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追手


                      ***


「キール・マルコヴィチ・ハキーモフ、貴様はそれでも秘密警察(チェーカー)か!?」


 サメロスク秘密警察支部では怒号が鳴っていた。支部長室で雷を落としているのは掘りの深い顔が特徴的なウゴール・フセーヴォロドヴィチ・チェルヴィンスキーだった。怒鳴られているのはシャルロッタの死を確認して通行の許可を与えた男だ。


「お言葉ですが局長、メシャルキナに生気はなく、体も冷たかったのです。担当医も脈がなかったことを確認しております」


「その担当医が眠っている間に死体を持ち逃げしたことが問題なのだ。調べてみたがお前が見たという看護婦は名簿になく研修生の予定もなかった。つまりは侵入者だ」


「しかし、死体なんて持って帰って何の意味があるのです?」


「死体を隠れ蓑にした密輸の前例はある。それにメシャルキナの死体なら生存を偽装すればイリヤ派団結の足掛かりにできるだろう。娘が死んでいる物的証拠を盗まれたのだから」


 まるで警戒していなかった死体にも利用価値があったと知ったハキーモフは初めて顔面蒼白となった。


「お前は《第四課》からの異動となったからまだ要領を掴めていないのだろう。僅かでも怪しい点があれば拘束して尋問する、それが《秘密警察第二課(ドヴァ・チェーカー)》の指針だ」


 同じ秘密警察といっても部署によって特色が違う。暗殺を基本としている《第四課》と監視を主軸にしている《第二課》では勝手が違うのだ。


「すみません、この失態は必ず!」


「ではお前の得意分野で汚名返上してもらおう。――お前が見た女共を抹殺せよ」


「了解しました」


 敬礼して退出したハキーモフはすぐに無線を取りだして部下に連絡を取った。


「情報は得られたか?」


『廃棄業者を尋問しました。清掃員に車を奪われたと話しています』


「盗難車の車種を調べろ。至急検問の手配だ。照合ナンバーの車を探せ」


 ハキーモフは愛銃の手入れを手早く済ませた。



                     ***



 吹雪は朝になっても止んでいなかった。

 あれからずっと防空壕で足止めを食らっている。


「はぁ……『氷血絡(リォート・シーラ)』で吹雪を操作できればなぁ」


「一時的には可能でしょうけれど、すぐに新しい吹雪に襲われるだけよ。やるだけ無駄。この前みたいに倒れちゃうよ?」


「チッ! 仕方ない……もう一晩明かすか」


 一刻も早くサメロスク領外に出たいヴァレリアは苛立ちを隠せなくなっていた。

 足止めされている間に鎮静剤を打った医者が起きてしまったら。

 気絶させた廃棄業者が秘密警察に報告したら。

 基地を出る前に遭遇した秘密警察官が怪しいと思い直してしまったら。


 時間をかける程に状況は不利になっていく。捕まれば今度こそ命はないだろう。

 寒気に支配された閉鎖空間で後ろ向きな考えばかりが頭を駆け巡っていた。

 だが時間を消費させられたのは悪いことばかりではなかった。


「ここは……?」


 仮死状態にあったシャルロッタが目を覚ましたのだ。

 投与した『氷血清(リォート・クローフィ)』が身体に馴染んだのだろう。気力を失っていても居場所が突如変わっていれば違和感を覚えずにはいられなかったようだ。キョロキョロと周囲の様子を伺っていた彼女はすぐ近くにいたヴァレリアと目が合った。


「おはよう、ロッティ。いや今はこんばんはかな?」


「……私は秘密警察に掴まっていたはず。貴女達は何者? 処刑執行人には見えないけど」


 口で言うより早いとヴァレリアとアナスタシアは自身の髪をボサボサにして服を乱れさせた。二人の奇行に首を傾げていたシャルロッタだったが、彼女達の清潔感を崩した容姿を見て目を見開いた。


「あなた達はルマトヤで会った……?」


「私達は秘密警察《第零特務(ノーリ・チェーカー)》だ」


 ヴァレリアは自身らの本名と《第零特務(ノーリ・チェーカー)》の役割について簡潔に説明した。流石に政治家の娘だけあって頭の回転は早いようだ。補足説明するべきことを脳内で補完して自分を勧誘のために救出しに来たことをすぐに理解した。


