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アレがアレした異世界トリップチートハーレム勇者

 十.


「なんでワシまで付き合わされなアカンねや」

 吸盤だらけの足を組み、倉田・クラーケン・健人は不満を漏らした。

「人出がいるような気がしてさ」

 それを言うなら人外手やがな、ついでにワシのは全部足やがな、と健人がすかさず礼司に突っ込んできた。部屋着からジャージ姿に着替えたブレイヴィリアは不安と懸念を含めた目で、いつになく緊張している継美を一瞥した。

「継美。貴様まで我らに同行することはあるまい」

「いえ、お構いなく。全ては私の意志です、小林先輩」

「その格好もか?」

「無論です。何か、とてつもなく嫌な予感がするんです」

 がしゃり、と一歩踏み出した継美は重厚感溢れる鎧を鳴らした。継美は頭からつま先まで甲冑に覆い尽くされていて、ツノにはアフリカの戦闘部族のようなペイントが施され、翼と尻尾にすらも装甲を帯びている。銃刀法に抵触するからか、さすがに剣や槍の類は携えていない。その様は彼女の身分と立場に似合いすぎていて、肌が見えているのは顔だけなのが逆に悩ましい。ビキニ鎧のように露出度重視で肝心の防御力が皆無なものよりも、余程想像を掻き立てられる。

 そんな臨戦状態の継美を目の当たりにした礼司は、鎧の下ってアンダースーツなのかな、それともただのTシャツ短パンか、いやいやそこはやっぱり柔肌に食い込む網シャツで、と異様に真剣に考え込んでしまった。

「きっとすんごい蒸れ蒸れやな、パンツだってぐっちょぐちょちゃうか」

 と、健人が礼司の妄想の一歩先の妄想を囁いてきたので、礼司はすかさずタコを引っぱたいてから、携帯電話を取り出した。

「横嶋さん、ちょっとごめん」

 これも常人にはどう見えるのだろうか、と頭を切り換えた礼司は継美の写真を撮ってみると、そこにはツノと翼と尻尾こそないが全身鎧姿の継美がはっきりと写っていた。この鎧に限っては次元だの空間だのは関係ないらしく、実物が存在しているようだ。継美は瞬時に赤面し、がしゃっとヘルムを下げる。

「あ、うっ、ごめんなさい」

「なぜ貴様が謝る、なかなかのものではないか。私の故郷では金属を用いた外装は普及してはおらぬが、これは興味深い。後で良く見せてくれ」

 ブレイヴィリアが甲冑を撫でてきたので、継美はそっとヘルムを上げた。

「解りました。で、でも、消臭剤とか掛けた後でお願いしますね? でないと、その、色々と恥ずかしいので……。お父さんが十四歳の誕生日にプレゼントしてくれた、一張羅ではあるんですが……」

「やっぱり蒸れるんやな」

 鼻の下があれば足元まで伸び切っているであろう声を発した健人に、継美は無言で背を向けた。健人に尻尾が命中すると、おう、とアシカのような悲鳴を上げてよろめいた。が、倒れずに踏み止まって足先を立ててみせた。

「ええ突っ込みしとるやないけ!」

「それはそれとして、だ」

 礼司は話を進めるために仕切り直し、真正面を指し示した。そこには仰け反るほど見上げても頂上が見えない、立派なタワーマンションがそびえていた。

 クリスタルリリィ新百合ヶ丘、との仰々しい名前が刻まれたネームプレートが正門前に設置されていて、マンションの出入り口の自動ドアにはパスワードを入力するためのテンキーがある。いかにも今時の高級マンションである。

「ここで本当に合っているのか、静子さんちって」

 礼司が首を捻ると、健人は足をくねらせる。

「ホンマやって。ワシと静ちゃんも結構付き合いが長いねん、何度か来とるからパスワードだって知っとるがな。ああ見えて静ちゃん、高給取りやねん」

「何の仕事をしているんだ? ぱっと見じゃ、普通のOLにしか見えないけど」

「そら本業の方や。いつもは螺倉のちっこい会社で事務員しとるんやけど、副業の財テクの方がごっつ儲かっとるんや。人は見かけによらんで、しかし」

 健人はそう言いつつ、玄関ホールの自動ドア前にあるテンキーに近付いた。足の尖端で器用に小さなキーを押してから、インターホンに吸い口を寄せる。

「あーワシや、倉田や。静ちゃん、おるか?」

 礼司らもインターホンに近付いて返事を待つが、受話器が上がったと思しき気配の後、すぐに切られた。

「健人、番号を間違えたんじゃないのか?」

「そないなわけあるかいな! 自慢やないけど、一一○と一一九を忘れることはあってもお姉ちゃんの部屋番号と電話番号と住所とメルアドだけは忘れたりはせんねや! ほな、もっかい行くで!」

