妖話(あやばなし)
プロローグ 妖、魍魎の事
妖かし、その源は魍魎と云い姿、形を持たない恐怖の事を指して言う。
魍魎は、猛霊の事を云い。猛霊とは、人が死と云う原初の恐怖より目を背けるために作った言靈の一つ、呪と云われる物が膨れ上がり概念として神格を得たものである。
のろい、まじない、法や方。これを束ねて呪「しゅ」と呼ぶ。呪の源流は言語、言の葉である。故に妖とは言の葉、殊の葉を指して云うものである。つまり、妖は人の手に生まれ人の手に依ってのみ消ゆるものである。
妖を喰らう者を魍魎と云い、魍魎を食らう者を妖と呼ぶ。妖かし、とは魍魎に形を与え知る事に因って恐怖を弱める檻であり。形を忘れることに因って溶けてしまう呪である。
妖とは、暗がり、人は光、魍魎とは闇である。これを指して、陰陽と云い、人の光、妖の光、妖の暗がり、妖の闇、魍魎の闇、この五つを総じて五行と成った。五行の基は御形であり、つまり陰陽道や闇払いを辿れば言語の根源にたどり着く。
魍魎の魍とは、網の外に鬼を置く。妖とは鴁であり、筺に囚われた鳥、若しくは恩名を指すものである。
第一章 妖かし、言の葉の名前。
原初の恐怖、死に由来する言の葉は特に多い。霊とは雨と並ぶと書く。雲とは雨を云う物、雲は降りれば霧となる。霧とは雨を務めるもの、其れは一様に雨と並ぶもの。つまり霊を指して云う。雨と云うのは血を洗い、命を与えるもの。総じて死に関わる物である。
また、夜、此れは人が死ぬと描いて夜となる。
霧街、三番横丁。今は記憶すら残っていない街。魍魎、又は妖かしの棲む処である。常に、朱に黄昏れる街には昼も夜もなく。昼でも在り、夜でも在る。この街に棲むは、人ならざる者のみ。
しかし、時には人が迷い込むことも妖かしが呼ぶこともある。時には人と妖の間に子を作ってしまうことも在る。
三番横丁、の外れ、最も昼に近い場所に奇妙な男一人。人と狐神の間に生まれた半妖である。人と共に生きるために受けた姓は父の藤燕。妖かしと共に生きるため受けた名を母の種と満ち欠けを表す弧月である。
世にも奇妙な名と生まれを持つ者。つまり、御形を外れた者、形を持たないものに器を用意した魍魎である。
夕暮れ時、申の刻。人の学び舎へと通うこの弧月も帰りの路に着く頃である。
ガラガラと音を立て家の戸が開く。
「お帰りなさい、弧月。」
人の姿を取った狐神が語りかける。最も、耳も尻尾も隠しては居ない。
「ただいま。」
この流れは、一つの儀式である。戸とは捕であり結界である。内から外へと出さぬ結界、外から内へと入れぬ結界。招き入れるときこの結界は綻び、消えかける。其れをもう一度結び直すのが、この二つ言靈である。
中には、闇に属する妖の多いこの地に於いてこの儀式は必要不可欠。ただいま、又は邪魔をする、この言靈を吐かぬ者を中に入れることは悪鬼、羅刹の類を招くとほぼ同意義である。
其れから、四半刻も立たぬ内に戸を叩く音が聞こえる。妖狐、狐神の中でも上位に位置する空孤である母には時折、こうして貢物が届く。この、貢物とは妖かしの世に入れることを母が許した母宛の供物から自分達の分を引いた分である。
母が戸を開ける音、その後現れたのは三日月のような一つ目妖怪の目だった。
「よっ、空孤姐さん。いつもありがとうね。」
そう言いながら野菜や果物、魚や肉をどっさり盛った籠を置いていく。
「こちらこそ、どうも。いつもわざわざ持ってきてもらって済まないねぇ。」
そう言うと一つ目妖怪は豪快に笑う。
「なに、こっちこそあんたのお陰で食べられてんだ。その恩を思えば運ぶくらいなんてことはない。」
そう云いながら、大きな目をこちらに向ける。
「おう、坊主、でっかくなったなぁ。」
弧月は、この妖怪が大好きだ。幼少の頃の遊び相手で良くないことは、全部彼から聞いた。
「おかげさんでね。一ツ目も変わり無いようで良かったよ。あんたが死んだら俺が泣くからな。」
そう言うと、また目を三日月のようにして云う。
「あと、三百年はくたばってやるつもりはないさ、心配すんな。」
この妖は齢百、人で言うところの二十五である。どうやら、この妖、人で言うところの百歳までは生きるつもりらしい。
ひとしきり、嵐のように笑うと嵐のように去っていった。古い友人の帰りを見届けると弧月は自室に荷物を置こうとする。
「何か、悩んでるようだな。」
話しかけてきたのは妖怪、「覚り」。心を読む妖怪である。
「覗くのはやめろ。」
そう言うと、両手をバタバタとさせながら云う。
「覗いてなど居ないさ、歩く速度が遅かったから何かあったのかと思い及んだまでだ。勘違いは止してくれよ。」
妖怪「覚り」は二つの方法で心を覗くことが出来る。一つは目で見ること、一つは動きから察することである。男妖や獣妖として描かれることが多いが女妖である。
人でも、妖かしでも女とは聡いものであり仕草から感情を読み取ることを得意とする。特に、幼少の女童は極端に弱いため感情を察する能力に最も長けている。因って、この「覚り」は女童の姿である。それ故、覚りは良く座敷童子に間違われることが多い。
