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最悪な母親に転生したはずなのに、何故か息子の愛が重過ぎる

【2】最悪な母親に転生したはずなのに、何故か世界征服に乗り出してる

作者: 久里

前作「最悪な母親に転生したはずなのに、何故か息子の愛が重過ぎる」の続きのようなものです。よろしくお願いします。

 

 母の腹を縫い合わせた日を覚えている。


 透明な糸を通した刺繍針。潰された足の骨や肉を直して、人魚の皮膚をあてがい、少しでも綺麗に見えるように整えた。十代の息子が居るなんて一目では分からないほど、若々しく美しく、頭はおかしかったけれど気高かった母。

 その生き方に相応しいように、棺の中でも美しくあるように、唇の内側を噛み締めながら針を持った14歳の頃。


 ドレッサーの前に座った母が、赤い口紅を塗るところを見るのが好きだった。

 柔らかな朝の日差し。機嫌のいい鼻歌。淡い金の髪がきらきらと輝いていた。

 あまり頻繁に見られるものではなかった。母の部屋でクッキーを食べてココアを飲んで、うっかり母のベッドで眠ってしまった次の日の朝にだけ見られる光景。綺麗に化粧を施した母が振り向いて、優しい緑の目を細めて「起きたの」と微笑んでくれる。「良い色でしょ。新しく買ったのよ」と得意げに言って、軽くルゼの頬にキスを落としてくれる。

 あの時間が、ルゼは本当に、たまらなく好きだったのだ。


 死化粧を施した母は、やっぱり綺麗だった。見様見真似だったけれど、案外上手く行くものだ。母はよくルゼに「器用ね」と言って頭を撫でてくれたから、ルゼも手先の器用さと記憶力には自身がある。

 母のドレッサーから借りた化粧品達は、まるで生前そのままのように母のことを彩ってくれた。

 青白い頬はほんのりと色付いて、まるであたたかな陽気に導かれて、ゆったりと昼寝をしているようにも見えた。

 母が元々うたた寝をすることの多かった人であったこともあって、まるで生きているように見えたのだ。


 だからだろうか。

 ルゼはどうしても、そうして折角“直した”のにも関わらず、母の死体を棺に入れることが出来なかった。


 ルゼは何もはじめから、母の蘇生を叶えようなんて大それたことを考えていたわけではなかったのだ。

 最初はただ、母さんが死んでしまったことを受け入れられなくて、あんな狭いところに閉じ込めるなんて可哀想だと言い訳じみたことばかりが浮かんで仕方がなかっただけだった。

 こんな狭い棺なんてあの自由奔放な母さんには似合わない。冷たい土の下なんかに埋めたら、寒がりな母さんは震えてしまう。そんなことばかりを考えて、後悔がまるで血のように全身を回って手放せなくて、それだけだったのである。


 母さんの死体を人形とすり替えて隠したのは、それだけの理由だった。

 母さんを生き返らせるための研究を始めたのは、ただ目の前で腐っていく母の死体を見ていられなかっただけだったのだ。何の意味もなく腐っていく母の姿を見るたびに、自分の醜さや自分勝手さを突き付けられているようで苦しくて堪らなかった。ここに母を留めるための理由が欲しかった。


 ただ才能があっただけの14歳の少年。ルゼ・バートリーが禁忌に手を染めた最初の理由なんてそんなものだった。

 だけどそれが、【魔王】ルゼ・バートリーのはじまりでもあったのだ。











 ▪︎


「───い、」

「か、母さん……」

「いやあああああああっ!!!!」


 しかし、百年後。

 不死を得て人の道を外れてまで本懐を遂げた【魔王】ルゼ・バートリーは、悲鳴を上げる母親の前に、青い顔で立ち尽くしていた。


 人を食べているところを見られたのである。

 実のところルゼの不死は、不死とは言っても不完全。定期的に人間の心臓を食う必要があり、それは母の蘇生という念願を叶えた今でも変わらない。母さんを驚かせてはいけないからと思って暫くは隠れて人食いをしていたけれど、これが何ということでしょう。

