第1部.発症と出会い 1-7.初受診
健次は退院してからチヨの家事のやり方に目を光らせるようになった。生まれてこの方、料理などほとんどしたことのなかった健次では何の手助けにもならなかったが、食事の準備の時は手伝うということにしてずっと台所に入っていた。
健次のチヨに対する不信感が入院前後の出来事で更に高まったのを感じた淳一は、頻繁に両親の家に行き、チヨに優しく語り掛けた。
「母さん、調子はどう?」
「何だか分からないけど、お父さんはこの頃怒ってばかりいるんだよ。嫌になっちゃう」
「そうなんだ。それじゃ、母さんも疲れるよね。一度病院の先生に診てもらうといいんじゃない?」
「そうだねー、その方がいいかねえ」
「昔母さんたちが住んでいた東京郊外の家の近くにある病院は凄く評判が良い、って裕子が言っていたよ。今度機会があったらその病院の先生に診てもらおうか」
「そうしようかねえ……。でも私は病院が嫌いだからねえ」
「そうなんだ。でも診てもらえば母さんは楽になると思うけどね」
淳一はこんな会話を実家に行く度に繰り返し、母の心の底に存在していた病院に対する拒否感情を少しでも和らげる努力を続けた。
とにかくK老人病院の院長の診察を受けた方が良いと裕子から何度も勧められていたことに加え、淳一の2度に渡る病院の様子見でも素晴らしいとの判断があったので、淳一と健次は諦めずにチヨの説得を続けた。
1992年7月下旬、つくばから奥多摩に遊びに行くという名目で健次はチヨを連れ出した。会社を休んだ淳一に付き添ってもらい、電車を乗り継いでK老人病院の最寄り駅まで辿り着いた。そこには予め打ち合わせておいた裕子が車で迎えに来ていて、そのままK老人病院に行った。これまで病院に行くよう説得しても頑なに拒んでいたチヨを、やっとのことでK老人病院に連れ込むことに成功した。受付で手続きを済ませ、待合室で待機していると、真理も甲府から駆け付けてきた。しばらく待たされたが運よく院長の診察を受けることになった。
診察室にはチヨの他に健次と淳一も一緒に入った。院長はがっしりとした体形をしていたが押し出しが強い感じを全く与えない人で、優しく患者やその家族を包み込むような雰囲気を醸し出していた。三人に挨拶し、当たり障りのない会話をしてチヨの緊張を解す努力をした後で、絵が描いてあるカードを何枚かチヨに見せた。それからしばらくの間はチヨの名前を訊いたり、その日の日付を言わせたりした。その後、再び先ほど示したカードに何が描いてあったか質問した。チヨはほとんど答えることができなかったが、取って付けたような言い訳を並べた。院長の問診が終わると、別の場所で頭部CTスキャンなどの検査を行なった後、診察室の外で待つよう指示された。
しばらくすると家族のみ診察室へ入るように言われたので、真理と裕子はチヨと一緒に廊下で待つことにし、健次と淳一が再び診察室に入って椅子に座ると、院長から告げられた。
「記憶試験ではカードの絵をほとんど覚えておられませんでしたし、脳の萎縮も見られますのでアルツハイマー型の痴呆症ですね」
当時はまだ『痴呆症』という病名が使われていた。厚生労働省が痴呆に代わる用語に関する検討会を設け、2004年12月24日に呼称変更の採択がなされ、行政用語を『認知症』と改めた。その後一般的にもこの言葉が広く使われるようになった。
K老人病院の判断としては、チヨのような患者はまだ状態が良い方の部類に属しており、もっと悪い病状の人から入院させると言われ、健次が望んでいたチヨの即時入院は現実味のないものであることが明らかになった。健次の落胆ぶりは傍目からも見てとれた。これまでの病院訪問で医療ソーシャルワーカーから事情を聞いていた淳一にはこの状況は予想できたものであったが、現実に直面したばかりの健次にかける言葉を見つけることはできなかった。
四人は無言のままチヨを連れて病院の駐車場まで歩いた。淳一が長い沈黙を断ち切った。
「僕は明日会社があるから、今日はつくばに帰るよ。父さんはどうする?」
「お父さん、久しぶりにこっちに来たんだから、お母さんと一緒に一晩くらい泊まっていったら?」
裕子が住んでいる健次の生家は病院から車で10分ちょっとの所にある。
「そうだな。今日は俺ばかりでなくチヨも疲れてしまったようだし、元々俺たちが住んでいた家でもあるからチヨも大丈夫だろう。今夜は裕子の所にご厄介になろうかな。帰りは俺一人でもチヨの面倒は 看られるから淳一は先に帰っていいよ」
健次はそう答えた。
「その方が私も安心できるしね。それじゃ、お兄さん、駅まで私の車で送っていこうか?」
「いや、いいよ。病院の送迎バスがそろそろ出る頃だから、それに乗って駅に行くよ。裕子は早く帰って父さんと母さんをゆっくりさせてあげてよ。真理はどうする?」
「あたしはもう少しお母さんと一緒にいたいから、裕子の車に乗って行くわ」
「分かった。それじゃ、よろしく頼みます」
「大丈夫よ。気を付けて帰ってね。今日はお疲れ様でした」
裕子はそう応えると、他の三人を自分の車に乗せて病院を後にした。
最寄り駅で病院の送迎バスを降りた淳一は何の躊躇いもなく『食堂大丹波川』に向かった。母がK老人病院で初受診できたことの報告に加え、別件でも岩茸石仙人と話したいことがあって、仙人が食堂にいると勝手に決めつけて、磁石に引き寄せられる鉄片のように速足で歩いた。
淳一が扉をそっと開けると、仙人はいつもの場所にいつものように座っていて、カウンターの上には赤ワインが注がれたグラスとボトルが置かれていた。
「ああ、良かった。今日は仙人がいらっしゃった」
淳一が敷居を跨いでからそう言うと、店主が奥から出てきた。
