□ライバルは突然牙をむく□
月夜とはじめてのデートをして、はじめて俺からキスして、幸せな日々はそのまま五日目を過ぎようとしてた。
この幸せは長くは続かないことは知っていた。
だが、その時はあまりにも早く来たんだ。
――それは放課後。
学校から帰る正門のところで、月夜と俺はある人物に呼びかけられた。
ある人物っていうのは、月夜の父親、嘉門さんと仲の良い父親を持つ彼女。藤堂 美影だった。
彼女は今日、珍しく連れの男子なしでひとりで現れたんだ。堂々とした姿を見た俺は、何かとてつもないことになりそうな予感がした。
とても嫌な予感がする。
俺はふたりに気づかれないよう、こっそり唾を飲みこんだ。
冷たい木枯らしが時折俺に向かって吹きすさぶ中、彼女は月夜と俺を人気がない静かな裏庭に呼び出した。
まるで俺からすべてを奪っていくような、今まで大切にしていた物も何もかもを掻っ攫うような、そんな空気が流れていた。
「いったいどうしたの? こんなところに呼び出したりして……?」
はじめに口をひらいたのは月夜だ。前方に立っている自信満々といったところのお嬢様を見つめていた。
「月夜くん……あの……」
藤堂 御影は、俺と向かい合う時はいつだって睨んでいたのに、月夜といる時だけはおしとやかなお嬢様になる……。
そんな彼女と向かい合う俺の心情は、なんともいえないモヤモヤした気持ちになった。
彼女は口元に両手を当てて、とても悲しそうに月夜を見つめている……。
いまさらかわい子ぶるなよ。取り巻きの男たちに命じて強姦まがいなことを俺にしようとしたくせに……。
そうは思っていても月夜の手前このことは言えず、口を閉ざしていると、彼女は眉をひそめて話していく。
とても、言いにくそうにして……。
「あたし……篠崎さんとは仲良くなれると思っていたの……」
何が仲良くなれるだよ。思ってもないくせに……。
俺は心の中で毒づく。
「……月夜くん……本当は、こんなこと言いたくないけど……」
ちらり。
今まで月夜を一心に見つめていた藤堂 美影は、ふいに俺を横目でとらえる。
目の奥では何かを企むかのような鋭く光るものが宿っていたことはわかった。
その目つきを見た瞬間、急に俺の身体は寒気を覚え、震えがはしる。
俺は恐怖を誤魔化すため、身体中を駆け巡る震えを握り拳をつくって抑えた。
そして、次の瞬間だった……。
彼女は俺の予感を見事的中させてくれるんだ。
「彼女は……。いいえ……彼女じゃないわね……『彼』と呼ぶべきかしら」
「!!」
クスリ。
それは一瞬だったが、たしかに彼女は笑った。
それに、彼女は『彼』と言った。
なんで……なんで藤堂 美影が俺の正体を知っているんだ?
だって、このことを知っているのは俺と俺の家族三人だけだ。
他に告げ口をするような奴はいない。そんなことをしようものなら自分自身に火の粉がやってくる。
だから、告げ口など有り得ない。
全身が冷たい空気に包まれて、心の底まで冷えていくのがわかる。
彼女の発言によって自分が立っているのか、座っているのかさえもわからなくなった。
平衡感覚が失われ、力なく藤堂 美影を見つめることしかできなくなる。
「どういうこと?」
彼女の言葉にいち早く反応したのは月夜だった。
月夜の声はいつもより低い、威嚇するような低い声音になっていた。
その怒りの矛先は知っている。
…………俺だ。
だって、月夜は俺を見つめているんだ。
好きな人に、冷たい視線を向けられて平気なフリはできない。
俺は唇を噛み締め、ただ漠然と目の前にいる藤堂 御影を見つめていた。
「ねぇ、自分から言えないのなら、あたしが代わりに言ってあげるわ」
何も反応しない俺に向かって彼女はそう言うと、スカートのポケットから取り出したのは小型の四角い機械だった。
背筋が凍りついていく。
まだ秋という季節なのに、自分だけ季節が冬へと変化したかのようだ。
彼女は、にたりと嫌な笑みを浮かべて手元にある小さな機会のボタンを押した。
カチリ。
