔を出した健人に、ベテルギスクは引き締まった腰を捻り、六枚の翼を開閉させながら答える。

「ううん、そんなことないよ。青沼君の次元修正作業が全部終わったら、アストラル界との繋がりも途切れちゃうから、余の体格も皆と同じぐらいに落ち着くよ。元に戻ったら、また皆で一緒に遊んだりしようね!」

「その前に、まず勉強しろ。休んでいた分の間の授業内容、ぎっちり煮詰めたプリントを山ほど渡してやるから覚悟しろよ」

 火ノ元が健人を押し退けて身を乗り出すと、ベテルギスクは苦笑する。

「はぁーい……」

 大きすぎる体を縮めたベテルギスクは、首を傾げて教室の中を覗き込んだ。まだ顔を合わせていないクラスメイトがいるのでは、と思ったからだろう。すると、教室の隅から文金高島田が駆け出してきた。

「ふはははははははっ!」

 裾を派手に割って素足を曝した花嫁が、教室の窓から躍り出る。何が何だか解らずにいるベテルギスクの横っ面を高下駄で蹴り飛ばすと、不意打ちを食らったベテルギスクは柳のようにしなりながらグラウンドに横転した。ずん、と校舎が物理的な震動で揺れる。ブレイヴィリアは校舎脇の木の枝に着地する。

「油断しおったな、我が仇敵よ! さあ今すぐ私と婚儀を交わすがいい! 天上界と地上界とアストラル界に恒久的な平和をもたらすためにな!」

「そ、そのことなんだけど、小林先輩……」

 頭を押さえて起き上がったベテルギスクは、及び腰ながら拒絶の意志を示す。

「余はまだ結婚出来ない、っていうか、その、成人の義を終えただけであって雌雄の義はまだだから、男でも女でもないから……」

「知っているとも。我がエクストリア家が何世代貴様らと戦ったと思っている」

「え、で、でも」

「案ずるな、私が男にしてやる! それが嫌なら御姉様と呼ぶがいい!」

「わあああんっ、どっちにしてもひどいよぉ! 余の意志は完全無視だぁっ!」

 ベテルギスクは涙を散らしながら、学園の外に逃げ出した。待てぃ我が夫か妻か妹よ、と叫び、すかさずブレイヴィリアは魔王を追っていく。どずんっ、どずんっ、とベテルギスクが大地を踏み締めるたびに震動と砂埃が上がる。その様は戦隊ヒーローのお決まりの巨大化バトルのようだ。現実味など更々ないが、そんなことは今に始まったわけでもない。あるがままを受け止めていれば、それが現実になるのだから。くしゅっ、と可愛らしくクシャミをした継美は、礼司と目が合うと、肩に掛けたバスタオルの下で小さくピースサインをした。

 そのまま、継美はぶっ倒れた。



 後日。

 小田急線相模大野駅から新宿方面に乗り、乗車率の高い車内での定位置に収まる。カナル型イヤホンを耳に入れてMP3プレーヤーを操作し、メタルバンドの新曲を頭出しする。音漏れしない程度の音量でそれを聞き流していると、乗客達の隙間を縫って進んでくるツノの生えた頭が見えた。

「阿部君がいつも乗ってくるドアの場所は覚えたのに、一車両間違えちゃった」

 継美は恥じらいながら、礼司の隣に収まる。礼司はイヤホンの片方を外し、それを継美に渡した。さりげない動作を装ってはいるが、本当は勇気を振り絞っている。もしも受け取ってもらえなかったら、道化もいいところだ。

「そうか、今日は月曜日だもんな」

 差し出されたイヤホンを何気なく受け取った継美は、それを耳に入れた。

「うん。土日はお爺ちゃんちで過ごすことにしたから、月曜日だけは阿部君と同じ電車に乗れるんだ。電車通学ってしたことなかったから、結構楽しいの」

 次の停車駅に着いて乗客が増えたので、継美は半歩礼司に近付いて間隔を狭めてきた。礼司は彼女の翼と尻尾が他の乗客に踏み潰されないかが心配だったが、それ以上に継美との距離が近すぎることが気になってしまい、心臓がきつく絞られた。礼司の胸の前に収まった継美は、上目にこちらを見上げてくる。

