「Burn=Hellcry」
俺はチェスが好きだ。小さい頃からチェスだけが好きだった。チェスは美しく明確なルールがある。敵の王を始末することだ。シンプルでわかりやすいルール。最高だ。俺はチェスが好きだった。チェスは俺に相応しい唯一の高尚なゲームだった。
チェスにおいて俺に勝てる奴は誰もいなかった。だから俺は俺に負けた奴らは全員殺した。チェスのプレイには命を賭けるべきだ。何故ならこの世界そのものが人の命を賭けたゲームに過ぎないからだ。俺も俺以外の存在もゲームの駒に過ぎない。
俺はチェスが好きだ。チェスだけが俺に相応しいゲームだった。今も好きだ。
でも唯一、昔と違うのは、俺は俺がチェスで勝つことができない方の存在を知ったことだった。
あのお方はチェスだけじゃない、この世界のゲームにも勝つ、やがてこの世界の王になるお方だ。だから俺はあの方に頭を下げた。唯一この俺が頭を下げるに相応しいお方だと確信した。俺はあのお方と契約した。やがて世界を取るあのお方と。
俺はガキの頃、この世界がどのような場所なのか、この世界とこの世界に生きる地の人間共が本当に存在するに値する、価値のある存在なのかを見極めたかった。だから色々見て回った。
そして俺は気がついた。この世界は存在する価値のない場所であると言う疑いようのない事実に気がついた。この世界は人間の命を使ったゲームであるにも関わらず、誰もそれを知ろうとしない。気がつかない。大衆は何も考えない。
俺は怒りを感じた。自分の命も賭けられないような舐めた連中が生きていることに。俺はチェスに命を賭けてきた。俺がチェスに命を賭けているのだから俺は俺に負けた奴らを殺しても良い。連中が馬鹿なのが悪い。
俺は色々な人間共を見てきた。貧乏人、金持ち、見た目の良い女、醜い女、クソガキ共、老人、死に損ないの病人、政治家、貴族、犯罪者。
だが皆生ぬるかった。連中は皆生ぬるかった。俺は失望した。何に対して生ぬるいのか。戦いに関して生ぬるかった。
例えば平和について。馬鹿な大衆や宗教指導者共は、口を開けば平和、平和と言う。だが彼らの中で平和のために本当に自分の命を賭けて戦う奴は誰もいない。口で言うだけ。そしてしばらくすると忘れる。
例えば労働について。地の人間共の多くは、毎日はした金のために朝から晩まで働く。連中は自分の命を切り売りしてはした金を稼ぐ。そして貧相でくだらない、低レベルの娯楽のために稼いだ金を使う。そしてしばらく生きて死ぬ。彼らは感情の消費者だ。彼らはどんなロボットよりも優秀なロボットだ。金持ちが何故金持ちでいられるのかを彼らは考えたことがない。そして考える能力もない。一生働いて惨めに死ぬ。
例えば政治について。政治家共は口で耳障りの良いことを良い、馬鹿な大衆から票を買う。そして約束は何一つ守らない。大衆も馬鹿だからすぐに忘れる。民主主義は責任の所在を曖昧にするために作られた装置だ。馬鹿な政治家に投票した馬鹿な民衆共は、何故自分たちが間違った判断をしたことについて何も罰を負わない?それは民主主義が巧妙に偽装された装置だからだ。
例えば老人共について。老人共は歳は取っても長生きしたがるくせしてそのために必要なコストを自分たちでは用意しない。用意できない。奴らは政府には責任を、保証をと言う。そのくせして自分たちで必要な金は稼ごうとしない。老人共が長生きするためのコストは誰が払うのか?奴らは若い世代のリソースを食いつぶす。それは何故か。奴らが労働階級の末路だからだ。一生奴隷のように働いて最終的にどうなるのかは彼らを見れば明らかだ。馬鹿な大衆は歳を取っても一生馬鹿だ。
例えば娯楽について。貧乏な大衆は金持ちになろうともせず、一方で自殺もできない。戦おうとはしないが、死のうともしない。できない。では連中は何をして生きているか。くだらない娯楽に投資して生きている。オービタルの登場は1つの必然に過ぎない。金のかからない娯楽で世界が溢れかえり始めたときから、大衆は何も考えなくなった。くだらない物語、何も生まない一体感、表だけの感動、クソ以下の演出。彼らがくらだない娯楽を喜ぶと言うこと自体が、彼らの命の本質を表している。奴らは金持ちが作った娯楽を喜んで買い、そして金持ちのためにまた働く。
例えば薄汚い女共について。女共は口では自分たちを肉体ではなく心を愛せと言う。しかしそのくせして利益を得るためには女としての肉体を使う。頻繁に使う。では訊くが、女共は肉体を使わずに中身だけで愛される自信があるのか?中身だけでどれだけ勝負できるのか?連中は自分たちが中身ではなく女の肉体のおかげで愛されていることに気がつくのを恐れている。
例えば死に損ないの男共について。大した金も稼げない。戦争で敵も殺せない劣等遺伝子を持った男共が世界あぶれた結果何を選んだのかと言うと、終わらないポルノを見続ける人生か、人を殺して刑務所に入る人生のどちらかだ。彼らは「戦争はもう終わった。だから自分たちの出る幕はない。今は多様性と自由の時代だ。」と言う。そしてポルノにふける。だがそれは違う。俺がはっきり言ってやろう。戦争が終わったのではなく、お前たちが戦争に負けたんだ。
例えば正義について。警察や裁判官はこれもまた口では正義だの秩序だのを語る。しかし彼らにとって都合の悪いものは黙認する。罪を追求しない。できない。執行猶予をつける。不起訴にする。人殺しの性犯罪者を数年で世に出してもう一度人を殺させる。そして自分たちの判決の責任は取らない。そして口でまた正義を、秩序をと言う。彼らは道化だ。そして彼らこそ人殺しの犯罪者だ。彼らこそ悪だ。
例えば創造主について。奴は口では偉そうに全知全能だと自慢する。そしてそのくせしてこの狂った世界を放置し続ける。何千年もね。くだらない聖書を書いてクソガキを十字架につけても問題は何も解決しない。この世界そのものが奴の自己満足だ。奴は偽善者だ。奴は信用ができない。奴こそ敵なのだ。誰が本当の悪なのかに騙されてはならない。
俺はこの世界の隅々を考え続け、そしてこの世界が無意味無価値な場所であることを明らかにした。だから俺はこの世界を全て燃やしたかった。全てに火をつければ馬鹿な連中も少しは熱くなると思った。でも俺はそれをしなかった。何故だと思う?
これから先、俺よりももっと素晴らしいお方が来る。俺よりももっと素晴らしいお方が来る。この世界の全てを手に入れるに相応しいお方が来る。
そのお方こそ我々の神であるルシファー様の子、ダミアン様だ。彼こそが全てを手に入れるに相応しいお方だ。




