表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/22

ルマトヤという町


 ルマトヤの町は非常に清潔感のある都市だった。ホームレスは一人もおらず、町人は皆温かい着物を召しており、商店には多様な品が標準価格で並んでいる状態だ。商店に並ぶ町人の表情も明るい。報告書とは正反対の状況を目にして一瞬呆気に取られた。


「どうなっているのかしら? 首都ワクスナに匹敵する繁栄ぶりだわ」


「大方、都合の悪い個所は見えなくしてるんだろうよ」


 ヴァレリアの視線を追うと、バリケードが築かれて軍人が警備している箇所があった。表向きは天然ガスの流出に伴う封鎖らしいが彼らの影には痩せこけた人の姿が見えた。

 注意して凝視すると町人の表情がどこかぎこちなく見えた。近くの役人の顔色を窺っていてビクビクしている。密告に怯える連邦民特有の眼だった。


「メシャルキン議員が視察に来るから穏やかな町をつくったのね」


「骨の髄まで恐怖が染みついている町人は協力するだろう。外部の奴にしか変えられない」

 外側だけ色づけられたつくりものめいた町に肌寒さを感じながら目的の場所へと向かった。都市部から少し逸れた僻地にダクステン精肉工場の看板が見えてくる。見てくれは規模が大きい精肉工場そのもので大層立派である。だからこそ胡散臭かった。


(町外れにあるのがキナ臭い。あの嬢ちゃんの言う通りヤバいかもな)


 出迎えた人事部長らしき男は、簡単な挨拶と自己紹介のみをすませただけで採用を決めてしまった。面接というにはあまりにお粗末である。仮にも秘密警察の存在する氷国とは思えない無警戒さだった。


 彼らが出稼ぎ労働者をその場で採用する理由はすぐに分かった。

 労働者は皆、作業場と言われる場所で肉の切り取り等加工作業を行っている。この作業場に鍵を掛けられて労働を強制されるようだ。非常に劣悪な環境であり、換気もできずに部屋は蒸し暑い。作業者はトイレ以外で席を外すことは許されない。さらに自分達を含めた新米は碌な研修を受けさせずに現場に投入されるらしい。


「豚共! 今日もキリキリ働くがいい」


経営者の怒号から黙々と作業を開始する労働者達。事前に読みこんだ資料によれば彼が経営者のフルフトル・アブラノフだろう。ジャーキーをくちゃくちゃ咀嚼しながら労働者の仕事を監視している。


「肥えた分を目上に献上する、貴様らの生き様は家畜そのものだなぁ! ガッハッハ」


自分達の領地に入ったら隠すつもりはないらしく尊大に振舞いだした。いっそ清々しい。監督という名の罵倒を続けて労働者の人格を否定していく。そうして思考回路を麻痺させていく常套手段なのだろう。


(ひたすら否定して偶に褒めることで洗脳していくのか……)


 じっくり観察していくとメシャルキナが名指しで批判した理由がよく分かった。工場の設備が古くて不具合を起こしているが、買い替えようともせず労働者に負担を強いてるのだ。さらに消費期限が過ぎた肉のパッケージを入れ替えて販売したり、牛肉と偽って豚肉をミンチにしたりして販売を強制している。勿論違法行為であるがそれらを無理強いさせることで共犯者に仕立て上げている。犯罪に加担させることで当局への通報をさせないようにしている。


「政府に密告しても共犯者として裁かれてしまうものね」


「人間の心の弱さを掴む厭らしい手だ」


 潜入初日は観察期間として特に動くことはしなかった。正式な調査ではないため、決定的な証拠を掴む必要はないが、裏で糸を引いている人物は特定しなければならない。

 奴隷のような待遇に我慢しつつ用意された女子寮に入居するが、寮とは名ばかりの狭いタコ部屋だった。配布された薄い布一枚では寒さを凌げず、多数の人間が身を寄せ合って暖をとっている。おまけに夕食は廃棄予定の肉を乱暴に焼いた物と僅かなパンのみである。


