第1部.発症と出会い 1-4.大子町旅行
淳一からK老人病院の現状を聞いた健次の落胆ぶりは相当なものであった。それでも、現状を変えたいという健次の意欲は旺盛で、何度もチヨを近くの老人病院に連れて行こうとしたが、チヨは頑なに拒否し続けた。健次は次第に手に負えなくなっていくチヨとの生活に不満が募りつつも解決法を見出せず、一緒の生活を続けざるをえなかった。
何事に対しても積極的に取り組んできた健次は多彩な趣味を持っていた。現役時代はボーリングやゴルフに興じ、定年退職してからは短歌、水墨画、グラウンドゴルフなどに趣味がシフトしていった。
1991年のことであった。ずっと以前から一度は実際にその地に赴き自分の目で見てみたいと渇望していた中国黄山行きを健次は敢行した。チヨとの毎日にほとほと嫌気がさしていたことも動機の一つではあったが、水墨画の先生が黄山旅行をされるのを絶好の機会と捕らえ、何人かの弟子たちと一緒にお供した。
健次の出発は10月10日、体育の日の木曜日、帰宅は15日の火曜日と随分前から決まっていた。予め心と体の準備を整えたつもりであった淳一と由美子は、出発前日の9日の夜、父母の家に行って泊まった。翌日、健次は曇り空にも拘らず心が浮き浮きしているのを隠そうともせず、満面の笑みを浮かべて朝早く成田空港に向けて出発していった。淳一たちはその姿を見送ってから自分たちの家にチヨを車で連れ帰った。
翌々日の土曜日、天気ははっきりしなかったが、淳一夫婦はチヨを連れて大子町への一泊二日の旅に車で出掛けた。
朝はゆっくりと食事を摂り、娘の弥生とその弟の学に家のことは任せて、昼前にはつくばの家を出た。谷田部インターチェンジから常磐自動車道に入り、水戸を通り越して那珂インターチェンジで一般道に降りた。
JR水郡線と付かず離れずに走っている国道118号線で瓜連を抜けて常陸大宮市まで走り、そこから久慈川を右に見たり左に見たりしながらなだらかな傾斜が続く渓谷沿いの道路を登っていった。
道の両側の所々に蕎麦屋があり、車窓から眺めているうちにお腹が空いたのかチヨが食べたいと言い出した。淳一は道路の左側にあって駐車し易そうな蕎麦屋の前で車を止めた。朝食も遅かったし夜はご馳走が待っていると思われたので、三人ともざる蕎麦を注文した。チヨは何度も美味しいと言いながら嬉しそうに平らげた。
大子町に入り、『袋田の滝』を目指して駅の近くを右折して国道を外れると間もなく渋滞が始まった。この滝は人気のスポットであるため、10月から11月にかけての週末と祝祭日には渋滞するのはある程度予想できていたことではあったが、滝に着くのに思いの外時間が掛かった。
『袋田の滝』は久慈川の支流である滝川の上流にあり、栃木県日光市の『華厳の滝』、和歌山県那智勝浦町の『那智の滝』とともに日本三名瀑に挙げられている。また、前年に行われた『日本の滝百選』の人気投票で1位になった影響もあってか、例年よりも観光客の姿が多いようであった。滝の下流では水量は少なく川幅も狭いが、滝そのものは高さ120メートル、幅73メートルもあり、大きな岩盤に沿って広がって流れ落ちるスケールの大きな滝である。
この滝は『四度の滝』とも呼ばれ、4段に落下することから名付けられたとされるが、昔この地を訪れた西行法師が『この滝は四季に一度ずつ来てみなければ真の風趣は味わえない』と絶賛したことが由来であるとも言われている。また、厳冬期になると滝が全面凍結し、滝のクライミングなど夏場とは異なる楽しみ方ができる場所でもある。
滝より少し手前にいくつかある商店の駐車場に車を止め、ゆっくりと景色を楽しみながら歩いて1979年に完成した観瀑台へと続くトンネルに入った。250メートル程あるトンネルの中は灯りは点いているものの薄暗く上り坂になっていたが、チヨは文句も言わずに一所懸命歩いた。