「格好良い曲だね」

「あ……うん」

 それは色々と反則だ。礼司はそう思ったが、口には出さないし出せなかった。やろうと思えば手も触れられる、肩にも手を回せる、あわよくばもっと柔らかな部分にも触れられなくもない。けれど、即物的な行動を取ってはこの甘ったるい時間が吹き飛んでしまう。それでなくても、微妙な関係なのだから。

 父親との正面対決を乗り切った後にぶっ倒れた継美は、それから三日三晩寝込んだ。一気に疲れが出たのと豪雨で体が冷え切ったのが原因で、ひどい風邪を引いたからだ。ついでに言えば、ベテルギスクはとうとうブレイヴィリアから逃げ切れなかった。螺倉の郊外で張り倒されたベテルギスクは文字通り腕ずくで婚姻の約束を取り付けさせられたが、性別がまだないので今のところは保留になっている。男にも女にもなりたくない、とベテルギスクは嘆いているが、生まれ落ちた境遇が悪かったとしか言いようがない。

 変化があったのはそれぐらいで、螺倉もその周辺の世界にも大した異変は起きていない。健人が言っていたように、空間隔壁でもあったあの日の豪雨は、健人の言っていた通りにゲリラ豪雨として外界には認識されたらしく、首都圏ニュースでちらりと映像が流された。まるで白い柱だった。

 柿生駅を過ぎて螺倉駅に到着すると、礼司と継美は他の人外達に混じって下車した。だが、チャンネルが合わない人々は駅が存在していることすら認識していないので、見向きもしなかった。改札を抜けると、駅前ロータリーにはベテルギスクの足跡が残っていた。アスファルトが割れて危ないので、その周囲にはロープが張り巡らされていて立ち入り禁止になっている。

「桜、全部散っちゃったね」

 土手に昇った継美は、花びらが全て落ちて青葉が目立ち始めた桜並木を見渡す。礼司は用済みとなったMP3プレーヤーを片付け、通学カバンに戻す。

「空間隔壁っつーか、この間の雨のせいだな」

「螺倉にあっても、桜は桜なんだよね。外でも中でも、同じ名前の同じ花」

「名前って言えば、異世界から来た人達のミドルネームの上下に日本名が付いているのってどうしてなんだろうな」

「ああ、あれはね、名前を付けて空間に馴染む固有振動数を分子に与える、ってことらしいの。固有振動数っていうのは揺らぎ、つまり音だね。多次元宇宙から来た皆は地球の次元と空間に分子を馴染ませなきゃならないから、そのためには音を生み出すための言葉、名前を与える必要があるの。でも、その名前はなんでもいいわけじゃなくて、地球の次元と空間に存在していたら授かるであろう名前を青沼君が観測して教えてくれるの。私とマキナの場合は、その必要がなかったけど。で、要するに、皆の日本名は、人外の皆が日本人に生まれていたらこうであっただろう、っていう名前。パラレルワールドとはまた少し違って……」

 相変わらず、何が何だか解らない。なので、礼司は解ったような顔をした。

「やあ、おはよう!」

 いきなり背後から挨拶され、二人が振り向くと、そこには私立螺倉学園高等部の制服姿の長尾利人が立っていた。早々にあの全自動ハーレム体質が発動しているらしく、人外の女子生徒達がまとわりついている。相変わらずだ。