冷たい音と共に、機械から流れてくる声は妹、花音のものだった。
『ねぇ、亜瑠兎はうまくやってる? あ、ほら。いくらあたしと同じ顔だからって中身まで女になることできないでしょ? でも、安心したな~。葉桜さんのとこにいるの、あたしじゃなくって亜瑠兎だって知ってる友達がいて……心配だったんだよね~』
どうやら再生は終了したらしい。
彼女はそそくさと大切そうにポケットへと小型の機械を直した。
たった数秒の花音の言葉。
だが、俺を奈落へと突き落とすのには十分な時間と内容だった。
俺は苦痛と悲しみを耐えるため、両の拳をより強くにぎった。
身体中にめぐる血は血流するのを止めたかのようだ。俺の身体は冷たくなっていく……。
「ね? ひどいでしょ? 彼女――いいえ、彼と彼の家族は全部月夜くん一家を騙していたのよ!!」
ああ、知られてしまった。
こんなに早く知られる日がくるなんて思わなかった……。
痛い。
胸が痛い。
苦しい……。
ふたりの視線がうつむく俺を射抜く。
きっと、月夜は俺のことを最低な奴だとか……そう思っているに違いない。
月夜の顔を見るのが怖い。
「……っつ!!」
俺はたまらず膝を折った。
そして――。
「頼む月夜!! これは……このことで俺を責めるのはかまわない。俺のことを最低な奴だと罵ってもらってもかまわない。だが……俺の家族だけは……許してくれ。悪気がないなんて言葉が通用することができないのも知っている。だけど…………家族だけは……頼む……」
土に頭をこすり付け、土下座しながら謝る俺の口の中は、しょっぱい塩の味がした。
俺――泣いてるんだ。
泣くほど月夜が好きなのだと実感してしまう。
いまさらこれ以上好きになってもどうしようもないのにな……。
俺ってどれだけおめでたい奴なんだろう。
だが、ここで泣いていたって事は何も解決しない。
偽りの姿だった俺だが、月夜に言った想いは……言葉は……嘘偽りはないんだ。
月夜を好きだと言った言葉だけは本当なんだ。
だから、言葉を紡いでいく……。
最低だと、滑稽だと思われてもかまわない。
俺の、この意思と想いだけは真実だから。
「……同姓を好きになるなんて気持ち悪いって……思われてもいい。……性別を偽っていたのは本当だけど……月夜に話したこともすべて本当なんだ……」
月夜を誇りに思っていることも――。
支えになりたいと思ったことも――。
本当なんだ。
「俺、月夜が好き……それだけは……どうか信じて…………」
――どうか……どうか……。
この言葉だけは――聞いてほしい。
俺の言葉、これで最後にするから……。
月夜が消えろというのであれば、消えるから……。
「ちょっと、なに? じゃあ、あんた、月夜さまを好きだというの? うそでしょう? 同じ性別なのに?」
俺の頭の中に直接的に入ってくる藤堂 美影の言葉は、そのまま凶器と化し、胸を突き刺してくる。
……そうだよな。
気持ち悪いよな。
告白された月夜はさぞ不快だろう。
だが、この想いだけは誰にも否定されたくはない。
俺は、ただ黙して月夜に拒絶される言葉を投げかけられるのを待つ。
冷たい沈黙の中、俺の無様な嗚咽だけが聞こえていた。
「言いたいことは、それだけ?」
「……っつ!!」
冷たい月夜の声が聞こえてきた。
怖い。
だが、月夜を傷つけたのは俺なんだ。
だから、俺はその報いを受けなければならない。
怖くて……怖くて……恐怖で震える手の爪先には、思わず握ったために土が入っている。
「言いたいことは、それだけか」
俺は、グッと唇を噛みしめて、月夜の冷たい言葉と視線を一身に受け止めた。
――ああ、あんなに優しかった月夜をここまで怒らせてしまった。
好きだった。
いや、今だって好きだ。
でも、月夜はもう、あの優しい笑顔を俺に向けることなど一生ないだろう。
覚悟して目を瞑れば、月夜の優しい笑顔がまぶたの裏に焼きついている。
……もう、永遠に見ることのできない、月夜の微笑が――。
絶望が俺を蝕んでいく――その時だった。
ふわり。
――え?
