表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霧街三番街妖怪絵巻  作者: 流名取 暮時
1/1

妖話(あやばなし)

プロローグ (あやかし)魍魎(もうりょう)の事

 (あや)かし、その源は魍魎(もうりょう)と云い姿、形を持たない恐怖の事を指して言う。

 魍魎(もうりょう)は、(もう)(りょう)の事を云い。(もう)(りょう)とは、人が死と云う原初の恐怖より目を背けるために作った言靈(ことだま)の一つ、呪と云われる物が膨れ上がり概念として神格を得たものである。

 のろい、まじない、法や方。これを束ねて呪「しゅ」と呼ぶ。(しゅ)の源流は言語、言の葉である。故に妖とは言の葉、(こと)の葉を指して云うものである。つまり、妖は人の手に生まれ人の手に依ってのみ消ゆるものである。

 (あやかし)を喰らう者を魍魎(もうりょう)と云い、魍魎(もうりょう)を食らう者を(あやかし)と呼ぶ。(あや)かし、とは魍魎(もうりょう)に形を与え知る事に因って恐怖を弱める(おり)であり。形を忘れることに()って溶けてしまう(はこ)である。

 (あや)とは、暗がり、人は光、魍魎(もうりょう)とは闇である。これを指して、陰陽(おんみょう)と云い、人の光、妖の光、妖の暗がり、妖の闇、魍魎(もうりょう)の闇、この五つを総じて五行(ごぎょう)と成った。五行(ごぎょう)の基は御形(ごぎょう)であり、つまり陰陽道(おんみょうどう)や闇払いを辿れば言語の根源にたどり着く。

 魍魎(もうりょう)(もう)とは、網の外に鬼を置く。妖とは(あやかし)であり、筺に囚われた鳥、若しくは恩名(おんな)を指すものである。









第一章 (あや)かし、言の葉の名前。

 原初の恐怖、死に由来する言の葉は特に多い。霊とは雨と並ぶと書く。雲とは雨を()う物、雲は降りれば霧となる。霧とは雨を務めるもの、其れは一様に雨と並ぶもの。つまり霊を指して云う。雨と云うのは血を洗い、命を与えるもの。総じて死に関わる物である。

 また、夜、()れは人が死ぬと描いて夜となる。

 霧街(きりまち)、三番横丁。今は記憶すら残っていない街。魍魎(もうりょう)、又は妖かしの()(ところ)である。常に、朱に(たそ)(がれ)れる街には昼も夜もなく。昼でも在り、夜でも在る。この街に()むは、人ならざる者のみ。

 しかし、時には人が迷い込むことも妖かしが呼ぶこともある。時には人と妖の間に子を作ってしまうことも在る。

 三番横丁、の外れ、最も昼に近い場所に奇妙な男一人。人と(きつね)(がみ)の間に生まれた半妖(はんよう)である。人と共に生きるために受けた姓は父の(ふじ)(つばめ)。妖かしと共に生きるため受けた名を母の種と満ち欠けを表す()(げつ)である。

 世にも奇妙な名と生まれを持つ者。つまり、御形を外れた者、形を持たないものに器を用意した魍魎(もうりょう)である。

 夕暮れ時、(さる)の刻。人の学び舎へと通うこの弧月も帰りの路に着く頃である。

 ガラガラと音を立て家の戸が開く。

「お帰りなさい、()(げつ)。」

 人の姿を取った(きつね)(がみ)が語りかける。最も、耳も尻尾も隠しては居ない。

「ただいま。」

 この流れは、一つの儀式である。()とは()であり結界である。内から外へと出さぬ結界、外から内へと入れぬ結界。招き入れるときこの結界は(ほころ)び、消えかける。其れをもう一度結び直すのが、この二つ言靈(ことだま)である。

 中には、闇に属する妖の多いこの地に()いてこの儀式は必要不可欠。ただいま、又は邪魔をする、この言靈を吐かぬ者を中に入れることは悪鬼、羅刹(らせつ)の類を招くとほぼ同意義である。

 其れから、四半刻(しはんこく)も立たぬ内に戸を叩く音が聞こえる。(よう)()(きつね)(がみ)の中でも上位に位置する空孤(くうこ)である母には時折、こうして貢物(みつぎもの)が届く。この、貢物(みつぎもの)とは妖かしの世に入れることを母が許した母宛の供物(くもつ)から自分達の分を引いた分である。

 母が戸を開ける音、その後現れたのは三日月のような一つ目妖怪の目だった。

「よっ、空孤(くうこ)(ねえ)さん。いつもありがとうね。」

 そう言いながら野菜や果物、魚や肉をどっさり盛った(かご)を置いていく。

「こちらこそ、どうも。いつもわざわざ持ってきてもらって済まないねぇ。」

 そう言うと一つ目妖怪は豪快に笑う。

「なに、こっちこそあんたのお陰で食べられてんだ。その恩を思えば運ぶくらいなんてことはない。」

 そう云いながら、大きな目をこちらに向ける。

「おう、坊主、でっかくなったなぁ。」

 弧月は、この妖怪が大好きだ。幼少の頃の遊び相手で良くないことは、全部彼から聞いた。

「おかげさんでね。一ツ目も変わり無いようで良かったよ。あんたが死んだら俺が泣くからな。」

 そう言うと、また目を三日月のようにして云う。

「あと、三百年はくたばってやるつもりはないさ、心配すんな。」

 この妖は(よわい)百、人で言うところの二十五である。どうやら、この妖、人で言うところの百歳までは生きるつもりらしい。

 ひとしきり、嵐のように笑うと嵐のように去っていった。古い友人の帰りを見届けると弧月は自室に荷物を置こうとする。

「何か、悩んでるようだな。」

 話しかけてきたのは妖怪、「(さと)り」。心を読む妖怪である。

「覗くのはやめろ。」

 そう言うと、両手をバタバタとさせながら云う。

「覗いてなど居ないさ、歩く速度が遅かったから何かあったのかと思い及んだまでだ。勘違いは止してくれよ。」

 妖怪「(さと)り」は二つの方法で心を覗くことが出来る。一つは目で見ること、一つは動きから察することである。男妖(だんよう)獣妖(じゅうよう)として描かれることが多いが女妖(じょよう)である。

 人でも、妖かしでも女とは(さと)いものであり仕草から感情を読み取ることを得意とする。特に、幼少の()(わらべ)は極端に弱いため感情を察する能力に最も長けている。()って、この「(さと)り」は()(わらべ)の姿である。それ故、(さと)りは良く座敷(ざしき)童子(わらし)に間違われることが多い。

