□王子様のためにしなければならないこと□
雲ひとつない青空に力強い太陽が登りゆく……。
隣で安らかな寝息をたてている月夜を余所に、俺はカーテンの隙間から見える太陽の光を見つめていた。
今日で月夜と暮らす時間が終わる。この瞳に彼の姿を焼き付けておきたかった。
昨日の晩から、俺は月夜に何度も抱かれ続けた。
俺も負けじと何度も月夜を求め、むせび泣き、月夜を感じた。
俺の身体そこらじゅうには月夜がつけた愛の痕が残り、そのおかげで月夜は疲れて眠っている。
朝方まで抱かれた俺の方が疲れているはずなのに、どうしてかな……目はとても冴えている。
今日で彼を見ることができなくなると思うと、胸が苦しい。
涙が溢れてくる。
月夜……。
深い眠りについている彼の姿を見つめていれば、別れたくないと思う俺の気持ちとは裏腹に、あっという間に嘉門さんとの約束した時刻になる。
俺は軽くシャワーを浴びて、滑稽とも思える花音の服をクローゼットから引っ張り出した。
花音の服はいつもレースやらフリルやらが付いているのだが、ひとつだけパーカーとジーンズというシンプルな物を見つけた。
これでいいやと半ばあきらめ、着用するだるい腰は相変わらず締め付けられて痛い。
足を動かすたびに身体中が激痛を訴えてくる。
だが、こうなったことは後悔していない。
これでもいいと思えるほど月夜が愛おしいんだ。
だって、月夜と巡り逢えたから。
この世界に、月夜がいることを知れたから。
「今までありがとう。月夜、大好き」
寝室に戻り、眠っている月夜の耳にそっと話しかけると、葉桜家へと足を運ばせた。
厳重なセキュリティーに守られた高級マンションからなだらかな斜面を歩くこと約十五分。
一軒の大きい豪邸が俺の目に入った。
広い庭に囲まれた家は、俺が今まで見たことのないほど綺麗なものだった。
カコン。
豪邸から鹿威しが鳴っている。
ゴクリと唾を飲み込んで、大きい門についているチャイムを押した。
「はい」
中から女性の声がインターホンを通じて聞こえてきた。
「あ――篠崎 亜瑠兎です」
言葉がつまったのは、花音と名のるべきか、はたまた亜瑠兎だと名のるべきかと考えたからだ。
だが、もう嘉門さんにはすべてが知られているわけで、結局自分の名を名のることにした。
「はい、お待ちしておりました。少々お待ちください」
女性の声がして、しばらく待つと、エプロン姿の四十二、三歳だろうか。
俺よりも頭ふたつ分ほど背の低い、白髪まじりの女性が姿を現した。
彼女は手際よく門を開けると、「どうぞ」と言って俺を中へと迎え入れてくれた。
「こちらでお待ちください」
家全体を囲むような広い縁側をぐるりと歩き、ひとつの居間へと通される。
正座して障子を開けると、彼女はすぐに障子を閉めて嘉門さんを呼びに向かったんだろう、部屋から出て行った。
十畳はある井草の香りがする部屋でぽつりと取り残された俺は、ふたつ向かい合ってテーブルを挟んで置いている入り口に近い紫色の座布団へと座った。
障子から入り込んでくる静かな太陽の光を背中に受けながらでも、緊張は解かれることはなかった。
いったいどれくらいの時間だっただろう。
永遠とも思われる長い時だったように思える。
それから少し待つと、目の前の襖から和服姿の、ひとりの男性が現れた。
漆黒を思わせる髪に、ところどころ白髪が混じっているその髪と鋭く射抜くような鷹のような目は威厳をかもしだしている。
葉桜家当主、そして、月夜の父親である嘉門さんだ。
「待たせたね」
太い声を俺に向けて座布団へと座る彼の雰囲気は、とても高貴なものに感じられる。
月夜の雰囲気とどことなく似ている。やっぱり親子だ。
「いいえ」
