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モノマ

 窓から射し込む陽光が、肌にそっと重なって暖かに包み込む。すぐ外で雀の鳴き声が聞こえてきた。いつもと変わらぬ朝だ。少しばかりの希望を添えて、目蓋を持ち上げ目を開ける。


(天井たっかいなぁ……)


 変わらぬ世界に落胆した。置き去りにされた日常はまだ戻っていない。しかし、その中に一つだけ、いつもの『当り前』を取り返した。肺の中が新鮮な空気で満たされ、心音が規則正しく耳に触れる。


 ――生きている。


 視界が広がり意識が拡散して行くと、右腕の辺りから静かな寝息が聞こえてくるのに気が付いた。視線を向けると、意外にもヨーコの顔がそこにある。疲れ切った顔をして眠っており、今にもその小さな口からヨダレが溢れ出そうだった。


(そうだ、右腕!)


 あの瞬間、確実に持って行かれた。食い千切られた感覚が、容赦なく脳裏に焼き付いている。でも、不思議と痛みはない。清人は、おそるおそる右腕を見た。


「右腕が……あるっ!?」

「ウァワッ!」


 驚きの声があまりに大きくなり過ぎて、ヨーコがびっくりして跳ね起きた。


「なんダ! 何があっタ! また敵襲ダナ!」


 「どこダ!」と寝ぼけたままで一通り騒ぐと、きょとんとした顔をしてこちら見た。その途端に、細かった目がきゅうっと大きく開かれて、顔全体がパーッと明るくなる。


「オーイ、みんな! キヨヒトが目を覚ましたゾッ!」


 部屋の外からドタバタと足音がした。息せき切って入ってきたのはヨミで、それからカスガにタケオが続いた。


「よかったぁ……本当によかったワ~ンッ!」


 ヨミが泣きながら抱きついてきた。胸の谷間が顔に迫って来る。健全な男子として喜ぶべきことなのだが、それが見事に鼻と口にジャストフィットした。


(嬉しいけど、い、息ができない……。このままだと別の天国に連れて行かれる……)


 痙攣する手でタップをするも全然気付いていないようで、離してくれる気配がない。


 スパーンッ!


 頭の上で、気持ちのいい音が鳴った。頭を押えるヨミの後ろで、ヨーコが白い棒のようなものを持っている。


「どうダッ! ヨミ専用『張り倒しくん一号』の威力! 鍛冶屋のおっちゃんに作ってもらったノダ! これでアタシに怖いものはなくなっタ!」


 ヨーコは腕組みをして踏ん反り返った。


「あの……ヨミさんのキャラが違くないですか?」

「ああ、こいつナ。オマエに渡した武器が特殊だってこと説明すんのを度忘れしてたようデ、もし、オマエに何かあったラ、スキンシップは今後一切ナシだと言ってやったんダ」

「シスロリ成分の補給が出来ないなんて、ワタシは一日で枯れる自身があるわっ!」


 歪みのない人だと感心してしまった。確かに、武器のことには多少の文句があるが、あの事故は自分の油断が招いたものだ。あの武器は目的通りカタナとしての役割を果たし、奴の舌を両断した。


 そう言うと、「オマエは甘いナ」とヨーコに呆れられたが、その目は安心したように柔らかくなった。


「キヨヒト――いや、キヨヒトくんっ! 息子のことをありがとう! 恩にきるっ!」


 タケオが一歩近寄って、深々と頭を下げた。


「いえ、そんな。ということはハヤタは無事だったんですね?」

「ああ、おかげ様でな。どこかで頭を打ったのか、気絶していただけのようだ。そのおかげで喰われずに済んだとも言えるが。あれから三日経つが何ともない。妻の怪我の方も大事には至らなかったよ」


 「よかった……」と胸を撫で下ろすと、気になる言葉があったことに気が付いた。


「お前は三日間も眠り続けていたんだぜ」


 春日が心の中を覗いたように、心配と嬉しさを混ぜこぜにした表情でそう言った。


「あれからもう三日も経ったのか。そうだ! 美穂、美穂はどうしたんだ?」


 この中に美穂がいない。要らぬ予感が頭を過るが、懸命にそれを打ち消した。清人は、この場にいる者の顔を見渡した。誰もが口を閉じ、険しい顔をしている。


「まさか、そんな……。ウソだろ……な、なあ、春日?」


 春日が目を合わせずに顔をそむけた。それに倣い、全員が清人に背を向けた。一言も発することなく、春日がどこかを指差した。


 その先を追うと、隣にあるベッドだった。白い布に覆われた、人型の盛り上がりが出来ている。


「み、美穂……」

「呼んだ?」

「うおおオォゥッ!」


 ベッドの下から、美穂の顔がひょこっと出てきた。心臓が口から飛び出しそうという表現を、初めて本気で味わった。ベッドの上で跳ね飛んだ清人の姿を見て、部屋の中が笑いの渦で満たされる。