2008年9月に完成した新観瀑台からであれば滝の全貌が見えるのであるが、当時はまだ下の観瀑台しかできておらず、4段ある滝のうち、最上段の滝はしっかりと見ることができなかった。それでもこの滝の迫力はなかなかのもので、目の前に現れたスケールの大きさに圧倒されたのか、チヨは驚いたような顔をして見入っていた。
暫くの間この滝の風情を楽しんだ後、再びゆっくり歩いて駐車場まで戻り、車を置かせてもらった商店でお土産を探した。奥久慈の名前を冠として付けられた、蕎麦、湯葉、こんにゃく、お茶、鮎、りんごなどが売られていた。由美子は申し訳程度に湯葉とこんにゃくを買った。淳一が車に乗り込む時に腕時計を見ると午後4時半を回っていた。
「そろそろいい時間だね。もう他には回らずに宿に行こうか?」
「そうしましょう。お義母さん、ゆっくり温泉に入りましょうね」
由美子の声にチヨは嬉しそうに肯いた。
奥久慈温泉郷は茨城県では数少ない昔からの温泉場で、大子温泉、浅川温泉、月居温泉、袋田温泉などがあり、宿泊できる宿は勿論のこと、日帰り温泉もあって、状況に応じて楽しめるようになっている。この時は、父健次の旅行日程がかなり前から分かっていたので、大子温泉にある公共の宿泊施設を前もって予約することができていた。
宿に着き、チェックインを済ませて部屋に入るとすぐに浴衣に着替え、男女別になっている大浴場で一風呂浴びることにした。淳一はチヨのことが心配だったが、由美子に任せて自分はゆっくり温泉を楽しんだ。
男女それぞれの風呂の出入り口の前はそう広くはないホールになっていて、先に風呂から上った人が、ゆっくり浴びている連れ人を待つのにちょうど良いタイル製の円形ベンチが備えられていた。淳一がそこに座って待っていると、間もなく二人が上気した顔をして出てきた。
「どうだった?」
「ええ、とても良いお風呂でしたよ。お義母さんは二重丸でした」
由美子は微笑みながらそう言った。
「それは良かった。それでは食事に行きますか」
三人は浴衣姿のまま大食堂へ行き、『聖滝様』と書かれた札が立っていたテーブルの席に着いた。それぞれのお盆の上には既に鮎の塩焼、鮪の刺身、奥久慈名物のさしみこんにゃく、茶碗蒸し、鴨鍋とけんちん汁がきれいに載せられていた。三人が座ると着物姿の中年の女性が鴨鍋の下の小さな固形燃料に火を点けに来てくれた。
「あっ、済みませんが、ざる豆腐はありますか?」
「はい、ございます」
「母さんと由美子はどうする?」
二人とも首を横に振った。
「それでは、ざる豆腐1つと瓶ビールを2本お願いします。グラスは3つでね」
「はい、有難うございます」
着物姿の女性はそう答えると調理場に下がっていった。
滝見物で歩いたのとゆっくり風呂を浴びたのとが効いたのか、三人ともお腹が空いていて夕飯は大変美味しく食べられた。チヨも出された料理の名前や材料を訊いたりして本当に楽しそうであった。淳一は『これなら今晩はゆっくり眠れるかな』と仄かな期待を抱いた。
部屋に戻ると、既に3組の布団が敷かれていた。
「今日は少し疲れただろうから、ちょっと早いけどそろそろ寝ようか」
「そうね。お義母さんの調子が良いうちに寝た方がよいかも知れないわね」
「そうだね。私も今日はよく歩いたから疲れたよ。もう寝ましょう」
チヨが素直に従ってくれたので、淳一と由美子は安心して部屋の照明を常夜灯にしてから自分たちも寝床に入った。
静かだったのは最初の5分間くらいのものであった。突然、チヨが口を開いた。
「お父さんは今どこにいるのかねえ?」
「今は中国の黄山というところに行っているんだっただろう。忘れちゃったの?」
