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杏子への手紙2

あるとき新聞で大学が色とりどりのヘルメットでびっしりと

取り囲まれている写真を見て、一度現場を見に行きました。

教養部はバリケードストライキとやらで正門は厳重に机や椅子

で封鎖され大きな赤い旗を持った白ヘルが見張りで立っていました。


何とか入れないものかと知恵を絞り吉田寮の裏から教養部のグランド

に忍び込みました。夕暮れのうす暗がりに紛れてD号館の方に行くと

全く人の気配がありません。教室の中をそっと覗いてみました。なんと、

木製の机は全部防石用の盾につくりかえられ整然と並べてありました。


正門バリケードからA号館にかけてはかがり火が見え人の声が聞こえ

ます。急に怖くなって大急ぎで戻りました。これから中近東を旅するのに

こんなことではいけないなと深く反省しました。とにかく行ってきます!


必ず旅先から便りします。おげんきで!


1969年12月7日                  若林 治


柴山杏子様                             」


あのころはもうはっきり言って心は海外に飛んでいた。1日も早く旅立ち

たくて、あとはもうどうでもよかった気がする。自分の奥底での自信のなさを

何とか海外経験を経ることによって人生への確信をつかみたかったのだと思う。


横浜から船でナホトカまで行ってシベリア鉄道でハバロフスク。イリュージン

のジェット機でモスクワまで飛んであとストックホルムからヨーロッパの旅が

始まった。ずっと南下してイスタンブール、インドへとあっという間の3か月

でベナレスから杏子に手紙を出したのだ。


ベナレスにはほぼ1か月いた。ボーとして色々とものを考えるには最も適した

聖地だった。お金も残り少なくなり身も心もすっきりとしてドイツへもどった。



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