「栄養も休憩も満足に取れない。ここにいるみんな栄養失調になっているわ」


「これが毎日続けば反抗する気力も失うだろうな」


 毎日の疲れから眠る他の労働者達と違ってヴァレリア達は眠れなかった。劣悪な労働に疲労しているのは確かだが、第二次世界大戦を経験した彼女らにとっては問題なかった。


「こんなところに就職するなんてあなた達も運がないわね」


眼が冴えたヴァレリア達に声をかけてきたのは雀斑が特徴的な若い女性だった。アンという彼女に任務用の偽名で自己紹介を済ませる。労働者の声から首謀者の手掛かりを掴めるのかもしれない。周囲の人間が寝息を立てているのを確認して話を広げることにした。


「ここに来て三ヶ月になるけど、初日で眠らない人は初めて見たわ。みんな最初の一日で疲れて寝ちゃうのに……」


「疲れすぎて逆に眠れないだけだっぺ。ここの労働さ、毎日こんな大変なんです?」


 田舎娘を装って方言交じりの言葉で聞き返してみる。

アンは警戒せずに色々と教えてくれた。


「そうね。訴えても労働環境は一向に改善されないし、毎月誰かが倒れているわ」


「逃げだそうつー人はいなかったべか?」


「無理よ。この部屋は外鍵が付けられているし、外には見張りもいる。労働の疲労と栄養不足で逃げる体力もない」


「だども、逃げようとした人はいたんでねーか?」


 精一杯田舎娘の訛りを再現しつつ尋ねるとアンは徐に上着を脱ぎ始めた。年若き乙女とは思えない肋の浮いた肉が見える。女性らしい胸の膨らみと非対称的であり不自然に見えた。しかしそれよりも目を引いたのは身体の傷跡である。蚯蚓(みみず)()れしたそれは鞭打ちの跡だった。拷問された経験があるヴァレリアとしてはその痛みを理解できた。空が凍てつく氷の国では鞭打ちは熱した鉄棒で殴られるような激痛だ。破れた服から覗く彼女の身体のいたるところに蚯蚓腫れがあった。


「脱走が露見すれば折檻と食事抜きの懲罰が与えられるわ。殆ど死んじゃうんだけど私みたいに懲罰に耐えた脱走者は再び作業場に戻されるの」


「ちょっと待つべ。ここに来る前にこの町で死人が出てるなんて聞いたことねーけれども」


 調査報告書にあったのも過酷な環境下で働かされたり、住民に渡すはずの物資が搾取されているというもので、死者が出ているというものはなかったはずだ。思ったことをそのまま質問するとアンは虚ろな目で笑った。


「ねぇ、あなたは挽肉から元の生き物を想像できる?」


「まさか……! そんなことって!」


 アナスタシアが露骨に青い顔をした。ダクステン工場には仔牛や豚を解体できる程の挽肉器が存在している。今朝の労働でそれを操作している作業者も見ていた。確かにあの大きさなら痩せこけた人間を解体することは可能だろう。そんな状況を想像したくはないが、もっと想像したくないのが解体された人体の行く末である。アンの狂気を孕んだ表情を見る限り経営者は人体を有効活用しているらしいことが推測できてしまった。


「ここからすぐに逃げだしたい! でも……運よく脱出できたところで町には息のかかった連中がいる。すぐに連れ戻されちゃう……前の時もそうだった……」


 アンは痩せ細った体を震わせて涙を流した。工場にとって用済みとされる人間がどうなるかを実感しているからこそ怯えている。だが逃げ場のないため泣くことしかできない。


「どうしてこんなことになってるべさ……。町の人まで監視しちょるなんて」


「みんな物が不足しているから気が立っているの。この町は万年品薄で物価が上がってきている。だから他人の情報を売ってでもお金を稼いでるの」


(共産主義と言っても地域毎に価格は異なる。在庫がないものほど値上がりしやすいが、この町の相場は意図的におかしくなっているのか)


 ふと機関車で到着した時に見た町の様子を思い出した。


 町人たちは不自然なほど笑顔で商店に殺到し、町は活気づいていた。あのときは暴力で脅しているのかと考えていたが、カラクリはもっと単純だった。不足していた商品を大量に仕入れて物価を下げていたのだ。よそ者にとっては標準値の価格でも常に物資の不足と価格高騰に悩んでいたルマトヤ市民にとっては笑顔を溢してもおかしくはない状況だった。