驚いたのは、俺の身体が突然宙に浮いたからだ。
地面を見つめていた俺は、ふいの出来事に思わず顔をあげてしまう。
俺の目の前には月夜の顔があったんだ。
……な……に?
なんで俺は今、月夜に横抱きにされてるの?
見ている光景が信じられなくて、何度も何度も瞬きを繰り返す。
目をこじ開けて、斜め上にある端正な顔立ちをした月夜を見つめた。
そんな鋭い月夜の視線の先は俺ではなく、藤堂 美影の姿があった。
今起こっている出来事が理解できず、向かい合うふたりを交互に見つめる。
「どういう…………こと?」
月夜の行動は彼女の意表をついたらしい。藤堂 美影の目は大きく見開き、俺と同じく意味がわからないのだろう。大きい目をさらに見開き、唖然としていた。
美しい顔立ちをした彼女の表情は、やがて歪んでいく――――。
「知っていたよ、そんなこと。花音が男だってことはとっくに、ね」
「うそ!?」
「嘘じゃないよ。だって、俺はいつだって彼を見ていたから」
藤堂 美影の言葉に間髪あけず否定する月夜。
「……月夜?」
「嘘じゃない。俺が見ていたのは……ずっと君だった」
俺の乾いた声で告げた言葉に、月夜は藤堂 美影から視線をはずすと俺を見下ろした。
その瞳は、相手を鋭く射抜くような瞳ではなく、目を細めて微笑む、優しい……俺が好きな、あの笑顔なんだ。
「写真に映った君の姿も、『華道家』としての俺を見てくれた君も……俺が見てきたのは、いつだって『花音』ではなく、『きみ』だった」
そして、彼は……ゆっくりと告げたんだ。
「君が誰だってかまわない。
大切なことは『それ』じゃなくって、俺のことを理解しようとしてくれた『きみ』なんだ。亜瑠兎、好きだよ」
――月夜?
「う……そ? だって、だって……俺は男……」
篠崎 亜瑠兎で……。
祖父さんの遺書とは違う奴で……。
「嘘だと思うなら、ここで神に誓えるが?」
「――え?」
半開きになる俺の唇に月夜の唇が当たった。
それは花音としてではなく、篠崎 亜瑠兎としての、はじめての口づけだった。
「おかしい……おかしいわよ、あなたたち!! お父様に言うわよ!? それで嘉門おじさまに言ってやるわ!!」
しばらくの間、放心状態だっただろう藤堂 美影はそう、口にした。
おそらく、彼女なら本当にやりかねないことだろう。
――こわい。
このことを知った嘉門さんがどう出てくるのかが怖い。
やっと……月夜の傍にいることができるのに……いや、それどころではない。
もし、俺と月夜がそういう仲になっていると知られれば、月夜をどうするのかわからない。
世間体だってある。
俺は俺だけのことを考えればいいかもしれない。
だが、月夜は違う。
月夜は将来を……葉桜としての家を背負っている身なんだ。俺は月夜から離れなければならない。
それなのに離れたくないって思う自分がいる。
俺の中でいろんな想いが交差する。
俺は月夜の肩の部分にあるブレザーを握りしめた。
「どうぞ。俺はかまわない」
だが、月夜は気にしていないようだった。
平然と俺を見つめながら、そう答えた。
まるで、『藤堂 美影など眼中にない』そう言っているようだ。
「っつ!!」
悔しそうな目に俺を入れる藤堂 美影は、一瞥すると走り去った。
「…………………………」
――意味がわからない。
いや、意味はわかる。
だけど月夜に男の自分を受け入れてもらえるなんて幸せすぎて夢のようで……今を疑ってしまう。
残された俺は月夜の熱い視線を受けながら、腕の中で放心状態だった。
「……やっと君を俺のものにできる」
すべてを見透かすような瞳でとらえられれば、俺は身動きどころか息さえもできなくなってしまう。
「あ、あの!!」
どうしよう。
何を話していいのかわからないまま口をひらけば――……。
「逃がさないよ」
そう言って、今までに見たことのない妖艶な笑みを向ける月夜がいた。




