第3話 隣人彼氏
ホラー小説は、読まなくても良い
朝起きて、鏡を見るだけでその醍醐味を味わえる
ソレハーロ・ウカ・ゲンショ
私の部屋のお隣は、角部屋。
そこで過ごす週末は、幸せだ。
おいしいごはんと、優しい彼。
そう、私の彼は『隣人』だった。
彼と初めて出会ったのは、大学のサークル活動から帰る途中だった。
植物園サークルの果樹園見学でもらったミカン。
それが入った大きな紙袋を抱え、私は、坂道を下っていた。
その時、転げ落ちてしまったミカンを拾い集めてくれたのが彼だった。
『帰り道』の方向が同じだからと、2つに分けたミカン袋の片方を親切にも持ってくれた彼が、隣の部屋の住人であったことは、今となっては笑い話でしかない。
出会いのきっかけは大学のサークル活動で貰ったミカンであったが、彼との距離を縮めてくれたのも、サークル活動だった。
サークルが参加する幼稚園の豆まき行事があるのだが、女子の誰かに恵方巻を用意して来てほしいという話になったのだ。
あみだくじで、その役目を引き当てたのは、私だった。
仕方がない。
去年、SNSで見かけたかわいい恵方巻の写真を探す。
そのSNSは、この1年だけでもとんでもない数が更新されていて、去年の写真なんて奥深くに埋もれてしまっていたけれども、私は、そのSNSの最新の写真に驚いた。
空にただ、白い雲が写っているだけの写真だったけれども、その空の下に見える風景が私の部屋の窓から見える景色と同じものだったのだ。
ただ一つ違ったのが、画面端に写りこんだ避難用の非常用のはしごの存在。
これは、各階の角部屋にしか存在しない。
もしかして・・・
私は、スマホを握ったまま、隣の部屋へ向かう。
インターホンを押すことに、躊躇はなかった。
ピンポンの音・・・それほど時間を置かずにドアが開いた。
声の応答があると思っていたから、ガチャリと言う音にちょっとビックリしたけれども、私がスマホの画面を見せると、彼の方が私よりビックリした顔をした気がする。
SNSの主は、彼だった。
料理と書道が趣味の彼は、作った料理の横に筆で書いたお品書きを添えて撮った写真をSNSにアップしていたのだ。
2月3日は、節分だった。
部屋の小さなキッチンに、彼を招き、恵方巻を作ることになった。
でもね。
酢飯も具材も・・・材料から何から彼が用意してくれていて、不器用な私は具を順番に並べて巻くだけ。
ところが、大きな海苔でくるっと寿司を巻こうとしても、丸いはずの恵方巻が、なぜか四角くなってしまっていた。
「角が無いからって、丸いわけではないよ。」
彼は、笑いながら1つ巻いてお手本を見せてくれた。
仕方が無いので、四角くなってしまった寿司にもう一度ぎゅっぎゅっと圧力をかける。
そんなこんなで、なんとか丸めることができた恵方巻を持ってサークルのみんなと幼稚園へ。
園児の前で包丁を入れることで、その断面に突然アニメキャラがあらわれるサプライズ効果を出したいと、園長先生が言っていたらしい。
ただ、そのため。
きれいに包丁を入れるためだけに、彼も一緒にこの行事に参加してくれることになった。
うれしいやら、恥ずかしいやらで、私のテンションは、いつもより上がっていたんじゃないだろうか?
正直、この時の自分がどんな言動をとったか、あまり覚えていない。
でも、園児の反応は、覚えている。
たぶん、私がぎゅうぎゅうと寿司を押したせいだろう。
彼が、包丁で切ったその断面に現れたアニメキャラの顔は、ちょっとブサイクだった。
子供たちは正直だ。
「にせものー。」
「ぶさいくっ。」
そんな声があがる。
そう、子供たちは、とっても正直だ。
園児の数は、そこまで多くなかったけれども、あんなに数を用意した恵方巻をぺろりと平らげてしまったのだから。
「おいしかったー。」
彼らは、口を揃えた。
うん。確かにとってもおいしかった。
私は、味付けをしていないけれども。
幼稚園からの帰り道。
歩く彼は、私と少し体を離して距離を取りがちだったから、ぴょんと飛び跳ねるように私からその50cmを詰めて手を握った。
夕日がとってもキレイだったのを覚えている。
私が部屋に帰ったのは、次の日の朝だった。
彼の料理は、評判がいい。
SNSのフォロワーも多く、フリーペーパーの取材を受けたことがあるほどだ。
そして、毎週金曜日には、それを味わうことが出来る。
彼との時間が楽しくて仕方ない。
イタリアンを食べた帰りにチカンを撃退してみたら、ただ貧血で倒れただけの男の人だった話をした翌週には、お店のイタリアンよりおいしいパスタ料理を作ってくれた。
その上、先週のチカン話のお返しとばかりに、時計台に落ちる雷の電気を使って、フリーズドライを成そうと実験したエメット・ブラウン准教授が次の日からアフロヘアになっていた話をしてくれた。