「済まない、癖で覗いてしまうものかと思ってな。」

 そう言うと、(さと)りはいたずらに笑う。

「見ずとも、わかる。(さとる)とはそういうことだ。」

 その昔、目の見えない()(わらべ)が居た。その()(わらべ)は、事、人の心を読むことに長けて息一つでも心を覚る事ができるのだ。故に、心理に(さと)いものに対する恐怖が宿り(うり)(ふた)つの妖怪を生んだのだ。其れが(さと)りである。

(かな)わないな。あぁ、悩んでいるよ。」

 確かに、悩みの種があった。何故か体が重いのだ。

「ふむ、その反応から察するに大したことと思ってはおらんだろう。」

 そう()いながら少し角度を変え、目を覗く。

「体が、だるい。いや違う、重いようだな。」

「心も読まずに其処(そこ)までわかるのか。凄いな。」

「わかるさ、(さと)りとはそういうものぞ。」

 そう言うと(さと)りが後ろに回る。

「原因は、()れかの。」

 そう言うと、覚りは()(げつ)の背中を軽く叩いた。

 途端に強い吐き気と頭痛、目眩に襲われ口から何かを吐き出した。

「尻尾?」

 出てきたのは爬虫類(はちゅうるい)の尻尾。其れも、かなり大きかった。

大蜥蜴(おおとかげ)の尻尾だな。しかし、何某(なにがし)の呪を受けておる。」

 そして、覚りは一瞬何かを悩む。

「そろそろ、来るか。」

 覚りが、そう云った直後寒気のような物を感じた。それと、ほぼ同時に空孤が登ってきた。

「あら、(さと)り。来てたのね。」

 そう云いながら、四方八方に札を貼っていく。酒で()でた米の糊で札を貼っていく。

「結界がほころびておったからな、何事かあったのかと来てみたら案の定って訳だ。」

「なるほどね、やっぱこの子連れて来ちゃったか……。」

 空弧の声のトーンが下がり声が言葉から言靈(ことたま)へと切り替わる。

「此処は、神の(やしろ)なるぞ。不浄の者は出てゆけ。」

 強く、硬く声が響き渡る。冷たい風が一陣吹き抜け、感じていた悪寒が消えた。

 ()れは、神威(かむい)と云う神の(わざ)の一つである。その場所を、神の居場所と定め闇に属するものを押し潰す、()しくは追い出すことの出来るものである。

「あんたも、神に片足突っ込んでるんだから神威(かむい)位覚えないと身がもたないわよ。」

 言靈(ことだま)とは違う声で空孤が云う。

「あぁ、ごめん。」

 そう云うと、覚りが笑う。

「ぷっ、ふはははは。神威(かむい)は本物の神にしか無理だ。呪言靈(のろいことたま)から始めたほうが良かろう。」

 神格を具現化させるのか神威(かむい)、言葉に力を与えるのが呪言靈(のろいことだま)という。

「して、どうするかの。この尻尾。」

 続けて、(さと)りが云う。

「どうしようかね、神威(かむい)で弾かれなかったってことはどちらも悪に属するものじゃないって事だからね。」

 空孤の神威(かむい)は妖を潰さない、何故なら空孤(くうこ)になる前はただの(よう)()なのだから。






















第二章 魍魎(もうりょう)(はこ)、妖の名前

 学び舎とは不思議な話が集まる処である。七不思議、怪談などその全ては未知を多く抱える(わらべ)の恐怖に宿った魍魎(もうりょう)を「(はこ)」、つまり妖かしへと格下げする為に作られるものである。

 しかし、一つに(まと)めると人を殺すに()る妖かしが出来てしまう。そのため、七つに分ける。これを指して分霊(ふんれい)と呼ぶ。

「よっ、()(げつ)。」

 妖好きとは寂しがり屋か詩人である。言の葉を愛でているのだから。此度話しかけてきた遊記(ゆうき)もその類。どちらかと言えば詩人である。時折、屁理屈を捏ねては妙に輝く言葉を結論に持ってくる。