「そういうことか。全員が顔をそむけたのも、必死で笑いを堪えてたんだな?」


 清人の抗議の声も笑い声に掻き消され、全く届いていないようだ。


「まあまあ、許してやれよ。美穂は不眠不休でお前の看病してたんだべ。このぐらい罰当たらないべ?」

「いや、それは春日の台詞だろ。美穂さん」


 そーっとした足取りでヨーコが隣で寝ている人に近づくと、被っている白布を思いっきり剥いだ。

 ――顔の部分に墨か何かで立派な黒ひげが書かれた案山子が横たわっていた。


「このお方は、ウチの畑のコメダワラ男爵家当主『タッタラボッチ十三世』様ダッ! 閣下は雀たちとの激闘を終え、こうやってしばし御休憩あそばしておられるのダッ!」


 また、周囲で爆笑が起こる。呆れたやら情けないやらで、清人は右手で頭を抱えた。この時になってようやく、清人は自らの右手に違和感を感じた。触れた感覚が全くない。

 

 清人の表情の変化を察したのか、ヨミが口を開いた。


「ああ、アンタの右腕ね……食べられちゃったのよ。ヒサヒがそのヒミズガミを倒した後に、胃袋から取り出して持ってきてくれたのだけど、毒による腐敗が酷くてさすがにくっつけられなかったのよね」

「じゃあ、この右腕は一体何なんですか……?」


 自分の腕ではない、そうはっきりと宣言された。しかし、不思議とショックは大きくなかった。右腕になっているそれが、あまりにも精巧過ぎて実感が湧かないだけかもしれない。何より、この腕の正体が気になる。ただの本物そっくりな義手ではない、つけている清人にはそれが分かった。


「ああ、それね。あなたに渡したあのカタナよ」

「え……と、カタナですか?」


 幾分、驚くことにも慣れてきた。この世界に来てからというもの、突飛なことがあり過ぎて感性が鈍くなっただけかもしれないが。


「あのカタナにね、精霊が宿ってたの。この世界では珍しいことでもないのだけれど、アナタたちがこっちに来たばかりというのを失念してたわ。宿ってた精霊は非常に珍しい種なのよ。言葉で教えるのも面倒なので実践してみましょうか。外に出るわよ、立てるでしょ?」

「試してみます」


 足を床に降ろし、立ってみせた。意外にも体に力がある。三日間、何も食べてないはずなのに。


「言うなれば、アナタは精霊を体に取り込んでいるわけだからね。その右腕の精霊が媒体となって自然の力を供給してくれてるはずだから、三日倒れたぐらいじゃどうってことないわよ。あ、ヨーコちゃん。ボッチ閣下お借りするわね」

「オウ、粗相のないようにナ」


 清人がベッドから離れたのと入れ替わりに、美穂がベッドに飛び込んだ。


「じゃあ、私は寝るねるね」


 そういうと、すぐさまスピーッと寝息を立てた。疑っていたわけではないが、寝ずに看病してくれていたというのは本当らしい。


「ありがとう美穂。皆さんもありがとうございました」


 清人が改めて礼を言うと、「いや、こちらこそだ」とタケオがもう一度、丁寧な礼を返した。


「そうだ、感謝しろよ」

「お前は何かしてくれたのか、春日?」

「おうよ! 聞いて驚け! お前が寝ている間にヨーコちゃんのスリーサイズから始まって、ありとあらゆるマル秘情報をヨミさんからゲットしたぜっ! 後でお前にも教えてやる!」


 春日が満面の笑みを浮かべ、親指をビシッと立てた。


「キヨヒト、こいつ地面に埋めてから引っこ抜けば従順になるカ? その後ミミズどものエサにすル」

「どうぞ、どうぞ。残念ながら増えませんけどね」

「そんな、冷たいわ清人さん! ヨーコちゃんも冗談だよね? あ、えっと、その目は……本気?」

 

