2. キべレの王
レオン一行は、キベレの地下牢へと投獄されていた。ユニスの願いにより、他の馬とは異なり、特別に疾風だけは同じ空間にいることを許された。
「私たち、これからどうなっちゃうの?」
ユニスは不安そうに、床にもたれながら呟いた。
レオンは沈んだ表情で、静かに口を開いた。
「すまない。俺のせいで、みんなまで。これは俺が招いた事態だ。だから、皆に迷惑がかからないようにする。」
アルは苦い表情を浮かべながらも、レオンを責めることはしなかった。
「あの状況じゃ、俺だって同じことをしたかもしれない。
それにしても、あの守護騎士、どう見ても俺たちが片目鳥の目で見たレオンのお父さんだったよな。剣を鞘に納める動作まで、まったく同じだった。
一体どういうことだ? カリトラムとの戦争で亡くなったんじゃなかったのか?」
「わからない。でも、なぜか俺のことをまったく覚えていなかった。」
「はぁ。もう、何がなんだかさっぱり分からねぇな。」
アルは焦燥感を滲ませ鉄格子に近づき、外の様子を窺った。
アッシュたちも一緒に捕まったはずだが、どうやら別の場所に収容されているようで、この牢にはレオン一行しかいなかった。
「こういう場合、どうなるかご存じですか?」
マックスボーンがアルに尋ねた。
「普通なら、罰金を払ってキベレから追放されるはずですが。今回はどうでしょうね。事が大きいみたいですし。」
キアンが口を開いた。
「さっきの守護騎士がレオンのお父様だとしたら、その点について、こちらからキベレ側に説明を求めることはできないでしょうか?」
「それは一理あるな。でも、誰に聞けばいいのかが分からない。一般の騎士じゃなく、もっと上の責任者に会う必要がありそうだな。」
アルは困ったように眉間にしわを寄せた。
牢の外には、遠く離れた場所に森のエルフの騎士が一人立っているだけだった。
窓もない地下牢のため、時間の流れも分からない。
しばらくすると食事が運ばれてきたので、牢の中で食事をとることになった。疾風にも新鮮な牧草と穀物が与えられた。
「意外と飯はちゃんとしてるな。」
アルはスープ椀と温かいパンが乗った皿を見て、ぼそりと呟いた。
粗挽き肉と炒めた野菜がたっぷり詰まった大きなパンとスープが提供され、その味もなかなかのものだった。宿で朝食を早めに済ませて以来、ずっと空腹だったこともあり、レオンを除いた全員がきれいに皿を空にした。
疾風は食欲がなさそうなレオンを見て、食事を勧めた。
「レオン、とりあえず食べて。悩むにしても、食べながら悩めばいい。」
「ああ。」
レオンは生返事をし、ひたすら思考を巡らせていた。
昼なのか夜なのかも分からないまま食事を終えると、しばらくして森のエルフの騎士らが再び現れ、レオンたちは別の場所へ移送された。
ある部屋に入ると、床に刻まれた巨大な魔法陣が白く輝き、発動すると同時に一行は別の部屋へと転送された。
案内された先は、先ほどよりも広い牢獄だった。窓はなく、扉には格子状の小窓が付いていた。壁沿いには簡易ベッドが6台並び、中央には長いテーブルと6脚の椅子、部屋の隅には独立したトイレも備え付けられていた。疾風の存在を考慮していたのか、飼い葉桶と排泄用の大きな桶まで用意されていた。
「あの、こちらの責任者の方にお会いできるのは、いつ頃になりますか?」
彼らを案内し終え、踵を返そうとするエルフの騎士に、アルが声をかけた。
エルフの騎士は事務的な口調で答えた。
「明日、お前たちの処遇が決まる。ここで待っていろ。」
エルフの騎士が出ていくと、アルが不満げに言った。
「なんで、また一日待たせるんだよ?」
どうしようもなく、レオン一行はそのまま牢で一夜を過ごすこととなった。それぞれが思いに耽り、なかなか寝付けなかった。
*** ***
暗闇の中、レオンは何度も寝返りを打っていた。
ふと、誰かが自分のベッドのそばにいる気配を感じ、驚いて身を起こした。ぼんやりとした闇の中でも、その姿ははっきりと見えた。
白い杖を手にした、灰色のローブを纏った男だった。
その男が低く穏やかな声で語りかけた。
「少し話をしてもいいかな?」
レオンは仲間たちを見回した。疾風を含め、誰もが深い眠りに落ちているのか、この状況に気づく者はいなかった。
抗いがたい威厳を前に、レオンは黙って立ち上がり、男の後をついていった。格子戸は音もなく開き、男の後に続いて外へ出ると─景色が一変した。
そこは地下牢ではなく、月明かりが照らす夜の草原だった。小さな白い花々が、地面を絨毯のように埋め尽くしていた。
草原に立つ男が、レオンの方を振り返った。深い青の髪に、神秘的な灰色の瞳を持つ、整った顔立ちの男だった。
「私の名はカラナエルだ。」
レオンは息を整え、名乗った。
「レオン・ヴァルラスです。」
「知っている。ギデオン・ヴァルラスの息子だろう?」
「父を、ご存じなのですか?」
「彼をキベレの守護騎士に任命したのは私だからね。」
カラナエルの口元に、かすかな微笑が浮かんだ。
「なぜ父は、俺たちの元に戻らず、ここにいるのですか?」
「私と契約を結んだからだ。」
「契約?」
「そなたの両親が混沌の地を冒険していたとき、暴竜に遭遇した話を聞いたことはあるか?」
「暴竜。」
シエストでグーレンから聞いた話が頭をよぎった。出会った人間を無差別に殺すという、混沌の災厄・暴竜クッラパハツ。間一髪のところで転移魔法が発動し、一命を取り留めたと聞いていた。だが、それだけではない裏事情があったというのか?