「済まない、癖で覗いてしまうものかと思ってな。」
そう言うと、覚りはいたずらに笑う。
「見ずとも、わかる。覚とはそういうことだ。」
その昔、目の見えない女童が居た。その女童は、事、人の心を読むことに長けて息一つでも心を覚る事ができるのだ。故に、心理に聡いものに対する恐怖が宿り瓜二つの妖怪を生んだのだ。其れが覚りである。
「敵わないな。あぁ、悩んでいるよ。」
確かに、悩みの種があった。何故か体が重いのだ。
「ふむ、その反応から察するに大したことと思ってはおらんだろう。」
そう云いながら少し角度を変え、目を覗く。
「体が、だるい。いや違う、重いようだな。」
「心も読まずに其処までわかるのか。凄いな。」
「わかるさ、覚りとはそういうものぞ。」
そう言うと覚りが後ろに回る。
「原因は、此れかの。」
そう言うと、覚りは弧月の背中を軽く叩いた。
途端に強い吐き気と頭痛、目眩に襲われ口から何かを吐き出した。
「尻尾?」
出てきたのは爬虫類の尻尾。其れも、かなり大きかった。
「大蜥蜴の尻尾だな。しかし、何某の呪を受けておる。」
そして、覚りは一瞬何かを悩む。
「そろそろ、来るか。」
覚りが、そう云った直後寒気のような物を感じた。それと、ほぼ同時に空孤が登ってきた。
「あら、覚り。来てたのね。」
そう云いながら、四方八方に札を貼っていく。酒で茹でた米の糊で札を貼っていく。
「結界がほころびておったからな、何事かあったのかと来てみたら案の定って訳だ。」
「なるほどね、やっぱこの子連れて来ちゃったか……。」
空弧の声のトーンが下がり声が言葉から言靈へと切り替わる。
「此処は、神の社なるぞ。不浄の者は出てゆけ。」
強く、硬く声が響き渡る。冷たい風が一陣吹き抜け、感じていた悪寒が消えた。
此れは、神威と云う神の業の一つである。その場所を、神の居場所と定め闇に属するものを押し潰す、若しくは追い出すことの出来るものである。
「あんたも、神に片足突っ込んでるんだから神威位覚えないと身がもたないわよ。」
言靈とは違う声で空孤が云う。
「あぁ、ごめん。」
そう云うと、覚りが笑う。
「ぷっ、ふはははは。神威は本物の神にしか無理だ。呪言靈から始めたほうが良かろう。」
神格を具現化させるのか神威、言葉に力を与えるのが呪言靈という。
「して、どうするかの。この尻尾。」
続けて、覚りが云う。
「どうしようかね、神威で弾かれなかったってことはどちらも悪に属するものじゃないって事だからね。」
空孤の神威は妖を潰さない、何故なら空孤になる前はただの妖狐なのだから。
第二章 魍魎の匣、妖の名前
学び舎とは不思議な話が集まる処である。七不思議、怪談などその全ては未知を多く抱える童の恐怖に宿った魍魎を「匣」、つまり妖かしへと格下げする為に作られるものである。
しかし、一つに纏めると人を殺すに足る妖かしが出来てしまう。そのため、七つに分ける。これを指して分霊と呼ぶ。
「よっ、弧月。」
妖好きとは寂しがり屋か詩人である。言の葉を愛でているのだから。此度話しかけてきた遊記もその類。どちらかと言えば詩人である。時折、屁理屈を捏ねては妙に輝く言葉を結論に持ってくる。
「どうした、面白いことでも思いついたか?」
待ってましたとばかりに、遊記がまくし立てる。
「実は、さっきやっと見つけたんだ。七つ目の怪談を。」
七不思議の分霊とは七つが揃わないからこそ成り立つものである。揃ってしまえば其れは妖かしではなく魍魎として蘇ることになる。
故に七つ目の怪談とは全てこうである。「七不思議とは魍魎の事、魍魎は人を死に至らしめる者、闇に属するものである。」
そして、遊記は口にしようとする。未知への恐怖の最後の一欠片を。
「七不思議とは……。」
言わせてはならぬ、今魍魎が住めるのは遊記の脳内だけであるからこそである。
「言うな。」
怒鳴り、静止した。此れは、最も簡単な呪言靈の一つ。言わせてはならぬという強い意志を声の強さに載せ叫ぶこと。
「なんだ、怖いのか?」
嘲笑気味ながらも、恐怖をはらんだ言葉。此れは呪を掛けることに成功した証。
「七つ目の七不思議の内容は知らない。だけど七つ目の意味は知ってる。」
淡々と弧月は語る。
「なんだよ、意味って。」
気味悪そうに遊記が問う。
「匣を開ける鍵だ。」
そう云うと遊記が笑う。
「なんだよ其れ。」
笑われて尚淡々と、更に低く低く声を響かせる。
「匣は形だ。妖かしと魍魎を捕えた檻だ。」
一拍置いて続ける。
「魍魎は恐怖に名前を与えたもの。形はなく、抗う手段も少ない。空気を網で捉えようとする様なものだ。」
此処で遊記が息を呑む。おそらく、無意識に空気を捉えようとするためだ。
「元々無い者は祓うことも滅することも出来ない。だからもう一度名を与え同時に形を与えた。其れが妖怪、怪談だ。」
普通なら、此処で話は終わりだ。怪談として、知識としてはここまで知っていればことは足りる。其れを思ったのか遊記が口を挟む。
