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監獄姫を救出せよ


 メシャルキナ父子は正義感があるとても高潔な人間だった。人間不信一歩手前だったヴァレリアですら好感を持ったほどだ。少し前の新聞ではルマトヤの復興に尽力する特集が組まれていた。そんな彼らが処刑と投獄という結末を迎えるなど予想だにしなかった。

状況が理解できなかったヴァレリアはゼリマンの胸倉を掴んで詰め寄った。


「どういうことだ!!? なぜアイツら親子が叛逆罪になってるんだよ!」


「レーラ落ち着いて! 課長さんに怒鳴っても仕方ないわ」


 仲間の声で少し冷静さを取り戻したヴァレリアは手を引っ込める。

襟を正したゼリマンは咎めることはしなかった。彼女の胸の憤りはその場にいた全員が理解できていたからである。


「イリヤは高潔な男だった。政治能力に優れた人格者だ。彼が百人いれば共産主義は資本主義を打倒するに至っただろう」


「そんな男がなぜ処刑される?」


「順を追って説明しよう」


 全員がゼリマンの言葉に耳を傾けた。


 イリヤ・イヴァノヴィッチ・メシャルキンは優秀な男だった。

幼少期に帝国の崩壊を見た彼は新国家の担い手になるべく英才教育を受けて育つ。そして若くして連邦の政治家秘書として国家運営に携わり、常に結果を残してきた。歴史の表舞台に名前が刻まれなかったのは彼がその功績を関係者に譲ってきたためだ。


 実績と引き換えにイリヤは自身の地位を確立し、人脈を広げていった。二度の世界大戦中において政財界で立ち回った実績から国家保安委員会も彼に絶大な信頼をおいていた。本来ならば失脚はありえないはずだった。


 しかし現実は違った。彼は高潔すぎたのだ。自分達の崇高な理念を実行するための行動は起こすが、私腹を肥やす甘言には一切耳を貸さなかった。真の意味での共産主義者だった彼に対し、周りの権力者たちは次第に鬱陶しく思うようになった。


 汚職に協力しないばかりかそれを摘発してしまう行動は少しずつ敵を増やしていくことになる。それでもイリヤを支持する層は多く、反イリヤ派も行動に移せなかった。


 天秤が傾いたのは、ルマトヤ汚職事件のときだった。


 彼は汚職を捜査し、町の立て直しを計るために自分の部下達を大量にルマトヤへと送った。更に彼自身が現地で陣頭指揮をとった。おかげでルマトヤは復興できたが、自身の拠点であるバルゲート州を留守にしている間に反イリヤ派に先手を打たれてしまったのだ。

 いわれのない罪をでっちあげられ、彼は国家反逆罪の汚名を着せられることになった。


 時間を稼げればイリヤを支持する勢力の助けを得られただろう。だからこそ反イリヤ派は千載一遇の機会を逃さず、処刑を早めたのである。


 経緯を説明するゼリマンは珍しく感情的になって涙を拭っている。


「彼とは長い付き合いでね。とても聡明な男だった。こんなことになるなら《第零特務(ノーリ・チェーカー)》に勧誘しておくべきだった」


「後悔しても死んだ人間は生き返らないよ。私も戦争で嫌という程仲間の死を見た」


「そうだな、すまん。……前置きが長くなってしまった。キミらに頼みたいのは友人の弔い合戦じゃない。彼の忘れ形見を助けることだ」


 任務内容はシャルロッタの救出と勧誘だった。勿論、顔見知りの彼女のことは助けたいと考えていたが、なぜ少女一人の救出に組織を動かすのか少々疑問だった。


「やはり、友人の娘を助けたい、ということでしょうか?」


「感情的な理由がないといえば嘘になる。――が、人事権を握る者として欲しい人材には違いないんだ。シャルロッタは文武両道の才女。剣技では大人の男を負かした実績がある。そして何より父イリヤから天才的な社交術と知恵を譲り受けている。これがその証拠だ」


 ゼリマンが示した資料はイリヤに対する内偵記録だ。

 経済政策や農耕改革、教育の促進などに力を入れている様子が見て取れる。


 一見すると政治的手腕の巧みさを測れるだけのものだが注意して見るとおかしい点があった。彼が別の州に出向するなどで問題解決に手を貸している間に彼の統治区であるバルゲート州で彼自身が活動している記録がいくつもあることだ。