 ある時ふと、うっかりと、死体から心臓をくり抜いて食べているところを母に見られてしまったのである。


 ここはルゼの部屋の奥、母の知らない隠し部屋のはずなのに。やはり母親の嗅覚というのは、古今東西鋭いことに定評があるものらしい。

 地球という名前の異世界でも、大事に隠していたちょっといかがわしい本がこれ見よがしに机の上に並べられていたというのもよく聞く話であるように。母親というものは何故か、うっかりと息子の秘密を探り当ててしまうように出来ているのだ。


「な、な……っ」


 ぶるぶると震える母の肩。手には焼きたてのクッキーが乗っていた。きっと百年ぶりに息子に食べさせる為、ルゼのことを探してくれていたのだろう。そうする内に、偶然にもこの部屋を見つけてしまったのだろう。


 口の周り、胸元までをべったりと赤く汚して、肉を食らい血を啜る息子を見てしまったのだ。


 ルゼはサッと顔を青ざめさせて、まるで足場を無くしたような気持ちでそこに居た。どうにか弁明したいのに、口がろくに開かなくて、身体は重りをつけられているように動かせない。


 嫌われた、怖がられた!どうしよう、どうしようと頭の中が真っ白になった。

 世には【魔王】と恐れられ、疎まれ憎まれているルゼはけれど、母の前ではただの一人の息子であった。まるで神の審判を待つ信心深い悪人のように、ただ怯えるように、紫の瞳を震えさせる事しか出来なかったのだ。


 が。


「何でそんなもの食べてるの!!??クールー病になったらどうするのッ!!」

「………え?」

「今は多様性の時代だしルゼの趣味は否定しないけど、それにしたって実践するやつは選ぼう!?何でよりによってカニバリズム!?ああもう取り敢えず口の中のものペッてして!あと吐いて今すぐ!吐き方わかる!?待ってね今母さんが、」

「ま、待って待って待って待って!!??ちが、母さん違うから!これそういうのじゃないから!!」

「こらっ、暴れない!!一時の興奮が病気を引き起こすんだよ!?良いの!?お母さんは嫌だけどなぁそんなルゼ見るの!!」

「だっからそういうのじゃないってば!ちょっと母さん辞めて、口に指突っ込もうとしないで!!話を聞いてったら!!」


 どうやらルゼは、この百年間ですっかり忘れていたようであった。

 ルゼの母であるライラが、一体どんな人物であったかということを。


 人差し指と中指を喉に突っ込もうとしてくる母の手を何とか退けて、ルゼは必死に顔を背けた。

 めちゃくちゃに諦めが悪いし、子供の健康がかかっているからかめちゃくちゃに力が強い。火事場の馬鹿力のようなものかもしれない。


 クールー病が何かはルゼは知らなかったけれど、母の話ぶりを聞くに恐らくは人肉を食べた時にかかる病なのだろう、とはあたりが付いた。

 母の知識は狭く深くて、割とニッチなところをカバーしてるので、たまにルゼも知らないことを知っていたりする。もしかしたら前世絡みかもしれないけれど、とにかく心配してくれていることには間違いないらしい。


 ルゼは何とか母を苦労して抑え込んで宥めながら、「そう言えばうちの母さん、かなり頭がおかしかったな」とようやく思い出したようであった。

 それと同時に、「母さんがめちゃくちゃな人で良かった」と心底安堵する。

 今更この世界のどんな人類に憎まれても思うことはないけれど、よりにもよって母に嫌われることだけは、ルゼにはかなり怖かったのだ。




 ───で。

 結局ルゼが母を宥めることに成功したのは、それから30分ほど後のことであった。


「……つまり、病気にはならない?」

「うん、不完全でも不老不死だから。むしろ食べない方が弱っていくかな……」


 ぐったりと疲れた様子で言ったルゼに、ライラは思わずぽかんと口を開いた。

 拍子抜けというか安堵というか、そういうことは早く言って欲しかったというか。まぁルゼがこれを隠したがる理由も分かるので、わざわざ言葉にはしないけれど。


 子供というのは案外臆病なものである。親なんて子供が健やかでさえ居てくれたら嬉しいものなのに、そうと知らないからすぐに後ろめたく思うのだ。

 昔のルゼだって、花瓶を割ってしまった時などには破片を風呂敷のようにしたタオルの中に包み、暫くクローゼットの奥に隠していたことがあった。その時もライラが見つけてしまって、ルゼは随分と絶望した顔をしていた。

