9. 疾風、誤解される。
「それじゃあ、お前はそこでどんな仕事をしていたんだ?」
ついにこの質問が出た。会社員と答えるのは、さすがに気が引けた。会社員。これを言うのは、事実、この世界の言葉で適切な訳があるのかも分からない。
マックスボーンをはじめ、この世界の人々が果たして会社員を理解できるのか? 役員とか自営業なら、なんとか説明できそうなのに、会社員は、一体何と言ったらいいのか、頭に浮かばなかった。
迷っていた疾風は、その場の雰囲気に流されて嘘をついてしまった。
【戦士です。】
マックスボーンの目がキラリと輝いた。
「やっぱりな! そうだと思ったよ!」
彼は膝を叩き立ち上がると、疾風の前に立った。その顔には満足感がありありと表れていた。
「疾風、お前が普通のつまらない人間だったはずがない。きっとお前は、絶体絶命の瞬間に、自らを犠牲にして人々を救い、英雄的な死を遂げたんだ!
本来なら、この世界でも英雄として生まれるはずだったのに、神様がうっかりミスをして、お前を馬にしてしまったのだ。
遅れてミスに気づいた神様は、お詫びの意味で君にこんな素晴らしい姿と最高の能力を授けたのだろう。
ああ〜、なんという悲劇だろう! 英雄が神のミスで名馬になってしまうなんて。」
疾風は、マックスボーンをまともに見ることができず、思わず顔を背けた。子どもたちを救ったのは、確かに褒められるべき行いだと言える。しかし、マックスボーンが想像しているような、悲劇的な最期を遂げた名誉ある戦士と自分のギャップは、ドラゴンとニワトリほども大きかった。
マックスボーンは、そんな疾風の反応を謙虚さの表れと勘違いし、さらに感動に浸った。
「この事実を、私が最初に明かすとは、なんて光栄なことだ。疾風、君の世話をすることができて、本当に誇らしいよ!」
(いや、それは絶対、誤解です。)
疾風が唇をぴくぴくさせていると、マックスボーンはさらに調子に乗った。
「いや、英雄戦士様に対して、ため口を使うとは、失礼極まりなかった。これからは礼を尽くし、丁重にお仕えします。」
彼は腰を深く折り、頭を下げてまで見せた。
(やめて!)
疾風は困り果て、文字盤を激しく叩いてマックスボーンの注意を引いた。そして、【お願いですから、やめてください】と強く文字盤を突いた。
しかし、これすらも、マックスボーンの誤解をさらに助長させるだけだった。
「なんと、これほど謙虚だなんて。分かりました。そうおっしゃるなら、従いましょう。
まずは、私に敬語をやめてください。それで私もそうします。」
仕方なく文字盤に【分かった】と打ちながら、疾風は
(いっそ前世の記憶なんてないって言い張ればよかった)
と心底後悔した。そして、今後は以前の世界については、全て忘れたことにして、2度と触れないようにしようと固く心に決めた。
*** ***
ペラミナス家の納屋で、疾風の前に立つレオンとアルは、なんとも言えない表情を浮かべていた。
少し前、彼らの部屋にやってきたマックスボーンから、『異世界から来て、英雄として生まれるはずだったのに、神のミスで馬に生まれた名誉ある戦士』についての長い話を聞いてきたばかりだった。
マックスボーンは厳かな態度で、疾風の前に例の文字盤を置いた。
「さあ、これで会話してみてください。」
マックスボーンは疾風の横に下がった。
レオンとアルは顔を見合わせた後、まずレオンが口を開いた。
「疾風、俺の名前、分かる?」
疾風は慣れた様子で、文字盤の文字を順番に突いていった。疾風の横にいるマックスボーンが、その文字を読み上げた。
【レオン・ヴァルラス。】
半信半疑のレオンの次に、アルが聞いた。
「じゃあ、俺は?」
【アル。アレイシス・ピートランド。武力型の魔法使い。】
「武力型の魔法使い? それはどういうこと?」
疾風は補足説明をした。
【魔法使いなのに、やたら力が強くて、口が立つ。】
この場面で、レオンは思わず、プフッと笑い声を漏らした。以前、自分がアルについて、ヒースに話した内容を、そのまま疾風が言ったからだ。笑いが収まると、レオンは信じられないという顔で呟いた。
「まさか、本当だったんだ。」
「本当なのか?」
アルは目を丸くした。
「俺は、次に何を聞けばいいんだ?」
どもりながらも、アルは「ここがどこか」「俺たちはどこから来たのか」「エレンシアの王は誰か」といった質問を次々に投げかけた。 疾風が淀みなく答えると、彼の興味は徐々に疾風が元いたという世界に移っていった。
疾風は、先ほど心に決めた通り、元の世界の記憶は次第に薄れてもう多くを忘れてしまい、こことは大きく違わない世界だった、とだけ答えた。
話が進むにつれて、アルは次第にマックスボーンの説明に納得したようだった。
「人間の英雄として生まれるはずだったのに、馬として生まれるなんて。気の毒だな。」
アルの慰めに、疾風は良心の呵責を感じた。しかし、今さら訂正することもできず、口をつくんだ。
(でも、誰も私が男だったのか女だったのか、聞いてこないな。雄馬だから当然男だったと思ってるのか?)