 三人から疑いの目を向けられつつ、健人は再度呼び掛けた。だが、結果は同じだった。となると、このマンションに青沼静子が住んでいるかもどうかも怪しくなってくる。健人が及び腰になって身を引いた時、内側から自動ドアが開いた。

「ぶみゅるぅー……」

 そこには、涙のような形でぼたぼたと粘液を落とすジュリエッタが立っていた。だが、その体はいつも以上に不定型で輪郭すら定まっておらず、着ている服もいい加減なものだった。なぜかバスローブの上に制服のジャケットを羽織っていて、左足にはミュールで右足にはハイヒールという、どこを取ってもちぐはぐな格好だった。携帯電話を握り締めていたジュリエッタは礼司らを見て気が抜けたのだろう、玄関ホールにどろりと溶け落ちてしまった。

「ちょい待ちぃや!」

 すかさず健人がジュリエッタを抱え上げると、自動ドアが閉まる前に四人揃ってロビーに駆け込んだ。人目に付かないように隅っこにジュリエッタを連れ込み、中庭を眺めるために設置されたのであろうソファーに座らせてやると、ジュリエッタは辛うじて人型に整えたが、ぐすぐずと泣いていた。

「何があったっちゅうんねや、ジュリエッタ。話してくれんと解らんで」

 健人はジュリエッタの隣に座って問い掛けると、スライムは辿々しく答えた。

「うにゅるう、一昨日の夜ぅ、べろんべろんに酔った静ちゃんが知らない男の人を連れて帰ってきて、それからずうっとずうっとずうっと持て成していてぇ、ボクのことなんかちっとも構ってくれなくてぇ……うにゅるあああああんっ!」

「おーよしよし」

 健人はジュリエッタを慰めてやりながら、そのぶよぶよとした粘液の中に足を突っ込んで抉り回した。そして、吸盤を引っこ抜いた。

「あったで、カードキー」

 尖端の吸盤には、マンション名が印刷されたカードキーが貼り付いていた。泣いている相手に対してすることかそれは、と礼司は言いかけたが飲み込んだ。ややこしいことに違いないので、とっとと行動に移るに限る。

「じゃ、これで静子さんの部屋に」

 礼司がそのカードキーを受け取ろうとすると、カードキーがムチのように振り抜かれた尻尾によって弾き飛ばされた。素早くそれを掠め取ったのは、尻尾の主である継美だった。

「御免!」

 と、妙にドスの効いた声色で言い切った継美はカードキーを握り締め、全身鎧をがっしゃがっしゃと鳴らしながらエレベーターホールに駆けていった。空き缶が満載のゴミ箱をひっくり返したかのような騒音に気付いたマンションの住民達が、嫌悪感をたっぷり込めた眼差しを向けてきたので、小市民の代表たる礼司は平謝りして回った。その間に健人とブレイヴィリアはジュリエッタを担いで継美を追いかけるが、タイミングの違いで継美はエレベーターに乗って昇っていってしまった。エレベーターは全部で三基あるが、全階層に停まるものはなく、一基ごとに十階区切りで停まるようになっていた。なので、最上階の静ちゃんのペントハウスに到達するには面倒なんや、と健人が説明してくれた。