あまりに面白く、大笑いして食事どころではなくなってしまったほどだ。
彼は優しい。
けれども、研究の話になると人が変わったように厳しい姿勢を見せる。
中でも、大学院上がりの研究員たちの研究に向き合う姿勢が真摯じゃないと、名前を挙げながら憤っていた。
その中に私をナンパしてきた先輩・・・綾小路さんの名前なんかもあったけれども、それをちょっと言い出せなかったくらいの口調。
普段の温厚な彼とのギャップで、ちょっとドキッっとしてしまった。
定期的に続いていた金曜日のお食事。
その幸せな時間に異変が起きたのは、彼の研究が原因だった。
彼がとても力を入れていた実験が、失敗に終わったらしい。
毎週だったお食事が、2週間に1回に変わる。
夜、ベランダからそっと隣の部屋をのぞいても、灯りが見えることはまずない。
研究室に泊まり込む日が増えたみたいだ。
問題の起こった日の夕食は、中華だった。
大皿から、料理を取り分けてくれる彼は、なんだかいつもよりピリピリしている気がした。
食後の紹興酒は、ちょっとお砂糖を入れるほうが飲みやすかった。
私が、最後の一口をごくりと飲み干すと、彼が言った。
「人員整理の対象になったかもしれない。」
出世した同期入社のライバル社員が、彼をリストラの対象にするよう働きかけたらしい。
「サトウトシオさえいなければ・・・なんとかなったかもしれない・・・」
彼がそう言った時、「砂糖と塩」を頭に思い浮かべた私は、ちょっと酔っ払っていたに違いない。
慌ててニコリと笑って、ごまかした。
「うん。他の道もあるんじゃないかな。それにね。私、卒業して働くから。今の研究続けながら、ほら・・・新フリーズドライ法を活用できる転職先を探したっていいじゃない?」
しまった・・・プライドを傷つけてしまったかもしれない。
私は、少し後悔した。
彼が泣きそうな顔をしながら、笑っていたから・・・
転機が訪れたのは、年明けだった。
彼が、新しい冷凍技術を開発したのだ。
大学の構内に、テレビ局や新聞の取材が殺到した。
金曜日のお食事会は、私の卒業まで2週間に1回のままだった。
彼は、SNSの更新すら止まってしまうほど忙しそうに走り回っていた。
3月10日。
その日は、私の卒業式。
私のパンツスーツを見て「着物にしなかったの?」と彼が言った。
去年、写真館を併設した貸衣装屋さんで着付けした時、締めた帯があまりに苦しかったため、断念したことは、秘密にしておいた。
卒業式が終わり、南門の前で友達に彼とのツーショットの写真を撮ってもらう。
坂道を歩いていると、彼が二つ折りにした和紙を私に差し出した。
いつも、お品書きを書いてある紙だ。
「お隣さんから、同居人になりませんか?」
広げた紙に筆で書かれた文字。
びっくりして前を見ると、ひざまずいた彼が、指輪の入ったケースを持っていた。
「結婚してください。」
涙で目の前がぼやけ「夢の中」に居るような気分。
その日、隣人だった彼は、新しい家族になった。
久しぶりにふるまわれる料理は、彼が開発した新しい冷凍技術を使ったお肉の料理だった。
薄くスライスされ花びらのように重ねて盛り付けられたお肉。
ムラのない美しいロゼ色をした肉の上に乗った、おいしそうなソースが肉の赤みと皿の白さを彩る。
「プロポーズの言葉を書いたから、今日は、お品書きは無し?」
いつものお品書きを書いた紙が無いことに気づき、彼にたずねる。
彼は「墨を乾かしているうちにテーブルまで持ってくるのを忘れてしまった」と頭をかいた。
彼と私は、お腹を抱えてケラケラと笑った。
とても幸せな気分だった。
そして、彼がお品書きを取りに行った隙にお肉を一切れつまみ食い。
うん。おいしいっ。
それは、熟成されたお肉のうまみがぎゅぅっと詰まったモノだった。
「ほら、今日のお品書きだよ。」
二つ折りにした和紙を受け取る。
紙を広げた私は、もう一度お皿の料理を凝視した。
「角が無いからって、丸いわけではない。」
これは、恵方巻を作った時に彼が言った言葉。
優しいからって、良い人というわけではないのだ。
私の隣人は、悪魔だった。
綾小路清麻呂
佐藤 敏夫
手渡されたお品書きに書かれていたのは、美しい筆の文字。
やや厚めの和紙の上にあったのは、大学院上がりの研究員の名前。
そして、同期入社のライバル社員の名前であった。
今回、初めてホラー作品を書きました
宮沢賢治のホラー小説「注文の多い料理店」を
お手本に、真面目に丁寧に真似しました
なんとか最後までたどり着きホッとしています
なお、お手本の分野が「童話」であったことに
気づいたのは、書き終わってからでした