「どうした、面白いことでも思いついたか?」

 待ってましたとばかりに、遊記(ゆうき)がまくし立てる。

「実は、さっきやっと見つけたんだ。七つ目の怪談を。」

 七不思議の分霊とは七つが揃わないからこそ成り立つものである。揃ってしまえば其れは妖かしではなく魍魎(もうりょう)として(よみがえ)ることになる。

 故に七つ目の怪談とは全てこうである。「七不思議とは魍魎(もうりょう)の事、魍魎(もうりょう)は人を死に至らしめる者、闇に属するものである。」

 そして、遊記は口にしようとする。未知への恐怖の最後の一欠片を。

「七不思議とは……。」

 言わせてはならぬ、今魍魎(もうりょう)が住めるのは遊記の脳内だけであるからこそである。

「言うな。」

 怒鳴り、静止した。此れは、最も簡単な呪言靈(のろいことたま)の一つ。言わせてはならぬという強い意志を声の強さに載せ叫ぶこと。

「なんだ、怖いのか?」

 嘲笑(ちょうしょう)気味ながらも、恐怖をはらんだ言葉。此れは(しゅ)を掛けることに成功した証。

「七つ目の七不思議の内容は知らない。だけど七つ目の意味は知ってる。」

 淡々と弧月は語る。

「なんだよ、意味って。」

 気味悪そうに遊記が問う。

(はこ)を開ける鍵だ。」

 そう云うと遊記(ゆうき)が笑う。

「なんだよ()れ。」

 笑われて(なお)淡々と、更に低く低く声を響かせる。

(はこ)は形だ。妖かしと魍魎(もうりょう)を捕えた(おり)だ。」

 一拍置いて続ける。

魍魎(もうりょう)は恐怖に名前を与えたもの。形はなく、抗う手段も少ない。空気を(あみ)で捉えようとする様なものだ。」

 此処で遊記が息を呑む。おそらく、無意識に空気を捉えようとするためだ。

「元々無い者は(はら)うことも滅することも出来ない。だからもう一度名を与え同時に形を与えた。()れが妖怪、怪談だ。」

 普通なら、此処(ここ)で話は終わりだ。怪談として、知識としてはここまで知っていればことは足りる。()れを思ったのか遊記が口を挟む。

「その魍魎(もうりょう)が、俺に()いてるって言いたいのか?」

 其処(そこ)が問題だった()いているのだ。

()の通りだ。魍魎(もうりょう)()いてしまったから困ているのだ。其れも、人を殺すに足る者が。」

 其処(そこ)まで()って(ゆう)()(ようや)く恐怖の色を見せる。

「どうすりゃいいんだ?」

「俺じゃ、どうもできないから放課後まで待ってくれ。」

 そう言い、授業がひと通り終わるのを待った。

 (さる)の刻に差し掛かる頃に授業はひと通り終わる。

 家へと電話をかける。弧月の家には一応時代遅れの黒電話が置いてある。

「もしもし。」

 響いてきたのは空弧の声。

「もしもし。()(げつ)だけど、魍魎(もうりょう)ってどうすればいい?」

 弧月の問に帰ってきたのは先ほどより一回り低く、硬い声だった。

魍魎(もうりょう)を落とすには、形を与えて言靈(ことだま)で縛るしか無いわ。形を与えるのは同等以上の力を持った神格にしか不可能だし言靈(ことだま)で縛るのは神には無理。とりあえず連れてきて、私と(さと)りでなんとかなるかもしれない。」

「分かった。」

 会話を終えると遊記(ゆうき)の所で足を向かわせる。

遊記(ゆうき)、家へ来てくれ。」

 しかし、遊記(ゆうき)はもう、ほとんど居なかった。

「あ、あぁ。」

 気の抜けた返事と声。

「もう、か。」

 ()(げつ)はそうつぶやき、狐火を展開する。北東を囲うように狐火を配置し、其れを南西に流す。これを迷い狐の帰り道と云い迷い、泣きつかれて寝た子狐を連れ帰るものである。

 家に帰ると、円形に無数の文字が書かれた陣が敷かれていた。

 いくつかの文字に分かれてこう、書かれていた。「この者、名を(あお)(おに)左近(さこん)と申す者。鬼の類にて妖かしに名を連ねること(おそ)れ多くも許されたし。」

「これで、名は出来た。あとは形だ、形を与えられるのは人だけ。()(げつ)、あんたがつけな。」

 空孤(くうこ)がそう、言い放つ。

「分かった。」

 了承(りょうしょう)を得て空孤(くうこ)が続ける。

「この子、もう魂の半分は食われてる。出来れば引き()がさずに済むようにしておくれ。」

 ()れを聞いて脳裏を過ぎったのは双頭(そうとう)の片方が鬼の半妖(はんよう)であった。その片割れの頭のみを陣の中心に描く。

「これでどうだろう。」

 そう()いながら陣を空ける。

「ふむ、あんたセンス()るね。とびっきり面白い妖怪になりそうだ。」

 空孤はその絵を見て笑う。

「そりゃどうも。」

 (わら)いながら応える。

「じゃあ、始めるか。」

 そう云うと何処(どこ)からともなく(さと)りが現れる。

言靈(ことたま)(しば)りはお前がやるといい。何、練習だ。失敗したら我がなんとかする。」

「そちらのほうが面白いからだろ?」

 嘲笑(ちょうしょう)気味た答えを返すと、(さと)りが(わら)った。

(ようや)くと、妖かし()うものがわかってきたか?え?」

 言い終えると低く深い声が響いてきた。神威の言靈だ。

「この物名を(あお)(おに)左近(さこん)と申す妖かしなり。魍魎(もうりょう)にあらず魍魎(もうりょう)(はこ)なり。」

 ここまでが妖の名前を概念として固定する工程、そしてその先は妖の性質を固定する工程に移る。此処に、陰陽(おんみょう)の介入を以って人との共生を可能にする。

 生まれでた、妖が人を喰わないものにする為には必要不可欠となる。

 其れを促すために覚りが云う。

「縛れ、この妖の性質を、妖に告げよ。」

 魍魎(もうりょう)が名と形を得ると自我を形成し始める。その間、性質は非常に不安定であるためこの間は闇をねじ曲げ光へと変えることが出来るのだ。

 魍魎(もうりょう)が自ら定める自らの性質は闇、悪である。何故ならその源は恐怖であるからである。

(なんじ)(あお)(おに)左近(さこん)は人を喰らうものにあらず。(なんじ)は、人と妖かしの間の境目(さかいめ)の者なり。」

 言い終わると同時に陣の中央の絵が遊記に流れ込む。同時に、遊記の首の付根のあたりに小さな頭が現れ始める。

 刹那(せつな)の静寂が訪れる。

 一瞬置いて空孤が大きくため息をつく。

「ふぅ、終わった終わった。もう大丈夫だからちょっと待とう。」

 一連の儀式が終わり、人ならざる者たちは一様に崩れ落ちる。

魍魎(もうりょう)退治って、こんなに大変なんだな。」

 妖は言靈(ことだま)に因って生まれる、その為妖の言靈(ことだま)は人よりも強い。しかし、言靈(ことだま)()って生きる妖は言靈(ことだま)を吐くたび(けず)られる。

 一度に多すぎる言靈(ことだま)を吐けば全て削り取られ風化し、消え去る。しかし、少し残れば(あふ)れた言靈(ことだま)を集め修復する。

 ()れから半刻(はんとき)が過ぎた。(その)(とき)、弧月は学友の眠る部屋で煙管(きせる)を吹かしていた。

「ん……あぁ、此処(ここ)は?」

 遊記も妖々と目を覚ましたようである。

「妖かしの街、(きつね)(かみ)(くう)()の社だ。」

 窓の外に煙を吐きながら弧月が告げる。

 起き上がった遊記の頭の後ろにはもうひとつ、小さな角の生えた顔があった。

「俺は、妖かしに成ったのか?」

 魂が同化すれば受け入れるより他無い。成ればと、人は一度心を壊しその心を妖へと作り変える。()れが魍魎(もうりょう)を宿したものの(ごう)である。

「そうだ、お前はもはや妖。半妖、青鬼左近だ。後ろのそいつの名前とでも思えばいい。」

 名を告げ、名を今一度刷()り込む。言靈(ことだま)(しば)りの最後の一つ、字名(あざな)(しば)りと云い魍魎(もうりょう)を閉じ込めた(はこ)の最後の鍵かけである。

