『修復士たちの優雅なる(?)休日』
『修復士たちの優雅なる(?)休日』
過飾の支配者クリムージュとの死闘を終え、パリに穏やかな日常が戻ってから数ヶ月。
「……たまには、筆も絵の具も持たずに羽を伸ばす日があってもいいはずだ」
リュシアンの思いつきにより、3人はパリ郊外の緑豊かな湖畔へピクニックへと繰り出していた。
どこまでも青く澄み渡る空、爽やかな風にそよぐ樹木。最高のバカンス日和のはず……だった。
「兄貴ー! 水が冷たくて気持ちいいよー!」
湖畔の浅瀬でバシャバシャと跳ね回っているのは、少年の姿に受肉したゲブだ。
相変わらずダボダボの黒銀の上着は脱ぎ捨て(リュシアンに「流されるから脱ぎなさい」と叱られた)、腕と裾を思い切り捲り上げたシャツ姿で、水底に沈む「変わった形の石ころ」を探すのに夢中になっている。
「ゲブ、あまり深手へ行くナよ。濡れたまま風に当たると熱を出すぞ」
リュシアンは木陰に広げたシートの上で、自家製のサンドイッチとレモネードをセッティングしながら声をかけた。
その横では、記憶を取り戻しつつもどこか抜け感が抜けきらない元師匠——ジョルジュ・ポルページが、妙に真剣な面持ちで座り込んでいる。
ポルページの頭には、日除けのために被せられた大きな麦わら帽子。
その鼻の下には、なぜかウィーンの旅で使ったあのカイゼル髭(つけ髭)が、チョコンと貼り付けられたままだ。
「……ポルページさん。なんでまだその髭をつけてるんですか。もう変装する必要はありませんよ」
「なにを言っているんだい、リュシアン」
ポルページは麦わら帽子の庇を軽く持ち上げ、カイゼル髭を指先で自慢げに撫でた。
「休日の紳士たるもの、身嗜みには相応の重厚感が必要なのだよ。この髭があると、なんだかレモネードが3割増しで味わい深く感じるじゃないか」
「ただの気のせいです。……ほら、サンドイッチができましたよ。持って……あ、ちょっと!」
リュシアンの制止も虚しく、ポルページは髭を曲がらせながらサンドイッチを口へ放り込んだ。案の定、パンに塗られたバターとマスタードがついた髭が鼻の下でペトリと横滑りする。
「うむ、芳醇な味だねぇ……おや? 髭が顎の方へ引越しを始めたぞ」
「だから言ったでしょう! ほら、じっとしててください、拭きますから!」
「あはは! ポルページさん、お髭がズレてナマズみたいになってるよ!」
湖から上がってきたゲブが、水滴を弾かせながらお腹を抱えて大笑いする。
「これこれ、ゲブ君。ナマズとは失礼な。これは『バカンス風ダンディズム』という高度な美的表現なのだよ」
ポルページは自慢げに胸を張るが、顎に引っかかったつけ髭のせいで威厳はゼロだ。
やがて、ひとしきりサンドイッチを平らげた3人は、木陰に寝転がって空を見上げた。
ポルページは麦わら帽子を顔の上にのせ、ゲブはリュシアンの隣で膝を丸め、宝物のように拾い集めた「不揃いな石ころ」を愛おしそうに並べている。
「……兄貴」
「ん?」
「僕、いま、すごく幸せだよ。兄貴の本当の弟になれて、ポルページさんも一緒にこうやってお出かけできて」
ゲブの無邪気でまっすぐな言葉に、リュシアンは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「……そうか。僕もだよ、ゲブ」
「ふあぁ……良い風だねぇ……」
帽子の下から、ポルページの欠伸混じりの声が漏れる。
「かつて私が追い求めた『完璧な幾何学の美』には、こんな心地よい木漏れ日も、歪な石ころも、サンドイッチのマスタードの匂いも無かった……。……ふむ、完璧すぎるのも、案外つまらないものだな」
過去の過ちを悔い、再生への道を歩み始めた男の口からこぼれた、心からの本音。
「……気づくのが遅いですよ、元師匠」
リュシアンは苦笑しながら、目を閉じた。
「でもまあ……これからの長い人生で、ゆっくりその雑多な美しさを味わっていけばいいさ」
波の音、風の囁き、そしてゲブの小さな寝息と、ポルページの長閑なイビキ。
かつて世界を揺るがした絶対美の王と、異世界のゴブリン、そして頑固な修復士。
傷痕だらけの3人が織りなす穏やかな休日は、どんな名画よりも優しく、ゆっくりと過ぎていくのだった。