 小さなルゼがしょもしょもとライラの前で怒られるのを待つように肩を落としたので、ライラはそれがおかしくて可愛くて、思わず笑ってしまった覚えがある。


「ごめんね、母さん。びっくりした、よね……?」

「それは、まぁ、うん。でもルゼが何ともないなら良かった。それに私もいきなり吐かせようとしちゃったもの。怖かったでしょう?」


 そう言うと母は申し訳なさそうに眉を下げて、「ごめんね、ルゼ」と言った。

 ルゼのボサボサになった黒髪を、整えるように撫でてくれる。柔らかな手のひらは、百年前そのままであった。


 母が生き返ってくれてまだ一週間だけれど、どうやら母は百年前と同じで、ルゼのことを子供だと思っているようである。ルゼは一応、これでも母よりよっぽど年上になったというのに、息子だから歳なんて関係ないと思っているのだろう。


 ルゼは母のそういうところが照れ臭くてちょっと嬉しくて、照れるように視線を逸らしながら、けれど小さく噛み締めるようにはにかんだ。

 人間を食べているルゼを怖がるよりも嫌うよりも先に、ルゼの心配をしてくれるあたりも、本当は結構嬉しかったのだ。


「でも、それならこれまで結構無理してたんじゃない?」

「え?」

「ほら私、生き返ってから随分張り切っちゃって、ハンバーグとかシチューとかいっぱい作ってたでしょう?でも考えてみたら、むしろ普通の食事って今のルゼには負担だったんじゃ……」

「な、ないないない!心臓食べなきゃ弱るってだけで、普通の食事を受け付けなくなったわけじゃ無いから!そりゃ人間だった時みたいにエネルギーにはならないけど、僕は母さんの作るご飯が好きだし、久しぶりに食べられて本当に嬉しかったんだ!本当だよ!?」

「そう……?」

「そう!!」


 力強くルゼは頷いて、それから今度はしおらしく、「だから母さんさえ良ければ、これからも作って欲しいな……」と母を見つめた。

 何かをねだる時の仔犬のような顔は、小さな頃から変わらない。ライラはつい綻ぶように微笑むと、「もちろん」とルゼの口の端に見つけた血を拭きながら頷いた。


「あ、でもその前に、他に聞いておいた方が良いことがあるなら教えてほしいかも。またさっきみたいなことがあったら大変でしょう?」

「……そうかも」

「とは言っても、もちろん親子だからって何でも打ち明ける必要はないもの。だからルゼが必要だと思うことだけ、話したいと思ってくれることだけ教えてくれたら嬉しいかな」


 柔らかな新緑の色。優しく細められた瞳に、ルゼは何だか途端に安心して、一気に肩の力が抜けるような気がした。

 まるで小さな子供みたいに母に幻滅されるのが怖くて、怯えられて拒絶されることに怯えて、色々と隠していたのが何だか見当違いに思えてきたのだ。


 蘇生とか魔王とか不老不死とか、それなりにインパクトはありつつも、今のルゼが怖がりながらも何とか母に打ち明けることの出来るギリギリの事実をあらかじめ開示したのは、それ以上に隠したいことを隠し切るためだった。