 春日の声にならない悲鳴が建物の中にこだまする。清人は「死ぬなよ」とだけ心の中で言い、憐れな親友の姿が明日にあることを祈りながらその部屋を後にした。


 ヨミの元へ向かうと、あの案山子を地面に立ててイライラした顔で待っていた。


「遅いわっ! もしや、ヨーコちゃんと何かしてたんじゃないでしょうね? 口じゃ言えないことを!」

「めっそうもない。まあ、一人、ヨーコさんに埋められているやつがいるかもしれませんが」


 「後で見に行くわ」と言って、ヨミは案山子の前に立った。


「早速説明するわよ。あのカタナに宿っていた精霊はね、『空』の精霊なの。この世界における基本的な属性は、『火』『水』『木』『金』『土』の『五元』だから、空はその派生として特殊なのよ。能力説明は簡単よ。空だから空っぽ。何も無いってことね。だけど、だからこそ空には無限の可能性がある」


 ヨミが手招きをする。清人はその場所まで歩み寄った。


「ここから、ボッチ閣下に手が届くと思う?」

「いえ、無理です。ここからだとオレの足で四歩は前に詰めないと」


 清人の答えを聞いて、ヨミは少し驚いた顔をした。


「ワタシも同じ目測だわ。間合いの把握はとても大事なことよ。ここから手は届かなくても、一般的な槍を伸ばせば十分に届く距離なの。空は型がないからこそ、どの型にも変わる。その手を槍に変えるわよ」


 ヨミは案山子に向けて右手をかざした。


「同じポーズを取ったらこう言いなさい。

『キヨヒトの名のもとに願い奉る。汝、虚から実、空から槍となりて我が敵を貫き給へ』とね」


「それを……言うんですか?」

「ぐずぐずしない!」


 少しばかり恥ずかしい気がするが、そうも言っていられない。清人は右手の照準を案山子に定めた。


「キヨヒトの名のもとに願い奉る。汝、虚から実、空から槍となりて我が敵を貫き給へ」


 言葉が終わるやいなや、右手が薄らと赤色に光った。しかし、それ以上は何も起こらない。


「イメージが足りないのよ! 具体的なイメージが大事なの! 槍くらい扱ったことあるでしょ!?」

「いや、オレらの世界ではある人の方が少ないですよ……」


 「なんてこと」とうな垂れるヨミに、少し気まずいながらも清人から声をかけた。


「あの、カタナのイメージなら大丈夫な気がします。春日の親父さんが古武術の先生で、道場に通ってた時分に剣術も教わってたので」

「お、じゃあやってみて。言霊はそうね――さっきのを真似して考えなさいな。カタナは専門外なの」

「そんなテキトーな……」


 仕方がないので、清人は刀が右手にあることをイメージして半身に構えた。そして、三歩ほど案山子の方に寄ると、すっと上段に構えるようにして手を上げる。


「キヨヒトの名のもとに願い奉る。汝、虚から実、空から刀となりて我が敵を断ち斬り給へ」


 言葉と共に、右手が赤く染まった。頭上にあるそれは、先ほどの色とは比べようもなく濃い。そして、肚に力を込めて、前方に振り下ろす。右腕が赤い刃となって伸びたように見えた。

 空気を割く音が耳に痛い。真紅の刃は案山子をスゥーッと通り過ぎたが、モノを斬ったという手応えはなかった。清人はおそるおそるヨミの方を見て成否を尋ねる。


「これって……失敗ですか?」

「いや、大したもんだったわ。今度は実戦で試さないとね。さすがに体が本調子じゃないだろうから、今日はここまでにしましょう。細かいことはまた後日」


 そう言うと、ヨミは満足そうな顔をして立ち去った――のも束の間。


「ああァッ! タッタラボッチ十三世閣下がアァッ! 解せヌゥゥッ!」

「ヨーコちゃん、まだ十四世閣下がご健在よっ! 彼の佇まいは紳士として最後まで立派だったわ!」


 必死にヨーコを取り押さえるヨミ。振り返ると、タッタラボッチ男爵は音もなく両断されて、天に召されていた。清人は、ヨーコから逃げるようにしてその場を後にした。


 その夜、甲高い鐘の音が空に響いた。敵の襲来を告げる予鈴に、清人たちの休息は終わりを告げた。


『現在、砦内の人口百人。マイナス一案山子。農業に若干打撃、工業、商業は、目立った発展はなし』

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