「その魍魎が、俺に憑いてるって言いたいのか?」
其処が問題だった憑いているのだ。
「其の通りだ。魍魎が憑いてしまったから困ているのだ。其れも、人を殺すに足る者が。」
其処まで云って遊記は漸く恐怖の色を見せる。
「どうすりゃいいんだ?」
「俺じゃ、どうもできないから放課後まで待ってくれ。」
そう言い、授業がひと通り終わるのを待った。
申の刻に差し掛かる頃に授業はひと通り終わる。
家へと電話をかける。弧月の家には一応時代遅れの黒電話が置いてある。
「もしもし。」
響いてきたのは空弧の声。
「もしもし。弧月だけど、魍魎ってどうすればいい?」
弧月の問に帰ってきたのは先ほどより一回り低く、硬い声だった。
「魍魎を落とすには、形を与えて言靈で縛るしか無いわ。形を与えるのは同等以上の力を持った神格にしか不可能だし言靈で縛るのは神には無理。とりあえず連れてきて、私と覚りでなんとかなるかもしれない。」
「分かった。」
会話を終えると遊記の所で足を向かわせる。
「遊記、家へ来てくれ。」
しかし、遊記はもう、ほとんど居なかった。
「あ、あぁ。」
気の抜けた返事と声。
「もう、か。」
弧月はそうつぶやき、狐火を展開する。北東を囲うように狐火を配置し、其れを南西に流す。これを迷い狐の帰り道と云い迷い、泣きつかれて寝た子狐を連れ帰るものである。
家に帰ると、円形に無数の文字が書かれた陣が敷かれていた。
いくつかの文字に分かれてこう、書かれていた。「この者、名を青鬼左近と申す者。鬼の類にて妖かしに名を連ねること畏れ多くも許されたし。」
「これで、名は出来た。あとは形だ、形を与えられるのは人だけ。弧月、あんたがつけな。」
空孤がそう、言い放つ。
「分かった。」
了承を得て空孤が続ける。
「この子、もう魂の半分は食われてる。出来れば引き剥がさずに済むようにしておくれ。」
其れを聞いて脳裏を過ぎったのは双頭の片方が鬼の半妖であった。その片割れの頭のみを陣の中心に描く。
「これでどうだろう。」
そう云いながら陣を空ける。
「ふむ、あんたセンス在るね。とびっきり面白い妖怪になりそうだ。」
空孤はその絵を見て笑う。
「そりゃどうも。」
嗤いながら応える。
「じゃあ、始めるか。」
そう云うと何処からともなく覚りが現れる。
「言靈縛りはお前がやるといい。何、練習だ。失敗したら我がなんとかする。」
「そちらのほうが面白いからだろ?」
嘲笑気味た答えを返すと、覚りが嗤った。
「漸くと、妖かし云うものがわかってきたか?え?」
言い終えると低く深い声が響いてきた。神威の言靈だ。
「この物名を青鬼左近と申す妖かしなり。魍魎にあらず魍魎の匣なり。」
ここまでが妖の名前を概念として固定する工程、そしてその先は妖の性質を固定する工程に移る。此処に、陰陽の介入を以って人との共生を可能にする。
生まれでた、妖が人を喰わないものにする為には必要不可欠となる。
其れを促すために覚りが云う。
「縛れ、この妖の性質を、妖に告げよ。」
魍魎が名と形を得ると自我を形成し始める。その間、性質は非常に不安定であるためこの間は闇をねじ曲げ光へと変えることが出来るのだ。
魍魎が自ら定める自らの性質は闇、悪である。何故ならその源は恐怖であるからである。
「汝、青鬼左近は人を喰らうものにあらず。汝は、人と妖かしの間の境目の者なり。」
言い終わると同時に陣の中央の絵が遊記に流れ込む。同時に、遊記の首の付根のあたりに小さな頭が現れ始める。
刹那の静寂が訪れる。
一瞬置いて空孤が大きくため息をつく。
「ふぅ、終わった終わった。もう大丈夫だからちょっと待とう。」
一連の儀式が終わり、人ならざる者たちは一様に崩れ落ちる。
「魍魎退治って、こんなに大変なんだな。」
妖は言靈に因って生まれる、その為妖の言靈は人よりも強い。しかし、言靈に依って生きる妖は言靈を吐くたび削られる。
一度に多すぎる言靈を吐けば全て削り取られ風化し、消え去る。しかし、少し残れば溢れた言靈を集め修復する。
其れから半刻が過ぎた。其時、弧月は学友の眠る部屋で煙管を吹かしていた。
「ん……あぁ、此処は?」
遊記も妖々と目を覚ましたようである。
「妖かしの街、狐神空狐の社だ。」
窓の外に煙を吐きながら弧月が告げる。
起き上がった遊記の頭の後ろにはもうひとつ、小さな角の生えた顔があった。
「俺は、妖かしに成ったのか?」
魂が同化すれば受け入れるより他無い。成ればと、人は一度心を壊しその心を妖へと作り変える。此れが魍魎を宿したものの業である。
「そうだ、お前はもはや妖。半妖、青鬼左近だ。後ろのそいつの名前とでも思えばいい。」
名を告げ、名を今一度刷り込む。言靈縛りの最後の一つ、字名縛りと云い魍魎を閉じ込めた匣の最後の鍵かけである。
「お前も妖かしか?弧月。」
妖に成り下がった魍魎を閉じ込めた匣が云う。
「お前と同じ、半妖だ。空孤と人の間に望まれた魂、人と妖の間で満ち欠ける狐故、弧月と名乗るものだ。」
御形を外れた人の匣が云う。
「これから、如何すればいい?」