「同時刻異なる場所で問題を解決した同一人物……その片割れが娘の方だと?」


「うむ。イリヤ不在のときは父の名前だけ借りて州の諸問題を解決していたらしい。父への愛情故に実績は全て父に渡している。さながらイリヤの若い頃を見ているようだよ」


 遠い過去を回想するゼリマン。《第零特務(ノーリ・チェーカー)》は彼女の知恵と人脈と実務能力を買っている。しかしヴァレリアの評価点は本部とは違った。高い身分を持ちながら下々のものを考える優しさと危険を顧みずに現地へ赴く胆力の方に脱帽だった。


「アイツを見殺しにするのは私も寝覚めが悪い。どこに幽閉されているんだ?」


「それが厄介なのだよ。カガロフスカヤ同志」


「――というと?」


「彼女の身柄は今、極寒の地サメロスクにある」


 サメロスクは陸の孤島と言われる交通の便が極端に悪い場所にある。そして民間人が立ち寄りにくい立地故に付近には軍の要所が存在している。そんな場所だからこそ、町は国家保安委員会の人間が直轄支配しており、外部に情報が入ってこない。予めその地域での仕事を任された《第零特務(ノーリ・チェーカー)》から僅かな情報がもたらされるのみである。


「あそこは軍の空輸で成り立っているから警戒区域の空路は使えないわね」


「仕方ない。入念に準備をして万全の態勢で奪還するしか」


「いや、一刻の猶予もない。今動ける人員だけで動いてもらう」


 奪還計画に水を差すようにゼリマンは言った。上司と言えども無茶な発言は聞き捨てならない。ヴァレリアは白い肌を紅蓮に染める程怒りを顕わにしてゼリマンの襟首を掴んだ。


「馬鹿を言うな! こんな危険な場所、前準備もなく潜入できるか!」


「メシャルキナは間もなく首都ワクスナに移される。そうなれば我々も手出しできない」


 首都はアーストンや彼の直轄兵、秘密警察が跋扈する魔都である。アーストンを批判した人間は投獄される。住民は互いを監視して共産党に密告し合っているのだ。


 そんな場所に移されれば彼女は二度と救出できず、悲劇の運命を辿ってしまうことは想像に難くない。成人前の女で家柄が良いため処刑は免れている。だが、彼女やその父を慕う共産党員は未だに多く反イリヤ派の人間にとっては手元で監視しておきたいという本音が透けて見えた。

 ゼリマンが救出を急ぐ理由を知ったヴァレリアは怒りを収めて襟から手を離した。


「メシャルキナは剣術の達人だが、厳しい取り調べで心身共に疲弊して戦える状態ではないだろう。故に奪還者が抱えて助け出すことになる。今回は失敗確率の高い任務だ。有志を募ったが立候補者は0。実行隊として動けるのは諸君らだけになるが……」


「私はシャルロッタちゃんを見捨てることなんてできません」


「吟味する点があるとすれば彼女の救出計画内容くらいだ」


 ヴァレリアもアナスタシアも決意は固かった。勿論シャルロッタを見捨てることなどできるはずもなかった。


「周りは全て敵といっていい。『氷血絡(リォート・シーラ)』を身に着けている君らでも達成は難しいだろう。それでもやってくれるかね?」


 全員が無言のままに首肯するとゼリマンは満足そうに頷いた。


「ありがとう。しかし無茶はしないでくれ。貴重な能力者を失う訳にはイカン。君らの生存が最優先であり、奪還が困難であれば速やかに退避してくれ」



 救出は時間との勝負だ。

 既に用意されていた偽装身分証を手に州境までやってきた。


 陸の孤島といっても交通が禁止されているわけではない。就労目的は通行が許可される。最初の検問さえ突破できれば表面上は自由な活動ができる。そのため輸送業者に化けて潜入するのが定石だった。とりわけ、軍人の多いサメロスクでは検問に引っかからず、事実上取り調べが免除される職種があった。


「まさか素通りが許されるとはな」


「まぁこれだけ露出も多いと武器は携帯できないと思われるでしょう」


 ネグリジェのような布の面積が薄く露出の多いドレスで着飾り、派手な化粧をしたヴァレリア達は売春婦そのものだった。女性に飢えた軍人相手に売春婦が行き来するのは日常と化していた。


