第2話 隣人彼女2
ホラー小説は、簡単だ
才能の無い書き手が、真面目に喜劇を書くだけでよい
セルビアの大道芸人 ブメラン・F・ササール
ボクの料理作りの目的は、SNSにアップすることだけではなくなった。
毎週金曜日の夜は、彼女に料理をふるまう。
もちろん、筆で書いたお品書きを添えて。
食事の後、彼女が隣の部屋に帰らなくなるまでには、そんなに時間はかからなかった。
「おいしいけど、ちょっと太っちゃったかな?」
笑顔の彼女と過ごす週末。
まるで『ゆめのなか』に居るような気分。
ボクは、とても幸せだった。
順調だったプライベートに比べて、うまくいかなかったのが、研究室の人間関係だ。
というのも、大学院上がりの研究員の姿勢が、あまりに不真面目なのだ。
学生気分が抜けないのだろうか?
こんなに良い研究環境が整っているにもかかわらず、研究よりも合コンに力を入れている。
正直、大学の2~3年生に声をかけてまわっている彼らの姿を見るのは、ボクにとって苦痛でしかなかった。
極端なことを言えば、研究に失敗しようが成功しようが、彼らにとって、どうでもいいのだろう。
しかし、ボクにとっては、違うっ。
命がけのものだ。
この研究に失敗したら帰る場所などない。
そして、やはりと言うべきであろうか?
しばらくすると、大学院上がりの研究員たちの姿を見ることはなくなった。
どうだっていい。
彼らには、他に帰る場所があったのだから。
しかし、その命がけの研究が、うまくいかない。
それでも、試行錯誤を重ねながら、たどり着いたフリーズドライの新実験。
その準備が整った時、ボクの耳に信じられない話が飛び込んできた。
ひとつは、円高が進み、新しいフリーズドライ事業から会社が撤退を検討しているというもの。
もうひとつは、その方針を打ち出しているのが、会社でボクのライバルだった同期の男であり、今度の新実験が失敗したらリストラ・・・つまり、ボクを人員整理の対象に入れるべきだと主張しているというもの。
実験を失敗するわけにはいかない。
そう固く決意した。
省電力化のキモは、急速冷却の時間とその時の出力だ。
それを調節することで、ボブ・ゲイル教授の新フリーズドライ法を低電力で成立させるだけ。
理論も、計算も、準備も完璧なはず。
心の中で何度もそうつぶやきながら、装置のスイッチを入れ、コンデンサに溜まった電気を装置に流し込む。
ビチビチっ
回路から、小さな音が聞こえ、装置の中が冷却されていくのが分かる。
その時であった。
装置から、うっすらと白い煙がたちのぼる。
慌ててボクが電源を切るのと、実験を手伝ってくれていたアフロ頭をした准教授が、消火器の安全弁を外してかまえるのは同時だった。
幸いにも准教授が消火器を噴出する必要はなかったが、実験の失敗は目に見えていた。
そう・・・ボクは、失敗したのだ。
バラ色だったボクの生活は、モヤのかかった灰色に変わった。
金曜日にボクの部屋で行われていた会食は、2週間に1度に変わった。
彼女は、何も言わなかった。
相変わらず、おいしそうにボクの料理を褒め、そうしてコロコロとかわいらしく・・・時には、大きな口を開けて笑う。
週末・・・そこだけがボクが生きていると実感できる時間であった。
紅葉も終わり肌寒くなった頃、会社が新しいフリーズドライ事業から今年度限りで撤退することを、次の役員会で正式決定するだろうと噂に聞いた。
同時にボクのライバルの同期が昇進し、フェローの役職となるだろうという情報も流れた。
フェローは、先端技術の研究開発を行う社員のうち、執行役員と同等の待遇を受ける最高位の役職だ。
ボクのリストラは、ほぼ確定したに違いない。
金曜日の会食。
できるだけ暗くならないように、その話題に触れた。