匣に入った魍魎に食らわれた人が問う。
「好きに生きるといい。妖は人より自由なもの。人と共に生きるも、妖へと消うるも風向気の儘に生きるものだ。」
こうして、「魍魎七不思議」「妖怪青鬼左近」は人の世へ消えた。
この期、この学舎の七不思議には嘘の七不思議が加わった。内容はこうである。―教室に帰らぬ仔あれば、闇が包む頃に返される。―
第三章 魍魎の名前、匣の言
嘘々(うそうそ)、又の名を天邪鬼。人の心に棲む妖かしと呼ばれるが、その実神である。
天邪鬼とは邪鬼、悪鬼又は羅刹の類なり。故にその真名は天羅刹守神。疑念、疑心を操り未知へと引きずり込む妖神である。
神を祓うのは神や陰陽ならざるもの、呪である。神は妖より言靈に依るもの。故に、神は自らの蓄えた言靈に翻弄されやがて性質を変える。
天羅刹守神とは一重に嘘全てを包括するものである。最初は弱き人の心を守るため作られた優しい神であった。姿も、其れは其れは美しく天神天女を思わすものであった。
いつの世か、嘘は心を守るものから命を守るものへと変わった。そうして、守るものを次から次へと増やしていく。この頃には美しい神には角が生え、顔も醜く歪み鬼へと姿を変えた。
更に、時を経て嘘は欲を満たす道具へと姿を変えた。此れではもはや神とは呼ばれぬ羅刹と呼ばれ羅刹となった。
嘘は、どこにでも存在する。故に嘘々はどこにでも存在する。天邪鬼はどこにでも存在する。
妖怪、青鬼左近はあのあとも遊記として学び舎には通っていた。
「よぉ、弧月の。変わりはないか?」
少し、古臭い口調で語りかける。どうやら妖かしを勘違いしているようである。
「口調を変える必要はないぞ。普通に話せ。」
弧月が云うと、遊記が苦く笑う。
「そうだったか、いや、すまない。」
その直後であった、一人の少女が話しけてきた。
「ねえ、君。隠してること無い?」
それを受けて、弧月が嗤う。
「隠し事、ねぇ。たくさんあるが、はて、どれのことやら。」
少女は其れを聞いて嗤う。
「見たよ、狐火。君、妖怪でしょ?」
身構える遊記を尻目に弧月は更に冷たく嗤った。
「馬鹿な事を、俺は人間だよ。」
妖かしではないと断言しない弧月に遊記は冷や汗を浮かべる。
「半分は、ね?」
ついに弧月の薄ら嗤いも剥げていく。
「此奴は、困った。バレてしまったか。」
其処まで云うと、遊記が口を挟む。
「なんで嘘をつかないんだ?」
妖かしは嘘つきと描かれることが多いが其れは空想である。
「嘘を付くと俺達でも嘘々(うそうそ)に憑かれるからだ。して、どうするつもりだ?」
そう云いながら、もう一度嗤う。
「どうしようってわけじゃないけど、見せてほしいと思ってね。」
其れを聴き、弧月はより一層嗤う。その顔は、鼠を捕えた化け猫にも似るほどに。
時は流れ、夕暮れ時。又の名を逢魔が時と呼ぶ頃に成った。場所は霧街三番街の少し奥まった処にて候。
「それで、こんな処に呼んで何をするんだ?」
遊記が問う。
「妖を見せてやるんだ。ほれ、左近を出せ。」
其れに、弧月が嗤いながら応える。
「よっと、お呼びかい?弧月の旦那。」
遊記からにょきと生えた鬼の頭が応える
「出てくるな左近。俺はまだ……。」
遊記はもうひとつの頭に応える半ば弧月が遮る。
「人で居たい、か?お前も半妖だ、弁えろ。」
そう云いながらまた嗤う。
其処に少女が口をはさむ。
「で、どんな妖かしに会わせてくれるの?」
云いながら少女も嗤う。憎らしく嗤う。
其れを受けて弧月は更に嗤った。声を上げて。
「此処は妖の街。さぁ、どうしてくれよう。焼いて食うか、煮て食うか?」
抗議しようとする少女を無視して続ける。
「あぁ、冗談だ。嘘ではない。」
すると、いくつも顔を持った妖かしが弧月の後ろにぬらりと現れる。
「よぉ、天邪鬼。」
弧月がそう云うと天邪鬼と呼ばれたその妖かしが応える。
「はて?久しかったか?」
久しければとぼけ、昨日会えば久しぶりと云う。天邪鬼とはそういうもの。
一瞬遅れて少女は悲鳴を上げた。
「嬉しや嬉しや、怖がられた。私もまだまだ捨てたものではないらしい。」
天邪鬼がそう云うと弧月がそれを訳す。
「どうやら、こいつはお前に怖がられるのが悲しいらしい。お前の嘘は優しいな。」
それを聴き、首を傾げた左近が聞く。
「何だそれ。それじゃまるで鵺だ。」
「その通り、鵺とは神と其の類の物を指して云う言葉だ。神の中にはこうして人や場所によって姿を変えるものも多いからな。」
妖なら覚えておけと続けようと思って、やめた。
少女は今だに腰を抜かしている。それを見た弧月は大笑いをしながら馬鹿にする。
「お前が見たいと言ったのに怖がってどうする……。それに、こいつは其処までたちの悪いものじゃない。」
ひと通り馬鹿にすると深く息をつき表情を消してからもう一度言葉を紡ぐ。
「さて、他己紹介とでも行くか。」
もう一度息をつき言葉を継ぐ。
「こいつは天邪鬼。嘘吐きに取り付き祟ったり祝福したりする神だ。神とは鵺と云う種に属する妖で嘘しか言えなのがこいつの特徴。」