 検問の人達は馬車のカーテンをめくってヴァレリア達を確認しただけで通行を許可してくれたのだ。女性を舐めているのか、女諜報員が紛れても逮捕できるという自信があるのだろう。門を突破して売春街まで進んだところで馬車は停車した。

 協力者の男はカーテンにギリギリまで近づいて小声で耳打ちしてきた。


「案内できるのはここまでだ。俺は同業者を回収してトンヅラするから、脱出は自力でなんとかしてくれ」


 カーテン内で清掃着に衣替えていたヴァレリア達は清掃員を装って軍内に侵入した。着替えの衣装は掃除カートの底に積めて移動する。


「レーラ、『氷血絡(リォート・シーラ)』は使っちゃダメよ」


「分かってるよ。アレは強力だけど燃費が悪すぎる。多勢に無勢のこの場所で使うのは自殺行為でしかない。切り札はとっておくさ」


 ヴァレリア達は敢えて実年齢よりも二十以上老けたメイクにして疲れ切った主婦を演出していた。化粧で普段の色気は抑えられて執拗に男性陣を刺激することもない。目論見通りただの清掃婦として軍人は気にしていない様子だった。完璧に掃除のおばさんになりきってトイレや廊下、仮眠室で清掃しつつ、軍人の会話に耳を澄ませる。


「今晩ギャンブル行こうぜ。昨日の敗け分取り戻すんだ」


「また懐が寒くなるだけだろ? 男は黙ってウォッカだよ」


「ウォッカより女を抱いた方が温まるぜ?」


「「「ハハハハ!」」」


 世俗に塗れた下品な話が繰り返される。女性陣にとってはトイレの汚れよりも小汚いという感想しか出てこない。それでもシャルロッタの情報の片鱗が得られるかもしれないので耳を塞がずに彼らの会話に集中する。


「女といえば、最近監獄に送られた政治犯の娘、良い女だったな」


「おっぱいが足りないくらいで顔はいいし、監獄生活なんてもったいねーよ」


「そうだなぁ、俺達が男を教えてやりてぇぜ。俺が係官ならつまみ食いするんだけどな」


「あの女、明日移送されるみたいだぞ。もう一度くらいは拝めるかもな」


 予想外の言葉に一瞬身体を震わせてしまったが、談笑に夢中の軍人達には気づかれなかったようだ。やはり基地内では簡単に情報が拾えた。


「チッ、ただでさえ時間がねーってのに」


「彼女の監禁場所へ急ぎましょう」


 そのまま事前調査書を参考に基地に併設された監獄へと向かっていく。政治犯などは監視と処刑が速やかに行えるように軍事基地と併設されていることが多い。受刑者に対するプレッシャーも兼ねているのだろう。情報によれば彼女は監獄塔の最上階にいるはずだ。


「シャルロッタ! ここにいるのか!?」


 しかし、牢獄はもぬけの殻だった。ヴァレリア達の表情に焦りの色が見え始める。既に首都への移送が完了していたのならば手立てはない。


(軍人は明日だといっていたが……? さらに早められたのか?)


 食べかけの食事や脱いだ着替えはそのままだった。つい最近までシャルロッタがここにいたことは間違いない。


「そこで何をしているのだ?」


 背後から現れたのは若い男性軍人だった。救出対象を見失った衝撃で不覚にも近づいてくる人間の気配を読めなかったらしい。わざとらしくモップや箒をみせると彼はヴァレリア達を無関係な清掃員だと信じたようですぐに警戒心を解いてくれた。


「掃除婦さんか。ここは入っちゃダメだよ。囚人移送前だったら大問題だった」


「囚人さん? 興味本位ですがどんな方がいらしたのですか?」


「それは……ぶ、部外者の方には教えられないよ」


 ぐいっと前に出て若い軍人を問い詰めると、彼は少々戸惑いながら視線を泳がせた。

 潜入組は今熟女メイクをしているが、それでも挙動不審になってしまう程女性慣れしていないようだ。胸元を直視してしまった視線を悟られないように急に反らしている。


童貞君(ヴィーシニア)か? 軍人にしては珍しいな。ここは少しつついてやるか)


