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「私を生かすもの」

「天地創造の前に、神は私たちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」(エフェソ1:4)


 

 私は橋の所に行くまでは、私の人生の苦しみはもうあの場所で終わると思っていた。

 この世界では、人々は不都合や苦しみから目を背けるために、生きていればそのうち良いことがあるとか、経を唱えれば問題が解決するとか、死ぬと残された人が悲しむとか適当なこと言って表向き生を肯定するが、では生きる苦しみを彼らが背負ってくれるのかと言うと決してそのようなことはなく、結局苦しみも重荷も一人で負うしかない。私はもうこう言う詐欺行為にうんざりしていた。


 苦しみを負ったことのない人間の慰め程、無価値なものはない。いやむしろ害悪とも言える。本当に苦しみに向き合ったことがあるならば、中身のない慰めや楽観なんて言えないはずだからだ。

 その者の言葉はその者の中にあるものを示している。しかも人は容易く嘘を付く。だからもうどうしようもない。人間はどうしようもないのだ。


 私は明確な答えを求めていた。曖昧で抽象的で詐欺的な言葉ではなく、私の人生と戦いについての明確な答えを求めていた。私は何のために生まれてきたのか?何故ここにいるのか?死者はどこにいったのか?未来はどうなるのか?私は明確な答えが知りたかった。それが私の求めていたものだったからだ。


 生きる苦しみから目を背けるだけなら、この世界には手段が沢山ある。ロボットを育成するためのクソみたいな義務教育とお勉強、気慰めと馴れ合いのためのクソみたいな宗教、日々を生きていくためのはした金を稼ぐための奴隷労働、その他多過ぎる刺激と娯楽。もしくは戦争行為。こう言うものは沢山ある。

 だがこれらは一時的な、またやがて乾く飢えを一時忘れさせてくれても、私が最も探し続けていたもの、問い続けてきた問いには何も答えてくれなかったのだ。

 この世界はもう私が生きていくための場所ではなかった。


 私が死ぬと決めた時に、私は心が軽くなった。これは意外だった。死への恐怖もあったが、同時に苦しみを自分の意思で終わらせられると言う安心感があった。この世界に生きている限り、一生あれこれと苦しみに晒されることになることが決まっていたからだ。

 だからあと少し我慢すれば苦しみは終わると言うのは、恐怖と同時に希望でもあった。この世界は何かを成すには短かすぎるし、無目的に生き続けるにはあまりにも長すぎた。だから私はこのクソみたいな人生を一刻も早く何とかしなければならないと思っていた。



 私には死んだ兄がいた。性格には兄もしくは姉だ。私が生まれる前に生まれるはずだったが、母親の腹の中で惨めに死んだ。私が小さい時に聞かされた。私は最初その話を聞いた時に、体の弱い母親のせいで死んだのだと思ったが、それは問題の本質ではなかった。


 彼は生まれるはずだったが、何故が生まれずに死んでどこかに行った。彼はどこに行ったのか?何故死んだのか?彼の名前は?何故私は生まれてきたのか?私は不思議でならなかった。

 一般的に、人が死ぬと坊さんが来て、経を読み上げてあれこれやって、次の世界に生まれ変わるとか言うが、それは真実だろうか?誰がそれを観測したのか?生まれ変わってどこに行ったのか?いやそれよりもどうすれば死者に会えるのか?何故坊さん共は死ぬ前に来ないのか?死ぬ前に医者が来て死んだら坊さんが来ると言うのは、問題の解決になっていない。

 釈迦が悟りを開いたとして、では私はどうなるのか?釈迦はどこに行ったのか?釈迦が悟りを開いているのに何故坊さんたちは悟りを開いていないのか?

 これらは私にとっての解決にはならなかった。私の願いは死者にもう一度会うことだからだ。

   

 私には重要な問いや知りたいことが沢山あった。私はそれを知りたかった。それらこそ私にとって重要な問題だった。

 だが親に聞いても他の偉そうにしている大人に訊いても、まともな答えは返ってこなかった。そしてそのうち強制的に学校に行かされるようになり、クソどうでもいいお勉強や教員共のくだらない道徳の餌食になる。


 私はこんな人生耐えられなかった。だからこの世界ではない場所に行きたかった。そこになら私が求め続けてきた答えがあると思った。それは私にとっての希望だった。


 でも私は橋の上に経って、底知れない水の世界を見た時に、実行することができなかった。実行できると思っていたが、できなかった。私は何故だろうと考えた。


 私はもしかすると悔しかったのかも知れない。もしかするとと言うのは謙遜した表現だ。私は悔しかったのだと思う。

私は小さい頃から、誰よりも生きる意味や存在の理由を問い続けてきた。その私が、無意味さに敗北することが許せなかったんだと思う。私が負けるなどあり得ないことだ。そう思ったのだ。


  

 私は昔神に会ったことがある。

私が見た神の栄光の話をしようと思う。

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