このあと弧月が紡ぐ言葉の趣旨を妖は本能で知っている。故に、息を飲む。
「こいつは妖かしとして天邪鬼と云うが基は天羅刹守神。そして、魍魎としての名は嘘々(うそうそ)と云う。」
魍魎の名を口にすることは形無い象を教えること。つまり、魍魎を解き放つことである。二つを知れば封じることが出来るようにもなるが魍魎としての妖に取り憑かれることも起こりうる。其れは、妖かしですら恐ろしいことなのであった。
「安心召されるな。我は何時でも取り憑き貴様を食い殺すぞ。」
天邪鬼が云う。
「こいつは取り憑く気は無いらしい。安心せよ。ただ、封じようとするならこいつも神、祟られるかもしれないぞ。」
其処まで云うと、漸く少女が立ち上がる。
「あなた、怖い人じゃないのね。ごめんなさい、勘違いしていたみたい。」
少女がそう云うと天邪鬼がにぃと嗤う。
「許さぬ、貴様を貴様など知らぬ。」
それを弧月が訳す。
「許すと、貴様の嘘は貴様を見守ると云っているぞ。」
ひと通りの話を終え天邪鬼は踵を返す。
「二度と来るな、もう話すことはなかろう。」
今度は少女が自ら意図を汲む。
「うん、またお話しましょう。」
直後笑いながら天邪鬼は自らの社へと姿を消した。
その後に同じく遊記も左近を引っ込めて霧街を出た。
「遊記くん。」
少女は呼び止めようとするがそれを弧月が静止する。
「よせ、彼奴はまだ妖に馴れていないからな。」
遊記の姿が消えるともう一度弧月が口を開く。
「ところでどうするか。お前が見たいと云うから連れてきたがお前が怖がるから魍魎が憑いてしまった。」
困った困ったと云いながら其の顔は此れまでに無いほどに愉快そうであった。
第四章 言の葉の名前、魍魎の殊
屍鬼、又の名を塗仏。妖かしの系譜を辿って最古から二番目。最も古い部類に属する妖。その本質は二つ。死への恐怖からの脱却と脱却したものへの恐怖。つまりは、死への恐怖から目をそらすために生んだ不死に恐怖した結果である。そして、最も数が多いため最も多くの死を司ることになった。故にその性質は最も死を纏い死を司る結果と成った。それがこの鬼の鬼たる所以である。
「塗仏、此れがお前に憑いた妖かしの名だ。俺が憑かせた。」
告げると少女は少したじろぎ恐怖を顕にする。其れは弧月への恐怖だった。そう、つまりこの少女に取り憑いた妖しは全部で二つ。弧月と、塗仏。
「あなたが取り憑かせたって、一体?」
恐怖の表情を顕にしながら恐怖の原因に問う。恐怖の訳を知ろうと、恐怖を紛らわそうと。
「そら、恐れたな?取り憑いたぞ。」
人と妖かしの間に生まれた半妖が人に憑くのはとても簡単である。自らを相手に恐怖の対象と植え付ければ事足りる。しかし、半妖が取り憑くのはとても希少な展開である。何故なら、半妖は化身を憑かせる事ができない。故に妖の部分を憑かせる。ならば、残った魂は半分、言靈も半分となるため其れは人より弱いからである。
「さて、塗仏と同居するのはとても気分が悪い。払ってもらわなくてはなぁ。少し、黙ってもらうぞ。」
そう云いながら手を横に一振り。すると糸が切れたように少女の意識が糸を切るかの如く落ちる。
其の侭、少女を抱きかかえると家へと連れて行く。其れは、最も簡単な払い方だからである。最も個が弱く低劣な妖かしだからこそ神の言靈、神威を持ってすればいとも容易く祓うことが出来る。しかし、誰もが皆最初から取り憑かれている。目を覚ませば瞬く間に広がり集まり、次々と取殺していく。
塗仏は太古の昔より封じられていた。其れは、増えすぎた人を殺すに足るものだから。封じなければなかった、人が全て死んでしまうから。例えるのであれば蜘蛛の糸、例えるなら王国の剣士、其れは無数にわかれたある種の武器である。
弧月も、実はこの妖怪を恐れていた。いかなる神も妖かしも憑かれれば自らでは何も出来ずただ、死を待つのみであるからである。
この妖かし、最も質の悪いところは人が死に妖かしに成ったものは総て塗仏に憑かれた塗仏である。
家に帰り着くと空孤や覚りを始めとする妖かしの中でも上三行に含まれる妖かしの大半がいた。
上三行とは五行を人から数えて三つ目までという意味、即ち深淵の闇に程遠いものを指す。
「帰ってきたね、その子を此方へ渡しておくれ。塗仏に憑かれてるんだろ?」
待っていたかのように、知っていたかのように空孤が言う。
「分かった。こいつを頼む。」
弧月もそのことが解っていたかのように言葉を返す。弧月は知っていたのだ、この場の全員が塗仏が蘇ったことに気づいていることを。
妖怪にも様々なものが居る。中でも烏天狗や尼天狗と言った比較的下級の天狗は多くの情報を集める。それを大天狗が纏め記す。このお陰か大天狗は情勢をよく知る妖怪賢者の一人。
古くより、人の目を欺き忍んで生きてきたぬらりひょんは謀略に長けた。故に軍師と言われ賢者の一人に数えられる。
酒天童子は酒、及び薬を始めとする学問に詳しい。よって又此れも賢者と云われるものである。
