□俺だって!!□
肌寒い空気。けれどあたたかい太陽の光が俺を包み込む――。
それはまるであの人のようだ。
「………………ん」
閉じていた瞼をあけたと同時に目の中に飛び込んできたのは、あたたかな真っ白い朝独特のさわやかな太陽光。
まぶしい光に思わず目を細め、その先にいるだろう大好きな彼を見ようと顔を向ければ――――誰もいなかった。
俺は掛け布団を被ったまま、むくりとだるい身体を起こし、周囲を見回しても家具意外は何もない。
「月夜?」
愛おしい人の名を口にしても返ってくるのは小鳥の鳴き声ばかりだった。
「…………………………」
どこへ行ったんだろう?
ベッドから抜け出し、家中を徘徊しても、やはり月夜の姿はなかった。
――月夜はいったいどこに行ったんだろうか?
俺は起き抜けのボーっとする頭で、昨日の出来事を思い出した。
昨日、俺は月夜の親父さん、嘉門さんに会った。
そして、月夜と別れてほしいと頼まれ、承諾した。
月夜を突き放そうとたくさんひどい言葉を言った。
もう……彼とは一生会わないつもりだった。
昨日で月夜と過ごすのも最後だと思った。
なのに……。
月夜は俺を手放さなかった。
酷いことをさんざん言ったのに、月夜は俺を許し、傍に置いてくれたんだ。
……俺ってこんなに涙もろい奴だったのかと呆れるほど月夜の腕の中で泣きっぱなしだったっけ……。
でもって、そのまま寝てしまったんだ。
ぎゅるるるるる……。
突然、俺の腹が空腹を訴えて鳴った。
そういえば、昨日はあまりご飯を食べていなかったような気がする。
腹をさすってキッチンへと向かえば、テーブルの上にお椀と茶碗。湯のみ一式が置いてあった。
手前には、白いメモ用紙に綺麗な文字で書かれた紙一枚が残されていた。
――あ、月夜の字だ。
俺は腹が減っているのにも関わらず、躊躇いもせずメモを手に取った。
手紙の内容はいたってシンプルなもので、鍋に味噌汁があることと、ご飯はもう炊けていること。魚はグリルの中に入っていることが書いてあった。
あと――。
少し出かけてくるという文字だけ…………。
少し……ねぇ…………。
月夜の出かけ先は知っている。
昨日、月夜はたしかに、『俺とのことは父さんに直接話す』と、そう言っていた。
おそらく、嘉門さんと話し合いをしに行ったんだろう。
そのことを手紙に記さなかったのは、俺に心配をかけさせたくないための考えだと思う。
けどさ、月夜。短い間だったけど、俺だってずっと月夜を見てるんだ。お前の考えくらいはわかるよ?
俺は月夜を追いかけれるよう、急いで支度をして用意してくれたご飯を腹の中に入れた。
服……どうしよう。
女物しかない。唯一女物でもさっぱりしたような服装のものは昨日着てしまった。昨日の服はまだ洗濯機の中に眠っているだろう。
だったら、これ……着るしかない?