「ペントハウスぅ!?」

 そんな単語、海外ドラマかハリウッド映画でしか聞いたことがない。礼司が目を剥くと、健人は腕に当たる両足を上向けた。

「さすがにプールまではあらへんけどな」

「なるほど、ならば静子はこの城の主なのだな。爵位は伯爵か?」

「現代日本にそんなものないですよ」

「みゅー……ぷっぷるぅー……」

 などとごちゃごちゃ言っていると、一階と十階を繋ぐエレベーターが到着した。それから更に二回エレベーターを乗り継ぎ、最上階に辿り着くと、そこには確かにペントハウスが存在していた。高層マンションの屋上に洒落たデザインの建物が建っていて、屋上なのに礼司の自宅のそれよりも広い庭があった。紛うことなきブルジョワジーの世界。うへぇー、と変な溜息を漏らし、辺りを見回しながら進んでいくと、ペントハウスの玄関のドアが開け放たれていた。大方、継美の仕業だろう。土足で上がったらしく、ブランド名が刺繍された玄関マットには泥だらけの足跡が擦り付けられている。一応泥を落とす努力はしたらしい。

 節電なんてクソ喰らえと言わんばかりに煌びやかに照明が付いた廊下を通り、その足跡を辿っていくと、だだっ広いリビングに入っていった。対面型キッチンと面しているリビングに入った四人が目にしたのは、山盛りの食事だった。

「ほぅらー、もっともっともぉおおっと食べて食ぁべてぇーん」

 フリフリのエプロン姿の静子はスケキヨマスクの下で満面の笑みを浮かべながら、最早凶器の域に達している量のカツ丼を押し付けていた。

「ああ、いや、そのだから」

 そして、それを押し付けられている相手の男は、長尾利人(ながお りひと)だった。あれは姉の真里亜の彼氏ではなかったのか、それがなぜ静子の部屋に、と礼司がその事実に驚いている間に彼女は躍動していた。

「やはり私の見立て通りであったか。お命頂戴いたすっ!」

 西洋風の鎧にはあまり似付かわしくない語彙で威嚇した継美は尻尾を曲げ、フローリングに叩き付けて跳躍した。全身鎧を纏った小柄な体がシャンデリアの吊り下がった高い天井に吸い込まれるように上昇し、一対の翼が明かりを遮る。

「覚悟!」

 一直線に落下してテーブルの上の料理を蹴散らす、かと思いきや、羽ばたいて方向転換した継美は長尾利人の腰掛けているソファーだけを蹴り飛ばし、長尾利人の上に跨ってマウントポジションを取る。が、利人は恐るべき俊敏さで継美を弾き飛ばしたばかりか、己の手中から光を放ち、両刃の剣を生み出した。

「お願いだから少しだけ大人しくしてくれないかな、お姫様!」

「大人しくなどしていられるかぁっ! 貴様のような下半身に締まりがない男に対して払う礼儀など持ち合わせておらぬわ! どこの馬の骨とも解らぬ輩の分際で、我が母をたぶらかしおってからに! ええい、その首もらい受ける!」

 絵面はファンタジーっぽいのに、音声だけだと時代劇である。

「手加減出来れば、いいんだけどなっ!」

 大股に踏み込んだ利人は、しなやかな動作で光を帯びた両刃の剣を振り抜く。剣が振られる寸前に継美は一歩引いて間合いを取ったが、刃が甲冑を掠めかけた瞬間に継美の背が折れ曲がり、吹き飛ばされた。衝撃波だ。

「うおっと」

 継美が壁にめり込む寸前、ブレイヴィリアが継美を受け止めてくれた。

「何をそんなにいきり立っているんだ、ってああそういうことかぁああっ!」

 気絶した継美をぞんざいに放り出したブレイヴィリアは、剣を携えている長尾利人に向かって躊躇いもなく突っ込んでいった。

「今こそ朽ちよ、滅びの使者めが!」

「あーもう、やっぱりこうなるのかぁよっと!」

 ぼやきながらも利人が再度剣を振り抜くと、ブレイヴィリアまでもがあっさりと吹き飛ばされた。今度は健人が受け止め、そのついでに胸と尻に吸盤を貼り付けようとしたので、礼司は健人を引き剥がした。後でバレたら、間違いなくタコせんべいにされるからだ。

「って、あー、そういうこっちゃな。うん」

 健人も何かを納得したようだったが、継美とブレイヴィリアのように激昂したりはしなかった。健人はブレイヴィリアを庭に担ぎ出して隅に追いやってから、性懲りもなく山盛りの御馳走を長尾利人に食べさせようとしている静子を担ぎ上げ、健人はペントハウスの庭に出ていき、隅に静子を座らせた。