「お前も妖かしか?弧月。」

 妖に成り下がった魍魎(もうりょう)を閉じ込めた(はこ)が云う。

「お前と同じ、半妖(はんよう)だ。空孤と人の間に望まれた魂、人と妖の間で満ち欠ける(きつね)(ゆえ)、弧月と名乗るものだ。」

 御形を外れた人の(はこ)が云う。

「これから、如何(どう)すればいい?」

 (はこ)に入った魍魎(もうりょう)に食らわれた人が問う。

「好きに生きるといい。妖は人より自由なもの。人と共に生きるも、妖へと消うるも風向(かざむ)()の儘に生きるものだ。」

 こうして、「魍魎(もうりょう)七不思議(ななふしぎ)」「妖怪(ようかい)(あお)(おに)左近(さこん)」は人の世へ消えた。

 この期、この学舎の七不思議には嘘の七不思議が加わった。内容はこうである。―教室に帰らぬ()あれば、闇が包む頃に返される。―
































第三章 魍魎の名前、匣の言

 嘘々(うそうそ)、又の名を天邪鬼(あまのじゃく)。人の心に棲む妖かしと呼ばれるが、その(じつ)神である。

 天邪鬼(あまのじゃく)とは(じゃ)()悪鬼(あっき)又は羅刹(らせつ)の類なり。故にその真名は(あま)羅刹(らせつの)(もり)(かみ)疑念(ぎねん)疑心(ぎしん)()り未知へと引きずり込む(あや)(かみ)である。

 神を(はら)うのは神や陰陽(おんみょう)ならざるもの、(しゅ)である。神は妖より言靈(ことだま)()るもの。故に、神は自らの蓄えた言靈(ことだま)(ほん)(ろう)されやがて性質を変える。

 (あま)羅刹(らせつの)(もり)(がみ)とは一重に嘘全てを包括(ほうかつ)するものである。最初は弱き人の心を守るため作られた優しい神であった。姿も、()れは其れは美しく天神(てんじん)天女(てんにょ)を思わすものであった。

 いつの世か、嘘は心を守るものから命を守るものへと変わった。そうして、守るものを次から次へと増やしていく。この頃には美しい神には角が生え、顔も(みにく)く歪み鬼へと姿を変えた。

 更に、時を経て嘘は欲を満たす道具へと姿を変えた。()れではもはや神とは呼ばれぬ羅刹(らせつ)と呼ばれ羅刹(らせつ)となった。

 嘘は、どこにでも存在する。故に嘘々はどこにでも存在する。天邪鬼(あまのじゃく)はどこにでも存在する。

 妖怪、(あお)(おに)左近(さこん)はあのあとも遊記(ゆうき)として学び舎には通っていた。

「よぉ、()(げつ)の。変わりはないか?」

 少し、古臭い口調で語りかける。どうやら妖かしを勘違いしているようである。

「口調を変える必要はないぞ。普通に話せ。」

 弧月が云うと、遊記が苦く笑う。

「そうだったか、いや、すまない。」

 その直後であった、一人の少女が話しけてきた。

「ねえ、君。隠してること無い?」

 それを受けて、弧月が(わら)う。

「隠し事、ねぇ。たくさんあるが、はて、どれのことやら。」

 少女は()れを聞いて(わら)う。

「見たよ、狐火。君、妖怪でしょ?」

 身構える遊記を尻目(しりめ)に弧月は更に冷たく(わら)った。

「馬鹿な事を、俺は人間だよ。」

 妖かしではないと断言しない弧月に遊記は冷や汗を浮かべる。

「半分は、ね?」

 ついに弧月の薄ら(わら)いも()げていく。

此奴(こいつ)は、困った。バレてしまったか。」

 其処(そこ)まで()うと、遊記が口を挟む。

「なんで(うそ)をつかないんだ?」

 妖かしは嘘つきと描かれることが多いが()れは空想である。

「嘘を付くと俺達でも嘘々(うそうそ)に()かれるからだ。して、どうするつもりだ?」

 そう云いながら、もう一度嗤(わら)う。

「どうしようってわけじゃないけど、見せてほしいと思ってね。」

 ()れを聴き、弧月はより一層嗤(わら)う。その顔は、鼠を捕えた化け猫にも似るほどに。

 時は流れ、夕暮れ時。又の名を逢魔(おうま)が時と呼ぶ頃に成った。場所は霧街三番街の少し奥まった(ところ)にて(そうろう)

「それで、こんな(ところ)に呼んで何をするんだ?」

 遊記が問う。

「妖を見せてやるんだ。ほれ、左近を出せ。」

 其れに、弧月が(わら)いながら応える。

「よっと、お呼びかい?弧月の旦那。」

 遊記からにょきと生えた鬼の頭が(こた)える

「出てくるな左近。俺はまだ……。」

 遊記はもうひとつの頭に応える半ば弧月が(さえぎ)る。

「人で居たい、か?お前も半妖だ、(わきま)えろ。」

 そう()いながらまた(わら)う。

 其処(そこ)に少女が口をはさむ。

「で、どんな妖かしに会わせてくれるの?」

 ()いながら少女も(わら)う。(にく)らしく(わら)う。

 ()れを受けて()(げつ)は更に(わら)った。声を上げて。

「此処は妖の街。さぁ、どうしてくれよう。焼いて食うか、煮て食うか?」

 抗議しようとする少女を無視して続ける。

「あぁ、冗談だ。嘘ではない。」

 すると、いくつも顔を持った妖かしが弧月の後ろにぬらりと現れる。

「よぉ、天邪鬼(あまのじゃく)。」

 弧月がそう云うと天邪鬼(あまのじゃく)と呼ばれたその妖かしが応える。

「はて?久しかったか?」

 久しければとぼけ、昨日会えば久しぶりと云う。天邪鬼とはそういうもの。

 一瞬遅れて少女は悲鳴を上げた。

「嬉しや嬉しや、怖がられた。私もまだまだ捨てたものではないらしい。」

 天邪鬼(あまのじゃく)がそう云うと弧月がそれを訳す。

「どうやら、こいつはお前に怖がられるのが悲しいらしい。お前の嘘は優しいな。」

 それを聴き、首を傾げた左近が聞く。

「何だそれ。それじゃまるで(ぬえ)だ。」

「その通り、(ぬえ)とは神と()(たぐい)の物を指して()う言葉だ。神の中にはこうして人や場所によって姿を変えるものも多いからな。」

 妖なら覚えておけと続けようと思って、やめた。

 少女は今だに腰を抜かしている。それを見た弧月は大笑いをしながら馬鹿にする。

「お前が見たいと言ったのに怖がってどうする……。それに、こいつは其処(そこ)までたちの悪いものじゃない。」

 ひと通り馬鹿にすると深く息をつき表情を消してからもう一度言葉を紡ぐ。

「さて、他己紹介とでも行くか。」

 もう一度息をつき言葉を継ぐ。

「こいつは天邪鬼(あまのじゃく)嘘吐(うそつ)きに取り付き(たた)ったり祝福(しゅくふく)したりする神だ。神とは(ぬえ)と云う種に属する妖で嘘しか言えなのがこいつの特徴。」