ふとその点に思い至った疾風は、今後誰かに聞かれたとしても、男だったことにしておこうと決めた。性別が変わった話まですると、余計に面倒になりそうだった。
「今まで気づいてあげられなくて、ごめん。お前のことを誰よりも分かっているつもりだったのに、一番大事なことを知らなかった。」
レオンは複雑そうな表情で謝った。
「俺が、果たしてお前に乗る資格なんてあるのかな?」
その言葉を聞いた瞬間、疾風は慌てて激しく首を振り、すぐに文字盤を叩いた。万が一にもレオンが負担を感じ、自分を他の誰かに託そうとするのではないかと怖くなった。そんな可能性は、今まで一度も考えたことがなかった。
【そんなことない。お願いだから、レオンが乗ってください。】
「本当に、それでいいのか?」
【はい。どうかお願いします。】
疾風の目をじっと見つめていたレオンは、優しく微笑んで、彼の頭を抱きしめた。
「ありがとう。こんな俺と一緒にいてくれて。」
その瞬間、不意に心臓が止まったような気がした。まるで愛の告白でも受けたかのように、心臓がドキドキと勝手に鳴り始めた。これまで見慣れていたレオンの端正な顔立ちが、改めて輝いて見えた。イケメンだとは分かっていたが、よく考えると、地球でもテレビや映画でしか見たことのないレベルの美男子だった。
(こんなイケメンに、人間だったときにも聞いたことのない言葉を、畜生になってから聞くなんて。)
悔しいのか嬉しいのか分からない複雑な気持ちで、疾風はレオンに顔を擦り寄せた。
レオンは疾風の首元を撫でながら言った。
「俺には敬語なんていらない。気楽に話せよ、疾風。俺たちは友達だろ?」
この言葉に、ドキドキしていた心臓が、一瞬で落ち着きを取り戻した。
(私たち、二人ともオスなんだ。それに、私は馬だしな。)
二人の様子を見守っていたアルは、腕を組んで考え込むような表情を浮かべた。
「これは、なんというか、すごい話だな。この件を一体どうすればいいんだ?」
アルの独り言を聞いたマックスボーンが、真剣な顔で断言した。
「ピートランド卿、そしてヴァルランス卿。この事実は決して外部に漏れてはなりません。」
なぜだという視線を、アルがマックスボーンに向けた。
「それでなくても、疾風を狙っている者が至るところにいます。この事実が知られたら、我々は全員、無事にエレンシアへ生きて帰れないでしょう。それに。」
マックスボーンは、まるで使命感に燃えるように締めくくった。
「神の崇高なる摂理を軽々しく口にすれば、不敬の罪で神罰を受けることになります。」
(神の崇高なる摂理? ふざけた失敗じゃなくて?)
疾風は内心鼻で笑った。
レオンとアルは、〈神罰〉という言葉にはあまり怖がる様子はなかったが、疾風の言語能力が世間に知られてもいいことはない、という点には同意した。




