57. ドワーフのグーレン
安全都市シエストへ到着した一行は、街の奥まで進み、広場の近くに宿を取って荷物を下ろした後、都市中央にそびえる赤い魔塔へと向かった。シエストの魔塔は〈バラの野原の塔〉と呼ばれ、通常は〈バラの塔〉と略されていた。その影響から、シエストの建物は魔塔の色に倣い、赤やピンクが多かった。
魔塔前の広場で、レオンは〈片目鳥の目〉の最後の欠片を回収した。こうして完全な球体となった片目鳥の目には、鮮やかな黒い瞳が宿っていた。
「これで、レオンのご両親の若い頃の姿が見られるね。すごく楽しみ!」
ユニスはまるで自分のことのように胸を躍らせていた。
レオンもまた、期待を抑えきれなかった。十数年ぶりに父と再会するような気分だった。
広場で映像を見るわけにはいかないので、一行は足早に宿へ向かった。ちょうど広場を横切ろうとしたその時。
「おい! 貴様!」
背後から雷鳴のような怒鳴り声が響き渡った。
何事かと振り返るや否や、レオンの眼前に巨大な拳が突き出された。レオンは反射的に両腕を構え、拳を受け止めた。強烈な衝撃に、レオンの体は、ズルズルと後方へ押しやられた。
素早く態勢を立て直し、相手を確認すると、そこには、がっしりとした体格のドワーフが立っていた。
「この野郎! 今さらここに現れやがって!」
怒鳴りつけるドワーフだったが、やがて表情が微妙に変わった。
「あれ? ギデオンじゃねぇな。お前、誰だ?」
唖然とした様子のアルが思わず言い返した。
「先に殴りかかっておいて、『お前は誰だ』はないでしょう?」
レオンが尋ねた。
「もしかして、グーレンさんですか?」
すると、ドワーフの目が大きく見開かれた。
「まさか、ギデオンとレイナの息子か?」
満面の笑みを浮かべたグーレンは、分厚く硬い手でレオンの手を掴み、力強く何度も握手を交わした。
「ギデオンの息子か! どおりでそっくりなわけだ!」
グーレンは、かつてギデオンとレイナが混沌の地を冒険していた頃の仲間の一人だった。現在は、シエストで鍛冶屋を営んでいるという。
「こんなめでたい日に、酒を飲まないわけにはいかん!」
そう言うや否や、昼間にもかかわらず、グーレンはそのまま一行を馴染みの酒場へと連れて行った。
*** ***
グーレンは沈痛な面持ちで酒杯を見つめ、呟いた。
「ギデオンは死んだのか? だからあれほど、戦争ばっかりやっているブレイツリーなんかへ帰らずに、こっちで一緒に冒険者をやろうって言ったのによ。言うこと聞かずに行っちまいやがって。」
アルとマックスボーンは、ブレイツリー出身のキアンとフローラを気にしつつ、静かに杯を口に運んだ。
「魔獣も倒してたやつが、結局人間の手で死ぬとはな。」
グーレンの大きな目には、じわりと涙が滲んでいた。ぐいっと酒を飲み干して、レオンに問いかけた。
「レイナはどうしてる? 元気か?」
「はい、元気にしています。僕を連れて故郷のエレンシアへ戻りました。」
「まだ独り身か?」
「僕が勧めて、再婚しました。」
グーレンは長く息を吐き、頷いた。
「よかった。生きてる人は、生きていかなくちゃな。」
ギデオンとレイナとの思い出話を語るうちに、グーレンはギデオンを失った悲しみからか、立て続けに酒を飲み続けた。そして、ついには完全に酔いつぶれてしまった。
レオンはそんなグーレンを背負い、周囲の人に尋ねて、なんとか彼の家を探し当てた。しかし、家の玄関の扉を開けた瞬間、レオン一行はその場に釘付けになった。
ありとあらゆる物とガラクタがごちゃ混ぜになった家の中には、むせ返るような男臭さが充満し、あちこちに埃の塊が丸まって転がっていた。
「なんですかね、これは? 新しいタイプのダンジョンですか?」
アルがつぶやいた。マックスボーンが鼻をひくひくさせて言った。
とてもじゃないが、そこをかき分けて家の中に入る気にはなれず、レオンたちは宿へグーレンを連れて行き、レオンとキアンの部屋のベッドに寝かせた。
グーレンはぐうぐうといびきをかき、眠り込んでいた。
レオンたちは別の部屋に集まって、レオンが持っている片目の鳥の魔石を取り出した。
レオンがそれを手に握り、魔力を込めて言った。
「汝の記憶を見せたまえ。」
魔石の瞳が黒から赤へと変わり、その瞳の向こう側の壁に映像が映し出された。
燦然と輝く銀色の魔塔を背景に、5人の人物がそれぞれのポーズを取って立っていた。レオンによく似た金髪の若き騎士、あどけなさの残るレイナ、今とあまり変わらないグーレン、西大陸出身の槍使いと魔法使いの兄妹が、楽しげな表情でこちらを見つめていた。