 このあと弧月が紡ぐ言葉の趣旨を妖は本能で知っている。故に、息を飲む。

「こいつは妖かしとして天邪鬼(あまのじゃく)()うが(もと)(あま)羅刹(らせつの)(もり)(がみ)。そして、魍魎としての名は嘘々(うそうそ)と云う。」

 魍魎の名を口にすることは形無い(すがた)を教えること。つまり、魍魎を解き放つことである。二つを知れば封じることが出来るようにもなるが魍魎(もうりょう)としての妖に取り()かれることも起こりうる。()れは、妖かしですら恐ろしいことなのであった。

安心召()されるな。我は何時(いつ)でも取り()き貴様を食い殺すぞ。」

 天邪鬼が云う。

「こいつは取り()く気は無いらしい。安心せよ。ただ、封じようとするならこいつも神、祟られるかもしれないぞ。」

 其処まで云うと、(ようや)く少女が立ち上がる。

「あなた、怖い人じゃないのね。ごめんなさい、勘違いしていたみたい。」

 少女がそう云うと天邪鬼がにぃと嗤う。

「許さぬ、貴様を貴様など知らぬ。」

 それを弧月が訳す。

「許すと、貴様の嘘は貴様を見守ると云っているぞ。」

 ひと通りの話を終え天邪鬼(あまのじゃく)(きびす)を返す。

「二度と来るな、もう話すことはなかろう。」

 今度は少女が自ら意図を汲む。

「うん、またお話しましょう。」

 直後笑いながら天邪鬼は自らの社へと姿を消した。

 その後に同じく遊記も左近を引っ込めて霧街を出た。

「遊記くん。」

 少女は呼び止めようとするがそれを弧月が静止する。

「よせ、彼奴(きゃつ)はまだ妖に馴れていないからな。」

 遊記の姿が消えるともう一度弧月が口を開く。

「ところでどうするか。お前が見たいと()うから連れてきたがお前が怖がるから魍魎(もうりょう)()いてしまった。」

 困った困ったと()いながら()の顔は()れまでに無いほどに愉快(ゆかい)そうであった。















第四章 言の葉の名前、魍魎(もうりょう)(こと)

 (かばね)(おに)、又の名を塗仏(ぬりほとけ)。妖かしの系譜(けいふ)を辿って最古(さいこ)から二番目。最も古い部類に属する妖。その本質は二つ。死への恐怖からの脱却と脱却したものへの恐怖。つまりは、死への恐怖から目をそらすために生んだ不死に恐怖した結果である。そして、最も数が多いため最も多くの死を司ることになった。故にその性質は最も死を(まと)い死を司る結果と成った。それがこの鬼の鬼たる所以(ゆえん)である。

塗仏(ぬりほとけ)、此れがお前に憑いた妖かしの名だ。俺が憑かせた。」

 告げると少女は少したじろぎ恐怖を(あらわ)にする。其れは弧月への恐怖だった。そう、つまりこの少女に取り憑いた妖しは全部で二つ。弧月と、塗仏(ぬりほとけ)

「あなたが取り憑かせたって、一体?」

 恐怖の表情を(あらわ)にしながら恐怖の原因に問う。恐怖の訳を知ろうと、恐怖を紛らわそうと。

「そら、恐れたな?取り()いたぞ。」

 人と妖かしの間に生まれた半妖が人に憑くのはとても簡単である。自らを相手に恐怖の対象と植え付ければ事足りる。しかし、半妖が取り憑くのはとても希少な展開である。何故なら、半妖は化身を憑かせる事ができない。故に妖の部分を憑かせる。ならば、残った魂は半分、言靈も半分となるため其れは人より弱いからである。

「さて、塗仏(ぬりほとけ)と同居するのはとても気分が悪い。払ってもらわなくてはなぁ。少し、黙ってもらうぞ。」

 そう云いながら手を横に一振り。すると糸が切れたように少女の意識が糸を切るかの(ごと)く落ちる。

 ()(まま)、少女を抱きかかえると家へと連れて行く。其れは、最も簡単な払い方だからである。最も個が弱く低劣(ていれつ)な妖かしだからこそ神の言靈、神威(かむい)を持ってすればいとも容易く(はら)うことが出来る。しかし、誰もが皆最初から取り()かれている。目を覚ませば瞬く間に広がり集まり、次々と取殺(とりころ)していく。

 塗仏(ぬりほとけ)は太古の昔より封じられていた。其れは、増えすぎた人を殺すに足るものだから。封じなければなかった、人が全て死んでしまうから。例えるのであれば蜘蛛(くも)の糸、例えるなら王国の剣士、其れは無数にわかれたある種の武器である。

 弧月も、実はこの妖怪を恐れていた。いかなる神も妖かしも()かれれば自らでは何も出来ずただ、死を待つのみであるからである。

 この妖かし、最も質の悪いところは人が死に妖かしに成ったものは(すべ)塗仏(ぬりぼとけ)に憑かれた塗仏(ぬりほとけ)である。

 家に帰り着くと空孤(くうこ)(さと)りを始めとする妖かしの中でも(かみ)三行(さんぎょう)に含まれる妖かしの大半がいた。

 (かみ)三行(さんぎょう)とは五行(ごぎょう)を人から数えて三つ目までという意味、即ち深淵(しんえん)の闇に程遠いものを指す。

「帰ってきたね、その子を此方(こちら)へ渡しておくれ。塗仏(ぬりほとけ)()かれてるんだろ?」

 待っていたかのように、知っていたかのように空孤(くうこ)が言う。

「分かった。こいつを頼む。」

 弧月もそのことが解っていたかのように言葉を返す。弧月は知っていたのだ、この場の全員が塗仏(ぬりほとけ)が蘇ったことに気づいていることを。

 妖怪にも様々なものが居る。中でも(からす)天狗(てんぐ)(あま)天狗(てんぐ)と言った比較的下級の天狗は多くの情報を集める。それを大天狗(おおてんぐ)(まと)め記す。このお陰か大天狗(おおてんぐ)は情勢をよく知る妖怪賢者の一人。

