第2部.想定外 2-31.年老いる
健次はその後、群馬県法師温泉と宮城県秋保温泉で開催された戦友会に参加した。さらに、戦争時の区隊長の三回忌にも鎌倉霊園まで足を運び、戦友たちと区隊長の冥福を改めて祈った。また、趣味である水墨画の展覧会に一人で上野まで出かけて行き、じっくりと鑑賞するくらい体力はまだあるように振る舞っていた。
2004年2月初め、いつものように淳一と由美子は健次を乗せてK老人病院にチヨとの面会に行き、屋上談話室で昼食までの待ち時間を過ごしていた。
「父さんは戦友会には必ず参加しているようだから元気なんだね」
「そうだな。まあ昔のように精力的に動き回るというわけにはいかないけれど、何とか自分の事は自分でできてはいるよ」
「心臓の方の調子もいいんだろう?」
「ああ、全く問題はないよ。ペースメーカーを入れてもらってからもう2年になるんだ。本当に命拾いをさせてもらったと思って、感謝しているんだ」
「もう2年も経ったのか。早いものだねえ」
淳一の言葉に由美子も続いて励ましの言葉を口にした。
「最近のお義父さんの顔色は本当に良いですよ。それに、楽しそうに見えますし」
「そうですか。それは嬉しいですね」
健次はまんざらでもないような顔をして微笑んだ。
「俺の母親が亡くなったのは米寿を過ぎてからだったんだ。一番上の兄貴は戦死してしまったんだが、他の7人は皆元気でいるんだ。この間、兄弟姉妹で集まる機会があってね。その時、皆母にあやかるように88歳まではしっかりと生きなくちゃいけないよな、なんて話になって、大いに盛り上がったんだよ」
「確かにそうだね。特に父さんは母さんを抱えているんだから、ぜひともよろしくお願いします」
淳一の言葉に皆が笑顔になった。
その年の5月から6月に掛けて、健次は何首もの短歌を詠んだ。内容は軍隊時代の思い出ばかりであった。
健次は芝浦桟橋から中国黒龍江省のハルピンへの船で戦地に旅立った。甲板と桟橋とを結んでいたテープが切れた時、自分の中に生じていた未練をきっぱりと断ち切ったこと、気温零下15度の中で自分の指を水に突き立て凍傷がどのように起こるかテストすることが軍隊での最初の作業であったこと、山砲兵は普通の兵隊よりも馬を大事にしなければならいと古年兵に言われたこと、ビンタに耐え忍び悲願としていた甲種幹部候補生に合格したこと、昇格後、降格覚悟で『理由なきビンタは悪だ』と反省日誌に書いたが、部下思いの上司であった軍曹に『今後は書くな』と諭されたこと等が10首ほどの三十一文字に詠まれていた。
数日後、これらの短歌を見せられた淳一は、少し心配になった。
「父は、自分の最期を意識し始めたのであろうか? 母を置いて父に先に逝かれたら、子供たちはどれ程困るであろうか」
そんなことが淳一の頭を掠めた。
この年の8月、健次は埋め込んだペースメーカーの2年半後の検診を無事終了した。担当医師は笑みを浮かべながら健次に告げた。
「聖滝さん、全て順調ですよ。安心してください」
「はい、有難うございます。あのー、私は以前から心配していることがあるのですが……」
「はい、何ですか。私に分かることでしたらお答えしますよ」
「実は雷がペースメーカーに酷い影響を及ぼすのではないかと思って心配で仕方ないんです。昔軍隊にいた時、訓練中に何回も落雷があったものですから、怖いのです」
「あははは。大丈夫ですよ。直接聖滝さんに雷が落ちたら別ですが、離れた所で鳴っている雷でペースメーカーに致命的な影響が出ることは先ずないと思います。安心して生活してください」
「本当ですか。いやー、ほっとしました。有難うございました」
健次は不安が拭われた安心感をそのまま表現した。
夏の暑さが災いしたのか、この年にチヨの長兄とチヨのすぐ下の妹の夫とが相次いで亡くなった。健次はその度にK老人病に赴き、チヨの耳元に口を近づけて事実を優しくゆっくりと告げた。しかし、チヨは長兄の死の報告に対してでさえ何事もなかったかのように無表情を続けた。
「チヨは自分の兄の死という現実も理解することができなくなってしまったんだなあ。俺が死んでも同じように振る舞うのかな……。寂しくて悲しいことだなあ……」
健次はしばらくの間黙ったままチヨの傍に座っていた。
9月には、ずっと書を教えてもらっていて少し前に亡くなった先生の仏壇にお参りするため、元生徒であった有志たちと共に健次は最上川が流れる庄内平野にある先生の実家を訪ねる旅に出た。生徒と言っても、勿論皆高齢者ではあったが。仏壇に線香を捧げ、お参りが遅れてしまったことを詫びた。床の間に掛けられていた掛軸の書が先生の筆であると聞き、改めてじっくりと鑑賞して先生の凄さを再確認した。
年の瀬も押し詰まった12月30日午後遅く、健次は一人でつくばにやって来た。翌年夏に開業したつくばエクスプレスは工事の最終段階に差し掛かっていたもののまだ利用できる状況には至っていなかったので、前日電話をもらった淳一はJR常磐線の最寄り駅まで車で迎えに行った。
