■悲しい思いを秘めて■
いまだ取れない気だるい身体を庇うため、ソファーに横たわり、テレビをつけてボーッとしている俺の耳に入ってくるのは風呂場から流れる水の音だ。
今、月夜は風呂に入っている。
それは晩ご飯を食べ終わった後のことだ。
月夜は、『一緒に入る?』とかぬかしやがった。
入るわけがない。
というか、無理!!
あんな明るいところで一緒にとか、有り得ない!!
俺の心臓がいくつあっても足りない。
俺が断固拒否すれば、『いまさら恥ずかしがらなくてもいいんじゃない?』と、俺の好きな笑顔で微笑むんだ。
そりゃ、月夜には抱かれたし、俺の全部を見られたわけだが……だからといって恥ずかしいという気持ちがなくなるわけがないだろう。
鼻息荒くして怒りながら、ひとりで入れと月夜の背中を押した。
そうして月夜は渋々といったような雰囲気でひとりで入浴しているわけだ。
目の前にあるテレビの中では二人組みのコンビが漫才の掛け合いをしているが、今の俺はそれどころではない。
月夜の入浴中の水の音が、『抱かれた』という事実に拍車をかけてくる。
テレビから聞こえてくる観客の笑い声は俺の頭には入って来ず、耳から耳へとすり抜けていくばかりだ――。
――そんな時だった。
ピリリリリリ……。
テーブルの上に置いていた俺の携帯が赤く点滅し、甲高い音が鳴った。
いったい誰からだろう?
鳴り止まない携帯を見つめ、何やら嫌な予感をしながら着信通知の画面を見ると、俺の知らない電話番号を示している。
「……もしもし?」
携帯を開けて耳元へと持っていく。
口をひらけば、『篠崎 亜瑠兎くんだね?』
聞こえてきたのは、俺がよく知っている声だった。
ドクン。
聞こえてきた声に俺の心臓が大きく鳴った。
「嘉門さん……」
緊張からか、俺の声はかすれてしまった。
『直接会って君に話したいことがあるんだが……月夜はどうしているかな?』
落ち着いた声だが、嘉門さんがどういう気持ちで電話をしているのかはわかる。
おそらく、藤堂 美影が嘉門さんに『花音は女ではない』と告げたんだろう。
でなければ、彼が俺の名前を口にするはずはないのだから。
――ああ、月夜とのひと時がもう終わるんだ……。
そう思えば、目尻から涙が勝手に零れ落ちていく――。
「月夜なら、今は風呂に入っています」
『そうか……明日、いいかな? 君とふたりで話そう。午前十一時にわたしの邸宅でどうだい?』
「はい、わかりました。お伺いします」
嘉門さんと話したという事実をこれ以上むざむざと感じたくなくて、携帯の電源を切った。
ピッ。
短い音と共に、携帯の明るい光は消える。
だけどよかった。
嘉門さんが直接俺に電話をしてきたということは、まだ俺の家族には何も言っていないのだろう。
家族には、今はまだ余計な心配をかけずに済む。
まあ、そりゃそうか。
まがりなりにも月夜は俺を男だと知っていて傍に置いたんだ。
遺書に反しているとはいえ、月夜本人が同意している以上、力ずくでは問題は対処できないだろう。
――明日の朝、すべての決着がつく。
そして明日、俺は月夜と別れるんだ。
ガチャリ。
風呂場のドアが開く音がして、慌ててテレビのチャンネルを変えた。
同時にスリッパの足音が近づいてくる。
「亜瑠兎?」
背中越しから俺を呼ぶ彼の声が聞こえた。
平静を装おうとしたが、やはり無理だ。
悲しい感情を抱いた俺の身体はびくりと上下してしまう。
振り向けば、俺を映した月夜の目は、大きくひらいていく……。
「いったいどうしたの? なんで泣いているの?」
最悪だ。月夜に俺が泣いていることを知られた。
だけど涙の理由を知られない策はある。そのためにリモコンのボタンを押したんだから……。
「あ、これ? ちょうど別れていたふたりがくっつくシーンでさ……」
俺が慌ててお笑い番組から純愛ドラマへとテレビのチャンネルを変えたのは、涙を隠すためのもの。
ぐいっと肘で涙を拭く俺とテレビを交互に見た月夜はうなずいてくれた。
……よかった。
変に思われなてない。
内心、ほっと息をつく。
「亜瑠兎がまさか、そんなにロマンチストだとは思わなかったな」
「意外で悪かったな!!」
グスリと鼻をすすって月夜を睨む。
「ああ、そう言う意味じゃないんだよ。ごめん、怒らないで。君は本当にかわいいね」
「っ!!」
赤面してしまう俺の隣に座って、月夜はにこりと微笑む。
――かわいい。
言われた言葉が嬉しいと思うのは月夜だけだ。
愛おしいと思うこの想いもすべて、月夜だけ……。
そう思えば、さっきよりもずっとずっと月夜を想う気持ちが増していく。
俺はたまらず隣にいる月夜に抱きついた。
「亜瑠兎?」
驚くのも無理はない。
だって、俺から抱きつくのは今がはじめてだから。
……月夜……俺、明日。あなたにさよならをしなきゃいけないんだ。
だからその前に、もう一度……もう少しだけあなたを感じたい。
「抱いて」
俺は月夜に縋りつき、涙を隠して懇願した。