 でも、そんな小賢しいことをしなくたって、多分母はびっくりしながらも「仕方ないな」と受け入れてくれるし、心配しながらも愛してくれるだろう。


 何せルゼの母は、幼い頃のルゼが近所の不良に、半ば暴力沙汰のような形で絡まれたと知るなりナタを持って家を飛び出すような人なのだ。

 世間体とか前科とか倫理なんかよりも、よっぽど子供を優先して大事にしてくれるのは、昔からちっとも変わらないのである。

 それが世間一般的に良いか悪いかは別として、子供というのは案外親のそういう言動に救われるし、ずっとの間覚えているものなのだ。










 ▪︎


 つまり、ルゼの話を整理するとこういうことである。


 百年前。

 母の死をきっかけに禁忌に手を出した挙句、その研究途中でキメラやホムンクルスを作り上げる。人工的な生物は、神様の罰か何かか、何故か人の血肉を主食とするように出来てしまうので、こっそりと死体の売買に手を出し始める。


 七十年前。

 研究の途中に不老不死を手に入れたは良いものの、姿も若返り周囲に怪しまれ、結局研究のことが明るみに。慌てて王都を脱出。

 自分を討伐しようと追ってきた騎士達をキメラやホムンクルスと共に倒したは良いが、その際人間の心臓にとてつもない食欲を感じたため、自分が人外となってしまったことを知る。


 六十年前。

 祖国がルゼやキメラ達の徹底的な討伐を掲げ、五年の戦争ののち祖国を滅ぼす。土地と城を手に入れたので、そこを根城に。国が滅びたことにより世界中にルゼの存在が明らかとなり、教会によって正式に【魔王】と認定される。


 五十年前。

 流れで教会の本部である教国を滅ぼして、ついでに聖遺物を奪う。この頃にはもう割と世界とか人類とか他人とかどうでも良くなっていたので、数万単位に増えたキメラやホムンクルス。

 この頃には魔物や魔獣、魔族と呼ばれるようになったそれらを、「自分の食い扶持くらいは自分でどうにかしなさい」と放し飼いにする。人類の国では割と結構な数の村が滅びるように。


 三十年前。

 研究に必要なのでエルフの里を滅ぼして世界樹を奪う。エルフは絶滅したが、「そういえば母さん、エルフに憧れてたよな」と思い出しホムンクルスの要領でエルフを創造。

 植物ではなく人の血を主食とするエルフが誕生し、その過程で牙が発達。人間達からは吸血鬼と呼ばれる種族が誕生する。


 で、現在。

 奪った聖遺物や世界樹を使い、とうとう禁忌を成し遂げて母親の蘇生に成功。

 現在の身体では腹の足しにもならないはずだが、お母さんの料理をもぐもぐ食べて、バンザイの格好ですやすや眠り、にこにこ過ごす【魔王】が爆誕。

 健やかに過ごしてお母さんを喜ばせる。




 ───とまぁ、こんな感じの百年だったらしい。


「だからその、地図とか母さんが生まれた頃とちょっと変わっちゃったんだよね」と恥ずかしがるように前髪を直す仕草のルゼは、なるほど立派に【魔王】である。

 すごい。うちの子、かなり本格的に人類の敵やってる。これなら確かに討伐隊も組まれるし、人間に恨まれもするのだろう。


 人間出身でここまで振り切れるのって、もしかしなくてもとんでもない才能なんじゃないだろうか、と思う。何せしでかしたことの善悪はともかく、やり遂げたことの大きさはとんでもない規模である。

 ルゼは小さい頃から頭が良くて度胸もあって思い切りも良くて、こんな異世界産の、この世界の常識もおぼつかないような母親に育てられているとは思えないほど優秀だった。

 昔からこの子は絶対大物になるだろうな、とは思っていたけれど、まさか比喩なしに世界を脅かす存在になれるほどだとは。トンビが鷹を産むということわざがある訳である。


「でも、少し意外だったな」

「?どうして」

「だって母さん、昔はよく人に迷惑かけないようにって言ってたから。今の僕って結構本格的に人類を脅かしてるわけだし、少しはがっかりされるかと思ってた」

「ああ」


 なるほど、と納得したようにライラが頷く。流石に百年分だけあって、話を聞くうちにすっかり冷めてしまったココア。カップを傾けながら、「だって、今更そんなこと言ったって仕方ないでしょう」とあっけらかんとした様子でライラは言った。