「せっかくだけど、私はこの先を生きていくつもりはないわ」


 桃色髪の少女は気力なく呟いた。

意思疎通を図れるようにはなったが活力を失っていることは変わらないらしい。


「父親のことは残念だったが、だからって自分の人生を諦める必要はないだろう? 私達のすることが父親を殺した連中への復讐にもなる」


 正義の使者なら破門級の勧誘文句だが、生き甲斐を失った者に対して復讐は新たな指針になる。怒りと怨恨は前へ進む動力になりうるのだ。だが彼女は首を横に振った。


「ちがう! ちがう! ちがう! お父様を死に追いやったのは私よ!」


「シャルロッタちゃん?」


「バルゲート州は元々野心家の政治家共が多かった。しかも周りの州はお父様を頼ってばかり。多忙のお父様のサポートをして留守中は内政を取りまとめるのが私の仕事だった」


「それは聞いている。評判が良かったみたいじゃないか」


 実際その施政を《第零特務(ノーリ・チェーカー)》は多分に評価した。

 医学の知識が豊富で氷血能力を開発したアナスタシアや二次大戦で数多の功績を上げたヴァレリアに続いて勧誘に動くほどだ。まぐれや付け焼刃の能力ではないだろう。


「お前にはこの冷え切った国を変える力がある」


「そんなご大層なものじゃないわ。私が政策に関わるようになったのはお父様の力になりたかったから。けれどそんな生活ばかりしていたからバルゲート州で仕事をする時しか一緒になれなくなっちゃって」


 ただ父の役に立ちたいと言う理由だけで彼女は知恵を学び社交術を研鑽し、父の右腕として力を発揮してきたのだ。しかし力を認められるようになったことで、父の留守を任されることになり、逆に父と過ごす時間が減ってしまったのは皮肉だった。


「あなた達に出会ったのは久しぶりに父と過ごせた時だった」


「あのルマトヤの視察のときか?」


「そう。久しぶりに休暇がとれたから二人でバカンスに出かけていた帰りだった。ルマトヤの実態を告発する知らせは前にも来ていたけど日に日に内容が酷くなっていた。だからバルゲート帰郷前に私達が直接視察することに決めたの。でも行くべきではなかったわ」


 シャルロッタは非常に落胆した様子で心情を吐露した。


ルマトヤの悲惨な内政に憤り、正義を掲げて改善に努めていたときの輝きはどこには見られなかった。彼女が後悔している理由は推して量ることができる。ゼリマンも言っていた。


メシャルキナ親子がルマトヤ改善のために長期不在となったことでバルゲートでの影響力を失ったのだ。


「ロッタちゃんのせいじゃないわ」


「私がルマトヤを助けたいって我儘を言ったから反乱分子を増長させてしまった。あのまま早くバルゲートに帰っていればお父様は失脚しなかった」


シャルロッタは膝を抱えて自分を責め続けていた。彼女は大好きな父の死の遠因を作ってしまったことで自分が残した功績が見えなくなっていた。

声を殺して涙を流す彼女は肩にヴァレリアが触れる。


「そんなに後悔するなよ、お前の行動のおかげで助かった者もいる」


「気休めはやめて頂戴!」


「気休めなんかじゃない。お前が動いたからルマトヤの市民は救われた。苦しむ住民を見捨てられない。そんな娘だったからこそイリヤはお前を誇っていたんだ」


 彼女の首にロケットをかける。それは逮捕時に接収されたはずの父イリヤの写真だった。

 優し気に微笑む亡き父を見てシャルロッタの顔が僅かに緩んだように見える。

 きっと亡き父との思い出を振り返っているのだろう。


「ここで立ち止まれば、イリヤは未来永劫叛逆者として歴史に汚名を残すことになるぞ」


「――そんなのいや! お父様程の政治家はいなかった! 損得勘定ばかりの政治屋と違ってお父様は真に国民を想っていらっしゃったわ!」


「だったらやることは決まっているはずだ」


 シャルロッタはロケットの父の写真とヴァレリア達の真剣な眼差しを交互に見る。やがてロケットを胸に抱いて一つの決意を表明した。


「わたしが生きて、お父様が間違っていなかったことを証明しないと……。天国のお父様が安心してお休みできるように……」


「ああ。胸を張って父の遺志を継げ、ロッティ」


やる気を取り戻すシャルロッタは力強く頷いた。父親が関わると眼の色が変わる。肉親への愛情を前面に出した叱咤激励が彼女の心に響いたようだ。


「本来なら、私みたいな専門医が長い時間をかけて精神を安定させるのだけれど、レーラったら一瞬で解決しちゃった。昔から人の心を掴むのが上手かったのよね」


 ヴァレリアが女性軍人でありながら仲間から支持され将軍まで登りつめた理由だ。

そんな彼女だから冷風渦巻く連邦でも真の仲間として信頼できるのだ。生気を取り戻したシャルロッタは落ちた体力を回復すべくアナスタシアの持参した健康食品に噛り付いた。一応栄養剤も打っていたはずだが余程空腹だったらしい。不味い食料もガツガツと食べていた。