 メシャルキナ父子の視察のために準備していたのだろう。僅かな可能性を信じてメシャルキナ父子に頼ってもルマトヤが改善されるとは限らない。市民は視察の共産党員に訴えるよりも目の前の商品を獲得することに躍起になっていたのだ。仮に訴えようとする人間がいたとしてもルマトヤの秘密警察の威圧を前にすれば口を閉ざすしかないだろう。


(誰かに流通を止められている? 少なくともここの経営者は一枚噛んでいるだろうな)


「もう寝ましょう。今日眠らないと、明日が辛くなるわ」


 話を切り上げたアンは寝息を立て始めた。彼女は新人であるヴァレリア達を気づかって話しかけてくれたようだ。ヴァレリア達も眠につくことにした。勿論労働のために英気を養うのではなく、明日の調査のためだ。今日までの労働で現場の責任者は大体把握できた。後は対象を揺さぶるだけである。過酷な環境での睡眠に慣れていたヴァレリアはすぐに寝入った。


――翌朝、作業場についた労働者達はヴァレリア達の姿を見て一瞬たじろいだ。というのも、彼女達は胸をはだけさせていた上に汗で濡れた作業着が肌に張りていて色気を醸し出していた。男性労働者達は興奮する体力が既に尽きており、僅かに目線を送ることしかできない様子だが経営者アブラノフは違った。嘗め回すように肢体を観察した後、鼻息を荒くして呼び止めてきた。


「貴様らは風紀を乱している。個人指導が必要なようだ。書斎に来い」


 初日は晒と肌着で体系を偽装していた分、胸元を解放したヴァレリア達は女性らしい肉づきがより強調されてみえた。経営者の男の下心を刺激するには十分だった。

 連れられて行く際、心配そうに見つめるアンと目が合った。ヴァレリアがウィンクで大丈夫だと伝えて指導員の後に続いた。


「さて、何から教育してやろうか。そうだ、取引相手との接待のやり方、上司への取り入り方についてだ。上手くすれば出世も早いぞぉ。ガッハッハ」


 分かりやすく鼻の下を伸ばす男。やはりパワハラだけでなく、セクハラまで横行しているようだ。勿論ヴァレリアはむさい親父の慰み者になるつもりはなかった。甘い声を作って話を引き延ばしにかかる。


「おじさまぁ、取引相手ってどんな方がいらっしゃるのですかぁ?」


「んんん? 気になるのか? お前の態度次第では教えてやらないこともないぞぉ?」


 経営者の男はこれ見よがしにスケジュール帳を見せてくる。それを餌により親密な関係を築こうとしたいらしい。下半身ばかりか警戒心まで緩くなったところでアナスタシアが背後から首筋に注射を打つ。投薬されたアブラノフは「ぴぎぃ!」と声を上げた後、目を泳がせて涎を垂らし、聞くに堪えない下品な独り言を呟き始めた。


「幻覚作用のある麻薬よ。服用後数分間は妄想と現実の区別がつかなくなり前後の記憶も曖昧になる上に効果がきれると睡魔に襲われる。潜入には持って来いの小道具よ」


「ひー、相変わらずおっかないね。まぁお前の調合なら問題なさそうだ」


 かの大戦時、アナスタシアは軍医としてだけでなく尋問官としても活躍していた。自白剤等薬物を使った情報収集にはとても世話になったものだった。だからこそヴァレリアは薬の効果については何ら心配していなかった。餌食となった男も妄想の世界で自身の性癖を満喫していることだろう。男の手からスケジュール帳を奪ったアナスタシアは一瞬で内容を確認する。


「ちょうど取引相手との商談があるみたい。レーラどうする?」


「そりゃあ勿論、やることは決まっているさ」


 ヴァレリア達は田舎娘から商人の装いに変装する。髪を整えて眼鏡をかけ、ダクステン会社の社章をつければ秘書に早変わりである。薬物でトリップしている経営者の身柄を拘束して教育部屋に監禁した後、小奇麗な社長室で商談相手を待った。


 しばらくして従業員に案内された恰幅の良さそうな男性が現れた。奪取したスケジュール帳の内容から推測するに製造会社を営んでいるマルク・マルティノヴィッチ・マルシェフと見て間違いないだろう。工場の設備に関して取引しているようだ。アブラノフといい、経営者は肥え太っている人間が多いらしい。それほど従業員から搾取しているのだろう。彼は贅肉を揺らしながら周囲の様子を伺って首を傾げた。