クローゼットから桃色のワンピースを取り出し、身に着けた。
葉桜家にはもう俺の正体バレてるってのにさ……。この格好はかなり滑稽だ。
緊張しないってのは嘘になる。
だって、嘉門さんには『別れる』と約束したにも関わらず、俺は約束を破ったんだ。
非難される言葉が返ってくるのは目に見えている。
そんな場面に女装していく俺はかなり間抜けだ。
下手したら、馬鹿にしているのかと逆上されるだろう。
けど……今の俺にはこういう服しかないし……。
だからといって、このまま家に居て月夜にすべてをまかせるなど俺にはできない。
仕方ないか……。
俺は大きくため息をつくと、家を出た。
向かう先は、月夜の実家だ。
昨日、足を運んだ道へとまた進んでいく……。
気の所為だろうか。
同じ時間帯、同じ天気なのに昨日より道が明るいように見える。
それはきっと、月夜と同じ気持ちだと思ったからだな。
昨日よりも軽い足取りではありながら、緊張して広い邸宅へと向かった。
「で……どうしよう…………」
来たのは来た。
俺の目の前には大きな鉄の扉が立ちはだかっている。
だが、これからどうすればいいんだろう。
昨日来た手前、しかも嘉門さんとの約束を無視した手前、インターホンを鳴らして『亜瑠兎です』とか胸張って言えるわけがない……。
しかも……この姿だし……。
……あ、ダメ。
すごく落ち込んできた。
自分の姿を見下ろして、しばらくダメージをくらっていると……。
「あら? あなたは……亜瑠兎ちゃんね?」
俺の少し斜め上から温和な声が聞こえ、俺が見上げれば……そこには紅色の和服を着た女性がいた。
「早苗さん……」
彼女は買い物に行っていたのだろう。
細く華奢な身体よりも少し大きめのカゴタイプのカバンを持っていた。
白ネギがちょこんとカゴから顔を出している。
母さんと同じくらいの年齢だと思うのに、柔らかく微笑む早苗さんはとても綺麗で気品がある。
俺は早苗さんにペコリと頭を下げた。
「フフ……前見た時よりもずっとかわいらしくなったわね~」
えっと……なんて答えたらいいんだろう……。
というか、早苗さんって俺が男だって知ってるんだよな?
開口一番に『かわいい』って……。しかも花音だと騙していたのに怒らないのか?
早苗さんは小さな赤い唇を手で隠して微笑んでいる。
……意味がわからない。
「あの……」
俺が口をひらくと、早苗さんは、「月夜なら中にいるわよ。ささ、上がって」と俺の背中を押す。
――え?
いや……いいのか?
……などと硬直している間にも、早苗さんは買い物カゴから鍵を取り出そうとしている。
「あ、持ちます」
鍵を取り出しにくそうにしていたものだから、俺は買い物カゴを早苗さんの手から買い物カゴを受け取る。
「あら……ありがとう。……フフ」
彼女はそう言って微笑んだ。
なんだか……。早苗さんといるとすごくムズガユイ……。
悪い意味ではなく、もちろんいい意味で。
緊張で張りつめていた呼吸が自然になるっていうのかな。
……気持ちが穏やかになっていくんだ。
――ああ、そっか。この感覚は月夜と同じなんだ……。
トクン。
そう確信すると、俺の心臓はひとつ大きく鼓動する。
今すぐ月夜に会いたくなる。
少しの間だけでも離れたくはないと思ってしまう。
こんなんで俺、昨日はよく別れる決意できたよな……。
思わず苦笑してしまう。
そんな俺の耳に、カチャリと金属音が通った。
「さあ、中に入って。おいしいお菓子を用意するわね」
そう言って、早苗さんはゆっくりと門をくぐっていく。
「あの…………俺……」
ギュッと桃色のワンピースを握り、そう言ったのは、玄関の前で靴を脱ぐ時だった。
屈んでスリッパを出してくれる早苗さんは、立ち尽くす俺を見上げた。
「あの……俺……男ですよ?」
そう言った声は小さなものだった。
さっきよりも小さい声になったのは、拒絶されるかもしれないと思ったからだ。
早苗さんはさっき、たしかに『亜瑠兎』と俺の名前を言った。
だが、あまりにもこの状況は受け入れがたい。
だって俺は女だと偽り、月夜を……葉桜の人たちを騙していたんだ。
男同士で結婚なんてできるわけもなく、ましてや月夜には跡継ぎがいる。
こんな……。
こんな理解しがたい関係は誰も望むことではない。
なのに、早苗さんは俺に笑いかけ、家に案内するどころか、菓子まで用意するとか言ってくれる。
有り得ない反応なんだ。
花音のかわいいワンピースは俺が握りしめているために皺だらけになっている。
帰ったら……花音にこっぴどく怒られるな……。
張りつめた空気の中、俺はそんなことを考えてしまった。
そんな俺に、早苗さんは何とでもないようにコクリとうなずいたんだ。
「ええ、知ってるわ」
――知っている。やっぱりな。
だけど意味が分からない。
「だったら!! 俺へのこの対応はあまりにも……」
自分のことを否定したくなくて、口ごもれば早苗さんが俺の言葉の続きを告げる。
「おかしい?」
「はい」
早苗さんの言葉に、コクリとうなずく俺。
そんな俺に、早苗さんは、う~ん。と少し考えるようにひとつ唸って、話しはじめた。
「だけど、あなたは月夜の好きな人よ?」
「え?」
目を丸くしたのは、間違いなく俺だった。
――早苗さんは何を言っているんだろう?