「ねぇ、あなた達―――もがっ!」


「しっ! 静かに!」


 ヴァレリアは突如シャルロッタの口を塞いで耳を澄ませた。つられて外の音に集中すると何者かが雪を踏みしめる音が聞こえてくる。息を殺して外の様子を確認したアナスタシアは驚愕した。数人の秘密警察官が森中を捜索していた。積雪の影響で防空壕はまだ発見されていなかったが見つかるのも時間の問題だろう。既に車は押収されてしまっている。視界に映るだけで捜査員は十人はいた。その全員が武器を携帯しており殺気立っている。彼らは逮捕ではなく暗殺に来たことはすぐに分かった。

 音を立てないように注意を払いながら移動して現状を仲間に共有する。


「追手が掛かったか。サメロスクの警察もポンコツじゃなかったらしい」


 気づかれないように息を殺して奥へと移動する。防空壕の出入り口は一つではなかった。元々軍事野営地としての側面を持っていたこの防空壕には外へ通じる道が複数あった。地形を詳細に覚えている訳ではないが、洞穴を流れる風の向きから外へ通じている道を推測して進む。しばらく歩いて出口に通じる穴を見つけたが、そこを覗いたヴァレリアは首を横に振った。付近に秘密警察の姿が見られたからだ。踵を返して他の道を探すが、外に通じる道は秘密警察が徘徊していた。


「どこもかしこもイヌだらけ……そろそろ外に出たいわね」


 疲れきったシャルロッタが溜息をついて項垂れた。


「今、女の声が聞こえなかったか?」


「誰もいないぞ? 欲求不満の幻聴じゃねーだろうな?」


 進行方向から二人分の軍靴の音が聞こえてくる。彼らの持つ懐中電灯の光が間近まで迫っていた。別の道から既に秘密警察が中に入ってきていたらしい。


「ちょっとぉ! どうするつもり!?」


「先手必勝。殺るしかないわ」


 怯えるシャルロッタを後ろに下げて懐から注射器を取りだすアナスタシア。

 笑顔で他の毒薬を仲間に手渡してくる。


「アーニャ、お前、医者の癖に物騒だな」


「安楽死も医者のお仕事よ」


「待て。奴らを殺せば不審に思った他の連中まで捜索に来るだろう」


 ヴァレリアは静かに『氷血絡(リォート・シーラ)』を発動させる。狙うのは彼ら命ではない。彼らが進む道の中央に氷の壁を張り巡らせた。その能力を目の当たりにしたシャルロッタは驚きのあまり言葉を失くしていた。


「なんだぁ? 凍ってやがる」


「外の冷気で雨水が凍ったんだろう。先へは進めなさそうだ。退き返そうぜ」


 目論見通り壁を行き止まりだと錯覚した男達は踵を返した。暗がりの洞窟だからこそ、その不自然に出現した氷の壁に違和感を持たなかったようだ。

あわや接触の危機だったが、ヴァレリアの機転で事なきを得たのだった。


 そうして秘密警察が全くいない洞穴から外に出ることには成功した一行だったが、随分迂回することになってしまった。秘密警察に発見されることはなかったが、立ちはだかったのは大自然の脅威である。見渡す限り平原が続いており、人工物は道路しかない。脇道にある案内掲示板も十キロ単位で情報を載せている。