「私がルゼに人に迷惑かけないようにだとか、挨拶はしっかりしなさいだとか、そういうのを教えたのって結局、ルゼがこれから人間社会で生きていくと思ってたからだもの。でも、今は違うでしょう?」


 挨拶や心構えとか、そういうことを教えないのは、それこそルゼのためにならないと思っていた。

 社会で暮らしていくのなら、そういうことを覚えていない人間は、きっと随分と生き辛くなる。だからライラはルゼのためにこそ、そういう最低限のことだけは、ちゃんと言い聞かせて育てたのだ。


 でも、今のルゼは社会とはかけ離れたところで生きている。それどころか、人類と敵対して人類に恨まれて、剣を向けられている。そんな状況で他人に気を遣って『迷惑をかけないように』だなんて考え方は、むしろ邪魔にしかならないだろう。ルゼの足を引っ張りかねない。


「私にとって大事なのは、いつだってルゼだけだもの。ルゼのためにならないなら、別に他人なんてどうなろうと、それこそルゼのご飯になろうとどうでも良いし」

「ええ……??」

「なに、そんなに不思議?馬鹿ねルゼ。お母さんなんて結局そんなものよ。そりゃあ、ルゼが魔王になっちゃったことに責任を感じないと言ったら嘘になるし、もしもこれがまだ取り返しの付くところだったら怒ったかもしれないけど……」


 もしもこれがルゼの研究がまだ明るみになっていない頃であったなら、それこそライラはルゼを引っ叩いてでも止めただろう。「死んだ母親のために人生を棒に振る気!?」と叫んで怒って、あと何度死んででも阻止したはずだ。


 けれど、今はとっくに全部が手遅れである。

 人の心臓を食べなければ生きていけないルゼは、最早ただの人間とは言えない状態にあるし、ルゼのやったこともやったことだ。今更人間に混じって、平穏無事に暮らしていくことなんて出来ないだろう。

 そんな中でルゼに怒ったって、そんなのライラの自己満足にしかならない。子供が思い通りに育ってくれなかったからと八つ当たりをするようなものだ。そんなことを息子にできるほど、ライラは強かな人間では無いのである。


 だってルゼは、ライラを生き返らせる為にたくさんの努力を重ねてくれたのだ。

 他ならぬライラが、積み重ねたルゼの百年を否定することだけはあってはならないことだから。


「もう過ぎたことなんて怒ったって仕方ないでしょう。小さな子供が無知でやらかしたんならともかく、ルゼはちゃんと、全部分かった上で突き進んだんだろうし」

「……何というか母さんって、もしかしなくても結構愛が重いタイプだよね?」

「え、それルゼが言う??」


 むしろ死んだ母親のためにここまでやれてしまうあたり、ルゼの方がずっと愛が重いタイプだと思うのだけれど。

 どこか釈然としない気持ちになりながらライラが頭を傾げていると、ルゼは何だかくすぐったそうに小さく笑った。

 多分、魔王と呼ばれて全人類に憎まれるようになってもまだ、お母さんがずっと味方で居てくれることが嬉しかったのだろう。











 ▪︎


「キメラやホムンクルス……、魔物や魔族は、言っちゃえば研究の副産物なんだ。僕は最初の頃、新しく母さんの身体を造って魂を呼び寄せることを考えてたんだけど、その時に色々生まれたのがこいつら。まぁ、母さんを造ろうとした時の失敗作とも言えるわけで……」

「つまり、どういうこと?」

「えーと、つまり……。こいつら全員、造る時に母さんの遺伝子やそれに準ずる要素を多かれ少なかれ組み込んだから、捉えようによっては母さんの子供と言えなくもない、というか」