 古くより、人の目を(あざむ)(しの)んで生きてきたぬらりひょんは謀略(ぼうりゃく)に長けた。故に軍師と言われ賢者の一人に数えられる。

 酒天(しゅてん)童子(どうじ)は酒、及び薬を始めとする学問に詳しい。よって又此()れも賢者と云われるものである。

 時にこの三者を(まと)めて三賢者と呼ぶ。その三賢者が揃って居るのだ過去、現在、未来までも知られているであろう。ならば、当然今しがた弧月が見たことも総て知っているはず。

 それ故、動揺は不必要であることを(さと)っていた。

「弧月、あの人間は(くう)()に任せお前はこちらの会議に参加してくれないか?」

 ぬらりひょんに促され座るとほぼ同時に(さと)りが口を開いた。

()いているな、弧月。」

 唐突な発言だった。其れは、弧月があの少女に取り()いている事を妖かしたちに知らせる警鐘(けいしょう)であった。

()の通りだ。俺は少女に取り()いた。必要になると思ってね。」

 ()れを聴き、大天狗(おおてんぐ)が語りだす。

「何故だ、貴様が危険にさらされるのだぞ?」

 其の問に()(げつ)はただ一言。―必要になると思ってね。―と応える。

 ぬらりひょんが其処に口を出す。―何故―と。

「俺を()かせて塗仏(ぬりほとけ)を追い払えば塗仏(ぬりほとけ)から心をそらすことが出来る。」

 それを受けて集まっている妖達は一様にどよめく。

 どよめきを収めるべく大天狗(おおてんぐ)が一括し、阿吽(あうん)の呼吸でぬらりひょんが語りだす。

「弧月も策あってのことだろう。どうだ、此処(ここ)は任せてみようではないか?」

 賢者の一声に妖達が静まると更にぬらりひょんが言葉を紡ぐ。

「して、大天狗(おおてんぐ)酒天(しゅてん)童子(どうじ)よ。可能だと思うか。」

 それを受け酒呑(しゅてん)童子(どうじ)が漸く語りだす。

「古来より狐は神と妖の二つの面を持ち自由に行き来する。それが空狐殿の息子の魂の半分が憑いているのであればできなくもないだろう。」

 それに、大天狗(おおてんぐ)が賛同する。

「正直、儂もそれ以外ないと思ってたんだ。弧月よ、大切な学友をこんなふうに使って良いのか?」

彼奴(きゃつ)がどうなろうと構わん。所詮(しょせん)、人と妖相いれぬものぞ。しかし、彼奴が死んだら左近(さこん)は悲しむかもしれないな。だから、あくまで彼奴(きゃつ)極力(きょくりょく)生かすつもりだ。」

 妖は一様にそれに腹を立てる。

 それを見て、(さと)りが口を挟む。

「なるほど、弧月はやはり半分は人だ。しかし、そろそろ(はら)うのもいいかもしれない。妖に()いた人と()魍魎(もうりょう)を。」

 人と妖しはお互いに恐怖し合ってきた。それ故生まれたのは命を奪うにはあまりに弱い存在。人についた「妖」と云う魍魎(もうりょう)と、妖に憑いた「人」と云う魍魎(もうりょう)。弱くて、()いているのか()いていないのかすらわからない存在。故に(はら)えず、(はらえ)うには存在を元から断つ他なかったのだ。

 (さと)りは、元は人であり人を憎まぬ妖怪。ならば、人と妖かしが共に手を取り合う未来を望むこともしばしば。故に(はら)いたがったのだ、この魍魎(もうりょう)を。

 さらさらと、(ふすま)が開き空孤(くうこ)が部屋へ入る。

(はら)い終わったよ。」

 そう告げると、妖達は安堵(あんど)の息をつく。最後に役立つかもしれない武器を手に入れたのだから。

「其れから、悪いけど聞かせてもらった。私は()(げつ)に賛同する。」

 一瞬妖達がどよめき立つ。それを受けてより一層強い怒ったような口調で怒鳴り散らす。

「あんたら、それでも妖か。私達の恩人になるかもしれない娘に随分な扱いをするじゃないか。弧月もはっきり言いな、恩人をできるだけ生かすのは当たり前だってね。」

 母の説教など何年ぶりだろうと思いながら弧月は云う。

「すまない、はっきり言おう。恩人を生かして返したい。あんなんでも一応、俺の学友(がくゆう)だ。俺は半分は人だ、そして半分は妖だ。だから言おう、お前らが恨んでるのは人であってこいつじゃないだろ?なら生かして返してもいいじゃないか。」

 こうして、妖達は一応は落ち着きを取り戻す。

「私は、死んでも構わないと思っている。」

 天邪鬼(あまのじゃく)が云う。

「あの娘とは初めて会うが、気に食わぬやつだ。あの娘を殺してくれ。」

 ()ったのは天邪鬼(あまのじゃく)故意味は其の真逆。嫌いではない(ゆえ)生かして返してやって欲しいと云うことになる。

 妖達も最初こそ反対したものの徐々に容認を始めた。

 何時まで経っても容認しない妖が居たため最後に三賢者が順に口を開く。

「我々には時間がない。生かすも、殺すも弧月に任せよう。」

 とぬらりひょん。

塗仏(ぬりほとけ)(よみがえ)り困るのは人も妖かしも同じだ。」

 と大天狗(おおてんぐ)

「何よりも、女郎(じょろう)蜘蛛(ぐも)が蘇っていたら(われ)らでは立ち向かえない。此処は、人と結託(けったく)する他に妙案があるものがいれば話は別だ。」

 と酒呑(しゅてん)童子(どうじ)が締める。

 そうして(ようや)(すべ)てが収まりこの、面妖な会議が終わった。

 それと同時に、多くの言靈(ことだま)を消費した空狐が崩れ落ち、意識を断つ。






第五章 蜘蛛の糸、言の葉の事

 言の葉、又の名を女郎(じょろう)蜘蛛(ぐも)。妖怪の系譜(けいふ)を辿りその最も頂点に座するもの。最も古く、最も大きく(かみ)(あやかし)も抗うことすら許されない。其れは、恐怖を生み出したもの。恐怖を、形作るもの。妖に成って(なお)魍魎(もうりょう)より質が悪く、魍魎(もうりょう)の時より更に大きい。名のつくものは総てがこの妖かしの糸である。

