1.幻想都市キべレ
混沌の果てにキベレがある。─ 人々がよく口にする言葉だった。遥か地平線の彼方に青い波が輝き、金色に輝く巨大な魔塔がそびえ立っていた。
「天空の魔塔だ!」
アルが興奮した声で塔を指さした。
「わぁ、塔全体がまばゆい金色ですね。すごい!」
マックスボーンが感嘆すると、ユニスが言った。
「感動するのはまだ早いですよ。あの魔塔は時間とともに色が変わるんです。夜明けや夕焼けも素敵ですが、夜にはまた違った美しさがありますよ。」
「おぉ、それは楽しみですね!」
マックスボーンは胸を躍らせた。
「早く近くで見たいね。」
疾風もこの時ばかりは心を逸らせた。
この世界でも神秘が集まる幻想都市キベレ。そのぼんやりとした遠景だけでさえ、胸を高鳴らせるのに十分だった。
「さぁ、行こう!」
アルが大きな声で叫び、風駆けの速度を上げて先頭に立った。一行は金色に輝く魔塔を目指して駆け出した。
やがて彼らの前方に広大な青い湖が広がり、その奥に佇む白き都市が姿を現した。都市と同じ純白の石造りの橋が湖を横切り、外界と都市を繋いでいた。
橋の入口の両脇には、灰色の石で造られた5階建ての要塞型の建物があった。その正面と上部では、槍や弓、メイスを構えた衛兵たちが警戒に当たっていた。彼らは混沌の地に足を踏み入れて以来、初めて目にする種族だった。
〈灰色のエルフ〉、あるいは〈岩のエルフ〉と呼ばれる者たち。明るい灰色の肌に、平均身長は2メートルを超え、手足は細く長いが、槍術や格闘術に優れた戦闘種族として知られていた。大陸回廊全体とキベレの外郭の警備と治安を担っており、混沌の地の内陸部では滅多に姿を見せない存在だった。
レオン一行は橋を渡る前に、警備をしている灰色のエルフに都市の入場料を支払い、橋へと足を踏み入れた。
広大な橋の上には、レオンたち以外にも行き交う者が多くいたが、橋の広さのせいか、思ったよりも閑散としていた。
「すごく有名な場所だから混雑してるかと思ったけど、意外とそうでもないですね。」
マックスボーンが広々とした橋の上を見渡しながら言うと、ユニスが説明した。
「ここは混沌の地と繋がる橋だからですよ。大陸回廊と繋がる東西の橋は、馬や馬車、それにラクダで、昼夜を問わずにいつも混雑しています。 」
初冬に差し掛かる時期のため、湖から吹く風は少々冷たかったが、晴れ渡る天気のおかげでそれほど寒さは感じなかった。青く波打つ湖と金色に輝く魔塔を交互に見つめて、一行はゆっくりと馬を進めた。
橋の終点には都市の北門があった。大きく開かれた門の両脇には、銀白色に輝く騎士が一人ずつ立っていた。
キアンは高揚した声で呟いた。
「キベレの妖精騎士だ。」
俊敏な銀白の鎧を纏った騎士たちは、滑らかな金属の仮面をつけ、長剣を腰に帯びたまま微動だにせず立っていた。金属で作られた彫刻作品と見紛うほど、滑らかで美しい佇まいだった。
城門を抜けると、広々と伸びた大通りの両側に乳白色の建物が並んでいた。都市全体が乳白色を基調とし、金色と銀色が絶妙に調和しており、洗練されつつも優雅な色彩に包まれていた。
レオン一行は誰もが夢中になり、左右をきょろきょろと見回しながら街並みを眺めた。
しばらく街を巡り見物した後、一行はグーレンの紹介した宿を訪れ、部屋を取り荷物を解いた。かつてギデオン一行が泊まったことのある宿だという。
*** ***
荷物を置くと、すぐにユニスが廊下に飛び出し、弾んだ声で皆を外へ呼び出した。
「夕飯の前に、ちょっと屋上に来て!」
ユニスに連れられ、一行は建物の屋上へと上がった。
そこにはすでに数組の宿泊客が集まり、思い思いに景色を眺めていた。彼らの視線の先には、キベレの魔塔がそびえ立っていた。
それは、先ほど見た金色ではなく、今は赤みがかったバラ色に輝いていた。
「色が変わってる!」
マックスボーンが目を丸くした。
