24. 声の主
意識が戻ると、そこは契約を交わす前と同じ風景だった。待っていたユニスが、疾風を見て顔を輝かせた。
「よかった! 契約、成功したのね!」
「うん。おかげさまで。ありがとう。」
そう答えた瞬間、自分でも驚いて言葉を止めた。
初めて聞く、落ち着いた低めの男性の声。
(これが、僕の声? いや、正確には〈僕の声〉ではないか。)
まだ実感が湧かず、どこか違和感があった。
「本当によく耐えたね。君と契約してくれたのは誰?」
「アオイデ、って名乗ってた。」
その名を聞いた瞬間、ユニスの目が大きく見開かれた。
「アオイデ?」
「うん、アオイデ。」
ユニスは慌てて疾風の左太ももの内側に浮かび上がった刻印を確認した。
「まさか! 疾風、あんた。」
しばらく言葉を詰まらせていたユニスは、ごくりと唾を飲み込み、ようやく口を開いた。
「アオイデ様は、精霊王の一柱だよ。調和と音律、リズム、旋律を司る、つまり、歌の精霊王だわ。
声が必要だから、その方面の精霊を呼んだつもりだったけど、まさかアオイデ様が現れるなんて。」
自分と契約してくれた存在が、想像以上の大物だった。驚きと同時に、疾風の体は緊張でこわばった。
ユニスの瞳には、驚嘆と畏敬の念がはっきりと宿っていた。
「マックスボーンの言った通り、あなたは本当に異世界の英雄戦士だったのね。」
ユニスは疾風の顔を優しく撫で、視線を遠く洞窟の方角へと向けた。
「早く戻ろう。みんな待ってるよ。このすごいニュース、早くみんなに伝えたいわ!」
洞窟に戻ると、入り口の前でそわそわと落ち着かず歩き回るレオンの姿があった。ユニスと疾風を見つけるや否や、レオンはまっすぐ疾風へと駆け寄った。
「大丈夫か?」
「うん。おかげさまで、無事に終わったよ。」
疾風の新しい声を聞いたレオンが驚いて彼を見つめると、ユニスがケラケラと笑った。
「ねえ、疾風の声、素敵でしょ? 誰と契約したと思う?なんと 精霊王アオイデ様だよ! すごくない?
本当に真の英雄戦士なんだから!」
(あぁ、またもや〈英雄戦士〉かよ! いっそ今ここで訂正してしまおうか。)
そう考えたその時、突然、頭の中にアオイデの声が響いた。
― それはダメだ。我は〈英雄戦士の声〉でいたいからな。
「うわっ!」
思わず声が出た。
ユニスとレオンが、不思議そうに疾風を見つめた。
「どうした? 何かあったの?」
レオンが心配そうに顔を覗き込んだ。
「い、いや、なんでもない。」
疾風は頭をぶんぶん振って誤魔化した。だが、実際は全然なんでもないどころではなかった。
(こ、これってまさか、心の声? ちょっと、アオイデさん?)
試しに呼びかけてみると、やはりすぐに返事が返ってきた。
― 呼んだ?
(な、なんで返事するんですか?)
― だって、君と契約したじゃないか。我は、君の〈声〉になるってね。
(それは知ってますけど、どうして私と会話できるのです?)
― なんで? 何か問題でも?
(声だけ貸してくれるんじゃなかったですか?)
― 言ったじゃないか。君を通して、異世界の音を表現させてもらうって。
(えっ? そんなこと言ってたっけ?)
― 言ったよ。もう一回聞かせようか?
頭の中で、さっきアオイデと交わした会話が再生された。アオイデの言ったことが正しかったと確認し、疾風は呆れ果てた。
(音をくれって言うから、てっきり私の記憶の音を渡せばいいのかと思ったのに、まさかこんなふうに、私にずっとついているつもりですか?)
― うん。面白いでしょ?