時にこの三者を纏めて三賢者と呼ぶ。その三賢者が揃って居るのだ過去、現在、未来までも知られているであろう。ならば、当然今しがた弧月が見たことも総て知っているはず。
それ故、動揺は不必要であることを覚っていた。
「弧月、あの人間は空狐に任せお前はこちらの会議に参加してくれないか?」
ぬらりひょんに促され座るとほぼ同時に覚りが口を開いた。
「憑いているな、弧月。」
唐突な発言だった。其れは、弧月があの少女に取り憑いている事を妖かしたちに知らせる警鐘であった。
「其の通りだ。俺は少女に取り憑いた。必要になると思ってね。」
其れを聴き、大天狗が語りだす。
「何故だ、貴様が危険にさらされるのだぞ?」
其の問に弧月はただ一言。―必要になると思ってね。―と応える。
ぬらりひょんが其処に口を出す。―何故―と。
「俺を憑かせて塗仏を追い払えば塗仏から心をそらすことが出来る。」
それを受けて集まっている妖達は一様にどよめく。
どよめきを収めるべく大天狗が一括し、阿吽の呼吸でぬらりひょんが語りだす。
「弧月も策あってのことだろう。どうだ、此処は任せてみようではないか?」
賢者の一声に妖達が静まると更にぬらりひょんが言葉を紡ぐ。
「して、大天狗に酒天童子よ。可能だと思うか。」
それを受け酒呑童子が漸く語りだす。
「古来より狐は神と妖の二つの面を持ち自由に行き来する。それが空狐殿の息子の魂の半分が憑いているのであればできなくもないだろう。」
それに、大天狗が賛同する。
「正直、儂もそれ以外ないと思ってたんだ。弧月よ、大切な学友をこんなふうに使って良いのか?」
「彼奴がどうなろうと構わん。所詮、人と妖相いれぬものぞ。しかし、彼奴が死んだら左近は悲しむかもしれないな。だから、あくまで彼奴は極力生かすつもりだ。」
妖は一様にそれに腹を立てる。
それを見て、覚りが口を挟む。
「なるほど、弧月はやはり半分は人だ。しかし、そろそろ祓うのもいいかもしれない。妖に憑いた人と云う魍魎を。」
人と妖しはお互いに恐怖し合ってきた。それ故生まれたのは命を奪うにはあまりに弱い存在。人についた「妖」と云う魍魎と、妖に憑いた「人」と云う魍魎。弱くて、憑いているのか憑いていないのかすらわからない存在。故に祓えず、祓うには存在を元から断つ他なかったのだ。
覚りは、元は人であり人を憎まぬ妖怪。ならば、人と妖かしが共に手を取り合う未来を望むこともしばしば。故に祓いたがったのだ、この魍魎を。
さらさらと、襖が開き空孤が部屋へ入る。
「祓い終わったよ。」
そう告げると、妖達は安堵の息をつく。最後に役立つかもしれない武器を手に入れたのだから。
「其れから、悪いけど聞かせてもらった。私は弧月に賛同する。」
一瞬妖達がどよめき立つ。それを受けてより一層強い怒ったような口調で怒鳴り散らす。
「あんたら、それでも妖か。私達の恩人になるかもしれない娘に随分な扱いをするじゃないか。弧月もはっきり言いな、恩人をできるだけ生かすのは当たり前だってね。」
母の説教など何年ぶりだろうと思いながら弧月は云う。
「すまない、はっきり言おう。恩人を生かして返したい。あんなんでも一応、俺の学友だ。俺は半分は人だ、そして半分は妖だ。だから言おう、お前らが恨んでるのは人であってこいつじゃないだろ?なら生かして返してもいいじゃないか。」
こうして、妖達は一応は落ち着きを取り戻す。
「私は、死んでも構わないと思っている。」
天邪鬼が云う。
「あの娘とは初めて会うが、気に食わぬやつだ。あの娘を殺してくれ。」
云ったのは天邪鬼故意味は其の真逆。嫌いではない故生かして返してやって欲しいと云うことになる。
妖達も最初こそ反対したものの徐々に容認を始めた。
何時まで経っても容認しない妖が居たため最後に三賢者が順に口を開く。
「我々には時間がない。生かすも、殺すも弧月に任せよう。」
とぬらりひょん。
「塗仏が蘇り困るのは人も妖かしも同じだ。」
と大天狗。
「何よりも、女郎蜘蛛が蘇っていたら我らでは立ち向かえない。此処は、人と結託する他に妙案があるものがいれば話は別だ。」
と酒呑童子が締める。
そうして漸く総てが収まりこの、面妖な会議が終わった。
それと同時に、多くの言靈を消費した空狐が崩れ落ち、意識を断つ。
第五章 蜘蛛の糸、言の葉の事
言の葉、又の名を女郎蜘蛛。妖怪の系譜を辿りその最も頂点に座するもの。最も古く、最も大きく神も妖も抗うことすら許されない。其れは、恐怖を生み出したもの。恐怖を、形作るもの。妖に成って尚魍魎より質が悪く、魍魎の時より更に大きい。名のつくものは総てがこの妖かしの糸である。
他の誰の耳にも聞こえていなかった。他の誰の目にも見えていなかった。しかし、覚りは聞いていた、見ていた。恐ろしい、其れを。
「皆、空狐から離れろ。」
覚りの声が静寂を埋める。
其れは、恐らく総ての妖が初めて聞いた覚りが怯えた声だった。
反応が間に合った妖かしはとっくに距離をとっていたが一人、全く動けないものがいた。
