町と姉弟
野菜を切る音がする。あたしは、眠い目を擦りながら階下へ降りた。
鍋の沸く音に、食器の重なる音。
朝は心地好いな、と、勢いよく伸びをして、お気に入りの木のダイニングテーブルを一撫でした。野菜を切っていた弟が振り向いて、「おはよう。」と微笑んだ。
我が弟ながら、凄い奴だ、とあたしは感服する。
毎朝6時には起きて朝食と弁当をこしらえるなんて、あたしには到底できっこないからだ。
「おはよう。」
あたしは欠伸をしながら、椅子に座る。テレビの中で可愛い子ぶった女子アナが、今時流行りのお菓子を食べながらありきたりな感想を吐いていた。なんだかその様が癪に触って、あたしは電源をきる。
「ちょ、姉さん。俺、うさパン好きなんだけど…。」
「あんなぶりっ子、朝から見たくない!」
弟は未練たらしく真っ暗に輝くだけのテレビを眺め、一回大きくため息をついた。
それから、すっかり諦めたのかまたまな板に向かって、野菜を刻みはじめた。
あたしが朝刊に目を向けているうちに、お気に入りのダイニングテーブルの上には立派な朝ごはんが並んでいく。
最後に温かい湯気のたった白米を乗せて、渚は、「姉さん。」と完成を教えた。
向かいに弟が座ると同時に、
「いただきます。」とあたしが箸をとる。
あたしたちは今、小さな盆地の町に住んでいる。あたしはもう社会に出ているし、渚ももう高校生だ。
もう、あたしの心を憂いさせるあの海は近くにない。父さんがそうしようと、してくれた。
「ごちそうさま。」
大した会話もないまま、あたしは食事を終える。
「渚、今日何時くらいに帰る?」
食器をカチャカチャと積みながら、あたしは流しに立ち、袖をまくる。水道を捻ると朝一の冷たすぎる水が勢いよく流れる。
「姉さんは?」
「8時くらいかな。」
水の音で聞こえづらくなったため、声をすこし張り上げる。
すこし傷んできたスポンジを使いながら、そろそろ変えなくちゃいけないなと、考える。
「じゃあそれまでに帰るよ。」
渚は自分の食器をあたしに任せ、弁当を詰めはじめる。
うげ、ピーマン入ってる。
渚は心を読んだみたいに、「ピーマンも食べろよ。」と父さんみたいな顔をした。
近頃、渚はびっくりするくらい父さんに似てきた。あたしには通っていないその血を、はっきりと示す綺麗な顔立ちに、実は時々見惚れたりする。
「なに?」
うっかり目があい、慌てて反らしてから、「ピーマン。」とむくれてみせた。
「ちゃんと食べなよ、子供じゃないんだからさ。」
いつのまにか風呂敷に包んだ弁当箱を置いて、渚は両親と話していた。
「姉さん、まだピーマン食べれないんだよ。いつになったら大人になるやら……じゃ、行ってくるね。父さん。母さん。」
写真の中の父さんは黒く焼けた肌をきらめかせながら、笑ったまま動かない。その隣に控えめに笑う白い肌の母の写真がある。
母が死んで16年。
父さんが死んでから、もう8年が経っていた。