 困ったように眉を下げて、ルゼはため息を吐いた。

 両脇にはそれぞれ幼い、けれどそっくりな少年と少女が頭を捕まえられている。

 二人ともフリルたっぷりの、大層可愛いらしい格好をしていた。こういうのって確か、ゴシックロリータと言うんだったっけ、と前世の記憶を思い出す。


 ルゼに捕まえられた小さな男の子と女の子。どちらも髪の色は銀、目の色は紫。

 少なくともこの子達が持っている色はライラの金髪や緑の目とは全く違うけれど、確かにそう言われるとどこかライラに似ている……、ような、気がしなくもない。

 どちらかと言うと、ルゼに似ている気はするけれど。


「僕は認めてないんだよ?母さんが産んだ息子は僕だけだし!でもこいつらは母さんのこと、自分の母さんだと思ってるところがあって……」

「やーっ!ワタシお母様の娘だもん!」

「離してーっ!ボクお母様の息子だもん!」

「ルゼ様がそういう風に造ったんでしょ!?」

「ルゼ様がそういう風に造ったんだよ!?」

「僕がお前達を造る時にやったのは、母さんの遺伝子を組み込むところまで!その後母親って概念を勝手に学習して、人の母さんをそんな風に言い出したのはお前達の方だろ!?しかも古株なのを良いことに、他の魔族達にも刷り込んで!!」

「きゃーーっ!ルゼ様のばか!」

「やだーーっ!ルゼ様のタコ!」

「というか、お前らどっちも90超えてるくせに可愛こぶるな!」


 なるほど。つまりそれで初対面の「会いたかった、お母様!!」に繋がるらしい。

 生き返ってからの一週間、ずっと城の最上階で暮らしていたライラが、けれど「もう大体話せたから」と下の階に行く許可を貰えたのが少し前。

 そして階段を降りて一つ下の階に辿り着くなり、見知らぬ少年少女に「お母様!」と飛び掛かられたのがつい先程のことであったのだ。


「まーまー、ルゼ様落ち着いて。ね、姉様と兄様を離してやってくださいよ」

「アキレウス、お前もか……」


 小さな二人を抑え込むルゼに声をかけたのは、燃えるような赤い髪を持つ青年だった。

 アキレウスと呼ばれた彼は随分と体格が良くて、ルゼよりも頭ひとつ分身長も高いように思う。金色の目を持っていて、快活な笑い方は好青年といった様子だった。


「だって仕方ないじゃないですか。俺達が抱えるお母様の要素って、結局どれも欠落した不完全なものなんすよ?それは俺達を造ったルゼ様が分かってることでしょ?」

「それは、まぁ、そうだけど……」

「ね。だから俺達はずっと欠けたところに当てはまる誰かが恋しかったし、これは最早本能のようなものっていうか……。特に姉様と兄様は、最初に生まれた分、それだけ長い間お母様を待ってたわけですし」

「………」

「流石に姉様も兄様も、もう飛びかかったりお母様を驚かせたりはしないでしょうし。ね?二人とも。良い子に出来ますね?」

「!うん、出来る!」

「出来るよ、良い子!」


 きらきらペカペカの笑顔を見せながら、小さな男の子と女の子は元気よく返事をする。

 ルゼは深くため息を吐くと改めてライラの方を向き直り、「えーと、母さん」と疲れた様子で二人を紹介した。


「少しぐだぐだになっちゃったけど、紹介するよ。こいつらは僕が造った最初のホムンクルスで、ヘンゼルとグレーテル。まぁ、悪いやつではないと思、あっこら!」

「はじめまして、お母様!ワタシはグレーテル、ルゼ様に造られた最初の魔族だよ!」

「はじめまして、お母様!ボクはヘンゼル、ルゼ様に造られた最初の魔族です!」

「お会いしたかった、お母様!ずっとずーっと、会いたかったの!」

「恋しかった、お母様!何十年もずっとずーっと、今日の日を待ってたんだよ!」


 トテトテと駆け寄ってきた小さな二人に、ライラはパチパチとまばたきをして、それから思わずといったように「……可愛い!」と声を上げた。

 多分この二人の名前は、昔ライラがルゼに話して聞かせたあの童話から来ているのだろう。ルゼはあれを、大人になっても覚えていたのだ。

 そしてこの二人はやっぱり何だか、ライラというよりはルゼに似ているような気がする。特に笑い方が小さな頃のルゼとそっくりだ。可愛くて仕方がない。


 ライラはこれでもさっきまで、話に入っていけなかったのもあって、ルゼが魔族達と話している間。「もしかして、万単位で居る魔族全員が私の子供になっちゃってる……ってコト!?」なんてことを真剣な顔して、主に養育の責任についてを考えていたのだけれど、人間だもの。