覚りだ。女郎蜘蛛の悪意を、見てしまったから。聞いてしまったから。其れは、おおよそ到底想像の範疇に収まらない最大の悪意。
するりするりと空狐から糸が伸びる。
糸が覚りを捉える。
誰も助けることが出来なかった。其れは、一瞬すれば終わる程の短い時間であったから。
「このっ……。」
恨みを込めたはずの覚りの言葉に宿ったのは底なしの恐怖であった。
空狐が宙に浮かび上がり、解けていく。其れは覚りを飲み込み更に大きさを増していった。
妖達は必死で逃げ惑ったが、一人、また一人と飲み込まれていく。逃げてる途中に恐怖に飲まれた妖は自ら姿を糸に変え瞬く間に其れは広がった。
無数の白い糸の激流に翻弄されおおよそ総ての妖かしは糸に飲まれた。弧月も例外ではない。
目ぼしい妖かしを総て飲み込むと人の世へ広がる。形は徐々に変わり蜘蛛の巣を形作り、其の中心。つまり、妖達の街に女とも蜘蛛ともつかぬ異形が姿を表した。
人も、一人、また一人と姿を変えていく。塗仏が憑いた人間は総て女郎蜘蛛の糸に変えられる。次々と、人が姿を消した。
其の巨大な蜘蛛の巣は一点を除いてほぼ無限に広がった。
其の一点とは、先ほど塗仏が祓われた少女であった。塗仏に憑かれておらず人間としての肉体を女郎蜘蛛が取り込むにはいくつかの手順が要る。第一に妖かしを取り込み其の人間の持つ言靈を凌駕する事。第二に、糸の先を触れさせること。第三に、自らを恐れさせること。これを第一から順を追って満たしていかねばならない。
これを少女の条件と照らし合わすと其のどれもまだ満たしては居ないことになる。それだけ、人間の持つ言靈とは潜在的に多く、それだけで大妖怪と並ぶ。其れに加え、現在は妖かしが半分潜り込んでいる。もはや、普通の妖が一つの体では持て余すほどの言靈を持っている。
「起きろ、飲まれるぞ。」
少女の意識の中で半分の弧月が語りかける。
総ての意識を憑依体に移し、会話まで可能にするには元の妖の体が危機的な状況下に陥る必要がある。それ故、妖及び人々の反撃の嚆矢は弧月が女郎蜘蛛に取り込まれると同時に放たれる。
こうして、弧月が少女の覚醒を促し。少女が、漸く覚醒する。
「え、何……これ……。」
少女は脈打つ糸が覆う醜悪な光景を見て、全身が恐怖に粟立つのを感じる。
「恐れるな、呑まれるぞ。死にたくなければ俺に従え。」
其の恐怖を光景へのものから弧月へのものへと塗り替え、恐怖をそらす。
少女は漸く落ち着き、立ち上がる。足元に、何かが当たるのを感じる。
そこにあったのは、一振りの刀。そこには―童子切安綱―と銘が刻まれていた。
「此処にあったか。拾え、其れが恐らくお前を生かす最後の手段だ。」
少女は、一度戸惑うが拾い上げる。どちらにせよ、このままでは死を待つより他無い故に迷ってる余裕はなかった。
「分かったよ。」
少々声を荒げて少女が応える。
「それで、塗仏とか何とか言うのはどうなったの?其れから、この刀は何?」
投げつけるような問を虚空にぶつける。
「塗仏は払った。それから、其れは童子切安綱、妖かしが最も恐れる刃だ。もう一つ俺は、お前の中にいる。探してもおらんぞ。」
徐々にその感情を、恐怖から信頼へと切り替ようと画策しつつ弧月は所在を伝える。
「で、なんであんなことしたの。聞いてあげるから答えて。」
少女が問い。
「済まなかった、我々も存亡がかかっていた。」
弧月が応える。
「それで、どうしてこうなったの?」
「女郎蜘蛛という最悪の妖が蘇ってしまった。」
「私は何をすればいい?」
「取り敢えず、この糸を切って進んでくれ。」
「他にできることもないか。」
少女は促されるままに、出鱈目に剣を振った。
剣は、一度抜き放つと刀は思いの外軽く少女が思い描くとおりに降ることが出来た。剣の切れ味は凄まじく糸は触れた側から切れていく。
弧月は糸を、一本、また一本と刻むごとに心が痛むのを感じた。転生すると解っていても自らの母のがほどけた其れを、刻んでいくのだ。鬼でも、泣くであろう。
泣いてる暇は、今の弧月にはなかった。ならばいっそ、速く終わらせようと思った。
「手を貸せ。上に向けるだけでいい。」
そう云われ、少女は手を上に向け差し出す。すると、ごうと云う音とともに火の玉が一つ浮かび上がる。火の玉は、弧月の狐火であった。
狐火は飛び回り、蜘蛛の糸を、妖達を焼いた。あっという間に道は開け、屋敷の外へと出ることが出来た。
しかし、空が暗い。太陽は、女郎蜘蛛が覆い隠しているのだ。
「何、これ……。」
地獄絵図とも思える光景に少女は半ば唖然とした。
「斬れ。」
そう、云う弧月の声は怒りと悲しみに震えていた。
「こんなのと戦えって云うの?」
弧月は悲鳴のような其の問に答える―戦え―と。
少女は答える―分かったよ、―と。半ば生きることを諦めているのだ。命を拾って儲けもの、死んで元々と言うような其の少女の乾いた感情が功を奏し、苛立ちは其の侭殺気へと変わった。
途端に、剣が光りだす。鬼を斬るために作られた剣だ、言靈の影響を受けないわけがない。戦えと云う命令を肯定した、其の一言は其の剣が女郎蜘蛛を切り裂くに十分に事足りたのだ。
