5. 偶然?それとも必然?(2)
月の宮殿を後にしたレオン一行は、シトマに行く前に、昔戦闘があったところをいくつか訪れた。レオンの実父ギデオンのことを調べるためだった。
しかし、何の手がかりも得られず、彼らはブレイツリー王国の王都シトマへ向かった。大河シタメイナのほとりに建てられた古都シトマは、壮大で美しい都だった。
ロートリックに以前教えられた通り、ピター通りにある〈黒いトサカの雄鶏〉という宿を訪れた一行は部屋を取り、宿の主人にロートリックへ連絡を頼んだ。
翌朝早く、ロートリックの使いの者が宿にやって来た。シトマに滞在する間は、ロートリックの家で泊まればいいとのことで、荷物をまとめて来るようにと言われた。
深く考えずに後について行ったレオンたちだったが、予想外に巨大な規模の邸宅を見て唖然とした。一般の家ではなく、大庭園を伴った荘厳な邸宅だったのだ。
邸宅の前まで迎えに出てきたロートリックを見て、レオンは嬉しい顔で馬から降りた。
「お久しぶりです、師匠。」
「よく来たな。2年ぶりか。」
ロートリックは、レオンの襟にある紋章をちらりと見て、満足そうな目を向けた。
「エレンシアの騎士になったのか。これからは歴然とした騎士として扱わないとな。」
「師匠のお教えのおかげです。ところで、ここはどこですか? 師匠が仕えている家ですか?」
レオンの質問に、彼は照れくさそうに笑った。
「俺の家だ。ロートリックは旅で使う偽名で、本名はクロード・ペラミナスだ。」
彼の名前を聞いたアルが真っ先に反応した。
「えっ? フェラミナス卿ですって?」
不思議そうに見つめるクロードに対し、アルは慌てて挨拶をした。
「エレンシア王国魔法団所属のアレイシス・ピートランドと申します。お目にかかれて光栄です。」
「クロード・フェラミナスだ。ブレイツリーへようこそ。」
クロードについて邸宅の中へ進む間、アルは、どういうことかと小声で問いただしたが、レオンは自分も何が何だか分からないという困惑した表情を浮かべていた。
それぞれの部屋へ案内され、荷物を置くと、アルはすぐにレオンの部屋へ駆け込んで、鋭い口調で責め立てた。
「お前、また俺に話してないことがあるだろ? 師匠があのクロード・ペラミナス卿だったなんて!」
「俺も知らなかった。普通の騎士だとしか聞いてなかったから。」
レオンの反応から嘘ではないことを察したアルは、小さくため息をついた。
「ペラミナス侯爵家は〈王の剣〉とも呼ばれるブレイツリー国王の最側近の家系だ。そしてクロード・ペラミナス卿は、侯爵家の次期当主で、近衛隊長でもあり、ブレイツリー最強の剣と称されるお方だぞ。お前、一体ミレーシンで何をした?」
「何をしたって、十歳そこそこの子どもに何をできるっていうんだ?」
アルは目を細めた。
「本当にそうだろうか? 突然最強の剣士がひょっこりと他国の田舎町に現れて、正体を隠して師匠になってくれるなんて? そんなあり得ない偶然が起こる確率、どれくらいだと思う?」
アルの追及を聞き、考え込んでいたレオンが口を開いた。
「ミレーシンで2度目の戦争が起きてカリトラム軍が侵攻してくる少し前のことだ。家の裏の森で剣術の練習をしていた時、誰かに追われている女の子を見つけて、隠してあげたことがあったんだ。」
レイナにちょっかいを出すジャクストンが原因で始めた剣術の練習だった。でも、レイナは幼いレオンが友達と遊ばず、剣を握るのを好まなかった。それでレオンは森に行き、レイナに隠れて一人で剣術の練習をするようになった。
その日もそうして練習をしていると、レオンと同い年くらいの女の子が森の中から必死に走り出てきた。真っ青になった小さな顔は涙でぐしゃぐしゃで、裸足で裸同然の姿だった。レオンと出くわすと、まるで凍りついたように、その場で立ち止まったその子を見て、幼い心にも何か重大なことが起きたと、直感することができた。
レオンはマント代わりに羽織っていた毛布で彼女の体を包み、自分だけが知っている森の秘密の隠れ家に彼女を匿った。捨てられた狐の巣をさらに掘り広げて作った小さな巣穴で、大きな岩と生い茂る茂みで完全に覆われており、レオンが知る限り、最も安全なところだった。
それから、2~3日間ジャクストンと怪しい連中が何を探しているのか、森やレオンの家を含む村の家々を隈なくひっくり返して回った。特に、森の入り口にあるレオンの家は隅々まで荒らされ、レイナは大いにストレスを抱えていた。
レオンは何も知らないふりをしながら、隙を見て森へ行き、隠しておいた少女に服や食べ物を届けていた。
3日目の午後、今度はレオンの父が仕えていたフィンブス家の人々が王国の騎士たちと共に村に現れた。そして、それまで一言も話さず、口を閉ざしていた少女は、隠れ穴の壁に『ありがとう』という文字を刻んで姿を消した。
「小さいヤツか度胸があったんだな。怖くなかったのか?」
「もちろん怖かったよ。でもあの子をそのままにしておいたら、きっと誰かに殺されてしまいそうで、放っておけなかった。」
「その子が誰か、知らないのか?」
「何も話さなかったから、名前も知らない。それに、その出来事の後、まもなく戦争が起きたんだ。ブレイツリー軍が大敗して、ミレーシンの領主家はもちろん、フィンブスの人たちも全員死んだって聞いたよ。」
「ふむ。」
アルは腕を組み、眉間にしわを寄せた。
「その女の子の顔、覚えてるか?」
「白くて、きれいな子だった。銀髪に紫色の瞳で。」
「銀髪だと、王族か?」
アルは月の宮殿で見かけた公爵親子の銀灰色の髪を思い出した。ブレイツリーの王族は、銀髪の者が多いことで知られていた。王家の花が百合なのも、そのためだった。
深く考え込むアルを見て、レオンはクスっと笑った。
「ずいぶん真剣だな。」
「お前があまりに無頓着なんだよ。」
「なんだか、ブレイツリーについて、俺よりお前の方が詳しいみたいだね。」
笑い飛ばすレオンに、アルは当然だという口調で声を張った。
「一応、王国魔法団の一員だぞ。何の準備もせずに、出てきたと思うのか? 大陸情勢について特別授業をみっちり受けてきたんだ。」
「そのことと師匠、関係あるのかな?」
「偶然だと考えるより、そっちの方の可能性が高いだろう。ペラミナス卿がお名前を隠していたのも、何か事情があるってことだろうしな。」
「先に詮索しない方がいいかな?」
「それはお前次第だろう。」
「気にはなるけど、今回お名前を明かしたってことは、最後まで隠すつもりはないのだと思う。もう少し待ってみよう。」
あの子が誰だったのか、何があったのか、その後無事に過ごしているのか。実は知りたいことが山ほどあった。時々あの子のことを思い出すと、なぜか胸が締め付けられるようで悲しくなった。
初めて出会った瞬間を除いて、あの子は泣きもせず、言葉も発しなかった。泣き出しそうなのを必死にこらえているかのように、固く閉じていた小さな唇、不安で震えていた大きな瞳には、当時のレオンでは想像もつかないような、深い悲しみと恐怖が宿っていた。
レオンがかけてあげた毛布や服はきちんと畳んで隠れ穴に残されていたが、夜に一人で不安になるだろうと渡したウサギのぬいぐるみだけは、あの子と一緒に消えていた。