健次は車に乗り込むと直ぐに淳一に頼んだ。
「淳一、久しぶりなんで、以前俺たちが住んでいた家を見たくなったんだ。お前の家に行く前にちょっと寄ってくれないか?」
「ああ、いいよ。少し離れた所から見るだけなら問題はないでしょう。あの家を買ってくれた人はその後もあまり外観をいじっていない様子だから、昔のままだよ」
「ああ、そうかい。これからは何回もつくばに来られる訳じゃなさそうだから、元気なうちに見ておこうと思ってな」
「また、そんな弱気なこと言って。母さんがいるんだから頑張ってもらわなくちゃ」
「そうだな……」
無言のまま元の自分たちの家が見える所に着くと、車から降りた健次は覚束ない足取りで離れた所からゆっくりと家を眺めながら歩いた。父の姿を見ていた淳一はボソッと呟いた。
「父さんも随分と足が弱ったな……」
所々で立ち止まり、昔の記憶でも辿っているかのようにしていたが、2回り程歩くと、それで気が済んだのか、淳一の車に戻ってきた。
淳一の家に着いた健次はいつものせっかちな姿はあまり見せず、由美子が忙しく立ち働いているキッチンの隣にある居間の大きなテーブルを前にして椅子に座り、新聞を読んだり、短歌を作ったり、テレビに見入ったりしていた。
2005年の元旦を健次はつくばで静かに過ごした。ここ数年は裕子と共に生家で年明けを迎えると直ぐにK老人病院に行き、院長の全入院患者への新年の挨拶回りの時間に間に合うようにしていたのとは大きく異なっていた。
2日の朝、雑煮を食べた後、健次は淳一に駅まで送ってもらって一人で生家に帰っていった。
この年のゴールデンウイーク直前に恒例の戦友会が福島で開催された。健次は杖に頼りながらも何とか自力で電車を乗り継ぎ、上野駅での関東以西の住人との集合時間に間に合わせた。東北新幹線に乗り、花が散って若葉が萌えたつ里山の景色を見ながら福島駅に到着しホームに降り立った。肌寒さを覚えて、視線を山の方に向けると、安達太良も吾妻連峰もまだ雪を被ったままであった。ホームには函館と水沢に住む戦友二人が出迎えてくれていた。
福島駅西口からバスに乗り、およそ30分で宮城県境に近い吾妻山中腹にある高湯温泉の旅館に着いた。周辺の山にはまだ残雪が見えた。先ずは浴衣に着替え、明治元年に建てられたという萱葺きの湯小屋で一風呂浴びた後、恒例の宴会が始まった。幹事の乾杯の音頭で取り敢えずビールを飲んだ。最初のうちはお互いの現状を話し合っていたが、酒が進むにつれてこの会に不参加となった友人の近況を訊いたり案じたりする話がしばらく続いた。何人かは酒量が落ちたという理由で早々にカラオケで演歌を歌い始めた。
こんな光景を目の当たりにして、健次はしばし自分の世界に入り込んでしまった。
「戦火を何とか潜り抜けて必死の思いで生還してきた戦友たちも歳を取ったものだなあ。何人かはこの会に参加できない状況になっているし、参加している皆の動きも昔と比べれば危なっかしく見える。それは俺にもそのまま当て嵌まるんだな。俺の足も本当に思うように動かなくなったものだ。次回の戦友会には一体何人が参加しているんだろう。俺は参加できているんだろうか?」
「聖滝さん、ボーとしていないで、せっかく皆に会えたんだからもう一杯飲もうよ」
隣の席に座っていた戦友の言葉で健次は我に返った。
2005年5月22日、淳一と由美子は朝早めに車で健次の家に向かった。前の晩に電話を入れておいたので、体力は衰えても時間に関するせっかちな性格は変わらないのか、健次は準備を整えて家の前で待っていた。裕子への挨拶も簡単に済ませ、健次を乗せてK老人病院へ走った。
この頃のチヨはもう会話は全くできない状況になっていたが、三人は何とか話題を見つけてチヨからの反応を期待することなく話しかけた。この日の健次はいつもよりは沢山チヨに話しかけていたように淳一には思われた。昼食の介助を済ませ、チヨを病室に戻すと、恒例となっていた回転寿司屋に向かった。
休日の店は客で溢れていた。この日も三人は15分程待たされてからようやくカウンター席に座ることができた。それぞれ自分の好みのものを注文し、新鮮な海の幸を堪能した。そろそろ会計してもらおうかと思っていた淳一に健次が訊いた。
「なあ淳一。俺は太らないようにするためにいつも6皿と決めているんだけど、今日はもう1皿食べたいんだよ。いいかな?」
「ああ、勿論だよ。あと1皿と言わずに何皿でも好きなだけ注文してくださいよ」
淳一は、珍しいこともあるものだな、と思いながらも優しく応じた。
「そうかい、有難う」
そう言って健次は嬉しそうに最後の一皿として青柳を注文した。間もなく健次の注文品が届くと、自分の前に皿を置いて食べる前に淳一に質問した。
