66. 憂うつな巨人
シエストを出発したレオン一行は、岩山が連なる荒涼とした地域を進んでいた。ところどころ短い草が生えてはいたが、全体的に乾燥した不毛の地だった。朝晩はかなり冷え込むようになり、冬が近いことを感じさせた。
本格的に寒くなる前にキベレへ到着するため、一行はできるだけ急いで進んだ。幸い、特に険しい地形ではなく、馬で駆けるのには問題なかった。
軽く昼食をとり、一休みしていると、疾風が遠く前方に見える巨大な岩山を見てレオンに話しかけた。
「なあ、あの岩山、なんか変わった形してるよな。まるで彫像みたいだ。」
「彫像?」
「前の世界に『考える人』っていう有名な彫刻があったんだ。裸の男が顎に手を当てて、何かを深く考えてる姿のやつ。」
「考えてる姿?」
レオンの表情が険しくなった。
「それって、どの方向だ?」
「あっちに、ほら、見えるだろ?」
疾風が指さす方向を見つめたレオンは、すぐさまアルのそばへ駆け寄った。
「アル、あれを見てみろ。」
「ん? なんで?」
2人は岩山をじっと見つめ、同時に言った。
「憂鬱な巨人だ。」
疾風が事情を飲み込めずにきょとんとしている間に、レオンとアルは、フローラたちにこっそり話しかけ、静かに出発の準備を始めた。
やがてレオンが疾風のもとへ来て、小声で言った。
「来た道を引き返すぞ。静かに抜け出さないといけない。理由は後で説明する。」
そして、皆は馬に乗らず、ゆっくりとその場を離れ始めた。
理由もわからぬまま息をひそめて歩いていると、背後でドン〜という音とともに地面が揺れ、巨大な影が覆いかぶさった。そして、低く響く大きな声がした。
「おい、そこの馬といる人間ども、ちょっと俺の話を聞いていかねぇか?」
レオンとアルの肩がピクリと震えたのが見えた。
「レオン、僕たちのこと呼んでないか?」
疾風が振り返ると、さっき見た〈考える人〉のような岩山が立ち上がっていた。岩の巨人がレオンたちに向かって手招きをしている。
「くそっ、運が悪いな。」
アルがぼそっとぼやく声が聞こえた。
驚いたマックスボーンが、アルに尋ねた。
「どうしましょう、ピートランド卿?」
「呼ばれたからには、行くしかありません。下手に怒らせたら、戦闘力が倍増するそうですから。」
一行は方向を変え、岩の巨人がいる方へととぼとぼ歩いていった。
レオンたちが素直に呼びかけに応じる様子を見て、巨人は先ほどのように平らな岩に腰を下ろした。
巨人の声や態度からは、特に脅威を感じる雰囲気はなかったため、疾風はなぜレオンたちがここまで緊張しているのか不思議に思った。
アルがマックスボーンに尋ねた。
「マックスボーン、なんか面白い話とか知りませんか? 失敗談とか昔話とか。」
「面白い話? どうして、急にそんなことを?」
「ちょっとしたら、必要になります。」
マックスボーンは何のことかわからず、ぽかんとした顔でアルを見た。
レオン一行が巨人の前まで近づくと、巨人が口を開いた。
「旅人か? それとも冒険者か?」
「旅人です。」
レオンが答えた。
「旅は楽しいか?」
「ええ、それなりに楽しんでいます。」
「それは良かった。では、わしを笑わせてくれ。今、とても憂鬱なんだ。やることもないし、やりたいこともない。良いことも悪いこともない。最後に思いっきり笑ったのがいつだったかも思い出せん。
わしを3回笑わせることができたら、ご褒美をやろう。それができなければ、わしと一戦交えてもらう。それくらいしないと、この憂鬱を振り払えそうにない。」
疾風は、この唐突な提案とも脅しともつかない言葉に呆れ、巨人をじっと見上げた。巨人の表情は真剣そのもので、岩でできた顔にも倦怠感と憂鬱さがにじみ出ていた。一行を見渡すと、マックスボーンを除く皆がこの巨人のことを知っているようだった。
(急に笑わせろって。お笑い芸人でもあるまいし。)
疾風は、結局この巨大な岩の巨人と戦うことになるのかと考えると、どっと気が滅入った。
(見た目は美術室にあるアグリッパの石膏像みたいなくせに、憂鬱を他人にまで伝染させるなよ。)
疾風は心の中でぼやいた。
レオンやアルたちも困った表情をしていた。
突然ユニスが一歩前へ出て、大きな声で言った。
「面白いものって、必ずしも話じゃなくてもいいですよね? 見せるものでも大丈夫ですか?」
巨人は言った。
「見せるものの方がいいな。何を見せてくれる?」