「いらっしゃい。やはり来られましたか。今日は仙人がいつになく早く店に来て、『聖滝さんが来られるような気がする』って言ったんです。私は『まさかそんなことはないでしょう』と応えたんですけどね。流石は仙人でした」
「そうだったんですか。私も送迎バスを降りたら迷うことなくここに足が向きました」
「まあまあ、聖滝さん。そんな所に立っていないでこっちに来て座ってください。一緒にやりましょう」
「はい、有難うございます」
淳一が前回と同じL字型カウンターの長辺側の仙人に近い角に座ると店主は直ぐにワイングラスを淳一の前に置いて訊いた。
「摘みにしますか? それとも定食にしますか?」
「今日は、定食は後にします。何か適当な摘みを見繕ってください」
店主が頷いて奥に下がった。
仙人は淳一のグラスに赤ワインを注ぎ、乾杯してから一口味わった後で質問した。
「今日もK老人病院に来られたのですか?」
「はい、そうです。今日はやっとのことで母を病院に連れて来ることができたんです。こっちに住んでいる下の妹の所に来て、それから奥多摩観光に行くと言ったら、母は喜んで来てくれました」
「それは良かったですね。それで、お母さんは今どうされているのですか?」
淳一はこの日の聖滝一家の行動を簡単に話した。
「そうですか。とりあえず第一関門は突破できたということですね」
「はい、確かに母が受診できたことは本当に良いことではあったのですが、やはり、即入院ということは叶わぬ望みだったことが家族全員の共通認識になりまして、皆相当がっかりしてしまいました。私は2度医療ソーシャルワーカーから説明を受けていましたので、こうなることは予め分かっていましたが、父や妹たちは非常に厳しい現実を突きつけられてしまったという感じでした」
「そうでしょうね。しかし、聖滝さんご自身はご家族の他の人たちと違ってかなり元気そうに見えますね。この前会った時とはかなり違って、前向きな心理状態にあるように私には見えるのですが、会社で良いことでもあったのでしょうか?」
「えっ、本当にそう見えますか? 実は私は会社で元の研究にカムバックできたのです。見抜かれていましたか。しかし、仙人の眼力には驚かされますね」
「やはりそうでしたか」
「どうして分かったのですか?」
「聖滝さんの立ち居振る舞いから、とでも言ったらよいのでしょうか」
「どういうことでしょう?」
「聖滝さんの現状を俯瞰的に捉えて考えてみただけですよ」
「もう少し具体的に教えていただけませんか?」
「今日、K老人病院でお母さんが院長の診察を受けることができたのは、ご家族にとって大変良いことでした。しかし、望んでいた即入院はとても無理なことも分かり、それで皆さんは落胆したのでしょう。聖滝さんご自身も、以前から頭では理解してはいたものの、本当はやはりかなりがっかりして然るべき事態であると思うのです。多分、昨年ここに来た時の聖滝さんだったら、ご家族と同じように落胆していたのではないかと思います。ですが、今のあなたは物事を前向きに捉えていて目に力があるように私には見えるのです。そういう状況をもたらすことができるのは、お母さんの病状とは無関係の聖滝さんご本人の事情によるのではないかと考えたのです。私が知り得ている聖滝さんに関する個人情報からは、会社での業務が喜ぶべき状況に変化したと考えるのが最も妥当であると思ったのです」
「凄い観察力と洞察力なんですね……」
「どのようなことに対しても、自分の立ち位置からではなく、可能な限り俯瞰的に見えると思われる立場に自分がいることを想像して考えるようにしているだけなのです。ただし、どのレベルで俯瞰的に見るか、ということは的確な解答を得るためには非常に重要なのですが」
「俯瞰的に見るのにレベルを考える必要があるのですか……」
「そうです。今回の聖滝さんの場合、取り得る立場としては、個人のレベル、家族のレベル、会社を含む狭い社会のレベル、ある特定の地域における社会のレベル、日本の国のレベル、世界または地球的なレベル、更には、宇宙レベルなどがあり得る訳です。この中のどのレベルを選ぶべきか、ということです。今対象となっている状況に最も適したレベルを選んで考えれば、自ずと正解に近い解答が出てくるものですよ。もっとも、考えるために必要な知識や情報をある程度持っているということが前提条件ではありますがね」
「なるほどねー。これまでそういう考え方はしたことがありませんでした。有難うございました」
仙人は赤ワインで喉を潤してから次の質問に移った。
「ところで、何故聖滝さんは元の研究にカムバックすることができたのですか?」
「うちの会社の研究開発本部長のポストに、ある有名大学の元教授を招聘したのです。本部長というのは研究開発部門のトップです。その方が天然物研究に理解があるというか、是非やりたいとの要望をお持ちだったのです。それまで天然物研究なんかもう古いと言っていた偉い方たちが今は沈黙しているので、すんなり私たちの研究が再開されたのです」
「その偉い方たちは特に考え方に変化が生じた訳ではなく、ただ単に自分より上の立場の人に従っただけであるということですね?」
「多分、そんなところでしょう。今の本部長がポストを追われるようなことが起こった場合、その時までに私たちが成果を上げることができていなければ、きっとまた私たちの研究はストップがかかるでしょうね」
「上の偉い人たちの態度は自分の保身のための処世術ということですね。まあ、聖滝さんは、そんなことが起こる前に立派な成果を出せば良いのでしょうが」
「はい、頑張ります」
淳一は『食堂大丹波川』で前向きの気分にさせてもらった後、電車に乗ってつくばへ帰った。