21. 声を借りる方法
エルフの村に入る前は鬱蒼とした森だったが、そこを出ると、外の世界はぬかるんだ湿地へと変わっていた。これで水不足の心配はなくなったが、高湿度と無数に湧く虫たちが一行を苦しめた。
それでも、エルフの村で過ごしている間に真夏の暑さがピークを過ぎ、少しずつ和らいできたのは幸いだった。
そんな中、湿地に降る激しい雨が、状況をさらに悪化させた。一行は、運良く洞窟を見つけ、そこで雨宿りをすることにした。幸い洞窟の中はかなり広く、疾風や馬たちも雨を避けて中へ入ることができた。
「極端すぎるよな。砂漠じゃ、水がなくて苦労したのに、今度は水害で苦しむ羽目になるなんて。」
激しく降りしきる雨を見ながら、アルが文句を言った。
「でも、ここを見つけて本当によかったよ。そうじゃなかったら、あの雨に打たれっぱなしになるところだった。」
レオンはびしょ濡れになった服の水を絞った。
疾風は、洞窟の奥でマックスボーンの世話を受けていた。エルフの村を出て以来、疾風とレオンの間には微妙な沈黙が流れていた。
疾風が頑なに口を閉ざし、不機嫌な態度を隠そうともしなかったため、レオンは彼の機嫌を伺いながら、静かにしているしかなかった。
エルフの村で結んだ紳士協定により、誰も先に疾風の件について口を開こうとはしなかった。
ユニスはしばらく雨が降る景色を眺めていたが、とうとう退屈したのか洞窟の奥まで入って見回り、すぐに戻ってきた。
「コウモリしかいないし、特に何もなかったわ。」
ユニスは一行の中では最年長だったが、エルフとしてはまだ若者の部類に入るため、大人扱いされるのを嫌がっていた。そのため、最後まで遠慮し続けたマックスボーンを除き、レオンたちとは砕けた口調で話すことにしていた。
「コウモリ?」
アルが眉をひそめ、ちらりとフローラの方を見た。
フローラは興味なさそうに言った。
「心配しないで。食べようとはしないから。食べることはできるけど、今はそういう気分じゃないの。」
「そりゃ助かる。」
小さく言ったアルは、レオンにそっと囁いた。
「どんな気分の時に、コウモリを食べたくなるんだろう?」
ユニスはその後も洞窟の中をうろついていたが、退屈そうに地面を見つめている疾風に近づき、マックスボーンに尋ねた。
「疾風と話すには、どうすればいいですか?」
マックスボーンは荷物の中から自作の文字盤を取り出した。
「私たちは普通に話しかけて、疾風はこれで答えます。試してみますか?」
「やってみるわ。」
文字盤を使わずに会話できるのは、長老のティリエンのようなレベルだけらしく、ユニスも文字盤を受け取った。
その時、レオンが慌てて近づき、疾風の様子を窺いながら小声で囁いた。
「ユニス、村でのことは。」
「分かってる。」
ユニスは笑いを堪えながら小さく答えた。レオンたちの紳士協定については、ユニスも村を出る前に聞いて知っていた。
レオンが立ち去ろうとしたその時、疾風が文字盤を指した。
【レオン】
それを見たユニスがレオンを呼び止めた。
「レオン、疾風が何か言いたいみたい。」
レオンは普段とは違い、慎重な態度で疾風のそばに立ち、文字盤を覗き込んだ。
疾風が再び文字盤を指した。
【二度とするな】
しばし沈黙した後、レオンは頷き、疾風の頭を優しく抱きしめた。
「分かった。ごめん。」
疾風は短くため息をついた。今さらレオンを責めてもどうにもならない。それに、レオンの性格を考えれば、あの件を主導したとは思えなかった。きっと、アルかマックスボーン、いや、十中八九アルに違いない。
(過ぎたことは過ぎたこととして置いておこう。)
レオンが少し肩の力が抜けたような顔でその場を離れると、ユニスが疾風の隣に座った。
「あなたは、別の世界から来たんだって? そこにも私たちみたいな種族はいるの?」
質問する相手によって、異世界についての興味が変わるのが面白いと思いつつ、疾風が答えた。
【本や物語では聞いたことがあるけど、直接会ったことはない】
「そりゃそうよね。こっちでもエルフと人間の接点なんて、せいぜい混沌の地くらいだもの。
私も人間とこんなに近しく過ごすのは今回が初めてよ。それで、前の世界で私たちに似た種族はどんな存在なの?」
【どんな存在って?】
「見た目とか特徴とか、そういうの。」
疾風にとってエルフといえば、特に父親が大ファンで何度も一緒に観た映画『ロード・オブ・ザ・リング』のイメージが強烈だった。だが、これまで他の人には『前の世界もここもそこまで大きくは違わない』と説明してきたので、エルフが〈架空の存在だ〉とは言いづらかった。そこで、頭の中にあるエルフのイメージを適当に説明した。
ユニスにとってはあまり面白くない話だったのか、彼女は時々考え事をして、文字盤の内容を見逃してしまった。
「うーん、これってすごく不便ね。ずっと集中して見てなきゃいけないし、ちょっとでも見逃すと話の流れが分からなくなる。」
ユニスがぼやいた。
【僕も声で話せたらいいけど、今の状態じゃ無理みたいだ】
昔のように、意思疎通が全くできないよりはマシだが、それでも文字盤を使ったコミュニケーションは、疾風にとっても不便で煩わしいものだった。
「あなた自身の本来の声じゃなくてもいいなら、音に関する精霊と契約して声を借りる方法もありそうだけど。」
ユニスが何気なく呟いたその言葉に、疾風の耳がピクンと反応した。
どうせ馬の体なのだから、嘶き以外に元の声なんてあるわけがない。ならば、誰の声であれ、問題はないではないか?
疾風は興奮して聞き返した。
【本当? そんなことができるの?】
「契約に成功すれば可能かもしれないわ。音の精霊なら、どんな音でも表現できるし。」
【どうすれば契約できる?】
精霊との契約なんて、まさにファンタジーの王道ではないか? そんな点でも心躍る話だった。
「簡単なことじゃないから。軽々しく決められる話じゃないわよ。」
ユニスは彼女らしくなく慎重な態度を見せた。
しかし、疾風にとっては極めて重要な課題だった。人言が話せることは、畜生からの脱却の第一歩とも言える問題だった。挑戦できるなら、挑戦したいという強い意志を示すと、ユニスはこの件を仲間にも知らせようと提案した。
「私とあなただけで決めて、もしあなたに何かあったら。いや、何もなくても、あの人たちが私をただでは済ませないと思う。」