「このくらいの距離ならどないや、勇者はん?」

「ああ、問題ないだろう」

 利人は光の剣を虚空に消すと、両手を払い、どっかりとソファーに腰を落とした。健人は同じように継美も庭の隅に遠ざけてから、リビングに戻ってきた。礼司は事の次第を把握するため、とりあえず友人に尋ねた。

「何がどうなってああいうことになるんだ?」

「勇者はんはなー、色々難儀なんや。男の夢の結晶やさかいに」

 健人はソファーではなくラグに座ると、勝手にエビフライの山を食べ始めた。

「勇者って、長尾さんはあの勇者ってことなんですか?」

 十人並みの中の上といった外見の青年を見やり、礼司の脳裏を駆け巡ったのは、これまでにRPGで操作してきた世界を救う宿命を背負ったキャラクターだった。ゲーム開始時に鳴るあのファンファーレ、最強装備で身を固めて最強魔法を覚えた仲間達をパーティに入れて世界各地のダンジョンで暴れ回り、ちいさなメダルを集め、すごろくやギャンブルで架空の金を荒稼ぎし、年上の幼馴染みか大金持ちの御令嬢のどちらかを嫁に選んで双子の子を授かり、レベルを上げに上げて四段変身する魔王を倒しに行く、アレだ。

「そう、そのアレ」

 利人は山盛りの料理を見るのも嫌なのか、目を逸らした。礼司は家主に断りもなしに手を付けるのは行儀が悪いと思い、膝の上に手を置いた。

「ってことはあれですか、伝説とか作りまくりなんですか?」

「まあね。アレな感じに」

 利人はやる気なく返し、頬を引きつらせた。

「でも、いいことなんてちっともないんだよ。僕は礼司君と同じぐらい年頃に勇者になったんだけど、それからもう気の休まる日なんてないんだ。そりゃ、最初の頃は、さっきみたいな色んな能力が使えたり、異世界に行って大冒険したり、美人のお姫様を助けたり、魔物を千切っては投げ千切っては投げしてみたり、星の数ほどの世界を救ったり、ってことが楽しかったけど、一ヶ月もすると飽きて飽きて。だって、大体の展開が同じなんだよ。まず、装備こそ貧相だけど潜在能力だけで渡り歩ける村外れに行って素手で魔物を捻り殺して、街と街を行き来して補給と休息を取って、その合間に他人の頼まれ事を解決して、洞窟やら海底やら火山やらのダンジョンに潜って死線をかいくぐって、それなりに使えそうな奴と出会ったら仲間にして、っていうのの繰り返し。SFっぽいのも三分の一ぐらいはあったかな。もう何百回、何千回とやったことか」

 数えるのも嫌だ、と長尾利人は嘆いた。

「だけど、世界の救世主として召喚された手前、投げ出すのもアレだから引き受けちゃうんだよ。だけど、僕がその召喚された世界で各種能力を通用させるために必要な条件ってのが、さっきのアレな体質でさ」

 と、長尾利人は庭の隅を指す。静子が我に返ったように呆けていて、継美は気絶したままで、ブレイヴィリアも同様だった。アレといわれても、何がどうアレなのだか解らない。

「つまりやな、勇者はんは股を掛ければ掛けるほど強うなるんや」

 健人は長尾利人が箸も付けなかった超大盛りのカツ丼を掻き込み、咀嚼する。

「あー……ハーレムってやつ?」

 近頃流行りのあれか。礼司の半笑いの呟きに、長尾利人は頷く。

「そうなんだよ。僕の意志とは無関係に発生する現象でさ、女性に無条件に好かれるか憎まれるかのどっちかなんだ。七三ぐらいの割合かな。そりゃ昔は僕も若かったから、大勢の女性に囲まれるのは天国だなぁとか思っていたけど、段々とその面倒くささに気付いちゃってね。アレは管理維持費が半端ないんだ」

