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アルツ、仙人、そして  作者: 夏瀬音 流
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第3部.次世代へ 3-42.チヨの死

 淳一が定年退職した2007年9月末の時点では、チヨの病状に大きな変化は認められなかったが、11月に入ると発熱するようになった。退職の準備や退職後の煩わしく感じられた諸手続きのためにしばらくの間忙しく過ごしていた淳一は、担当医や看護師長と会う機会を持てていなかった。そこで、看護師長に会っていろいろと訊いてみることにした。

「いつもお世話になっております。聖滝ですが、母の具合はどうなのでしょうか?」

「はい、今日はあいにくずっと担当されてきている先生はいらっしゃらないのですが、副担当の先生がおられます。お話されますか?」

「はい、是非お願いします」

「それでは、少しお待ちください。先生をお呼びしますから。先生のお話が終りましたら、私の方からも少しお話させていただきます」

 淳一はナースステーションの中に通され、丸椅子を勧められた。座ってしばらく待つと、若い医師が現れた。

「聖滝チヨさんのご家族の方ですか?」

「はい、息子の聖滝淳一です。お世話になっております」

「こちらこそ。それではお母様の状況についてお話します」

「はい、よろしくお願いします」


 若い医師はカルテに目をやりながら説明し始めた。

「聖滝チヨ様には今月の2日に39度以上の発熱がみられましたのでレントゲンを撮ってみました。それ程大きな影は見られませんでしたが、後から出た血液のデータはあまり芳しいものではありませんでした。CRPといって炎症反応の指標となる値があるのですけど、その値が10近くもありましたので、炎症があることが推定されました」

「そのCRPの値は病気ではない人ではいくつくらいなんですか?」

「健康な人であれば0に近い値です。聖滝さんは痰もありましたし、呼吸状況も良くなかったので、肺炎と診断しました。処置としては、食事を中止しまして、水分と栄養分は点滴で与えるようにしました。それから、酸素吸入と抗生剤を投与しました」

「そうですか。肺炎になりましたか」

 老人が肺炎に罹ると致命的になることが多いと思っていた淳一はかなり落胆するとともに、これから起こるであろうことを受け入れなければならないと覚悟した。

「母の肺炎はかなり悪い状況なのですか?」

「いえ、使いました抗生剤はまだ強いものではなくて普通のものですが、今のところよく効いているようです。聖滝さんの本日午前中の状態は、体温が37度1分で、症状としては良好になってきていると思われます。聖滝さんの担当医がこの病院に来るまでは現在行なっている処置を続けていく予定です」

「分かりました。これからもどうかよろしくお願い致します」

 そう言って頭を下げた。この若い医師はチヨの名前を言う時にいちいちカルテを覗き込んでいたので、『母のことをあまり深くは把握していなさそうだな』と淳一は思った。


 医師との話の最中にそっと傍の椅子に座って話を一緒に聞いてくれていた看護師長が、若い医師が出ていくのを確認してから淳一に声を掛けてくれた。

「聖滝様、びっくりされましたか?」

「はい、肺炎だと聞いてちょっと驚きました。今後の見通しはいかがでしょうか?」

「それは……、判断するのは難しいのですが、今はよい状態に向かっていると思います。ただですね、痰が出て急変したりする場合も考えられます。また、担当されている先生はチヨ様がこの病院に来られた時からからずっとチヨ様を診てきているので、チヨ様のことをよく知っています。そういう意味では対応の仕方を心得ていると思います。チヨ様の年齢は83歳ですから普通はまだ若いと言えるのですが、この病気に罹られてから長くなっておられますので、各機能の低下が観察されています。こんなことを言って申し訳ありませんが、次第に悪くなっていく可能性はあるとお考えになっておられた方がよろしいかと思います」

「そうですか、よく分かりました。今後母の状態が変わったりしましたら、私の携帯電話の方にもご連絡いただけないでしょうか?」

「はい、分かりました。これまで登録されていたご自宅の電話番号の方に掛けても連絡が取れない時は携帯の方にお電話するように致します」

「どうかよろしくお願い致します。今日はご親切に対応していただき、本当に有難うございました」


 その日は裕子の家には顔を出さずにつくばに帰った淳一は、メールでチヨの状況を妹たちに知らせた。1週間ほど経ってから真理からメールが入った。

『お兄さんからメールをもらう前の4日の日曜日に私もお母さんの顔を見に行きました。体温は、昼間は7度台だったのに夜になると9度に上がったと聞いて、まだ安心できないなと思っていました。今日も病院に行って来ました。お母さんの顔色は良くなっていて、いつもの様にツヤツヤしていましたよ。点滴も取れてお昼寝中でした。今回は治ってくれて良かったですね。師長さんが、『さっき、いつも具合が悪い時ばかり連絡するので、今日は良くなったことを淳一様に電話しました』と言いながら、お母さんの状態を教えてくれました。

 ゼリーから始めて、副食だけでも食べられるようにしていきたいということ、今回の様に悪くなることが少しずつ増えていくだろうと思われること、悪くなった時も含めて今後の対応をどうするか一度先生と家族とで話し合っておけたらよいと考えていることなどについて話してくださいました。担当の先生がK老人病院に来られている時に、子供たち三人で病院に行って、看護師長と一緒に先生とお話しておいた方が良いように思います』


