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正義の代償


 向かった先はルマトヤ役所である。ルマトヤの中心地にあり、公共機関の要でもある。今は外客であるシャルロッタ達が滞在しているはずだ。そこに突撃したのである。勿論正面から不正を暴露しに来たのではない。


「本当に直談判してもらえるんだね?」


「ええ。私達が失敗しても弊社社長がなんとかしてくれるでしょう。何かあった時に泥を被っるのが私達秘書の仕事ですから。あなたはただ同席してくださればよいのです」


 ヴァレリアは悪徳商業組合の尖兵として裏取引に訪れたのだ。マルシェフを連れてきたのは新顔の自分達が商業組合の人間だと説明させるためだった。その目論見通りマルシェフの顔を見た役所の人間はすぐに密談交渉だと察して会議室に案内された。


 アナスタシアが窓際に立ち、ヴァレリアとマルシェフが下座のソファーに腰かけた。当然のように上座に座った共産党員は欲に塗れた笑みを浮かべた。


「食品部門の人間から訪問してくれるとは有り難い。こちらからも話をしたいと思っていたところだ」


「上納金のことですね。我々もあなた方には協力していただいている身。ですので支払いは継続したいと考えておりますが、少々お高いかと……」


「お前達は我々の協力で利益を得ている。少しばかり取り分が減っても庶民共を働かせれば元が取れるだろう」


「最近はそれも難しく……労働者の過労死を隠しきれなくなってきまして」


「絞れるだけ社員の給料を絞ればいい。法人税も便宜を図っていやっているんだ。お前達民間の企業もそれなりの利益を得ているはずだ」


 自分達は違法取引の内状を知っていると認識させて相手の調子に合わせていく。新顔を警戒していた役員も自分達と同類とみなして金銭の要求を強めていく。ヴァレリアが役員との会話を伸ばしている内に密かにアナスタシアが『氷血絡(リォート・シーラ)』を発動させる。氷の針を生成して操作することで扉や窓の鍵を解錠した。

 全ての準備を整えたアナスタシアがヴァレリアの後ろ髪を軽く引いた。

 それを合図に今まで下手に出ていたヴァレリアは強気な態度に出始めた。


「共産党の意向に逆らう気はありませんが、ちょっと足元見過ぎでは? 我々も商人ですからいきなり契約料を吊り上げる人とは取引なんてできません。所詮口約束ですし」


 足を組んで挑発的に微笑む若い女に共産党員は腹を立てたらしい。相手は部下の名を呼び捨てにして怒鳴り、紙の契約書を持ってこさせた。そこには具体的な取引額が記載された裏取引の詳細が記されていた。


「口約束ではない! ここに上納金の規定が書いてあるだろう!」


「書いてありますね。その具体的な金額も。なぜここから引き上げるのです? 自分が損をする契約更新なんて絶対サインしませんよ。利益を求めるなら旨味を提示してください」


「ちょっと秘書ちゃん!」


 豪胆すぎるヴァレリアの態度にマルシェフが止めにかかった。彼は顔面蒼白で冷や汗をダラダラ流している。それだけ商人にとって共産党員の権力は絶大であり畏怖の対象なのである。ヴァレリアはその権力という圧倒的な後ろ盾のある政治家の睨みに全く動じなかった。少々感心した市政長は自身が用意した新しい書類にいくらか追記してヴァレリアに差しだした。


「これでどうだ? これ以上は譲歩できんぞ」


「法人税の減税、優先取引権、闇市の開設許可ですか、思い切りましたねぇ」


「要は互いに損がなければいいのだろう? その代わり、上納金の値上げと上質な肉とウォッカをよこせ。これなら文句ないだろう?」


 彼が提示した権利は庶民に負担を強いるものだ。ダクステン精肉工場筆頭にブラック企業商業組合が事実上市場を独占すれば庶民は飢えることになる。報告書にあったときよりも更に悲惨な状況に陥るだろう。ルマトヤ市政はまるで住民のことは考えていなかった。