俺は早苗さんが何を言いたいのか知りたくて、何度も瞬きを繰り返す。
「月夜が大切な人は、わたしにとっても大切な人。亜瑠兎ちゃん……わたしは、月夜が選んだ人があなたでよかったと思っているの」
「?」
それは、どういう意味だろう?
首をかしげると、早苗さんはニコリと微笑んだ。
月夜と同じような笑い方で……。
「そういう亜瑠兎ちゃんの仕草が、月夜は好きになったのかしらね」
「え?」
「なんとなく、なんとなくだけれど、よくわかるわ。あなたも知っているかもしれないけれど、月夜は……ひとりで責任を背負ってしまいがちなの」
「はい」
うなずくと、またニコリと微笑んだ早苗さんは、話しを続けていく……。
「さっき、わたしが荷物を持っていた時、あなたはわたしの荷物をためらいもなく持ってくださった」
「あれは……その……鍵、取り出しにくいかな……って……」
俺の言葉に、早苗さんはうなずいた。
「ええ、そうね。ありがとう。亜瑠兎ちゃんは、そうしてくれた。それは当たり前だと思っているでしょう? でもね、悲しいけれど、そんな方はなかなかいらっしゃらないの……。わたしたちとお付き合いしたいとおっしゃってくださる方は、みんな自分のことばかり……。荷物は付き人に持たせてしまう。自分が大変な思いをしなければそれでいい。そう思っていらっしゃる方たちばかり……」
早苗さんはそう言うと、目を閉じた。
本当に悲しそうだ。
俺は無言で早苗さんの言葉の続きを待つ。
少しの間、沈黙が玄関を包んだ。
そして、早苗さんが伏せていた目をそっと開けると、また話しはじめる。
「亜瑠兎ちゃん、わたしはね、こう思うの。月夜の荷物は月夜のものよ。けれど……あの子の家のことは……そこに居る家人全員が持つべきだと思うの。月夜は、いつも自分だけで重い荷物を持ってしまうのよ。けれど、あなたなら……あなたなら月夜を助けてくれる。そう思えるの。だから、反対なんてしないのよ。むしろお礼を言いたいわ。月夜を見つけていただいて、ありがとう」
「そ、そんなお礼を言われるようなことは何も!!」
両手を顔の前に持ってきてパタパタと振る俺。
「いいえ、そんなことはないの。だって……あの子、変わったもの」
「変わった?」
「ええ、以前は嘉門さんの言うことをすぐに聞き入れる子だった。無理もないわ。昔から、あの子はいつも華道家としてのノウハウを教えられてきたもの。厳格な父親に苦手意識を持つのは当たり前ね。自分の意見は二の次。あるのは葉桜としてどう動けばいいかということだけ……。だから必然的に自分の意見は持たなくなる。けれど……今は……。自分の意見を述べれるようになっているわ」
「それって……」
いいことなのか?
眉間に皺を寄せてしまうと、早苗さんは、「さあさ、中へ入って」俺の腰に手を当てて、中へと進めてくれた。