「ああ、そうだったね。それじゃあ、今、家には誰もいないんだね。急いで帰らなくちゃいけない」
そう言うと、チヨは寝床から起き上がろうとした。
「母さん、もう夜だから、今夜はここに泊まろうよ」
「ああ、そうだね」
その時は納得した様子を見せたチヨであったが、しばらくすると再び同じ質問をした。
「お父さんは今どこだっけ?」
「さっき、中国に行っているって話したでしょ」
「ああ、そうだったね。それじゃ、家に帰らなくちゃいけない」
「もう、遅いから今夜は寝ようよ」
「そうだね」
初めのうちは冷静に対応できていた淳一も何度も同じことを繰り返すうち、だんだん苛々してきた。チヨはすっかり家に帰る気持ちになってしまい、寝床から起き出してうろうろし始めた。由美子は淳一の気持ちを察してこんな提案をした。
「それじゃ、お義母さん。お風呂場までお散歩しましょうか」
それを聞いたチヨは嬉しそうに頷くと部屋の出入り口の扉を開けようとした。仕方なく飛び起きた淳一と由美子は備え付けの羽織をチヨの分まで手に持ち、お供をして風呂場に繋がる廊下を静かに歩いた。幸いなことに風呂場の前のホールに人影はなくひっそりとしていた。家に帰るつもりでいたチヨは今自分がいるのが風呂場の前だと気付くと、顔付きが変わった。
「早く家に帰らなければ」
そう言うと、どこかへ行こうとし始めた。淳一はチヨを捕まえ、数時間前に風呂から先に上がった時に待っていた円形ベンチに座らせ、チヨの顔を正面から見て言った。
「母さん、もうすごく遅いから家に帰るのは明日にしようよ」
しかし、チヨは頑なに家に帰ることばかり主張したので、はぐらかすつもりで質問した。
「ここから家までどうやって帰るの?」
「歩いて帰るよ」
「家までは百キロ以上あるから、歩いて帰るのは無理だよ。明日になったら僕と由美子とで車で送っていくから、今夜は部屋に帰って寝ようよ」
「うん、そうだね」
淳一はチャンスとばかりにチヨの手を取って歩き出したが、再びチヨが家に帰ると言い出した。
風呂場前でこんなやり取りを何度も繰り返してから、ようやく部屋に戻った。部屋に戻ってからもこの押し問答を繰り返した後、やっとのことでチヨが眠りに付いてくれた。疲れきった淳一と由美子が眠れたのは午前3時を回っていた。
翌朝、チヨは昨夜の出来事などすっかり忘れて嬉しそうに朝食を食べ始めた。淳一と由美子は睡眠不足で食欲が減退していたが、しっかり食べないとチヨの世話に影響が出ると考えて頑張って食べ物を口に放り込んだ。食後一休みしてから再度温泉に浸かり、三人は宿を後にした。
国道118号線で那珂インターチェンジに戻る途中、アップルパイを販売している店を見つけた。形は小さいが奥久慈特産のリンゴが入ったパイが1つ500円で売っていた。子供たちや健次のお土産用にと5個買ったが、走り出して直ぐにチヨが食べたいと言ったので道路脇に車を停車させて1箱を開け、皆で味わった。少し甘過ぎる気はしたが、中に入っているりんごの味が爽やかでパイ生地とよくマッチしていて病みつきになりそうなくらい美味しかった。チヨは自分の家に帰れると思っていたのとアップルパイが美味しかったのとで、非常に満足そうな笑顔を見せた。
つくばの淳一の家に帰ると、そこが自分の家ではなかったので、またチヨの『家に帰る』が始まった。翌日の月曜日は淳一が研究所に出勤したので、チヨのお相手は由美子が務めた。チヨの気持ちを紛らわせるために何度も家の周りでの散歩の時間をとってあげることになった。
健次が日本に帰って来る日は、チヨばかりでなく、淳一や由美子にとっても非常に嬉しい日となった。6日間完全にチヨから開放されたことと念願の中国黄山に行けたこととで、健次は大満足で帰宅した。