「いいですね。この内容でしたら弊社社長のアブラノフも満足するでしょう」


「ならばとっとと契約書にサインをしろ。こっちも立て込んでいる。誰がチクったのか他所の政治家親子が視察に来てる。とっとと追い払わないと我々のことも露見してしまう」


「いいえ、サインは致しません」


「なんだと……!?」


 市政長が文句を言おうとした時、扉が開け放たれた。入ってきたのは抜刀したメシャルキナ親子と銃で武装した男達だった。狙った通りの状況だった。ヴァレリア達は彼らが近くにいることに感づき、盗聴しやすく潜入しやすい状況を用意しておいたのだ。


「今の会話は全て録音させてもらったよ」


「ルマトヤ市政長マトヴェイ・ニキートヴィッチ・アガーポフ。あなたを連邦汚職防止法に基づき逮捕します!」


「な、なんだってんだ!? どうしてこんなに大勢の秘密警察が!? お前達親子は護衛一人つけていなかったはず!」


「予めルマトヤの職員として潜入させていたんだ。清掃員、事務員、警備員、運送屋とかね。人間を消費する労働力としかみないお前達は簡単に他所の人間を雇い入れる。一月以上の潜入にも気づかないなんて間抜けだ。ロッティがルマトヤ側の人間を懐柔していたのも大きいけどね。やはり私の娘は天才だったよ!」


「お父様の教育の賜物よ。準備段階なんてほとんどお父様の素敵な采配のおかげだもの」


(この親子は仕事をしに来たのか、いちゃつきに来たのかどちらなのだろう)


 恐らくその場にいた全員がヴァレリアと同じ感想を抱いただろう。空気を察したシャルロッタはわざとらしく咳払いして捜査員の体を取り戻した。


「さぁ、机の上の密談書も押収させてもらうわ。全員床に伏せなさい」


 シャルロッタが叫んだ瞬間、窓が突然開いた。室内に大量の猛吹雪が舞いこんでくる。白い風は市政長が隠そうとした資料をメシャルキナ親子の方へと吹き飛ばし、同時にヴァレリア達の姿を覆い隠した。


「一体何だって言うの!?」


「よくできました(マラヂェッツ)」


 シャルロッタの耳元でそう呟いてヴァレリア達は姿を消した。この時点で室内にいた人間はマルシェフ含めて全員逮捕されたが、ダクステン精肉工場謎の秘書達はどこを探しても見つからなかった。名簿にも存在しない人物を見つけ出すことは不可能だろう。吹雪は勿論『氷血絡(リォート・シーラ)』を駆使した目晦ましだ。雪がシャルロッタ達を足止めしている間に急いでダクステン精肉工場に引き返していたのである。