疾風は心の中で(うわぁぁぁぁ!!)と絶叫した。ユニスみたいな妖精や精霊って、どうしてこうも楽しむことに執着するのか、まったく理解できなかった。
アオイデの言葉をちゃんと聞いていなかったのは確かに自分のミスかもしれないが、まさか声を貸すことに、こんな事態が伴うとは夢にも思わなかった。
疾風が精霊王と契約したと聞いた仲間たちは、驚嘆と困惑が入り混じった反応を見せた。特にマックスボーンの疾風への尊敬は、さらに高みに達し、まるで天を突き破り宇宙へと昇っていくかの勢いだった。
「疾風、お前の真の姿を最初に知った人間が俺だなんて、本当に光栄だよ!」
感動のあまり涙ぐむマックスボーンを見て、さすがに放っておけないと思った疾風は、(僕は決して英雄戦士なんかじゃない)と言おうとした。だが、声が出なかった。
― こらこら、それはダメだって。俺は英雄戦士の声が好きなんだよ。
アオイデが心の中で厳かに言い放った。
(これじゃあ、私、自分の意志で喋ることもできないじゃないか!)
もはや声を得た喜びよりも、勝手に頭の中に居座るアオイデの存在の方が大問題なのでは? そう思い始めた矢先、
(ユニスに相談して、助けを求めてみるか?)
と考えた瞬間、アオイデがそれを遮った。
― ダメだ。精霊との具体的な契約内容を口外するのは禁忌だぞ。そのことを軽々しく話せば、君も、そのユニスって子も危険にさらされる。
(ユニスまで危険になるって?)
― そうだ。そんなことは望んでいないだろ?
ここにきて脅迫まで。誰にも言えないまま、この頭の中の存在―アオイデと同居しなければならないなんて、事態はさらに悪化しているのでは?
(まさか私を好き勝手に操るつもりじゃないですよね?)
― まさか。我は声で君を表現するだけさ。君の身体や行動を支配する力なんて、俺の領域外だよ。
(でも、アオイデさん、好き勝手に喋るのではないですか? いきなり誰かに暴言を吐いたり、ケンカを吹っかけたりとか…。)
‒ 我にもそれなりに守るべきイメージと立場がある。下品な真似はしないさ。君の考えと違う表現は極力控えるつもりだ。ただし、英雄戦士のイメージは守れよ。我は英雄戦士の声になりたいのだから。
(なんで、そんなに英雄戦士のイメージにこだわる? これって、本当に大丈夫かね? なんか罠にハマった気がするけど。)
混乱する疾風に、アオイデは楽しそうに言った。
‒ そう思うなよ。断言するが、絶対楽しいって。我は君がすごく気に入ったんだ。君を本物の英雄戦士にしてやるよ。
(う~、お願いだから、それだけはやめてください。)
もし前足ではなく、手があったら、今すぐ両耳を塞ぎたい気分だった。
疾風が精霊との契約を無事に終えたことに安心したレオンたちは、本格的に荷物をまとめ、洞窟を出る準備を始めた。馬の様子を確認していたマックスボーンをじっと見ていたアルが、何か気になることがあるのか、彼に近づいた。
「マックスボーンさん、そういえば、ユニスの馬も一緒に世話してるんですよね?」
「ええ、そうですが。」
「なら、当然その費用ももらってますよね?」
「いえ、それはいただいてません。」
マックスボーンの答えに、アルの眉がピクリと動いた。
「どうして? マックスボーンさんも人間なのに、同じ人間を差別するのですか? 俺やフローラ、キアンの馬の世話代はきっちり請求するのに、ユニスだけは例外なんですか?」
すると、自分の馬に荷物を積んでいたユニスが、澄ました顔で言った。
「何が不満なのかしら。美しく清純なエルフの少女から、そんなお金を取れるわけないでしょ?」
よくもまあそんなことを言うな、という顔でユニスを見つめたアルは、マックスボーンに問いただした。
「今の話、本当ですか?」
「絶対に違います。」
マックスボーンは真剣な顔で首を横に振った。
「妖精馬について学べる貴重な機会ですからね。これから生まれてくる疾風の仔馬は、きっと妖精馬の特性を受け継ぐでしょう。だから、今のうちによく知っておくべきです。」
「なるほど。」
アルはその説明に納得し、それ以上は何も言わなかった。
マックスボーンはユニスの様子をちらりと伺うと、小声でアルに囁いた。
「それに、確かに美人なのは認めますけど、正直、私の好みじゃないんです。私は心の優しい女性が好きなんで。」
アルは無言の賛同として、ぎゅっとマックスボーンを抱きしめた。
ユニスは何だか分からないが、自分にとって決して良い話ではないという直感を抱き、二人を疑わしげに睨みつけた。