「おや? 社長はどこかね?」


「社長は今、急な仕事で外しております。秘書である私にお申し付けください」


「いやぁ、州知事への対応の件で相談しようと思っていたんだ」


「……と申しますと?」


「キミらも社長から聞いてるだろ? 連邦は共産主義を取っている。商品価格は公共機関によって定められる。折角アブラノフ同志のおかげで流通を規制し売り上げが増えてきたというのに……最近になってお上が上納金を増やせと言ってきたんだ」


 マルシェフの話を聞くに、この町の全容が掴めてきた。やはりメシャルキナが睨んだ通り仕掛け人はアブラノフだった。町の商業組合を巻きこんで価格協定や談合を行っていたのだ。それで公共価格の外で荒稼ぎしていたらしい。当然秘密警察に物流物価操作を掴まれるのだが、分け前を上納することで黙認されることとなっていた。


その上納金の値上げを命令された彼はアブラノフに相談に来たというのだ。


「私ら機械製造企業は先日話があったのだが、キミら食料品部門はまだなのかな? 御社の社長は口が回るから是非当局との交渉をやってもらいたんだが……」


(公共団体は犯罪に乗っただけで主犯ではなかったか。しかしこれは厄介だぞ)


 アブラノフが錯乱している間に、ダクステン精肉工場の違法労働の証拠を集めるのは簡単である。アンを筆頭に労働者に協力を仰げば正式に検挙できるはずだ。取引相手のマルシェフも同様だろう。しかし、共犯者であるルマトヤ公共機関は商業組合を摘発できたところで、彼らとの関わりを否定するはずだ。一介のスパイであるヴァレリア達が出しゃばれば連邦政府とことを構えることになる。


(店だけ潰した所で労働者の働き口がなくなるだけ。しかも犯罪に関わっていたルマトヤ公共機関には大した損害は与えられず、また新たなカモを探すだろう)


 ヴァレリアは頭を悩ませて沈黙する。マルシェフも自分達経営者のことを案じているのだろうと詮索はせずに煙草を吸い始めた。


「ちょっと! ダクステン精肉工場を見せなさい!」


そんな折、聞き慣れた少女の声が外から聞こえた。窓の方に目を送ると、少し離れた町の方に桃色髪の親子の姿があった。昨日は挨拶回りを済ませていたらしくここに立ち寄る余裕がなかったようだ。そして本日突撃してきたらしい。


「困りますなァ。工場は本日休業です」


「嘘おっしゃい! 換気扇動いてるじゃないの! 警備員もいるし!」


「本日は機械整備日です。今試運転されているのでしょうな。工場には備蓄もあるので盗人を警戒して人を置いているだけです。ここは何もないので次の場所へご案内します」


「調べたいなら捜査令状を提示することですな」


「行こう、ロッティ。私達はあくまで個人的に来ただけだ。強制力はない」


 父に肩を掴まれたシャルロッタは悔しそうに工場を一瞥して都市部の方へ戻っていった。強行すれば拘束されて失脚させられるとメシャルキナ親子も分かっているのだ。

 アナスタシアが一服するマルシェフを警戒しつつ耳打ちする。


「レーラ、チャンスじゃないの? 労働者の私達が彼女に内情を暴露すれば――」


「駄目だ。ルマトヤの政治家共はすっとぼける。下手をすれば私達の立場も危うい」


「じゃあどうするつもり? このまま放置する気はないんでしょう?」


「私達は今、悪徳企業の社長秘書だからな。自分の役割を演じるだけさ」


 ヴァレリアは得意げに眼鏡をくいっと持ちあげた。


配給が足りないなら他所から搾取すればいいじゃない

ーーというわけで中間搾取の見本を体現してくれた町でした。


フルフトル・アブラノフは太った人をロシアンっぽく命名しただけでそんな家名も人物名もありません。

セクハラパワハラの鬼です。

労働者は昼は缶詰、夜はタコ部屋。逃げ出せば町の人に密告され連れ戻されて折檻されるという地獄です。

次話は秘書に化けたレーラ達が動きます。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