「あの魔塔が『天空の魔塔』と呼ばれる理由はそこにあります。空の色を反映して、夜明けには青く、昼には太陽の黄金色に、そして夕暮れ時には茜色に染まり、夜には月の銀光を帯びて淡く輝くのよ。
夜の姿も本当に綺麗なんだから。」
ユニスは頬を上気させて説明した。
「いやぁ、本で読んだのとはやっぱり違うな。実際にこの目で見ると、比べ物にならないほどすごいよ。
お前と疾風のおかげで、こんな景色を直接見られるなんて。改めて感謝するよ。」
アルは満面の笑みを浮かべ、レオンの方を向いた。
「俺の方こそ、アルには色々と助けられてるよ。」
レオンは微笑みながら応えたが、ふと疾風のことを思い出し、少し寂しげな表情を浮かべた。
「疾風も一緒に見られたらいいのにな。俺たちだけ楽しんで、なんだか申し訳ない。」
フローラが朗らかに笑った。
「なら、明日は疾風も一緒に街を回って、夕焼けを眺めましょう。」
キアンはそんなフローラの横顔をそっと盗み見て、淡く微笑んだ。
口を半開きにしたまま、呆然と天空の魔塔を見上げていたマックスボーンが、ふとユニスに尋ねた。
「安全都市の魔塔はどこも立ち入り禁止だったけど、あれもそうですか?」
「残念ながら、そうです。キベレの王城とされているけれど、キベレの王そのものが存在するのかさえ不明です。
実際にこの都市を治めているのは、森のエルフのセルディーヌ摂政です。」
「王がいないのに、なぜわざわざ〈摂政〉を名乗っているんですか?」
「さぁ、理由はわかりませんわ。キベレには世間に知られていない秘密が多いです。だからこそ、神秘の都市なのよ。」
ユニスは肩を軽くすくめた。
アルが、冗談めかして言った。
「エルフにとっても神秘の地なら、人間にとっては神秘の神秘になるのか?」
マックスボーンが頭をかきながら呟いた。
「とにかく、とんでもなく神秘的なところですね。まさか生きてるうちに、こんなところに来られるとは。感無量です。」
*** ***
翌朝、レオン一行は朝食を済ませた後、〈天空の魔塔〉の東側にある広場へ向かった。
キベレには、大陸回廊へと繋がる東西に、それぞれ大きな広場があった。東広場を抜けた先の市街には、東大陸諸国の公館や官舎が立ち並び、西広場の向こうには、西大陸諸国の領事館や官舎が配置されていた。
混沌の地を越えてきた記念として、愛馬と共に写真を撮る予定だったため、一行は7頭の馬を引き連れていた。
東広場はすでに多くの人々で賑わい、観光名所そのものといった様相を呈していた。魔塔を背景に、片目鳥の目を使う者の姿も多く見受けられた。
そんななか、レオン一行を遠目からじっと観察する男がいた。短く刈り込んだ髪に、鍛え上げられた体を持つ若き戦士であった。彼はレオンとその馬を見つめながら、隣にいる魔法使いの仲間ジェスに問いかけた。
「あの凄まじい馬と金髪のエルフの仲間。あの騎士が、欺瞞者を討ったというレオン・ヴァルラスに違いないよな?」
「そうだろうな。あんな馬は初めて見た。金髪の若き騎士が、尋常ならざる馬に乗っているって噂だったから、ほぼ間違いないだろうね。」
「ちょうどいい。あれが終わったら、一勝負挑んでみるか。」
男の言葉に、ジェスはあからさまに青ざめた。
「何言ってるんだ、アッシュ。ここはキベレだぞ。そんなことしたら、すぐに妖精騎士に捕まるに決まってる。」
「だからこそ挑むのよ。妖精騎士が途中で止めてくれるから、少なくとも死ぬことはない。人殺しや略奪のような重罪じゃなきゃ、大抵は罰金を払って追放される程度で済む。
どうせ俺たちは今日でキベレを発つんだ、なら罰金払って追放されるくらい、なんてことないさ。」
「こいつ、正気か?」
ジェスは呆れ果て、傍にいるもう一人の仲間に助けを求めた。
「お前も止めてくれ。こいつ、本気で喧嘩を売るつもりだぞ。」
「は? 何か悪いものでも食ったのか? いきなり、どうしたんだよ?」