 ヴァレリアは意地悪な笑みを浮かべた。彼女は同性好きではあるが、男性を揶揄うことは嫌いではなかった。軍人時代も田舎から徴兵されたばかりの少年兵に抱き着いて戸惑う様を愉しんでいた。胸の谷間を不必要に密着させて上目遣いに彼と目を合わせる。さらに甘ったるい声音を男性の耳元から注ぎこんでいく。


「私、あなたみたいな子好みよ。お名前はなんて言うのかしら?」


「じ、自分はアレクセイ・ダニーロヴィッチ・ハリトノフという……階級は少尉だ」


「まぁ、アレクセイ君は若いのに優秀なのねぇ。教えてよぉ、アレクセイ君。おばさん、人の噂話を聞くのだけが楽しみなの。ここにいた囚人ってどんな人なの?」


 誘惑に耐えかねた男性はやや強引にヴァレリアを振り解いた。心なしか顔が赤く呼吸も荒い。もしかしたら彼は熟女属性持ちなのかもしれない。再びヴァレリアに接近されないように望む情報を簡潔に提示してきた。


「せ、政治家の娘だ! 体調不良で医務室に運ばれたと! 食事も、喉を通らないようで衰弱していると聞いた」


「まぁ、ご病気なの?」


「いや、父親を処刑されたからショックが大きかったのだろうね。俺も一度見たけれど……国家反逆者とはいえ、成人前の娘が衰弱していくのは心が痛むよ」


 わざとらしく驚いて見せるが、ヴァレリア達は当然知っている情報である。本当に欲しい情報は現在シャルロッタが幽閉されている場所だ。アイコンタクトで彼を案内人にしようと意見を一致させたアナスタシアは次の一手に出た。


「私、若い頃に看護師として働いていたの。女の子を診てあげましょうか?」


「いや、それは――」


「良い考えね! メイヴはカウンセラーとしても有名だったのよ! きっと男ばかりで心を閉ざしているお嬢さんもメイヴには心を開いてくれるはずよ!」


「そうかもしれないな。尋問に手間取っていると聞いていたし、上官に相談してみるよ」


 即興で考えた設定だが『元看護師の清掃婦メイヴ』として身分は現役軍医であるアナスタシアには演じやすい配役だった。おばさん特有の押しの強さで彼女の診察が必要だと錯覚させたことによってアレクセイを上手く丸め込むことができた。まんまと特別医務室まで案内させることには成功したが全てが上手くいく訳ではなかった。


「清掃婦如きが立ち入って良い話ではない! ババアは便所掃除でもしていろ!」


 医務室を警護するアレクセイの上官に門前払いされてしまった。アレクセイ本人も無闇に情報を公開したとしてこってり絞られているようだ。遠くからでも罵倒の声が聞こえてきた。「祝勝会前で気が弛んどる!」等と上官のお叱りが延々と続いている。彼を身代わり(スケープゴート)にした形なのでアナスタシアは少々バツが悪そうだ。


「アレクセイ君には悪いことしてしまったわね」


「それより医務室にどう入るかだろう。強面の門番は熟女がお気に召さないようだ。――とはいえ見たところ堅物そうだからな」


 好みの女性像をリサーチしてアプローチするにしても落とすまで時間がかかるだろう。目的は男を攻略することではなくシャルロッタの救出である。男一人に時間をかけている余裕はなかった。夜に侵入しようかと相談していると、医務室から白衣の男性が出てくるのが見えた。どうやら便所に向かっているらしい。


「やれやれ囚人の検診なんぞやってられん。尋問や拷問で既に壊したのは軍警察のくせに、医者に回復を迫るなよ、ったく! 残業続きでパブにもいけねーしなぁ」


 一人愚痴る程にストレスが溜まっているようだが彼の立場を考えれば納得だ。やりすぎた尋問で心や体を壊して必要な情報が得られず、医師に丸投げするというのは大戦中もよくあった。あの頃は捕虜相手なのでまだ納得できたが、自国民相手は相当きついだろう。


「だがこれは絶好の機会だ。門番相手より余程落としやすい」


「ふふ、看護師衣装なら持ってきてあるわよ?」




ヴァレリア達は娼婦に化けて町に潜入し、

メイクで年を上乗せした掃除婦に変装して軍施設に潜入しました。


しかしまだシャルロッタの運ばれた医務室に辿り着けないため

今度は看護婦に変装します。

女を武器にするのは女スパイの特権ですね。

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