レオンは十数年ぶりに見る父の若き姿から目を離せなかった。映像の中のギデオンは、眩しい笑顔で正面を見つめては、顔を横に向け、風に揺れるレイナの髪を優しく撫でていた。
「レオンのお父さんを知ってる人が、みんなそっくりだって言ってたけど、本当にそうだな。さっきグーレンさんが混乱してたのも無理はない。」
アルが感嘆した。
椅子にちょこんと座っているユニスが、膝に顎を乗せ、うっとりした表情で言った。
「〈恋人の心臓〉に次ぐ、ロマンチックな魔石かもしれないね。こんなに素敵な瞬間を永遠に残せるなんて。」
フローラも同意した。
「そうね。レオンのお母様への素敵な贈り物になりそう。」
「この背景の銀色の魔塔は、どの都市のものですか?」
マックスボーンが魔塔を指さした。
キアンが答えた。
「銀の魔塔なら、たぶんビルトロファイでしょう。そこの魔塔は『満月の魔塔』としても知られています。」
「あそこの魔塔もすごいって聞いた。寄っておけばよかったな。」
アルが名残惜しそうに映像の魔塔を見つめた。
10秒ほどの映像は、レオンが魔石を再び握ってから手を離すまで、繰り返し再生されていた。
*** ***
目を覚ますことなく、ぐっすりと眠り込んでいたグーレンは、夕方になってようやく目を覚ました。赤ら顔で食堂に座ったグーレンは、まだ眠気が抜けきっていないのか、腫れぼったい目をしたまま大きく口を開けてあくびをした。
テーブルに料理が並び、フローラが食前の祈りを始めたところで、グーレンは何気なく目の前の肉に手を伸ばした。その瞬間、フローラが投げた平たいパンが円盤のように飛び、正確にグーレンの喉元に命中した。
「ぐえっ!」
グーレンは一気に目を見開き、驚いたようにフローラを見た。
フローラは優しく微笑みながらも、祈りを譲ることはなかった。
「申し訳ありません。でも、お祈りが終わってから、召し上がっていただけると助かりますわ。」
グーレンはまばたきをしながら、こんなことがあっていいのか?と言いたげな顔でほかの仲間を見回した。皆はぎこちない笑みを浮かべ、目で了解を求めた。
食事中、ユニスがグーレンに尋ねた。
「ところでグーレンさん、さっきお宅に行ったのですが、とても中に入れる状態じゃありませんでしたわ。どうして、あんなことになっていますか?」
「ああ、それか。」
グーレンは気まずそうに顎をかいた。
「女房がな、半年前に子供たちを連れて実家に帰っちまったんだ。一人暮らしになると、掃除も面倒でな。まあ、そういうことさ。」
「半年もずっと一人で? どうしてですか?」
グーレンは口をもごもごさせたあと、ぼやくように言った。
「〈ブルカスの鋼〉のせいだよ。キベレにいる従兄弟が、ブルカスの鋼を手に入れるチャンスがあるって言ってきたんだ。でも、一人じゃ金が足りないから、半分ずつ買わないかってな。
それで、ある金ない金全部かき集めて買っちまった。そしたら、女房が烈火のごとく怒って、『それ抱えて一人で好きに暮らせば!?』って怒鳴って、実家に帰っちまったってわけさ。」
「ブルカスの鋼ですか? それ、今お持ちですか?」
レオンが興味を示した。
グーレンは誇らしげに胸を張った。
「鍛冶場の金庫に大事にしまってあるさ。そいつで見事な剣を作ったんだ。俺は一応、武器職人だからな。職人として、名を残せるような名武具を作るのは当然の夢だろ? だけど、女房にはその価値がわからなかったのさ。」
「ブルカスの鋼って、何ですか?」
マックスボーンが尋ねると、グーレンは呆れたように彼を見た。
「そんなことも知らずに、混沌の地をうろついてるのか? ブルカスってのは、燃え盛る金属の塊みたいな巨大な雄牛の魔獣だ。金属という金属を片っ端から喰らい尽くす恐ろしい奴さ。
そいつを倒したら、手に入る素材がブルカスの鋼ってわけだ。」
「それが、そんなにすごいものですか?」
「すごいどころの話じゃねえよ。」
グーレンは自信満々に続けた。
「最高に硬くて鋭いくせに、驚くほど軽い。それに、魔力の吸収性も抜群だし、敵の魔法攻撃を流す防御力まで備えている。
一言で言えば、最高の武具を作るための究極の金属ってわけさ。」
「ああ、そういえばどこかで聞いたことがあるような気がします。」
「だろう? 名のある武器や防具の中には、ブルカス鋼で作られたものが多いからな。」