「ちょっとぉ、これ歩くの? 夜には凍死するわよ!」


「情けない箱入り娘だな。大戦時は長距離行軍なんぞ普通だったぞ。掲示板には五十キロ先に民宿があると書かれている。十三時間程度歩けば余裕で間に合うはずだ」


 連邦の冷風より涼しい顔で話すヴァレリアの言葉にシャルロッタは顎が外れんばかりに驚いていた。見かねたアナスタシアがヴァレリアの袖を引く。


「待って、レーラ。いくらなんでも無茶だわ」


「そうよ! アーニャ! この白いゴリラにもっと言ってやって!」


「貴女の計算に休憩時間が入ってないわ。効率よく歩くには一時間に十分の休憩が必要よ」


 シャルロッタは一人頭を抱えた。根本的な作戦変更はないらしい。


「秘密警察は車の近辺を探しているはずだ。休憩している暇はない。途中で自転車でも鹵獲できれば話は別だが……」


「自転車……はないけれど。さっき見せてくれた魔術で似たようなことはできるかもよ?」


 首を傾げると、小柄な少女は得意げに自分の考えを説明してくれた。


 シャルロッタの発案により五十キロの長距離移動を大幅に短縮することができた。

 一行は長い道路を滑るように移動していく。


「ロッティは画期的なことを思いつくなぁ」


「氷結能力で靴をスケート状にして移動するなんてね」


「ふふん、これがお父様譲りの知恵な訳よ」


 レヴェート連邦の人間は基本的にスキーやスケートを習得している。

氷ばかりの連邦では氷を使った遊びは古くから親しまれていた。そのため、靴裏にブレードを作って道路を滑るというのは妙案だった。


 ちょうど昨晩の吹雪で道路は凍てついており滑りやすい。氷が足りない場所は『氷血絡(リォート・シーラ)』で補えばいい。力に目覚めたばかりのシャルロッタは不慣れな息遣いで冷気を構築してなんとか道を凍らせている。その一生懸命さが愛らしかった。


 そうして完全に凍った道路は追手の足を遅くする効果も期待できた。現に秘密警察は一度も接近してこなかった。未だに盗難車が見つかったあの防空壕を調べているのだろう。


 即席スケートで体力を温存しつつ、一気に距離を稼ぐことができたおかげで出発地点の掲示板にあった民宿が見えてきた。ちょうど日が暮れる頃だ。このまま進むよりも民宿で暖を取るということで意見は一致した。


 問題は相手とどのように接触するかだ。掲示板には元々狩猟に来る男のために開設したと書かれていた。複数の若い女達がいきなり人里離れた民宿に訪れたら勘ぐられてしまう。


「男向けってことは主人も男だろうな。色仕掛けが効果的か……」


「なるほど~なるほど~。要するに私の身体で悩殺してやればいいのねっ!」


「あ? ロッティは貧乳じゃん。お子様は引っ込んでな」


「ひんにゅ……微乳といいなさい! 貧相な胸じゃないわ! お父様譲りだもの!」


「いや、お前の父親は絶壁だろ……」


「なんですって!? お父様への侮辱は許さないわ!」


「侮辱って――逆におっぱいあったら怖いぞ」


 興奮する二人だが、そもそも娼婦の真似事をして男を靡かせたところでこの森にいる違和感を払拭できないことに気づいていない。シャルロッタはスパイ不慣れ故に気づいていない。経験を積んできたヴァレリアも今まで色仕掛けで何とかなっているから楽観視しているようだ。こんな時に頼りになるのはアナスタシアである。


「やっぱり女だけで行くのは不信感を募らせてしまうわ。当局に通報されかねない。ここは家族を演じましょう。男も同伴しているとなれば警戒心が薄まるはず」


 アナスタシアの発案で変装の主体が決まった。採用するはずの娼婦の衣装をコートの腹に積めてヴァレリアが小太りの男性に仮装した。太って見えるように氷血能力で作った氷を頬に詰めて役作りを徹底する。アナスタシアは掃除婦のときとは違うメイクで自身の容姿を老けさせた。そして新顔のシャルロッタは少年に変装した。アナスタシアの調合した特殊な染色剤で桃色の髪を金髪に染めて、オールバックにした髪を後ろで結んでいる。


「私は巨乳を隠すために体系を変えるしかなかったが、ロッティ、お前の男装は……ククク、かわいそうなくらい似合っているな」


「ちょっとぉ! どこ見ているのよ! ちゃんと膨らみは隠しているわ!」


「二人共、それくらいにして。民宿に接触するわよ」


キール・マルコヴィチ・ハキーモフくんは上司にどやされています。怪しい人物を取り逃がしたので当然ですね。彼が追ってになります。


 ヴァレリアは氷の能力に慢心せず、必要最小限の力で戦闘を避けています。大戦時は一応将軍クラスでしたので部下の命を預かる身として安全策を優先する癖がついていました。「戦うときは劇的に。しかし平時はクールに」といった感じです。


 父の死により生きる気力を失っていたロッティでしたが、ヴァレリアが取り返してくれた父の写真が収められたロケットを見て活力を取り戻しました。

 彼女の発案で靴をスケート靴に擬装して進む策が実行され大幅に進行速度が上がりました。

 ロッティはムードメーカーですね。いじられキャラでもありますが。

 一同は父母とその子供に変装して民宿に身を寄せることになります。


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