 2007年12月8日、淳一はK老人病院に行ってチヨと面会した際、チヨが随分痩せてきたように感じた。そこに看護師長がやって来てチヨの状態について説明してくれた。このままだと栄養が十分に摂取できていないので危険であり、胃ろうを設置してカテーテルから栄養を摂れるようにした方が良いのではないかと勧められた。淳一は父を看取った経験から、いよいよの時が来たら人為的な延命措置を行なわずに自然に任せた方が良いと思っていたのではあるが、看護師長から勧められると迷いが生じた。妹たちと一緒に次の土曜日に担当医を入れて再度相談させてもらうことにした。


 次の土曜日の午後に兄妹でK老人病院に行くと、看護師長が出てきてくれて直ちにナースステーションの中に通された。そこには既に担当医が待っていて相談が始まった。医師や看護師長が胃ろう設置を勧めるので淳一たちは迷ってしまい、結局設置を受け入れた。設置手術はK老人病院で実施してくれるのではなく、さほど遠くない所にある一般の病院に依頼することを勧められた。

 12月27日、淳一は紹介された病院の外科医と会い、母チヨの病状等を詳しく説明して胃ろう設置手術の実施を了承してもらった。翌日入院申込書を書いてその病院に提出すると、チヨの入院は年明けになると告げられたので、その日はつくばに戻った。


 つくばの自宅で2008年を迎えた日の午後4時頃、淳一の家の電話が鳴った。

「私はK老人病院で聖滝チヨ様の担当をさせていただいております看護師長です。チヨ様のご容態が今朝からあまりよろしくないものですから、ご連絡を差し上げました」

「それは危ない状況である、ということでしょうか?」

「はい、そのように思われますので、ご家族の方々には早めにこちらに来られて、チヨ様にお会いしておいていただきたいと思っております」

「分かりました。ご連絡、有難うございました」

 淳一は直ぐに真理と裕子に電話で内容を伝えてから、由美子と車でつくばを離れた。夜8時頃病院に到着し、病室に駈け付けると妹たちは既に来ていて、看護師長に淳一の到着を告げてくれた。直ぐに出てきてくれた看護師長は、現在のチヨの容態は落ち着きを取り戻しており、今直ぐどうこういうことはなさそうであるとの判断を述べてくれたので、とりあえずその晩は皆で裕子の家に行って待機することにした。


 淳一は疲れ過ぎていたためか、それとも母のことが気になっていたためか、なかなか眠れなかった。ようやくうとうとし始めた正月2日の早朝5時半過ぎに淳一の携帯電話が鳴った。病院からで、チヨが危篤状態になったとの連絡であった。慌てて皆に声を掛け、四人でK老人病院に駆け付けると、これまで見たことがない若い医師と看護師長とがチヨのベッドの傍で淳一たちの到着を待っていた。その若い医師は皆が病室に入ったのを自分の目で確かめた後、チヨの状況を形式的に確認し、淳一たちに告げた。

「ご臨終です。死亡時刻は6時18分です」

 淳一たちは医師と看護師長に深々と頭を下げた。

「10年もの長い間、本当にお世話になりました。母もこの病院に来て皆様に優しくて親身な介護をしていただけたことを、きっと喜んでいたと思います。本当に有難うございました」

 淳一は心から感謝の気持ちを表した。病院関係者が席を外し、親族だけになってから真理が静かな声で言った。

「お母さんは自分の体を傷つけてまで生きていたくなかったんですね。だから、胃ろう手術をする前にあの世に逝ってしまったんですよ」

「そうかも知れないね。母さんがまだ元気な時は、我々は自然死を望んでいたけど、いざ危ない状況になったら、少しでも長く生きていてほしいと思ってしまったんだよな。ところが、母さんはそうは思っていなかったっていうことだな」


 チヨの死因は肺炎と書かれていた。遺体は取り敢えず病院の霊安室に運び込まれたが、そこには長く置いておくことはできなかった。健次の時と同じ葬儀屋に連絡し、手配してもらった遺体運搬ができる車で裕子の家まで運び、布団を敷いて北枕にして寝かせた。年末年始で斎場も休みで葬儀の実施が滞っていて、その後の日程が決まらなかった。1月4日に管轄する役所への死亡届等を提出してから裕子の家で納棺し、チヨの通夜と告別式ができるまで斎場の霊安室に安置してもらった。ようやく8日に通夜、9日に火葬と告別式が行われることが決まった。


 チヨの葬儀への参列者は健次の時と比べると随分と少なく、聖滝家の親族とその関係者が大半を占め、長きに渡り家を離れ病院で闘病生活を送ってきたチヨの状況が反映された葬儀となった。告別式も一通り終了し、親族と葬儀の手伝いをしてくれた近所の人たちだけの精進落としになった。出席者たちはしばらくの間チヨの若かりし日のことを懐かしんでくれた。

「昔はチヨさんは本当にいい人だったよな」

「そうだったよな。一所懸命健次さんに尽くしていたし、俺たちにも親切だったよ」

「そう、誰に対してだって親切だった。それがなー、あんなふうになってしまうんだからなあ……。神も仏もないと思えちゃうよな」

 出席していた親族たちは口々にチヨの人柄の良さとその後の病気による仕打ちの不条理さを嘆いた。


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