■良くも悪くもドキドキ■
「ね、花音」
「んあ?」
「デートしようか」
「……ああ」
それは突然だった。
いつものように朝食を食べ、いつものように学校へ行く支度をし、学校へと向かう道すがら。何事もないかのような呆気ない言葉。
まるで、『トイレに行ってくる』っていうようなニュアンスで月夜は言った。
だから、俺ははじめ、月夜が何を言っているのかわからなかったんだ。
こくりとうなずいて一拍おく……。
「……って……」
それから1分ほど経過した後、やっと俺の思考が働いた。
「えええええええ?」
身体をのけぞらせて月夜を見つめれば、にこりと微笑む彼がいた。
「そんなに驚くことでもないと思うんだけど……」
月夜にクスリと笑われる。
「いや、あの……だって……!!」
これは学校へ行く道すがらに言うものじゃないだろう?
これは、ふたりきりの時に話す内容だ。なんで部屋にいる時に言わない? なんで月夜はこう、公衆の面前でサラリと言えるんだ?
「嫌だった?」
嫌じゃない。じゃなくて……。
あまりの驚きで声が出せず、頭をブンブン振って否定する。
そしたら……。
ぐいっ。
「わわっ」
ぽすん。
月夜に腕を引っ張られ、あっという間に月夜の腕の中に入ってしまう。
「よかった」
「!! ちょっ、月夜?」
ちゅってリップ音が聞こえた瞬間、額にキスされた。しかも、ここは通学路で、周りには同じ学校へと向かう生徒たちがいる。
ボンっと音が立つほどに俺の顔は見る見るうちに赤くなっているだろう。
……だって、俺……顔、熱い。
「つきっ!!」
「顔、真っ赤だ。かわいい」
んでもってまたリップ音が聞こえて……また、額にキスされた……。
「つ、月夜!?」
「うん?」
「こういうことは、家でだな!!」
「家でなんてしたら……俺の理性が耐えられると思う?」
――はい?
「ベッドに押し倒したくなるのは目に見えているんだ」
「…………お、おしっ!?」
平然と言う月夜の言葉にドモった。
恥ずかしさのあまり、口元を右腕で隠すと……。
「ね、そういう顔するでしょう? だから困るんだよ」
「っ知るか!!」
……恥ずかしくて恥ずかしくて……。
ひょっとして、顔だけでお湯が沸くんじゃないかっていうくらい恥ずかしい。
だから俺は月夜の腕を振り払って歩き出した。
なんなんだよ。
月夜……こんな奴だとは思わなかった。
もっと、奥手っていうか……ゆっくりっていうか……。
キスとか……公衆の面前でしたりしないって思ってた。
ボンッ!!
「……っつ!!」
月夜とのキスを思い出したら、また顔が熱くなった。
………………早く……学校行こう。
俺は月夜の後ろから聞こえるクスクスと笑う声を耳の端に入れながら、大股で歩いた。
「おはよ」
月夜を避けて一目散に教室へと逃げ込む。素早く椅子を引いて自分の席へと座り込めば……。
「おはよ~、あれ? 葉桜くんと喧嘩でもしたの?」
俺の隣の席の女子、えっと名前は名岸だっけか。彼女がひとりで教室に入ってきた俺を見て訊いてきた。
「喧嘩? してないけどなんで?」
尋ねる俺に、名岸は答える。
「だって同居してるんでしょ? 一緒に教室入って来なかったから喧嘩でもしたのかな~って思ったの」
「え?」
なんで月夜と同居してるって知ってんの……?
もうそこまで噂になってんの?