 他の誰の耳にも聞こえていなかった。他の誰の目にも見えていなかった。しかし、(さと)りは聞いていた、見ていた。恐ろしい、其れを。

「皆、(くう)()から離れろ。」

 (さと)りの声が静寂を埋める。

 ()れは、(おそ)らく(すべ)ての妖が初めて聞いた(さと)りが(おび)えた声だった。

 反応が間に合った妖かしはとっくに距離をとっていたが一人、全く動けないものがいた。

 覚りだ。女郎(じょろう)蜘蛛(ぐも)の悪意を、見てしまったから。聞いてしまったから。其れは、おおよそ到底(とうてい)想像(そうぞう)範疇(はんちゅう)に収まらない最大の悪意。

 するりするりと空狐から糸が伸びる。

 糸が覚りを捉える。

 誰も助けることが出来なかった。其れは、一瞬すれば終わる程の短い時間であったから。

「このっ……。」

 恨みを込めたはずの覚りの言葉に宿ったのは底なしの恐怖であった。

 空狐が宙に浮かび上がり、解けていく。其れは覚りを飲み込み更に大きさを増していった。

 妖達は必死で逃げ惑ったが、一人、また一人と飲み込まれていく。逃げてる途中に恐怖に飲まれた妖は自ら姿を糸に変え瞬く間に其れは広がった。

 無数の白い糸の激流(げきりゅう)(ほん)(ろう)されおおよそ(すべ)ての妖かしは糸に飲まれた。弧月も例外ではない。

 目ぼしい妖かしを(すべ)て飲み込むと人の世へ広がる。形は徐々に変わり蜘蛛(ぐも)の巣を形作り、其の中心。つまり、妖達の街に女とも蜘蛛(ぐも)ともつかぬ異形が姿を表した。

 人も、一人、また一人と姿を変えていく。塗仏(ぬりほとけ)が憑いた人間は総て女郎(じょろう)蜘蛛(ぐも)の糸に変えられる。次々と、人が姿を消した。

 ()の巨大な蜘蛛(くも)の巣は一点を除いてほぼ無限に広がった。

 其の一点とは、先ほど塗仏(ぬりほとけ)(はら)われた少女であった。塗仏(ぬりほとけ)()かれておらず人間としての肉体を女郎(じょろう)蜘蛛(ぐも)が取り込むにはいくつかの手順が要る。第一に妖かしを取り込み其の人間の持つ言靈(ことだま)凌駕(りょうが)する事。第二に、糸の先を触れさせること。第三に、自らを恐れさせること。これを第一から順を追って満たしていかねばならない。

 これを少女の条件と照らし合わすと其のどれもまだ満たしては居ないことになる。それだけ、人間の持つ言靈とは潜在的(せんざいてき)に多く、それだけで大妖怪(だいようかい)と並ぶ。其れに加え、現在は妖かしが半分潜り込んでいる。もはや、普通の妖が一つの体では持て余すほどの言靈を持っている。

「起きろ、飲まれるぞ。」

 少女の意識の中で半分の弧月が語りかける。

 総ての意識を憑依体(ひょういたい)に移し、会話まで可能にするには元の妖の体が危機的な状況下に陥る必要がある。それ故、妖及び人々の反撃の嚆矢(こうし)は弧月が女郎(じょろう)蜘蛛(ぐも)に取り込まれると同時に放たれる。

 こうして、弧月が少女の覚醒(かくせい)を促し。少女が、(ようや)覚醒(かくせい)する。

「え、何……これ……。」

 少女は脈打つ糸が(おお)醜悪(しゅうあく)な光景を見て、全身が恐怖に粟立(あわだ)つのを感じる。

「恐れるな、呑まれるぞ。死にたくなければ俺に従え。」

 其の恐怖を光景へのものから弧月へのものへと塗り替え、恐怖をそらす。

 少女は(ようや)く落ち着き、立ち上がる。足元に、何かが当たるのを感じる。

 そこにあったのは、一振りの刀。そこには―童子(どうじ)切安(きりやす)(つな)―と(めい)が刻まれていた。

「此処にあったか。拾え、其れが恐らくお前を生かす最後の手段だ。」

 少女は、一度戸惑うが拾い上げる。どちらにせよ、このままでは死を待つより他無い故に迷ってる余裕はなかった。

「分かったよ。」

 少々声を荒げて少女が応える。

「それで、塗仏(ぬりほとけ)とか何とか言うのはどうなったの?其れから、この刀は何?」

 投げつけるような問を虚空(こくう)にぶつける。

塗仏(ぬりほとけ)は払った。それから、其れは童子(どうじ)切安(きりやす)(つな)、妖かしが最も恐れる刃だ。もう一つ俺は、お前の中にいる。探してもおらんぞ。」

 徐々にその感情を、恐怖から信頼へと切り替ようと画策しつつ弧月は所在を伝える。

「で、なんであんなことしたの。聞いてあげるから答えて。」

 少女が問い。

「済まなかった、我々も存亡(そんぼう)がかかっていた。」

 弧月が応える。

「それで、どうしてこうなったの?」

女郎(じょろう)蜘蛛(ぐも)という最悪の妖が(よみがえ)ってしまった。」

「私は何をすればいい?」

「取り敢えず、この糸を切って進んでくれ。」

「他にできることもないか。」

 少女は促されるままに、出鱈目(でたらめ)に剣を振った。

 剣は、一度抜き放つと刀は思いの外軽く少女が思い描くとおりに降ることが出来た。剣の切れ味は凄まじく糸は触れた側から切れていく。

 弧月は糸を、一本、また一本と刻むごとに心が痛むのを感じた。転生すると解っていても自らの母のがほどけた其れを、刻んでいくのだ。鬼でも、泣くであろう。

 泣いてる暇は、今の弧月にはなかった。ならばいっそ、速く終わらせようと思った。

「手を貸せ。上に向けるだけでいい。」

 そう云われ、少女は手を上に向け差し出す。すると、ごうと()う音とともに火の玉が一つ浮かび上がる。火の玉は、弧月の狐火であった。

 狐火は飛び回り、蜘蛛(ぐも)の糸を、妖達を焼いた。あっという間に道は開け、屋敷の外へと出ることが出来た。

 しかし、空が暗い。太陽は、女郎(じょろう)蜘蛛(ぐも)が覆い隠しているのだ。

「何、これ……。」

 地獄(じごく)絵図(えず)とも思える光景に少女は半ば唖然とした。

「斬れ。」

 そう、云う弧月の声は怒りと悲しみに震えていた。

「こんなのと戦えって()うの?」

 弧月は悲鳴のような其の問に答える―戦え―と。

 少女は答える―分かったよ、―と。半ば生きることを諦めているのだ。命を拾って(もう)けもの、死んで元々と言うような其の少女の乾いた感情が功を奏し、苛立(いらだ)ちは()(まま)殺気へと変わった。