そう言って、巨人はゆっくりと身を前に倒し、うつ伏せの姿勢になって地面すれすれに顔を近づけた。
ユニスは懐から片目鳥の目を2つ取り出した。それを見たアルの表情が一変した。
「まさか、それって?」
アルが飛び出そうとしたが、レオンがアルの腕を掴んだ。
「アル、今はこの危機を乗り越えるのが最優先だ。」
「は? 俺の面子の危機は?」
アルが食ってかかると、フローラが口を挟んだ。
「面子よりも身の安全が優先です。」
レオンとフローラがアルの注意を逸らしている間に、ユニスは最初の映像を再生した。
「スカーレッタを捕らえた時の、魔法の準備をしている様子です。」
袖なしのシャツに半ズボン、爆発したような髪型のまま、両足を大きく広げ、両手をひらひらさせながら真剣に魔法を唱えるアルの姿が映し出された。
案の定、巨人は腹を抱えて大笑いした。
「ワッハッハ! なんだ、これは? こんな格好で魔法を使う魔法使いは初めて見たぞ! 短すぎるのが残念だな。もう一度見せてくれ!」
巨人は何度もユニスに映像を再生させ、大いに笑った後、次の笑いのネタを催促した。
「2つ目も楽しみだな。早く見せてくれ。」
ユニスが2つ目の片目鳥の目を再生しようとした瞬間、アルが耐えきれず飛び出そうとした。
「ユニス、お前ぇ〜!」
その瞬間、レオンに加え、キアンとマックスボーンまでがアルを押さえ込んだ。
「落ち着け、アル。」
「ピートランド卿、大局的に判断してください。」
「ここは我慢してください、アル。」
フローラまでが口を添えた。
「魔法使いらしく、合理的に動くべきですよ。」
アルは呆れたように、4人の顔を見回した。
「なんだよ? 俺以外全員手を組んでんのか?」
「この巨人と戦うよりはマシだろ?」
レオンは笑いを堪え、あくまで真面目な顔で言った。
その間に、ユニスは2つ目の映像を再生し始めた。
「欺瞞者との決闘時、身体強化と筋力強化を使った時の映像です。」
これは皆初めて見る映像だったため、アルを押さえつけたまま、全員の視線がそちらに集中した。
映像の中で、アルの筋肉が一瞬でぶわっと膨れ上がり、ミシミシッと音を立ててローブを引き裂いた。そして、ギリギリ下着だけを残したまま、両腕を広げ、レスラーのように力強く前へ駆け出していく姿が映っていた。
「ワッハッハ! これはまたなんだ!? 筋肉強化がここまでいくのか? しかも魔法使いが!? こんなの、本当に初めて見たぞ! いや〜惜しいな、ギリギリ下着が残ってしまったか。危うく全裸になるところだったのに。」
巨人は今回も何度も繰り返し映像を楽しみ、十分に満足した様子でユニスに言った。
「おかげで思いっきり笑わせてもらったぞ。さて、3つ目は何を見せてくれるんだ? 今回もわしを笑わせてくれたら、約束通り素晴らしい贈り物をやろう。」
疾風は、映像は2つしかなかったはずなのに、3つ目に何を見せるのかと半ば不安、半ば期待しながらユニスを見た。
ユニスは迷うことなくアルを指さし、大きな声で言った。
「今ご覧になった2つの映像の主人公が、ここにいます。今ここで、身体強化と筋力強化の効果をお見せします!」
巨人の目がまん丸になった。
「おお〜、そうか? それは面白そうだな。早くやってくれ!」
アルは口をぽかんと開け、次の瞬間、激しく抵抗し始めた。
「はぁ!? ふざけるな! 絶対にやらないからな!! 絶対に!」
しかし、アルが逃げる前に、レオン、キアン、マックスボーンが一斉にアルを押さえ込んだ。
「なんだよ! ちょっと、お前ら何してんだ!? 放せって!」
3人はアルの顔を直視しないようにそっぽを向き、もがくアルをしっかりと押さえつけた。その間にユニスが近づき、暴れるアルに身体強化と筋力強化を施した。
すると、すぐにアルの筋肉がむくむくと盛り上がり、瞬く間に膨れ上がった。そして、ローブとシャツが音を立てて破れ飛び、以前ユニスからもらったエルフ下着だけがかろうじて残った状態になった。それは、まるでハルクのような姿になった。
怒りに震えるアルは、拳で自分の胸をドンドン!と叩くと、レオンを鋭く睨みつけた。
「おい、レオン。覚悟しろよ! お前のパンツまで全部引き裂いて、全裸にしてやる!!」
それを聞いて、レオンは全力で走り出した。
アルはドスン! ドスン!と地面を揺らして、猛然とレオンを追いかけた。