アルが会話に加わった。
「ブルカス鋼は、ドワーフしか加工できないと聞きましたが、本当ですか?」
その言葉を待っていたかのように、グーレンは背筋をピンと伸ばし、得意げに答えた。
「その通りだ。あれを扱うには、強靭な体力と魔力、そして高度な技術が必要だからな。俺たちドワーフ、それも腕の立つ職人だけが手にできる素材さ。エルフだって、ブルカス鋼はまともに扱えないぜ。」
グーレンはちらりとユニスを見ながら断言した。
ユニスはむっとした顔をしたが、嘘ではないらしく反論はしなかった。
「その剣の持ち主は、もう決まっていますか?」
レオンが尋ねると、グーレンは首を横に振った。
「いや、まだだ。値段も値段だが、誰にでも売るつもりはない。どんなに優れた武器でも、持ち主がろくでもなければ、ただの高価な飾り物にすぎないからな。金持ちの道楽者に渡すつもりはない。ちゃんと使いこなせる奴でなきゃな。」
「よろしければ、明日一度見せていただけませんか?」
レオンの申し出に、グーレンはじっと彼の顔を見つめた。
「ギデオンなら、その剣の持ち主にふさわしいかもしれんな。さて、お前はどうだ、レオン?」
レオンが答える前にアルが口を開いた。
「レオンは、俺たちと一緒にスコピアナ、ティルヘスス、そしてスカーレッタを討伐しました。それだけの実績があれば、資格は十分では?」
「スカーレッタだと!? 火の鳥を倒したのか?」
グーレンが目を輝かせた。
ユニスが誇らしげに言った。
「倒しただけじゃありませんよ。なんと〈恋人の心臓〉が手に入ったんです!」
「おお~、本当か? 今持ってるのか?」
「バイアフで売りました。持ち歩くには危険すぎますから。」
「そうか。一度見てみたかったが、残念だな。」
そう言うと、グーレンは過去の冒険を思い出したように、楽しそうに語り始めた。
「お前たちも聞いたことがあるだろ? 俺らもスカーレッタを討伐したんだぜ。いやあ、あのときは本当に火の海で丸焼きにされるかと思ったぞ。ギデオンのやつ、あの時は本当にすごかったな。」
しばらくスカーレッタ討伐の話をしていたグーレンだったが、ふと口をつぐむと、レオンに尋ねた。
「もしかして、俺たちが〈悪竜クッラパハツ〉と出くわした話は聞いたことがあるか?」
「いえ、そういう話は聞いたことがありません。」
「そうか。あまりにも辛い記憶だから、話したくなかったのかもしれんな。」
「悪竜クッラパハツと遭遇したんですか? あの〈混沌の地の災厄〉と呼ばれる?」
アルは真剣な表情になった。
「ああ。本当に運が悪かったとしか言えないな。ドラゴンってのは、賢者か狂人のどちらかって言うだろ? 俺たちは、その狂人の中でも最悪のやつに当たっちまったんだ。
逃げようにも逃げ場なんてなくて、仕方なく戦ったが。マジで冗談抜きで、あの世の門を半分くぐったようなもんだった。ボテツの転移魔法がちょうど発動してなかったら、俺たちは全員、あそこで死んでたさ。」
グーレンは今思い出してもぞっとするのか、険しい表情で身震いした。
フローラが不思議そうに言った。
「混沌の地で、それも暴竜クッラパハツの目の前で転移魔法が発動したのですか?」
グーレンはよくわからないという顔で肩をすくめた。
「そうとしか言いようがないさ。だから俺たちは生き延びたんだ。まさに天運ってもんだよ。」
フローラはまだ納得できないのか、釈然としない表情だったが、グーレンの様子からそれ以上詳しい話は出てこないと判断し、深く追及しなかった。
レオンが険しい顔でアルに尋ねた。
「その暴竜クッラパハツとは、どんな奴なんだ?」
「古代竜の一種とされている。普段はほとんど眠っていて、たまに混沌の地に現れるらしい。人間を憎んでいて、見かけたら、無条件で殺しにかかるという。それで、気配を感じたら、全力で逃げるしかないって話だ。」
グーレンは短くため息をついた。
「その時の恐怖がよほど堪えたんだろうな。ギデオンはその後、キベレでレイナに求婚して、そのまま彼女と一緒に冒険者を引退しちまったよ。」
ユニスが尋ねた。
「キベレで〈火の鳥の心臓〉を割ったって聞きましたけど?」
「ああ。俺も割ることはできるが、どうせ加工はキベレでやることになるから、向こうで割ることにしたんだ。その時も〈恋人の心臓〉が出て、大騒ぎになったっけな。」
グーレンはレオンに向かって親指を立てた。
「まったく、親子そろって運がいいな。2度も共鳴するとはな。」