 お人形さんみたいに可愛い子が二人、「お母様!」とにこにこ懐いてきてくれたのなら、割ともう何でも良いか、という気持ちにもなるというものである。


「お、お腹いっぱいになるまで食べさせてあげたい……!」


 噛み締めるように言いながら、ライラがぎゅっと二人をまとめて抱きしめると、小さなヘンゼルとグレーテルは「きゃーっ!!」と嬉しそうに声を上げる。

 一方でルゼは、どんな顔をして良いのか分からない様子で天井を仰いでいた。


 母さんが不自由を感じることがないようにしたいと思って、自由に城を歩けるようにとまずは常にこの城に住んでいるこいつらを引き合わせたけれど、失敗だったかもしれない。

 これまでずっと研究室に篭りきりで、碌に自分が造った魔族達とも関わらなかったけれど、まさかここまでめちゃくちゃな性格だったとは。

 双子がこんなに騒ぐところさえはじめて見たということもあって、完全に想定外であったのだ。











 ▪︎


 アキレウスの言う【本能】については、ルゼも確かに認識していた。

 そもそも彼ら魔族や魔物は、母の器としての失敗作である。元々たった一つの人格を取り戻す為に作ったものであり、彼らはライラ・バートリーの器になるためだけに生まれてきた。


 そういう風に作られたのだ。だけど、失敗作だからそうはなれなかったのだ。

 だから彼らは生まれた時から、本来なら、成功作であったのなら自分のもとにあるはずのたった一つを失っていた状態に等しかった。


 訳もわからず、どうしようもない欠けや恋しさを抱いて生まれてきた。生まれて最初に思うことは『どうしてあなたはここに居ないのか』という虚しさと悲しさ、そして焦燥なのだと魔族達は話した。

 そうして彼らはその『あなた』がライラという名前の、ルゼの母であることを知るのである。ルゼの手元に置かれたライラの頭蓋骨を見て、どうしようもなく恋しくなるのである。


 私達はあなたの為に生まれてきたのに、どうして肝心のあなたが居ないのと。

 私達は本当は、ひとつとして生まれるはずだったのに、と。


 だからまぁ、分かる。あちこちにバラバラになっていた魔族達が一気に城のところに詰めかけているのも、「お母様お母様」と人の母親に懐いているのも、仕方のないことだとは思う。

 ルゼだってもう百歳も超えているわけだし、色々仕事もある。その間に自分が生み出した魔族達が、退屈であろう母親の相手をしてくれていることに文句はない。

 文句はなかったのだ。


「出撃ーーーーっ!!!!」

「「「うおおおおおおおっ!!!!」」」


 が。現実は過酷なものである。

 問題は、母の方にあったのだ。


「…………????」


 集まった大量の魔族や魔物達。その軍の先に立つ、なんかちょうど良い感じの葉っぱを掲げる母親の姿を見つけたルゼは、思わず五度見をして首を傾げた。徹夜をしたので寝惚けているのかもしれない。三度くらい目元を擦る。あれ?と思う。魔族の軍勢が消えない。


「なん、え、何、何???えっ、夢????」

「敵は本能寺にあり!!信長の首を逃すなーーーっ!!」

「現実だこれ!!!!」


 どこだホンノウジ、誰だノブナガ!!

 この夢に見るような母のめちゃくちゃさは、しかしルゼの頭が夢として作り出せる範疇を超えている。現実だこれ。なん、何してるんだ本当に!!