「まさか、学園に編入してきたんですか? でも、長尾さんって大学生じゃ」

 礼司がリアクションに困っていると、利人は軽薄に笑う。

「あれは外見年齢。異世界で長時間過ごしたせいで、見た目だけはある程度成長しちゃったんだよ。でも、高校に入学したての頃に勇者の力に目覚めちゃったから、実際には高一で年齢も学力も止まっているんだよ。螺倉は人工特異点のおかげで色んな次元と接触出来る異空間だけど、肝心要の人工特異点さえ制御されていれば螺倉は外界からは完全に隔絶されるから、他の世界の連中も僕を召喚出来なくなるんじゃないかって考えてさ。僕だって人間だから、たまには冒険活劇から離れて日常を謳歌したいし。ハーレム体質ばっかりはどうにも出来ないみたいだけど、女の子なんて適当にあしらっちゃえばいいし、ハーレムルートからヤンデレルートに入ったとしても、ちょっと刺されたぐらいじゃ僕は死なないからどうってことないし。アレな具合にアレでしょ?」

「まあ……アレだなぁ」

 礼司は見るからに苛立った継美を押さえつつ、曖昧に答えた。すると、土手の学園側から甲高い声を発しながらマキナが這い寄ってきた。

「おはようござりまする姫様っ、不肖な部下がお出迎えに参りましたぁあっ!」

「おはよう、マキナ。ご苦労様」

 継美は機嫌を直すと、マキナと向き合った。マキナは利人を一瞥したが、惚れもしなければ怒りもせずに継美とお喋りを始めた。その様を見、ふと礼司は思った。マキナと利人の目鼻立ちを見比べてから、利人に近付いた。

「あのさぁ下痢便勇者」

「同級生って解った途端にため口と同時にひどい渾名を付けるね。で、何」

「もしかして、お前と長尾って兄弟か何か? ほら、名字が同じじゃん。それと、全自動ハーレム体質は血縁者には通用しなかったりするのか?」

「兄弟なんかいないよ、僕はアレな具合に一人っ子だから。でも、後者は正解だね。……ってことはつまり、ええと、ええと、アレがアレしたのは誰だっけ?」

 利人はマキナを凝視しながら思い悩んでいたが、手を打った。

「あ、思い出した。きっとあの時のアレだ。着床しちゃったんだ」

「てことは、つまり」

「僕がアレされた末に出来た何十人目かの子供だね。それなんてエロゲって言われがちなんだけど、乗っかられちゃうんだよこれが。で、されるがままになったことも星の数ほど。ほとんどは種族が違うから着床しないんだけど、一万分の一ぐらいの確率で着床しちゃうらしいんだな、アレな具合に」

「なんだよその回数、羨ましくなる以前に擦り切れそうで怖いんだけど」

「実際ね……」

 利人は苦々しげに顔を歪ませ、内股になった。嫌な思い出があるらしい。すると、それまで継美と談笑していたマキナが跳躍し、利人を叩きのめした。回し蹴りのような態勢で蛇の下半身を振り抜いたマキナにより、利人は鮮やかに土手の上から吹き飛んでいった。が、華麗に斜面に着地した辺りはさすが勇者だ。

「ここで会ったが百年目、と言っておけば格好が付くからとりあえず言っておくが地球時間と帝国時間を換算した上で合算していないから実時間が解らないだなんてことは公然の秘密だ! 覚悟しろ下痢便勇者、いや、ヤリ捨て勇者! 私が貴様を父親だと思ったことはない、過去も未来も現在もついでに並行世界での私もだ! あと十五分は口上を述べたいが遅刻するから、いざ尋常に勝負!」

「僕も君のことなんか娘だと思っちゃいないけど、ああもうめんどっちい!」

 転入早々出来上がった取り巻きの女子生徒達にきゃあきゃあ言われながら、利人はマキナと戦い始めた。継美は礼司を促し、歩き出した。

「阿部君、行こう。遅刻しちゃうから」

「放っといていいのか、あれ」

「マキナにね、好きなだけ暴れてこいって言ったの。父親には一昼夜掛けても話し尽くせない量の恨み辛みがあるらしいから。ついでに言うと、運動をさせるとあの子のお喋りもちょっとはトーンダウンするから。気休め程度だけど」