カラナエルがゆっくりと歩き出した。レオンもその後を追った。
「あのとき、そなたの母親は瀕死の重傷を負っていた。彼女だけではない、他の仲間も皆、その場で死ぬ運命だった。」
「……。」
「死の間際、私はギデオンに契約を持ちかけた。『全員の命を救う代わりに、彼の命が尽きたとき、キベレで守護騎士として仕えること』─それが私の提案だった。」
「父さんは、それを受け入れたと?」
「そうだ。だからこそ、彼と仲間はクッラパハツから逃れ、別の場所へ転移することができたのだ。」
グーレンが語った転移魔法の発動について、フローラが疑念を抱いていた理由がようやく理解できた。
「カリトラム王国との戦争でギデオンが戦死したことで、その契約が発動し、人間としての生を終え、この地で守護騎士としての務めを始めることになったのだ。」
「父は、私のことを認識されませんでした。」
「先ほど言ったように、人間としての彼の生は、彼が戦死したその日に終わったのだ。人が死後、新たに生まれ変わった時、前世のことをすべて忘れるように、守護騎士となった彼もまた、過去の生から断絶された存在なのだ。」
「ですが、剣を納める仕草は、以前と変わりませんでした。」
「まったく新しい肉体に生まれ変わったわけではないからな。前の人生で身につけた習慣の一部が残ることもあるのだろう。」
「過去の記憶をすべて失ったのなら、なぜ、恋人の心臓の片割れを持っていたのでしょう?」
「その魔石の意味は、私も知っている。」
カラナエルは足を止め、レオンを振り返った。
「ギデオンが最も愛し、守りたかった者と分かち合った、彼の心そのものだ。最後の瞬間まで彼の手に握られていたものでもある。それを彼から奪うことは、私にはできなかった。」
その言葉を聞くと、レオンの目から知らぬ間に涙がこぼれ落ちた。
カラナエルは静かに彼を見守っていた。
「父は、これから、どうなるのですか?」
「このまま何も思い出さなければ、引き続き守護騎士として務めを果たすことになる。だが、もし過去の記憶を取り戻したなら、その時は守護騎士としての役目も終わることになるだろう。」
「それは…完全に死ぬ、ということですか?」
カラナエルは短い沈黙で答えた。
レオンは暗い表情で俯いた。
「私がここへ来て、父を見つけてしまったことは、してはならないことだったのですね。」
「自責の念に駆られる必要はない。そなたにとって、それは避けられぬことだったのだろう。
守護騎士となるというのは、普通の人生とは異なる〈務め〉のようなものだ。だから、それを一般的な〈死〉と同じように捉える必要はない。」
「ついさっきまで、父が私を覚えていないことが悲しく、寂しく思えていました。でも今は、むしろこのまま何も思い出さないでほしいと願ってしまいます。」
レオンは、やるせない思いを滲ませながら言った。
「キベレの守護騎士というのは、皆、父のような存在なのですか?」
「そうとは限らない。守護騎士の中には、世間が知るように森のエルフもいれば、ギデオンのように混沌の地で死の危機に瀕した英雄たちもいる。」
「父は立派な騎士であり、善良な人でしたが、英雄などではありませんでした。なぜ、彼にそのような提案をされたのですか?」
「ギデオンは、本気になれば英雄にもなれた男だ。ただ、彼自身が静かで慎ましい生を選んだだけ。」
レオンは心を決め、まっすぐカラナエルを見つめた。
「今回の件について、どのような処分を下されようとも、甘んじて受け入れます。ただし、私の仲間たちは何の関係もありません。どうか寛大な処置をお願いいたします。」
カラナエルはレオンをしばらく見つめ、宣告するように言った。
「明日、キベレの摂政がそなたに処分を下すことになる。
そなたはキベレの王が課す試練を受けねばならぬ。
仲間たちには選択の機会が与えられるだろう。
その試練をそなたと共に受けるか否か、それは彼ら自身の意志に委ねられている。」
「私が受ける王の試練は… 命を懸けるほど危険なものですか?」
「その通りだ。」
「わかりました。」
レオンは淡々と受け入れた。異議を唱えたり、交渉で覆せるようなものではないと、本能的に悟った。なぜなら、この試練を課しているのは、他でもないキベレの王自身なのだから。
目を開けると、レオンは牢の中の寝台に腰掛けていた。牢の扉は固く閉ざされており、部屋の中では皆が眠っていた。立ったまま寝ていた疾風が、夢を見ているのか、ぶるるっと鼻を鳴らした。格子越しに、外の廊下から薄暗い灯りがぼんやりと差し込んでいる。
先ほどの出来事が、まるで夢だったかのように思えた。カラナエルと出会ったことも、彼と交わした言葉も、何もかもが幻のように遠く感じられる。
だが、寝台に横になろうとしたレオンの目に、小さな白い花が映った。それは彼の靴に付着していたものだった。
「やはり、夢ではなかったのか。」
レオンはそっと花を拾い上げた。
王の試練。それが命を賭さねばならぬものであるならば、レオンは決意した。
(この試練は、俺一人のものだ。誰も巻き込むわけにはいかない!)
今さら誰を責めても仕方のないことだった。すでに事は起こってしまったのだ。誰かがその責を負わねばならない。そして、その誰かは、他ならぬ自分自身だった。