足の速いレオンだが、筋力強化されたアルのスピードは想像以上で、あっという間に距離が縮まっていった。レオンがついに捕まりそうになったとき、大きな石が飛んできて、アルの背中に命中した。振り返ると、キアンが両手を大きく振り、アルを挑発していた。
「こっちですよ、筋肉魔法使いさん!」
アルは目を細めると、わずかに身をかがめ——次の瞬間、高く跳躍し、一瞬でキアンの目の前に着地した。
びっくりしたキアンは慌てて走り出した。アルの手がキアンの服を掴みかけたその瞬間、
「おーい、筋肉魔法使い様!!」
別の方向から、マックスボーンが大声でアルを挑発した。
アルはピタリと動きを止め、鋭い視線をマックスボーンに向けると、また、その場から跳び上がり、一気にマックスボーンへと襲いかかった。
「うわぁ〜! 完全にハルクだな。」
疾風は舌を巻き、マックスボーンのもとへ走り、彼を乗せてアルの追撃をかわした。
その後、レオン、キアン、マックスボーンは、次々とアルを挑発し、注意を自分に向けさせて逃げ回るという作戦を展開した。疾風は3人の間を行き来し、タイミングを見計らって彼らを乗せ、アルとの距離を稼ぐ手助けをした。
しかし、アルに捕まるたびに防具が剥がれ、服は引き裂かれた。挙句に3人ともほぼ上半身裸の状態になってしまった。
巨人はその様子を見て、まさに腹を抱えて大笑いした。
フローラがユニスに言った。
「身体能力は大変強化されるのに、頭がちょっと単純になるみたいね。」
「ほんとにね。」
ユニスがくすくす笑った。
フローラも申し訳なさそうに笑った。
「アルには悪いけど、あの巨人と戦うよりはマシでしょ。」
「最初のうちは怒るだろうけど、結局は理解してくれるよ。魔法使いらしく理性的な人だから。」
ユニスは少し申し訳なさそうにアルを見つめてつぶやいた。
しばらくの間、3人を捕まえようとあちこち走り回っていたアルは、ついに力尽き、その場にドサッと倒れ込んでしまった。隆々と膨れ上がっていた筋肉はすぐにしぼみ、元の姿に戻った。
「うぅ〜、体じゅう痛ぇ〜。」
筋力強化の反動で、下着姿のままアンモナイトのように体を丸めて、うめき声をあげるアルを見て、巨人はまたもや大笑いした。
「ははは! また笑わせてくれるとはな。本当にすごいヤツだ。こんなに思いっきり笑ったのは久しぶりだ。」
そう言って、巨人はアルの目の前に何かキラキラと輝く塊をそっと置いた。
「お前には特別にこれをやろう。」
うめきながら、かろうじて顔を上げたアルは、目の前に置かれた光り輝く鉱石を見て、苦しげにうわごとのようにつぶやいた。
「こ、こんなもの。」
疾風は、アルが怒ってそれを投げつけるかと思ったが、アルは必死に手を伸ばし、それをぎゅっと抱きしめ、再びうめき声をあげた。
巨人は満足そうに一行を見回した。
「3回もわしを笑わせたのだから、約束通り褒美をやろう。」
巨人は青く輝く大きな鉱石の塊をユニスの前に置いた。
「見たところ、お前たちは気の合う仲間のようだな。喧嘩せずに仲良く分けて使え。」
「ありがとうございます。」
ユニスは、巨人にぺこりと頭を下げた。他の仲間も巨人にお礼を言った。
巨人はアルを見て言った。
「筋力強化であれほどの効果を発揮する人間は初めて見たぞ。戦士としての潜在能力はまことに素晴らしい。そちらの道を極めてみるのも悪くないんじゃないか?」
痛みに悶えている最中でも、アルは勢いよく首を横に振った。
「僕は魔法使いです! そんな筋肉、いりません!」
「どうして? 〈筋肉魔法使い〉という新たな地平を切り開けばいいじゃないか。魔法の歴史に名を刻めるぞ。」
「結構です!」
アルは大粒の涙をぼろぼろ流しながら、きっぱりと叫んだ。
「惜しいなぁ。新分野の開拓だったのに。」
巨人は本気半分、冗談半分といった様子で、にこにこ笑った。
レオンとキアンは、アルの機嫌を伺いつつ、そっと彼に近づき、慎重に支えて座らせ、新しいローブを着せてやった。夜の冷え込みは厳しく、このまま裸同然でいれば風邪を引きかねなかった。
「お前ら。後で本気で仕返しするからな!」
アルは充血した目で2人を睨みつけながらも、巨人からもらった魔石だけはしっかりと抱きしめていた。
フローラが回復術でアルの体を治療した後、一行はアルをタマの背にしっかりと固定し、巨人に別れを告げた。
「達者でな。今日は本当に楽しかったぞ。また会おう!」
一行は、礼儀正しく巨人に挨拶をして背を向けた。しかし、誰の口からも「また会いましょう」という言葉は、お世辞でも出てこなかった。