「横嶋さん、なんだか邪竜族っぽくなってきたなぁ」

「ひれ伏せー、愚民共ー。なんてね」

 継美はおどけてみせてから、小さく舌を出した。礼司は笑い返し、足を進めた。通学路から少し外れた場所にある純喫茶ハザマの店先には、巨大ベテルギスクがうっかり踏み潰して横倒しになった庭木が横たわっている。それでも営業には何の支障もないので、悪魔人間である店主の狭間・グリマルキン・真と、包帯ウェイトレスの霧崎・ジャックザリッパー・ジャクリーンが開店準備を始めていた。すると、礼司を見かけた途端に狭間が駆け寄ってきた。

「おい少年、あの金髪縦ロールの豪傑娘の生写真をくれないか」

「……は?」

「いや、あれが実に良い値段で売れるんだ。最初は馬鹿じゃないのかと思っていたんだが、いざネットオークションに上げてみると紙切れ一枚にアホみたいな値段を入札してくる輩が山ほどいるんだ。で、その売り上げでガーデンテラスの修繕費を賄ったんだが、今度はそうもいかなくてな。あの娘と友達なんだろ?」

「友達ではありますけど、さすがにその頼みはちょっと……」

 物凄く気が引ける。苦し紛れに継美を窺うと、継美は通学カバンを指す。

「小林先輩の写真ですか? そんなものだったら、いくらでもありますよ」

「おお本当か!?」

 喜んだ狭間に、継美は通学カバンを開けて手帳を開き、数枚の写真を出した。

「はい、どうぞ」

 そこに写っていたのは、非常に自堕落なブレイヴィリアの姿だった。風呂上がりで髪も乾かしていないブレイヴィリア、寝癖のせいで縦ロールが奇天烈なことになっているブレイヴィリア、ジャージ姿で携帯ゲームに没頭するブレイヴィリア、などなど。礼司と狭間はげんなりしたが、継美はにこにこしている。

「これ、一部の女子生徒の間じゃ大好評なんですけどね。生活感があるのがまた麗しゅうございますわ御姉様、ってことで。いりませんか?」

「一応もらっておこう。じゃ、売り上げ次第で礼をするよ」

 あれが売れるのか、世の中解らんなぁ、と狭間はぶつぶつ言いながら自分の店に戻ったが、途端にジャクリーンに飛び掛かられたのか悲鳴と騒音が聞こえてきた。純喫茶ハザマは今日も通常営業だ。

「で、横嶋さん、あの写真ってマジで売れるの?」

「需要があるところには供給しろ、ってお爺ちゃんが」

「ついでに言えば、小林先輩は文句は言わないのか?」

「神格化された存在にプライベートはないんだって」

「神格化されているからこそ、隠すところは隠しておくもんじゃないのかなぁ」

「生まれた世界が違うと、価値観は根っこから違うからね。だから、小林先輩は見た目こそ人間だけど、人外の皆と同列に扱うべきだよ。まあ、あの人のデタラメさには人間味なんてちっともないから、今更感が拭えないけど」

「だよなぁ」

 などと他愛もない会話を交わしているうちに、螺倉学園に到着した。校門ではいつものように人外の教師が待ち受けていたが、今日はピクシーの教師だったので小さすぎて見落としかけた。生徒達と挨拶を交わしながら校舎に入り、一年D組の教室に入ると、一足先に登校した健人とジュリエッタが挨拶してきた。