 自分達の服を回収して元の田舎娘に戻ったヴァレリア達は何食わぬ顔でアンの下へ戻った。彼女は心底ヴァレリア達を心配していたようだ。


「大丈夫だった? 随分長い間呼び出されていたみたいだけど」


「大丈夫だっぺ。退職届出してちょっと揉めただけさね」


「私達、こしたらひでぇ会社とは今日でさよならするの」


 アンは信じられない様子で絶句している。


「あの社長が許したの?」


「許すもなーもこの会社は間ものぐ査察が入ら。なんども奴隷労働から解放されるよ」


「そうなの? もしかして……私の嘆願書が渡ったのかしら」


 どうやらアンがメシャルキナに現状を知らせた本人らしい。道理でダクステン精肉工場が怪しいと睨んでいたはずだ。シャルロッタらは内部告発の連絡を受けていたのである。


「――んだからぁ今日からアンも無職になっちゃうけんども……」


「いいわ。今は清々しい気分。査察が入るならいくらかの補償金は貰えるでしょうし」


 アンは年相応の屈託のない笑みで笑った。

 先を急ぐヴァレリアとアナスタシアは手短に挨拶を済ませて工場を後にした。

 ルマトヤの不正は白日の下に晒された今、正義感のあるメシャルキナ親子の指導で改善されるだろう。不正に関わっていた商業組合も解体されて関係者は逮捕されるはずだ。


「もうやることはないな」


「お疲れ様、レーラ。潜入任務は初めてなのによくやったわね」


「アブラノフに迫られた時はぶっ飛ばすところだったけどね」


「――だと思った。だから早めに投薬したのよ」


「あの野郎の工場が潰れようがどうでもいいけど、アンは大丈夫かな?」


「拷問にも耐えて当局に密書を送るくらいだもの。あの子は見かけによらず(したた)かよ。きっとどこでもやっていけるでしょう」


 駅を目指して人気のない町中を歩く。もうすぐ駅につきそうだというところで見慣れた桃色髪の娘が対面を歩いてきた。隣に連れているのは父親ではなく屈強な護衛官のようだ。もう世間知らずの小娘を演じておらず、豪胆な政治家の娘として振舞っている。


「あら、あなた達。また会ったわね。良い仕事は見つかった?」


「いえ、残念ながら。どこも厳しそうで別の町にしようかと」


「ふーん。ここに留まってもいいと思うわよ?」


「この前と言っていることが違わない?」


「お父様が悪徳業者摘発の陣頭指揮を取っているわ。企業は経営陣を刷新されてやり直すことになる。メシャルキナの人脈で真面目な人材を采配する予定よ。勿論、現場の労働者で有能そうな子がいれば採用するつもり」


 ヴァレリアとアナスタシアは見つめ合い微笑んだ。本当に収まる所に収まりそうだ。いかに違法経営していたといえど市民生活の歯車の一つである会社を安易に潰せない。その基盤を引き継ぐ対応で進めているらしい。彼らが改革するならルマトヤは変われるだろう。


「それでは、私達は行きます」


「ええ。気をつけてね。私とお父様の最強ペアでこの町を明るいものに変えて見せるから、今度は観光で遊びに来てよ!」


 シャルロッタは雪原を照らす程の笑顔で見送ってくれた。彼女とは役所で対面しているが、髪型も服装も清潔感も異なるために別人として認識してくれたらしい。ルマトヤの立て直しに燃える健気な女の子の姿は見ていて微笑ましかった。


 蒸気機関車が町を去る間、その桃色髪を目で追っていた。


「レーラったら、シャルロッタちゃんが気になるの?」


「ん? いや、この氷の国でまだあんなにも熱い奴がいるのが意外だっただけだよ。アイツは貧乳だから私の好みじゃないし」


「相変わらずね、レーラは……」


 ルマトヤ潜入任務は円満に終了した。予期せぬ遭遇ではあったがメシャルキナ親子に出会えたのは良かったとヴァレリアは感じていた。


 この任務で正式に《第零特務(ノーリ・チェーカー)》に配属が決定される。機密文書の奪取から逃走補助、果ては暗殺まで様々な任務を任されることになった。そしてルマトヤ任務で『氷血絡(リォート・シーラ)』の扱い方と潜入に慣れた彼女達がボロを出すことなく任務は円滑に進められた。


 順風な諜報活動をしていたヴァレリア達だったが、ある日課長に呼び出しを受けた。


「課長、次の任務のお話でしょうか?」


 アナスタシアが代表して尋ねると、ゼリマンは珍しく悲しい表情を見せた。

 彼は新聞の記事と一枚の写真を提示してきた。資料を見て絶句するアナスタシアを不審に思ってヴァレリアも新聞に目を通す。


『イリヤ・イヴァノヴィッチ・メシャルキン共産議員、スパイ容疑により銃殺刑執行。その息女であるシャルロッタは実父に協力したとして禁固刑が確定』


 新聞には信じられない文字が記載されていた。《第零特務(ノーリ・チェーカー)》が入手したと思われる写真には、鎖で繋がれているシャルロッタの姿が映っていた。



無事ルマトヤの不祥事をシャルロッタ達を利用する形で解決できました。

あの親子は正義感が強い人達でした。


ルマトヤの任務を終えてようやくスパイとして本腰を入れていた頃に

父親の処刑と娘であるシャルロッタの監獄入りが報道されてしまいます。


次話は彼女救出のために動くお話です。

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