 どうもこの勇者は、アレが口癖らしい。

「その中に横嶋さん……ええと、さっきの鎧を着たドラゴンの女の子、のお母さんがいたってわけですか? で、俺の姉貴も」

 礼司が尋ねると、利人は少し考えてから答えた。

「んー……そうかもね。喰い繋ぐためにここら辺で短期バイトした時に、三十代半ばぐらいのパートさんに色々と構ってもらって家にまで上がらせてもらったことがあるから。まあ、あの人はベタ惚れしている相手がいるらしいから、僕の全自動ハーレム体質は適応されなかったけど。年頃の女の子からすれば見知らぬ男が家に上がり込んだ挙げ句に母親から構われていたら、そりゃいい気がしないよなぁ。悪いことしちゃったかも。礼司君のお姉さんは、普通にいいなーとは思っていたけどさ。まあでも、今後は一切連絡を取らないよ。あーあ残念」

 その割に口調はしれっとしている。長尾利人は淡々と説明する。

「一人の女の子に一本百円の缶ジュースを奢ったとする。でも、一人だけを優遇するとハーレムの構成員同士で抗争が発生して刃傷沙汰になるから、一人に奢ると全員に奢る羽目になる。百円が千円、千円が一万円、一万円が十万円とまあアレな具合に膨れ上がっていくわけだ。一人に割く時間もそんな感じで、ハーレムが出来上がった途端にプライベートな時間はなくなるんだ。地球時間に換算して説明するけど、一人に対して一日当たり一時間割り当てたとしても、日中は十二人しか相手が出来ない。寝る間も惜しんで相手をしたとしても二十四人、一人当たり三十分にしたとしても四十八人が限界だ。あのアイドルグループ一つ分だね。でも僕だって人間なんだから、だらーっと携帯いじったり、ぼんやりテレビを見たり、漫画を読み耽ったり、ゲームに興じたり、惰眠を貪ったりしたい。だけど、ハーレムがある限りはそれは決して許されないんだ。ちょっとでも気を抜いたら、アレがアレして嫉妬の連鎖で戦争が起きてあっという間に救うべき世界が破滅しちゃうからね」

 彼のところみたいに、と利人が健人を指すと、健人は後頭部を押さえた。

「いやあ面目ないわー」

「エロ妄想の権化のくせして、こういう相手に腹が立たないのか?」

 健人のような性分の男ほど、全自動ハーレム体質の持ち主を憎みそうなものだが。礼司が訝ると、健人はふっと遠い目をした。

「F1カーにチョロQで勝負になるわけないやろ」

 納得せざるを得ない喩えだった。

「興醒めすることを承知で聞くけど、どういう経緯で故郷が亡んだんだ?」

 緊張感をごっそり削がれた礼司が膝を崩すと、健人は笑った。

「それがなぁ、ワシんとこには神様レベルの女王様とそれを守る九人の戦乙女がおったんやけど、勇者はんが来てから十日も経たずに鋼の忠誠がぐっだぐだになりよってな、内輪揉めの余波が空から地上から海から広がりおってん。で、あっちゅーまにパーなんや」

「ああ、そう。ちなみに長尾さん、召喚された理由はなんだったんですか?」

「なんだったっけな……。あの時のアレはそんなに強烈じゃなかったから、特に覚えてないや。ごめんね」

「いえ、俺の方こそごめんなさい」

 礼司は反射的に謝り返した。愚にも付かないことを聞いてしまった。勇者である利人にとっては、異世界を救うことなんて毎日の夕食のようなものなのだろう。礼司だって、先週の火曜日の夕食がなんだったかと問われてもすぐには答えられない。カレーだったようなコロッケだったようなポテトサラダだったような、という曖昧模糊とした記憶しかない。だから、思い出せないのも無理はない。

「で、静ちゃんの高感度MAXのアピール方法は山盛りの御馳走だったっちゅうわけか。道理で、この間のバーベキューが地獄だったわけやわ」

 エビフライを一本残らず食べ終えた健人は、カニのちらし寿司を食べ始めた。

「で、そのアレがアレしちゃったんだよ」

 利人はウィスキーグラスに入ったウーロン茶を傾け、眉を下げる。

「地球にいるとまたハーレム地獄で冒険活劇の日々が始まっちゃうから、本当はさっさと別の世界に行きたいんだけど、アレがあってねぇ」

「アレじゃ解らないんですけど」

 主語が省略されては何が何やら。礼司が聞き返すと、利人は不意に立ち上がって礼司の腕を掴んだ。勇者の腕力は振り払えない。何事かと驚いている間に大理石タイルのバスルームに追いやられ、壁に追い詰められた。