「おはようさーん」

「おはようっにょうにゅー!」

「おーす」

「おはよう、倉田君、青沼君」

 継美は二人に挨拶を返し、一礼した。礼司はすかさず真里亜の残念弁当を健人に押し付けると、不思議なことに健人は抵抗せずに受け取った。

「礼ちゃん、お勤めご苦労さん」

「やっと諦めが付いたか」

 いちいち抵抗されるよりは余程楽だ、と礼司が安堵すると、健人は真里亜の残念弁当ににゅるにゅると足を巻き付けて抱き締める。

「それもこれも、マリっぺとの愛ある触手プレイのためなんや! そう思うたら、なんもかも乗り越えられるんや!」

「じゃあ返せよ、二度と喰うな!」

 あんな姉でも大事な姉だ。礼司は健人の足の間に腕をねじ込んで残念弁当を奪い返そうとするが、健人は礼司を振り払って陽気に飛び跳ねる。

「やーなこった! 一度もろたモンを返せるかいな!」

「みゅぴゅるーん、おっはよんベティちゃーんっ!」

 ベテルギスクが登校してきたので、すかさずジュリエッタが近付いた。最終形態と化したベテルギスクは力なく挨拶をしてから、自分の席に着いた。

「おはよう、青沼君、皆」

「まーた夫婦の営みかいな」

 健人がベテルギスクを茶化すと、ベテルギスクは六枚の翼を萎れさせた。

「うん……。エクストリア王家の婚儀は契りを結ぶまでに五年は掛かるから、まだまだ序の口なんだけど、余はもう疲れたよ。なんで夜通しチェスをするの」

「夫婦の阿吽の呼吸を養うためと、王家に婿入りするに相応しい戦略を学ばせるため、って小林先輩は言っていたけど」

 大変だねぇ、と継美がねぎらうと、ベテルギスクはこめかみを押さえた。

「余はチェスよりオセロが好き……単純だから……」

「ベテルギスク、放課後にハザマに寄ろうか」

「うん行く行く! 初夏の新メニューの夏みかんムースが食べたいな!」

 純喫茶ハザマの名を出した途端に元気になったベテルギスクは、クラス中から注がれる視線に気付くと目元をほんのりと赤らめた。成人しても乙男ぶりだけは変わらない。礼司は込み上がる笑いを堪えつつ、継美に話を振った。

「横嶋さんも行く?」

「うん。あ、でも、今日はちょっと……」

 継美は言い淀み、黒板脇の掲示板に貼りだしてある掃除当番表を見た。クラス全員分の名前が書かれている模造紙には、曜日ごとの割り振りも書いてあり、第一月曜日は継美と闇苅・ドラウエルフ・杏奈が掃除当番になっていた。

「いいよ、待っているから。なんだったら、ついでに手伝おうか?」

 と、礼司が格好を付けた途端に、背中を引っぱたかれた。

「んじゃよろー、阿部ちん! マジ急にバイトのシフト入っちゃってぇ」

 その手の主は、闇苅・ドラウエルフ・杏奈だった。つんのめった礼司は彼女を引き留めようと手を伸ばしかけたが、エルフらしい俊敏さで教室の外に駆け出していった。訂正する暇すらも与えられなかった。若干気まずくなった礼司が皆を見渡すと、ベテルギスクは牙の生えた口の端を緩め、頬杖を付いた。

「じゃ、放課後にハザマに寄るのはまた今度でいいね」

「せやなぁ」

「にゅっぷるん」

「え、あっ、うん……」

 気恥ずかしげに呟いた継美は、そっと礼司を窺ってきた。彼らに気を遣われてしまったと察した礼司は猛烈な照れに襲われたが、笑い返しておいた。すると継美は、花弁が綻ぶように薄い唇を緩め、無意識に握り締めていた制服から手を外し、邪竜大帝と全く同じ仕草で目を細めた。

「ありがとう、阿部君」

「どういたしまして、横嶋さん」

 ケガの功名、嘘から出た誠、どうとでも言ってくれ。これでまた少しだけ、礼司は継美との距離が狭められるかもしれないのだから。

 フィールドワークで知ったことだが、螺倉の地名の由来はラグランジュポイントだそうだ。多次元宇宙が鬩ぎ合って産まれた異次元空間であるため、惑星の重力が影響し合って産まれる力場の名を付けたそうだ。それは人間や人外にも同じことが言える。

 互いに影響し合い、ぶつかり合い、繋がり合えば、次元も空間も世界も時間も種族も乗り越えられる。そして、ありとあらゆる壁を乗り越えた先にあるのは、どうってことない学園生活だったりする。



 了

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