「強者に挑み、自らを試す。うぅ、戦士の血が滾るぜ。」
拳を握りしめ、決意を固めるアッシュを見て、ジェスは声を荒げた。
「血を滾らせてる場合じゃねえ! 下手すりゃそのまま血の気が引くことになるぞ、このバカ!」
アッシュを止めようと、仲間たちが口論を繰り広げている間に、レオン一行は、天空の魔塔を背景に、七つの片目鳥の目でみんなの姿を撮り終えた。
「これで、私たち全員、それぞれキベレの思い出を持つことができたね。」
ユニスがにこにこと笑って、片目鳥の眼を覗き込んだ。
その時だった。アッシュが前に飛び出し、大声で叫んだ。
「レオン・ヴァルラス!」
自身の名を呼ばれたレオンは、反射的にその声の方を向いた。
アッシュはしてやったりといった顔で、不敵に笑い、こう言い放った。
「ということは、その剣こそが〈欺瞞者殺し〉だな?」
その名を聞き、レオンは驚愕した。
グーレンからその名を聞いた以来、自ら口にしたことは一度もなかった。まさに、噂は人よりも早く広がるものだ。
「おい、このバカ!」
ジェスが慌ててアッシュを押さえようとしたが、アッシュはそれを振り払い、叫んだ。
「俺と一戦交えてくれ!」
そう言うや否や、制止する間もなく、剣を抜き放ちレオンへと突進してきた。
突然の事態に、広場の人々は悲鳴を上げ、四方へと散っていった。
レオンは最初、剣を抜かずに大きく距離を取り、回避に徹していた。だが、アッシュは本気だった。次に鋭く振るわれた刃が、明らかに急所を狙ってきたのを見て、レオンはついに剣を抜いた。
「なんてことだ。」
思いがけない展開に、アルと仲間は呆然としながら、対峙するレオンとアッシュの姿を見守っていた。
彼方では、アッシュの仲間たちが、足をばたつかせながら狼狽していた。
アルは急いで彼らに駆け寄り、ジェスに尋ねた。
「あの人、あなたたちの仲間ですか?」
ジェスは言葉を濁し、ぼそりと呟いた。
「え、ええと、今から知らない予定です。」
その時だった。周囲の人々がざわめき始めた。
「妖精騎士だ!」
アルが顔を上げると、銀白色の金属の翼を広げたキベレの守護騎士たちが、空中からこちらを見下ろしていた。
再びレオンの方へ目を向けると、すでに二人の剣がぶつかり合っていた。そして、剣を交えた直後、二人の守護騎士が急降下し、その間に割って入ると、鮮やかな剣捌きでレオンとアッシュの剣を弾き飛ばした。
レオンの剣を弾いた守護騎士は、右手でその剣をくるりと回し、流れるような動作で鞘へと収めた。
その仕草を目にしたレオンとアルたちは、思わず目を見開いた。それは、まさにレオンが剣を納める時にいつもしている動作だった。
カァン〜。
レオンの胸元にかけられたペンダントから、〈恋人の心臓〉が共鳴するかのように、独特な音色が響いた。
守護騎士も何かを感じ取ったのか、ふと身を翻し、レオンをじっと見つめた。
レオンは考える間もなく、その騎士へと歩み寄り、彼の顔を覆う仮面を剥ぎ取った。その下に現れた顔は、レオンがよく知る人物だった。
「父さん?」
レオンが呆然と呟いたその瞬間、いつの間にか降下してきた他の守護騎士たちが、レオンを取り囲み、一斉に剣の切っ先を彼の首元へと向けた。
ギデオンは、まるでレオンのことをまったく知らないかのように、怪訝な表情を浮かべていた。彼が地面に落ちた仮面へと手を伸ばすと、それはひとりでに彼の手元へ吸い寄せられ、そのまま再び彼の顔を覆った。
守護騎士たちはレオンを捕縛し、連行しようとした。
アルが慌てて声を上げた。
「待ってください! これは何かの誤解です!」
しかし、別の守護騎士が冷たく告げた。
「この者は、キベレの禁忌を破った。キベレの守護騎士に刃を向けることは、大罪に値する。その仲間であるお前たちも、共に拘束する。」
キベレ滞在二日目。彼らはこうして、捕らわれの身となった。