 途端に、剣が光りだす。鬼を斬るために作られた剣だ、言靈(ことだま)の影響を受けないわけがない。戦えと()う命令を肯定した、其の一言は其の剣が女郎(じょろう)蜘蛛(ぐも)を切り裂くに十分に事足りたのだ。

 剣に、導かれるように足をそぎ、糸を()いだ。其の剣閃(けんせん)は、達人のそれも凌駕(りょうが)するほど正確に相手を捉える。

 右から、左から幾つも糸や足が伸びる。しかし、致命的(ちめいてき)に遅かった。

 蘇ってから一刻と立たぬその(からだ)には、封印の爪痕が鮮明に残っていたのだ。

 総ての足を切り払うと、女郎(じょろう)蜘蛛(ぐも)はその場に伏す。足を総て失って立っていられるのは形のない魍魎(もうりょう)くらいのものだ。

 あとは簡単だった、深く、強く()(くび)に刃を突き立てるだけ。

 そうして、(ようや)女郎(じょろう)蜘蛛(ぐも)童子(どうじ)切安(きりやす)(つな)の名で縛り封ずる事ができた。思えば、酷く簡単だった。ぬらりひょんが妖かしに仇なすこの剣を持っていたからこそ、ここまで簡単に事が運んでいたということになる。

「終わったか……。」

 弧月が息をつく。

「なんてもの見せてくれるのさ。妖怪っていうのはつくづく意地悪だね。」

 そう()いながら少女はおどけてみせる。

「でも、ありがとう。私達の世界を守ってくれたんだね。」

 そう云って、今度は笑う。

「礼には及ばない。俺も、自分の世界を守ったまでだ。」

 其処まで言ってふと気づく。女郎(じょろう)蜘蛛(ぐも)のそばにある解けた糸の中に自分の身体があることに。

 弧月は、躰に意識を戻しむくりと起き上がる。

「やれやれ。派手に暴れてくれたものだ、女郎(じょろう)蜘蛛(ぐも)も。」

 そう()いながら頭を掻き毟りながらふと、思い出した様に云う。

「ところで、お前、名前は……?」

 聞かれて、少女が応える。

日下部(くさかべ)鈴音(すずね)。」

 弧月は、其の名に聞き覚えがあった。陰と陽の均衡を保つもの、陰陽師(おんみょうじ)。その、末裔の名であった。

「名前を知られちゃったから、ここにいるのはちょっとまずい。だから、もう行くよ。」

 そう云う(いう)と、どこへともなくふつと姿を消した。







エピローグ 蜘蛛(くも)の糸、つまり、人の事

 女郎(じょろう)蜘蛛(ぐも)を封じて、半年が過ぎた。殆どの妖かしが転生し、再び(からだ)を形作った。

 (くう)()は、容姿が少し幼くなって弧月の母というより妹だった。

 それ以外は殆どが相変わらず。何も、変わっていなかった。

 今日は珍しく、弧月達の家にぬらりひょんが来ている。

「なぁ、ぬらりひょん。妖怪の大賢者よ、俺を(だま)してないか?」

 弧月が、問うた。

「はてさてなんのことか。」

 とぼけたふりをするぬらりひょんを弧月が(にら)んだ。

「あ、いや。冗談だ。すまない、実を言うと(だま)した。」

 ―どういう風に―と弧月が問う。

「最初に、お前に()いていた大蜥蜴(だいとかげ)の尻尾。あれをつけたのは儂だ。」

 ―どうして―と弧月が続けざまに問う。

「まぁ、聞け。あの蜥蜴(とかげ)の尾は又の名を七つ目と云ってな、一番末尾を知ることで憑かせることが出来る。そして、七つ目は他の六つとくっつきたがる故全て知ってしまう物が現れる。其の時に、連れてきた人間の手で女郎(じょろう)蜘蛛(ぐも)の封じの(ほこら)童子(どうじ)切安(きりやす)(つな)を突き立ててもらおうと思ったのだ。あれは妖には扱えんからな。だが、予想外にもそのものも妖かしと成ってしまった。故に、他の手立てを探してもらおうと思ったのだ。そうしたら、物好きな女を連れてきたものだから丁度いいと思って招集をかけた。そうして、お前の母を。空狐を、犠牲にして女郎(じょろう)蜘蛛(ぐも)の封じを切った。どちらにせよ、誰かが肩代わりしたとして(くう)()以外だったら命も危うかったからな。本当に済まないことをした。」

 語り終え、ぬらりひょんは頭を垂れた。

「いいんだ、(だま)されたことをわかっていながら其の実態を見抜けないのが鬱陶(うっとう)しかっただけなのだから。」

 種を明かし全てが収まると、其れを感じたのか声が聞こえてくる。

「お茶入ったよ。ぬらりひょんさんも飲んでいくといいよ。」

 その声の主は鈴音(すずね)だった。其の後ろに少し手持ち無沙汰にしている空狐が立っていた。

「ぬらりひょん、過ぎたことは忘れよう。こんな母親っていうのも面白くて気に入っているんだ。」

 弧月が云うと、空狐が不満そうに口を開いた。

「人が困ってるんだから面白がるもんじゃないよ。」

 そう()っておもいっきり(むく)れる姿は(さなが)()(きつね)の様であった。


 温かくて不思議な話を書きたくなって書いてみたらなんだこれは……。

 当初の予定ではもうちょっと神道に寄った作風になる予定でしたが、一ツ目が全部を妖怪横丁に持って行きました。なんもかんも一ツ目が悪い。

 処女作ということで拙い出来ではありますが最後まで読んでいただき有難う御座います。

 この物語、気づいたら結構身の回りのいろんな人をモデルにしてたりします。特に覚りのモデルに成ってるのはとある友人ですが、男性です。女性風に性格と口調をほんの少しいじったらあら簡単、一番キャラ立ちしてるなこいつって云うのが出来上がりました。登場時間こそ少ないものの実は主人公より重要な役を担ってます。

 もし、暇があったら覚り主人公のストーリー組んでもいいかも……。此処に出てくるキャラクターみんな設定作り込みすぎてるから短い話もりもり満載の霧街絵巻みたいなのもいいかもです。

 う~ん、胸が膨らみング。どちらにせよ、そちらを制作するのは現在の積みプロットを片付けてからになるので当分先のことですが、作った時は是非手にとって見て下さい。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