やっとのことで言えた言葉は、緊張でかすれていた。
「君がなぜここに呼ばれたかは知っているだろう。前置きはなしにしょう」
なんとか緊張から身を守ろうとする膝の上で握った握りしめた掌にはじっとりと汗が張り付いている。
コクリ。
うなずく俺を見て、彼は話を続ける。
「単刀直入に言う。月夜と別れてくれ。遺書はなかったことにしてほしい」
そうくるだろうとは思っていた。
だが、あらためて耳に入れれば、俺の身体は萎縮してしまった。
「君では月夜に相応しくない。いや、女性であれば問題はなかったんだよ。だがね……。あれは葉桜の次期当主となる。それが男と関係を持っていることが世間にでも知られれば、この家は途絶えてしまう。それに、月夜には跡継ぎは必要だ」
「ええ、存じています」
俺は言いにくそうに眉を寄せている嘉門さんにみなまで言わなくてもいいと受け流した。
「……聞くところに寄れば、君は時計が欲しかったのだとか?」
――ああ、最初はそうだった。花音が嫌がるから、俺はロレックスに飛びついたんだ。
「はい」
「そこで……だ。これを君に」
嘉門さんは袖の中から茶封筒を取り出し、テーブルを挟んで俺の方へと持ってきた。
「これは……?」
いったいどういうつもりだろうか?
差し出された茶封筒と嘉門さんを交互に見つめ、尋ねた。
「この中には時計が買える十分な金が入っている。これで買えばいい。今回のことは、遺書に背いた君たち家族の責任ではある。だが、月夜はそのことを知っていたようだし、おそらく君は月夜に……」
嘉門さんがそこまで言って眉をひそめた。
それはきっと嘉門さんが現実として受け止めたくない出来事なんだ。
彼の言いたいことはわかる。
『月夜に抱かれた』ということを言いたかったんだろう。
身体を奪われた俺に、さすがの嘉門さんでも罪悪感が芽生えるのだろう。
嘉門さんは、俺たち家族を訴えるようなことはしないと約束してくれた。
「その代わり、この件はなかったことにしよう」
その言葉は、言い方は、まるで俺と月夜の恋は一時の何かの間違いだとそう告げていた。
たしかに、男同士でこんなことは馬鹿げていると思う。
実際、月夜と出会う前はこんな恋愛が存在することなど有り得ないと思っていた。
だが、今は違う。
俺のこの想いは真実だし、大切なかけがえのないものなんだ。
「……わかりました。月夜さんとの件はなかったことにいたします。二度と、月夜さんの前にも現れません。ですが、これは受け取れません。俺が身を引くのは金のためじゃない。月夜が幸せになってくれるために願ってすることだから……」
俺の言葉に、嘉門さんは目を見開いた。
まるで、俺の言っていることが信じられないと言わんばかりだ。
信じられないならそれでいい。
俺は、俺のことを信じるまでだ。ほかの誰も、信じてほしいなどとは、はなから思ってはいない。
打算だらけな恋だったけれど、これは俺の……真実の恋だから。
「君は……」
「ひとつ、お教えいただけますか?」
今まで緊張感丸出しだった俺だが、彼らと付き合うのはこれで終わりだと思うと、急に背筋が伸びた。
そんな俺を見た嘉門さんは、はじめてたじろぎを見せた。
俺はかまわず尋ねる。
「なんだ?」
襟元をただし、そう言った彼の顔は、ここへ来た時の貫禄がある姿に戻っていた。
「月夜さんの許婚は、どなたになるのですか?」
「藤堂 美影くんにするつもりだ」
やはり、そうなるだろう。
俺は納得しきれない自分の思いを隠し、お辞儀をして嘉門さんから背を向けた。
これで、『別れる』と月夜に告げるだけだ。
俺は悲しい想いを胸に秘め、月夜がいるマンションへと戻った。
月夜に、『さよなら』を言うために……。