「礼司君、君ってさ、どこまでもアレがアレしないよね?」

「はあ?」

 身長差のせいで、礼司は利人から真上から見下ろされる形になった。男女であれば色気と緊迫感が相まっている構図だが、男同士だとアレだ。

「僕さ、ちょっと面倒なことを頼まれちゃったんだよ。でも、この前ちょっとだけ顔を出したアストラル界と地上界ってところが三日もしないで崩壊しちゃったから、他の世界のゴタゴタに関わるのはアレなんだよね。だから、頼まれてくれない? ちなみに、あの鎧を着たドラゴン娘ちゃんの世界のことなんだけど」

「へ」

「じゃ、よろしく」

 そう言うと、利人は颯爽と去っていこうとした。が、礼司は利人のベルトを思い切り掴んで引き留めた。これまでの教訓を踏まえた行動である。

「ちょおおおっと待って下さい! 5W1Hをお願いします!」

「なんでだよぉ、僕はさっさと逃げないとまた新たなハーレムが自然と形成されちゃうんだから! ともすりゃ君だって安全じゃないぞ、僕のハーレムの構成員が君自身も恋のライバルと認識して攻撃に移るかもしれないんだぞ!?」

 利人は礼司の手をベルトから剥がそうとしたが、礼司も必死である。また訳の解らないことを丸投げされたら、対処のしようがないからだ。数分間に渡る押し問答の結果、利人は観念したのか説明してくれた。

「えーとね、僕がトイレ休憩でもしようとふらっとクラーゲンフルト帝国に立ち寄ったら、そこでマキナっていうラミアの女の子に捕まったんだ。で、その子がクラーゲンフルト帝国の帝王が地球侵略を目論むように焚き付けてくれって頼んできたんだけど、その時の僕、アレな感じで緊急事態だったんだ。みなまで言う話じゃないけど、急転直下だったんだ。さっきまでどうってことなかったのにいきなり下っ腹がギリギリって痛くなって、そこら辺に穴でも掘ってしようとしたんだけど地面が固くて剣も通用しないぐらいで。で、まさか勇者のアレがアレするわけにいかないなぁって思って必死で堪えていた時に、ラミアのマキナちゃんが現れたんだ。で、その頼み事を聞いてくれればトイレを貸してくれるって言うんだけど、聞かなかったら……その、つまり、ね……」

 マキナもひどいが、勇者もひどい。

「で、それが横嶋さんの悩みと繋がるわけか」

 継美は大元の原因を知らないでいてほしい、と礼司は切に願った。あんまりにも下品だからだ。礼司は一度考えを整理してから、言った。

「てことは、長尾さんがクラーゲンフルト帝国の住民を追い払って、邪竜族を食糧危機に陥れたってことでいいんですか。で、その前にベテルギスクと小林先輩の世界にもちょっかいを出していった、と」

「あれ、そこまで知っているの? じゃあ話は早いや」

 今度こそさらば、と利人が逃げようとしたので、礼司は彼の袖を掴んだ。

「まだです、まぁだ話は終わっちゃいません!」

「いい加減に解放してくれよぉ、それとも僕のアレが君までアレしちゃった?」

「してません。俺はそっちの趣味はないです」

「あ、そう。なら良かった、性別関係ないハーレムが出来る体質になっちゃったのかと思ってちょっと怖くなっちゃったじゃんか」

「その、二つの世界から追い払った住民達はどこに行ったんですか?」

「さあ? 適当に空間と次元をぶった切って別の世界に繋げて、新天地だーとか適当ぶっこいて向かわせたけど、まずかった?」

「その住民達がクラーゲンフルト帝国と同じ世界に戻ってくれば、綺麗さっぱり元通りになると思ったんですけど、しっかし何もかもいい加減ですね」

「真面目に生きてちゃ勇者なんてやってらんないって。不法侵入と器物破損と略奪と大量殺戮と異種族差別主義者の超絶犯罪者だしね」

 んじゃ今度こそ、と利人は礼司の手を振り払って駆け出していった。礼司はその後を追っていたが、長尾利人は庭を横切ってペントハウスを囲んでいる壁を身軽に乗り越え、そのまま飛び降りた。一瞬肝が冷えたが、勇者なんだからそれぐらいじゃ死なないだろう、と思い直した。