 ルゼは走った。近年稀に見る魔王の全力疾走であった。

 魔族をかき分け母を回収し、「何してるの母さん、本当に何してるの!!??」と肩を掴む。母はそんな息子にパチパチとびっくりしたような顔をしていた。びっくりしたのはこっちなんですけど。


「あれルゼ、お仕事終わったの?研究所の、何だっけ。とにかく廃炉作業があるんじゃなかったっけ?」

「え?ああ、そこはまぁ何とか。……じゃなくて!!何で母さん軍を率いてるの!!??少し目を話した隙に軍を率いてる母親って何!!??」

「だってまた討伐隊がこっちに向かって来てるって聞いたから」

「つまり、撃退しようって……?」

「ううん、迎え撃って狩るの」


 母は言った。澄んだ目であった。真っ直ぐにルゼを見つめて、微笑み、「任せて。ルゼのご飯、母さんちゃんと取ってくるからね」と頭を撫でてくる。

 ルゼは空を仰いだ。多分、息子のご飯を用意するのは母親の仕事だと思っての行動なのだろう。分かるけれど、その思考までは一応普通と言えなくもないはずなのに、どうして次の段階で思いっきりあらぬ方向に行ってしまうのか。


 ルゼは思った。早くこれを何とかしないと、母さんがどんどん突き進んで行ってしまう。

 母を危険な目に合わせたくはない。だがしかし、かと言って、自由があってこそ輝くような母を縛り付けるような真似もしたくはなかった。


「いっそ世界、征服しようかな………」


 一旦世界を征服して、人間達が討伐隊を送り込もうなんて思えないほど牙を折ろうかな。取り敢えずルゼと敵対するものが居なくなったら、母が子供のために危ないことをすることも無くなるだろう。

 あとはこう、ついでに安全に食事を賄えるシステムを作れば完璧かも知れない。牧場みたいな。うん、そうしよう。じゃないと心臓がいくつあっても足りなくなる。


「ルゼ?どうしたの、疲れてるの?お部屋戻る?」

「うん……、そうしようかな。母さん、連れてって。討伐隊はこいつらに任せて、僕のそばにいて……」

「ルゼがそんなこと言うなんて珍しい。本当に疲れちゃったのね。分かった、一緒に行こうか」


 何とか母を戦線から離脱させることに成功しながら、ルゼは母に頭を撫でられ支えられてその場を後にした。

 人間でありながら魔族を創り、魔王にまでなった天才。徹夜明けの、けれど素晴らしく優秀なルゼの頭脳は、現在進行形で人類侵攻の計画を組み立てている。


 母の自由を奪いたくないのなら、世界を変えれば良いじゃない、ということだ。

 とんだマリー・アントワネットもいたものだが、これが今代の魔王であるので仕方がない。


 つまるところ、これまで研究に没頭し人類への積極的な侵攻をして来なかった魔王ルゼ・バートリーが、とうとう世界へ牙を剥き始めた理由はこういうわけだったのだ。

 とてつもなく気が抜けるような動機であるけれど、しかしこれが、魔族と人類との全面戦争の始まりであったのである。


 なお。この戦争で、最も人類側に損害を与えたのはしかし魔王ではなく、その母親であるライラ・バートリーであったという。

 一応人間出身であるライラはさほどの戦闘力もないくせに、物凄く嫌な、社会を巻き込むような戦い方をするのだ。

 ライラ曰く、「戦争と麻薬って相性良いよね」とのことである。


 母親の為に簡単に世界に牙を剥くのがルゼであり、息子の為なら他の人類なんて本気でどうでも良いのがライラなのだ。

 全くこの二人は、人類の敵という言葉を体現したような、嫌な似たもの親子であった。








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― 新着の感想 ―
ぶっ飛んでるなw
つ、突き抜けてやがる……。 だが、コレはこれで実にイイ。
あれだ。 ヒノキの棒と100Gで勇者という名の食料届けに行かなきゃ。 なぜかフォークでエスカルゴの身を取るように心臓抉り出してるルゼ氏の図が浮かびました。 お母さんの寿命いかほどなんでしょうね。。 人…
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