剣に、導かれるように足をそぎ、糸を薙いだ。其の剣閃は、達人のそれも凌駕するほど正確に相手を捉える。
右から、左から幾つも糸や足が伸びる。しかし、致命的に遅かった。
蘇ってから一刻と立たぬその躰には、封印の爪痕が鮮明に残っていたのだ。
総ての足を切り払うと、女郎蜘蛛はその場に伏す。足を総て失って立っていられるのは形のない魍魎くらいのものだ。
あとは簡単だった、深く、強く其の首に刃を突き立てるだけ。
そうして、漸く女郎蜘蛛は童子切安綱の名で縛り封ずる事ができた。思えば、酷く簡単だった。ぬらりひょんが妖かしに仇なすこの剣を持っていたからこそ、ここまで簡単に事が運んでいたということになる。
「終わったか……。」
弧月が息をつく。
「なんてもの見せてくれるのさ。妖怪っていうのはつくづく意地悪だね。」
そう云いながら少女はおどけてみせる。
「でも、ありがとう。私達の世界を守ってくれたんだね。」
そう云って、今度は笑う。
「礼には及ばない。俺も、自分の世界を守ったまでだ。」
其処まで言ってふと気づく。女郎蜘蛛のそばにある解けた糸の中に自分の身体があることに。
弧月は、躰に意識を戻しむくりと起き上がる。
「やれやれ。派手に暴れてくれたものだ、女郎蜘蛛も。」
そう云いながら頭を掻き毟りながらふと、思い出した様に云う。
「ところで、お前、名前は……?」
聞かれて、少女が応える。
「日下部鈴音。」
弧月は、其の名に聞き覚えがあった。陰と陽の均衡を保つもの、陰陽師。その、末裔の名であった。
「名前を知られちゃったから、ここにいるのはちょっとまずい。だから、もう行くよ。」
そう云う(いう)と、どこへともなくふつと姿を消した。
エピローグ 蜘蛛の糸、つまり、人の事
女郎蜘蛛を封じて、半年が過ぎた。殆どの妖かしが転生し、再び躰を形作った。
空狐は、容姿が少し幼くなって弧月の母というより妹だった。
それ以外は殆どが相変わらず。何も、変わっていなかった。
今日は珍しく、弧月達の家にぬらりひょんが来ている。
「なぁ、ぬらりひょん。妖怪の大賢者よ、俺を騙してないか?」
弧月が、問うた。
「はてさてなんのことか。」
とぼけたふりをするぬらりひょんを弧月が睨んだ。
「あ、いや。冗談だ。すまない、実を言うと騙した。」
―どういう風に―と弧月が問う。
「最初に、お前に憑いていた大蜥蜴の尻尾。あれをつけたのは儂だ。」
―どうして―と弧月が続けざまに問う。
「まぁ、聞け。あの蜥蜴の尾は又の名を七つ目と云ってな、一番末尾を知ることで憑かせることが出来る。そして、七つ目は他の六つとくっつきたがる故全て知ってしまう物が現れる。其の時に、連れてきた人間の手で女郎蜘蛛の封じの祠に童子切安綱を突き立ててもらおうと思ったのだ。あれは妖には扱えんからな。だが、予想外にもそのものも妖かしと成ってしまった。故に、他の手立てを探してもらおうと思ったのだ。そうしたら、物好きな女を連れてきたものだから丁度いいと思って招集をかけた。そうして、お前の母を。空狐を、犠牲にして女郎蜘蛛の封じを切った。どちらにせよ、誰かが肩代わりしたとして空狐以外だったら命も危うかったからな。本当に済まないことをした。」
語り終え、ぬらりひょんは頭を垂れた。
「いいんだ、騙されたことをわかっていながら其の実態を見抜けないのが鬱陶しかっただけなのだから。」
種を明かし全てが収まると、其れを感じたのか声が聞こえてくる。
「お茶入ったよ。ぬらりひょんさんも飲んでいくといいよ。」
その声の主は鈴音だった。其の後ろに少し手持ち無沙汰にしている空狐が立っていた。
「ぬらりひょん、過ぎたことは忘れよう。こんな母親っていうのも面白くて気に入っているんだ。」
弧月が云うと、空狐が不満そうに口を開いた。
「人が困ってるんだから面白がるもんじゃないよ。」
そう云っておもいっきり剥れる姿は宛ら子狐の様であった。
温かくて不思議な話を書きたくなって書いてみたらなんだこれは……。
当初の予定ではもうちょっと神道に寄った作風になる予定でしたが、一ツ目が全部を妖怪横丁に持って行きました。なんもかんも一ツ目が悪い。
処女作ということで拙い出来ではありますが最後まで読んでいただき有難う御座います。
この物語、気づいたら結構身の回りのいろんな人をモデルにしてたりします。特に覚りのモデルに成ってるのはとある友人ですが、男性です。女性風に性格と口調をほんの少しいじったらあら簡単、一番キャラ立ちしてるなこいつって云うのが出来上がりました。登場時間こそ少ないものの実は主人公より重要な役を担ってます。
もし、暇があったら覚り主人公のストーリー組んでもいいかも……。此処に出てくるキャラクターみんな設定作り込みすぎてるから短い話もりもり満載の霧街絵巻みたいなのもいいかもです。
う~ん、胸が膨らみング。どちらにせよ、そちらを制作するのは現在の積みプロットを片付けてからになるので当分先のことですが、作った時は是非手にとって見て下さい。