 リビングに戻ると、黙々と料理を消費し続けていた健人が胃袋の入っている頭部を数倍に膨れ上がらせ、ダウンしていた。なぜそこまでして喰う。我に返った女性陣も戻ってきていて、目を覚ましたブレイヴィリアが頭を振った。

「一生の不覚だ。敵を目の前にして気を失うなど」

「あの男はどこに消えた?」

 継美は辺りを見回すが、利人の姿が見当たらないと知ると歯噛みした。玄関にうずくまっていたジュリエッタがリビングに這いずってくると、正気に戻った静子がエプロンを脱ぎ捨てて飛び掛かっていった。

「ジュゥーリィイイイイイッ!」

 ぶんにゅるんっ、とスライムに全身を埋めた静子は、スケキヨマスクの下から涙を撒き散らしながらジュリエッタに頬摺りする。

「ごめんねぇごめんねぇ、本当にごめんねぇーっ! 全宇宙で私が愛しているのはぁ、ジュリーだけなんだからぁあん!」

「静ちゃああああんっ」

 ジュリエッタも静子に負けぬほど泣き喚きながら抱き合うが、溶け合っているようにしか見えないのが難点だった。ひとしきり濃厚に情を交わし合ってから、ジュリエッタは洟を啜り上げる静子を離さぬまま、ブレイヴィリアに向いた。

「うっぴゅるん。で、ボクに用事ってなんなのにょー? みゅっぷるぽー」

「実はだな」

 やっと本題に入れたので、ブレイヴィリアは無駄に力説しながらベテルギスクの一件を説明した。それを聞き終えたジュリエッタは物思いに耽るかのようにしばらく黙していたが、静子の頭部を粘液の中に抱え込んで言った。

「むみゅる、解った。ベティちゃんもボクの大事な友達だもん、辛い思いをさせちゃいけない。だけど、特異点絡みの計算なんてしばらくしていなかったから、勘を取り戻すまではちょっと時間が掛かるかも。でも、必ずベティちゃんを元のアストラル界に送り届けるよ。それだけは約束する」

 いつになく明瞭に発音したジュリエッタは、粘液の中から静子の顔を出す。

「だからね、静ちゃん。ちょっとの間だけ、我慢してくれるかな?」

「うん。大丈夫」

 静子は微笑んでみせた。ジュリエッタは粘液で成した顔を微妙に動かし、感謝と悲哀と慈愛を滲ませると、静子の頭部に粘液を絡み付かせてその顔を隠している白い大脳皮質をぬるりと剥がし取った。がぽっ、と青い粘液の飛沫を散らしながら素顔を露わにした静子は途端にうずくまり、喘ぐ。

「うっ、あ、はぁっ……」

「お薬、いる? でなかったら、お酒でもいいよ」

「大丈夫っ! 怖くない、何も怖くない、怖くないったら怖くない!」

 喉が裂けそうな絶叫を撒き散らし、静子は両腕に爪を立てる。静子は両手で顔を覆い、皆に背を向けて床に這い蹲る。

「……悪いけど、皆、出ていってくれないかな。後のことは何も気にしないで」

「でも」

「いいから! 出ていってよ!」

 彼女の異変を案じた継美を、静子は鋭く制する。その声の強さに継美はびくりとしたが、頷き、足早に玄関に向かっていった。健人は付き合いが長いと言うだけのことはあって慣れた様子で、静子の背に気安い別れの言葉を投げ掛けてから玄関に向かった。ブレイヴィリアと礼司もそれに続き、最後に残ったのは、白い大脳皮質を引き延ばしてシリコン製の全身スーツのように纏ったジュリエッタだけとなった。成人男性とほぼ同じ体格になったジュリエッタは床に這い蹲って震えている静子の背に近付くと、太い指でその髪を軽く梳いてやり、冷や汗が浮いた額に口に当たる部分を添えた。キスだ。

「すぐに戻ってくるから。愛してるよ、静ちゃん」

 甘えたブリッコ口調でもなければ少年の声でもない、力強い男の言葉だった。

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