「淳一、青柳って何の貝だか知っているかい?」
「ええと、何だったかなあ……」
「昔、潮干狩りに行った時、砂をほじるとアサリやハマグリに混じってバカガイが出てきただろう。あの頃は食べられないと思っていたから海に帰してやっていたよな」
「うん、そうだったね」
「あのバカガイが青柳なんだよ。こんなに旨いことを知っていたら海に戻したりしなかったよな」
「そうだね」
ひとしきり蘊蓄を述べた後、健次は旨そうに最後の寿司を味わった。
午後遅くつくばの自宅に帰った淳一と由美子がコーヒーを飲みながら疲れを癒していると電話が鳴り、由美子が出た。
「あなた、お義父さんからよ」
「ええ、父さんから? さっき別れたばかりなのに、何かあったのかな」
そう言いながら淳一は受話器を受け取った。
「父さん、どうしたの?」
「俺は今から救急車で総合病院に行ってくるよ」
「ええっ、一体どうしたの?」
「さっきから体調が酷く悪いんだ。吐き気はするし、腹がずっと痛くて仕方ないんだよ。裕子と相談したんだが救急車を呼んだ方が良さそうだって言うから、そうすることにしたんだ。後はよろしく頼むよ」
「分かった。とにかく直ぐにそっちに行くよ」
淳一は由美子に簡単に事情を説明して、再び二人で夜の高速道路を走った。
走行中の淳一の携帯電話に裕子から電話が入った。助手席の由美子に出てもらった。
「お義父さんは総合病院に入院されたんですって。病院に着いたら救急受付に行って、名前を告げれば病室を教えてくれるそうよ」
「分かった。有難う」
しばらく無言のまま運転して総合病院の駐車場に車を入れ、夜間でもひと際明るく照らされている救急受付に急ぎ足で向かった。
「あのー、ついさっき入院した聖滝健次の息子ですが、病室を教えていただけないでしょうか?」
受付の職員は少し調べただけで、直ぐに見つけて淳一に教えてくれた。
「聖滝健次様ですね。この廊下を右に行かれますと救急病棟になります。そこの2階の237号室です」
「はい、有難うございました」
二人は頭を下げてから速足で歩いて病室に辿り着いた。
救急病棟に行くと裕子が健次に付き添っていたが、二人の顔を見ると外に出来てきた。
「どう、父さんは?」
「あんまり痛がるから救急車を呼んだんだけど、ここに着いてお医者さんの顔を見たら安心したようで、今は少し落ち着いているわ」
「そう、それは取り敢えず良かった。それで腹痛や吐き気の原因は何か分かったの?」
「まだ、先生から何も言われていないの」
「そうなんだ……」
三人は病室に入り、ベッドの上に寝ていた健次に淳一が声を掛けた。
「少し前に別れたばかりだったからびっくりしたよ。お寿司を食べ過ぎたかな?」
淳一は不安な気持ちが表情に出ていた健次をいくらかでも明るくしようと思い、軽口をたたいたのであったが、健次は真面目に受け取ってしまった。
「本当にいつもと同じ6皿で止めておけば良かったかもしれないなあ」
「あははは。父さん、冗談だよ、冗談。それで、今の体調はどうなの?」
「家にいた時よりは少し楽にはなったけど、まだ気持ちは悪いし腹は痛いんだ」
「そうなんだ……。そのうち先生から何か話があると思うから、それまで頑張ってくださいよ」
「うん、分かった」
健次が目を瞑ったので、会話はそこで終わりになった。間もなく真理も到着した。チヨとの面会時からその時点までの健次の様子を淳一は事細かに妹たちに説明した。
その日は健次が少し安定してきたこともあって、取り敢えず経過観察することになり、病室も救急病棟から普通の病棟に移された。夜遅くなってから看護師に、付き添いの人たちは帰るように言われて、四人は淳一の車で裕子の家に行った。翌日は月曜日であったが、淳一は休暇を取り、三人はその晩、裕子のお世話になることにした。
翌日は朝から皆で揃って病院に見舞いに行った。通常診療がまだ始まっていないためか、人気があまり感じられない病院の中で、随分早くから診察の順番待ちでそこだけが混雑していた1階の廊下を抜け、エレベーターで5階まで昇り、健次の病室に入った。
「どうですか、体調は?」
淳一の声で瞼を開いた健次の顔だけでは容体の判断が付きかねた。
「うーん、昨日とあまり変わりないような気がする」
「先生は何て言われているの?」
真理が心配そうな顔で訊いた。
「まだはっきりとは病名を告げられていなんだ。先生たちの話しぶりからすると腸閉塞かもしれないな。多分、そのうち先生からきちんとした話があると思うんだが」
「そうなの」
そう応えた真理以外の三人も何となく納得したような顔になった。
その日は夕方まで交代で健次の傍に付いてあれやこれやと細かい注文を出す健次の面倒を看ていたが、健次の容体に大きな変化は見られなかった。医師からきちんと病名を聞くまでは安心できないと思った淳一は翌日も休暇を取ることにした。