「あ……いや。えっと、喧嘩……っていうか……」
男子と何やら話している月夜を目の端でとらえてぼそりとつぶやく。
「喧嘩じゃないわよあれ、どう見てもラブラブよ。見てるこっちが恥ずかしい」
横槍を入れてきたのは、花音似の沙耶だ。
……うっ。
「見てたの……か?」
「見てた? 『見せられた』の間違いでしょ。通学路であんなイチャイチャ……でも、まさか葉桜くんがあんな積極的だとは思わなかったな」
あ、やっぱ月夜ってそう思われがちなんだ。
俺と同意見を持つ沙耶に、うんうん、と何度もうなずいた。
「でもさ……やっぱり、一緒にいた方がいいよ?」
名岸が言葉をにごして話す。
「どうして?」
「どうしてって……」
俺の問いに沙耶は呆れ顔だ。
……なんだよ。
なんか俺、すごく物覚え悪い奴みたいじゃん。
眉を眉間に寄せて名岸と沙耶を交互に見つめる俺。
「葉桜くん……あの……いいですか?」
「あ、ほら。きた」
沙耶は、獲物が餌に食いつくような……そんな感じのニュアンスで発言した。
意味もわからず、ふたりの視線の先を目で追えば……前の黒板に近い教室のドアで、同い年だろうかひとりの女子が恥ずかしそうに教室内に顔を覗かせていた。
指名された月夜はその女子と何やら話し込んでいる。
「あの子、葉桜くん目当てなのよ」
名岸が口を開いた。
「アンタっていう許婚がいるってのにね、知っていても諦められないっていう子多いんだよ」
ズキン。
俺の胸が痛みだす。
月夜は女子に微笑んでいる。
俺といる時と同じで優しい笑顔だ……。
仲がよさそうに話す女子は、背が低くて、守ってあげたいって思うような……とてもかわいい感じの子だった。
「べっ、別に……いいんじゃない? モテるのは悪いことじゃないし……」
――いやだ。
本当は……俺以外に優しい笑顔を向けないでほしいとそう思っている。
でも、恥ずかしくて素直に自分の気持ちを言えないんだ。
俺は仲良く話す月夜と女子から無理やり顔を逸らした。
「ふ~ん」
俺の言葉を信じていないんだろう、沙耶がじと目で見つめてくる。
「なに?」
見透かされたような目に、思わず萎縮してしまう。
「別に……いいけどね」
沙耶は、『何を思っているのかお見通しだ』と言わんばかりの目を向けて、話しを逸らした。
「そういえば昨日やっぱ迷った?」
『昨日』
沙耶の言葉で昨日、男子に襲われそうになったことを思い出した。
今の今まで忘れてるってどうよ?
それだけ月夜のことで俺の頭がいっぱいってことだ……。ある意味すごいな俺……。
思わず苦笑してしまう。
そんな俺の表情が何を思ってのことかわからないんだろう、沙耶が眉根を寄せてじっと俺を見つめてきた。
「あ、いや……昨日……結局倉庫の場所わからなくなってさ……ごめん」
嘘をついたのは、沙耶に余計な心配をかけさせたくないっていうのと、月夜に昨日のことを深く探られないためっていうのがある。
――昨日の襲われそうになった件に誰かが……『藤堂 美影』が関与しているかもしれないということは月夜には言っていない。あくまで俺の憶測だし、月夜にも余計な心配をかけたくないからだ。
「やっぱり……あんたってしっかりしているようでどこかヌケてるのよ」
沙耶は、うんうん。とうなずいた。
……ほっとけ。
悪かったな……ヌケてて……。
口には出さずに心の中で言ってみたりする。
その時だった。
誰かの射抜くような視線を感じたんだ。
俺は鋭い視線の先へと顔を上げて見つめた。
藤堂 美影。
彼女が、俺を睨んでいたんだ。
やはり、昨日の件は彼女が絡んでいるのだろうか……。
ごくり。
緊迫した張り詰めた空気が俺と美影の間にだけ流れる。
視線をはずしたのは彼女の方だった。男子に話しかけられたからだ。
――俺が男だって気づかれないよう気をつけよう。
俺は再度、自分がおかれている現状を把握した。