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「心を映す音」

 俺が音楽の道に進みたいと言った時、周囲の連中やパパやママは、その選択が約束されていたものであったかのように喜んだ。何も知らんメディア連中も、楽聖の息子として俺を持てはやした。業界の権威たちも俺が何を演奏してもバカみたいに俺をチヤホヤした。学校の女子たちも俺が何をやっても俺を好きになった。俺が価値のあるものを手に入れることなんて当然のことだが、俺は少し調子に乗りすぎていたのかも知れない。それもあるし、俺はもてはやされるだけでは満たされなくなっていった。俺はそれに気づいていたが、気づかないふりをしていた。


 俺はある時、俺の演奏をいつも持てはやす連中は、本当に俺の音楽をまともに聴いているのかが無性に気になった。だから試してやろうと思った。

 俺は本番前に、演奏で使うピアノの調律をわざと少し弄った。まともな耳をしている奴なら聴いた瞬間にすぐにわかるはずだ。ヴァイオリンこそ聴衆を試したかったが、それはしたくなかった。パパやメディアは俺にピアノを弾けと言うが、俺は本当はヴァイオリンの方が好きだった。ヴァイオリンは弄りたくなかった。俺は音を少しずらしたピアノで聴衆を試した。

 俺はこれがばれたら怒られると思った。でも俺はそうであって欲しかった。聴衆が音楽を本当に愛しているならば、俺のその行為に演奏を止めてでも指摘するべきだろうと思っていた。でも俺の期待は完全に外れた。


 まともな耳ならすぐにわかるはずの違う音なのに、誰一人として異音に気づいている人間はいなかった。俺は衝撃を受けた。誰も俺の音を聴いている人間はいなかった。パパやママでさえも何も言って来なかった。何故黙っていられるんだ。俺は言葉を失った。俺の音楽を聴いている人間なんていなかったんだ。

 曲目が終わった後も、会場のバカ共はいつもみたく俺をもてはやした。楽聖の子供としてな。

 連中が求めていたのは音楽家としての俺じゃない。名門ハインホッフ家のガキとしての俺だった。

 じゃあ俺は一体何なんだ。何のために音楽の道に来たんだ。俺はこの時から演奏なんてどうでも良くなった。

 

 俺はこの時に、何故世間が俺の家や演奏を持てはやすのかをようやく、完全に理解した。講演会が終わった後に、何故パパやママに融資の話を持ちかける連中が集まるのか、何故レーベルがやたらと俺に新曲を作らせたがるのかを理解した。それは俺が金儲けの道具だったからだ。俺は理解した。


 何も考えずに適当に弾いているだけで、俺の家にも俺にも使いきれない額の金が入ってきた。パパはヨットやビルをいくつも買い、ママはドレスや美容に金をブチ込むようになった。金目的の売春婦の女、ブス共がいつも俺にまとわりつくようになった。


 俺は小さい頃に、どうしてもある曲が弾きたいと思っていた。それは有名さ。聞けば誰でもわかると思う。俺がそれを弾きたいと言えば、どの楽団もこぞってやらせて欲しいと言うだろう。金なんていくらでもある。

 でも俺はその願いはずっと黙っていた。感づかれないようにその曲を聞くのも絶対に1人だけの時に聴いていた。その曲は素晴らしかった。俺はただ演奏するだけじゃない、本当に音楽を愛して、この曲を弾くに相応しい奏者たち、仲間たちで弾きたかった。俺は俺の願いとその音楽、作曲家の魂が、拝金主義者のクソ共に汚されるのが嫌だった。だから黙っていた。  

 俺はこの時に、俺のこの願いをもっと大切にしておくべきだったんだ。俺は間違った選択をしてしまった。


 俺はこの頃から使用人に酒を買わせて、盛り上がった時にスクールの連中と飲むようになった。最初は止められたが、俺が何をやっても金を稼ぐのでそのうち誰も止めなくなった。酒を飲んだまま車も運転した。ここまではまだ良かった。

 

 あるクラブで飲んでいる時、俺があの曲を好きなことをうっかり話ちまった。それを聞いていたスクールの連中が何人かでそのことを馬鹿にしてきた。時代遅れの田舎のだせぇ曲だと。

 俺はそれが許せなかった。そこからは俺は記憶があまりない。


 俺は気がつくと酒の瓶を持ってそいつらをぶん殴って床に押し付けていた。周囲はパニックになった。最悪だったのがそこを週刊誌の連中に撮られていたことだ。ここからは地獄だった。


 パパとママは俺のせいであらゆる連中から揺すられることになった。パパとママは当然名誉のために相当の金を払った。俺自身も多くを失った。今まで散々俺を利用して持ち上げてきた連中も、皆俺から離れていった。

 自業自得なのはわかっている。俺はどうかしていた。わかっているんだ。それでも俺は悔しかった。死ぬ程悔しかったね。こんな惨めさは初めてだ。


 パパとママは口止め料を払った。騒ぎは落ち着いた。それで今までのような贅沢ができなくなった。丁度運悪く、不動産投資や新規ブランドの計画も進んでいる最中で、その分まで賠償することになれば、家は完全に破産してしまう所まで追い詰められた。パパとママは、まだ比較的俺に優しかったと思う。それでも俺が原因が完全に俺にあることは理解していたから、もうパパとママに合わせる顔がなくなった。俺が調子に乗って家をこんなにしてしまった。何よりも惨めだった。