ボクの雰囲気は、ピリピリしていたのだろう。
彼女は、言った。
「うん。他の道もあるんじゃないかな。それにね。私、卒業して働くから。今の研究続けながら、ほら・・・新フリーズドライ法を活用できる転職先を探したっていいじゃない?」
大学を卒業して、私が働くから・・・。
彼女が言葉を探しながら、必死でボクの心を包み込もうとしてくれているのが分かる。
泣きそうになる顔を必死でこらえながら笑顔を作ってうなずいた。
転機が訪れたのは、年明けだった。
相変わらず、改造した新フリーズドライ装置での冷却では、フリーズドライがそもそも出来ないことに頭を悩ませていると、アフロ頭の准教授が、声をかけてきたのだ。
「美味いぞ。」
准教授が手に持つ紙皿の上に乗ったそれは、解凍したお肉であった。
何も考えず、すっと手を伸ばし、それを口に入れた。
コレだっ。
企画書を書く手は、止まらなかった。
「他の道もあるんじゃないかな。」
そう言った彼女の姿が目に浮かぶ。
ボクの隣人は、女神だった。
分岐する道は、何本もある。
そう、他の道を進めばいいだけだったのだ。
違う派閥の別部署に顔を出すのは勇気が必要であったが、初対面の部長は、思った以上に良い人であった。
まず、結果を言おう。
ボクのリストラの話は、無くなった。
新フリーズドライ法を使った新事業からの撤退。
残念ながら、これは、決定してしまった。
どうやっても、エネルギー問題が解決できなかったのだ。
では、何が起こったのか?
それは、省エネ新フリーズドライの副産物。
冷凍技術だ。
なんと、ボクの省エネフリーズドライ装置では、フリーズドライはできないものの、この装置を使って冷凍状態になった食材の味が、旧来の冷凍と比べて格段に向上していたのだ。
「青果・・・野菜や果物は、鮮度がむしろ上がっているように感じる。」
「肉や魚は、長期間熟成されたかのようにうまみを増している。」
これは、冷凍1週間後に解凍した後の食材を口にした料理研究家の言葉だ。
装置の商品化は、驚くほど速かった。
話がトントン拍子に進み、2か月先・・・5月頃には、商品第一号が、市場に出る予定。
さすがにフェローのような役職ではないものの、ボクは、部長待遇で会社に戻ることとなった。
あっ、そうそう。
ボクのライバル同期の話だ。
他社技術の特許侵害が見つかったらしい。
フェローの話は立ち消えとなり、会社からあいつの姿も消えた。
いいことづくめに聞こえるかもしれないが、1つ問題がある。
それは、忙しすぎて、金曜日の会食が週1に戻らないという本末転倒な結果に、彼女がちょっとご機嫌斜めであること。
彼女には、ごめんなさいとしか言いようがない。
3月10日。
その日は、卒業式であった。
彼女が着ていたのは、パンツスーツ。
「着物にしなかったの?」と聞くと、「予約は、遅くても半年前。普通は、1年前にするもんだからね。」とかわいらしく笑った。
どうやら、ボクの研究がどうなるか分からない状態で、貸衣装にお金を使う気持ちにならなかったようだ。
卒業式が終わり、南門の前で彼女の同級生にツーショットの写真を撮ってもらう。
そして、ミカンを拾ったあの日と同じように、2人で歩く『帰り道』。
ボクは、彼女の前にひざまずき、パカリっと開けた小さなケースを差し出した。
「結婚してください。」
指輪を受け取った彼女は、頬を染めてニコリと笑うと、ボクを見て小さくうなずいた。
婚姻届けの証人は、彼女の友達とボブ・ゲイル教授が快く引き受けてくれた。
その日のうちに、市役所へと向かう。
外国籍の教授は、ハンコを持っていなかったが、そんな場合は、無理に押印の必要は、無いらしい。
うん。知らなかった。
それはさておき、この瞬間、ボクと彼女は、隣人ではなくなった。