 金についてどうするか詰まっていた頃、ある紹介で日本の金持ちから融資の話が家に来たと聞いた。聞く所によると「レーゼー」とか言う大金持ちの家で、噂だが相当ヤバいことやってるらしい。調べてみたが情報が不自然に少なく、よくわからなかった。

 

 パパはそのレーゼーの家とどんな話になったのかを詳しく教えてくれなかったが、家が持っていたはずのビルやブランドのオーナーが、何故か全く知らない日本人の名前に変わっていたりしたので、恐らく何かが要求されたんだと思う。その代わりにヨットやいくつかの会社は家が引き続き持てることになった。それ以上は詮索もできなかった。


 俺がまだ注目を集めていたときは、俺が何をやっても皆俺をチヤホヤした。女共も皆俺を愛した。金もいくらでもあった。俺は神のようになれた。でも俺が1つの間違いをしてから、俺は全てを失った。俺は二度と取り戻せないものを失った。



 家が何とか落ち着きを見せ始めた頃、家族で日本のレーゼー家に会いに行くことになった。向こうから招待が来たらしい。表向きは懇親パーティーだったが、それだけではないことは俺でもわかった。俺の家はもうこいつらに頭を下げるしかないんだ。


 日本に来たのは初めてだった。俺が日本について特に驚いたのは、ゴーグルをつけている連中の数の異様さだった。オービタルは勿論知ってる。世界中にある。オーストリアにもバカみたいに熱中してる連中がいる。犯罪者共には全員ゴーグルを渡して刑務所に閉じ込めておくんだ。

 あの会社には昔家からも出資したことがある。でも俺はあんまりハマらなかった。金にも女にも困ってなかったから。

 

 それでも日本は異常だった。空港についてからゴーグルをつけていない連中を見つけるのが困難だった。これが当たり前なのか?俺はショックを受けた。


 レーゼーの家は空港から車で1、2時間の所を指定された。パパとママは先に用事があると言われ、空港で別れてどこかに行った。俺はホテルで適当に時間を潰してから、運転手と車で屋敷に向かった。パパとママは目立ちたくないと、今までとは信じられなダサくて地味な格好をしていた。


 俺も向こうでいくつか演奏することになっており、緊張はしなかったが、自信は完全になくなっていた。俺が今演奏することを求めている人間がどれだけいるのだろうかと考えると、俺は冷静でいられなかった。



 予定の時刻になり、俺は車で指定の場所に向かった。しばらく車に揺られている間に、空模様がどんどん怪しくなってきた。嫌な予感がすると感じていた矢先、凄まじい雨が振り始めた。

 更に、もうじき目的地に着く頃に、運転手に何か連絡が入った。連絡が終わると、今日のパーティーは中止のためホテルに戻ると言われた。



「おい、待て。どうした。レーゼーの家に行くんじゃないのか?」

「はい、ヘルマン様。それが先方から連絡があり、今日のパーティーは中止とのことです。」

「何故なんだ?」


 俺は運転手に問いただしたが、何故かそれ以上は何も答えなかった。車は方向転換し、来た道を戻り始めた。どう言うことなんだ?

 可能性の1つとして、パパとママと相手との交渉で、何か相手を怒らせることが起きたんじゃないかと言う不安が込み上げてきた。もしそうで、融資の話も危なくなれば⋯。だとすると、俺たちはもう打つ手無しだろうかと、考えてたくもない不安が抑えられない。だがもしそうなら、俺は俺の罪の責任をどうやって取れば良いんだ⋯。


 俺の不安を更に煽るように、振り始めた雨が更に勢いを増していた。雨が車体を打ち付け、凄まじい音を鳴らす。気を紛らわすようにヴァイオリンのケースを強く抱きしめる。俺は全てを失ったとしても、こいつだけは失いたくない。まだ1番弾きたい曲が弾けていないんだ。


 窓に頭を押し付け、不安をやり過ごそうとしていたその時、俺は咄嗟に声を上げた。


「おい待て、止まれ。人だ!」


 凄まじい雨の中、俺の目が正しければボロ家のガレージの隅に、血だらけの人間がうずくまっていたじゃないか。明らかに周囲に合っていないその姿は異常過ぎる。怪我をしているのかも知れない。

 車は路肩にすぐに止まり、俺はドアを開け外に出でその場に走った。敷地に入り恐る恐る近づくと、それはやはり人間、しかも女だった。


 俺は女に向かい声をかけたが、なにせ雨が酷く声が伝わっているのかがわからなかった。俺は女の目の前まで行き、手を差し伸べた。女はゆっくりと顔を上げてこちらを見た。


 酷い雨の中で、女は頭からずぶ濡れだった。傘も差さずこいつは何をしているんだ。

 でも俺は女の顔を見た時にわかった。女が涙を流していることに。

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