第2部.想定外 2-30.権力の座と人間
健次の胸に入れられたペースメーカーの調子はその後もずっと良好で、こわごわ再開したグランドゴルフであったが、数カ月も過ぎると心臓のことを忘れて熱中しても問題はなかった。チヨの状況も大きく変化することはなく静かな時間が流れていった。
淳一は健次の身体を心配して以前よりもつくばからやって来る頻度を上げ、健次がチヨの面会に訪れるのを助けるようにしていたし、真理や裕子も健次の身体的負担を少しでも軽くすべく動いていた。この年の8月にK老人病院で78歳の誕生会を行なってもらったチヨは、もうそのことを認識できていない様子であった。
恒例の面会奨励日が開催された敬老の日、健次はいつもよりも大勢の面会者でごった返す屋上談話室でいつものようにチヨの昼食の介助を行ないながら、人の動きを見ていた。
「チヨが入院した頃と比べるとこの病院は随分と栄えているような感じだなあ……。こういう病院の必要性は日本ではこれからどんどん増していくのだろうな。俺もチヨをこの病院に入れることができて本当に助かったと思っているが、今だったら入院させることができただろうか? この調子で入院費用が上がっていくと俺の収入じゃ、だんだん無理が出てきそうだ……。しかし、子供たちに迷惑を掛けたくないから、俺がしっかりとチヨの面倒を看なくちゃいけない。少なくともチヨを看取ってやるまでは何とか頑張ろう」
健次はその後も順調で、この年の秋にはグランドゴルフの東京都の大会に出場するチームの一員として大いに活躍することができた。大会の後でやって来た淳一は健次の自慢話を笑顔で聞いてあげた。12月下旬には、6ヵ月毎に行われるペースメーカーの定期検査に子供たちの助けを借りずに健次一人で病院に行く気持ちになっていた。
2003年の正月もチヨはK老人病院で迎え、2月には健次とチヨの56回目の結婚記念日が来た。面会に行った健次はベッドの傍に着くなり、チヨの耳元へ口を近づけた。
「おい、チヨ。今日は俺たちの結婚記念日だよ。分かるか?」
健次の声のトーンがいつもよりも優しく聞こえたのか、あるいは嬉しそうに聞こえたのか、チヨは健次の声に反応するかのように微笑んだ。
「そうか、喜んでくれているのか」
健次はそう勝手に解釈して笑顔で屋上談話室へと車椅子を押していった。
この年の10月、恒例の戦友会が神奈川県の三崎で行われ、83歳になっていた健次は喜んで参加した。少し前に皆を広い度量と厳しさとを併せ持って率いてくれた区隊長が亡くなったので、話題は自ずと区隊長を偲ぶものが多くなった。誰かが区隊長の得意であった舟唄を懐かしく感じて歌い始めたが、結局誰一人最後まで歌える人はいなかった。
「俺たちも呆けてきたものだなあ」
「ああ、全くだ。本当に嫌になるなあ」
「逝く時はポックリと逝きたいものだ」
「誰もがそう思うけど、現実はそう甘くはないかもしれないな……」
区隊長が逝ったことからか、この時の戦友会の雰囲気はいつになく元気さに欠けたものとなった。
健次が三崎で戦友会に参加していた時、真理がK老人病院に行った。その日の夜、淳一のパソコンに真理からのメールが入った。
『こんばんは。今日は一人でK老人病院に行って、お母さんの昼食の介助をしてきました。食べ始めは少しだけ目を開いていましたが、食べるにつれ眠ってしまいます。以前はスプーンで口に入れてあげるとパクパク美味しそうに食べていたのに、って思うと悲しくなってきました。この病気はだんだんそうなるのが普通なのでしょうね……。帰りに家に寄りましたが、お父さんは戦友会に出かけていていませんでした。普段はグランドゴルフの練習によく出かけているようです。まあ、お父さんだけでも元気にしていてくれて嬉しいですよね。それではまた』
人間の本能の一つであるはずの食欲がチヨには明確に見られなくなってきている現状を再確認させられたように思った淳一は暫くの間動くことができなかった。
淳一は仙人に会いたくなると一人で電車に乗ってK老人病院に行った。この日もチヨの昼食介助を終え、午後2時過ぎに『食堂大丹波川』の引き戸を開けた。店内にはいつもの場所に仙人が一人で座っていただけで他に客はいなかった。店主に挨拶した後、淳一も定位置に座り、仙人と赤ワインで乾杯してから両親の現状報告を行なった。健次は少し老けてきていたし、チヨの病状も僅かに進行してはいたものの、大きな変化があったわけではなく、説明に大した時間は要らなかった。一呼吸置いてから淳一はその当時考えていたことを仙人にぶつけてみた。
「私が勤務している研究所で、若い頃、直向きに仕事を行ない周囲の人たちへの配慮も怠らなかった研究者が、成果を挙げた後に重要な地位に就くことがあります。私から見ると、高い地位に就いたその人は以前とは違って自分本位な考え方をしているように思えてならないのです。周囲の人たちへの配慮は昔のようには感じられなくなってしまっています。どうしてそういう風に変わってしまったのか私には合点がいかないのです」
「なるほど。そういう疑念が聖滝さんに生じてきたということは、ご自分も重要な地位に就き、もしかしたらご自身も同じような道を歩んでしまうのではないか、と危惧されているのですね?」
「いや、私自身のことに関して心配しているわけではありません。多分、私はいわゆる出世はしないでしょうから。ただ『人間は偉くなるとどうして自己中心的になるのか?』という疑問です」
「そうですか。私がこれまで世の中を観察してきた経験からすると、そうなる理由として2つのことが考えられます。『人の上に立つと、それまでよりも広い視野で物事を判断することが要求されるようになる』というのが1つ目の理由です。また、情報に関しても以前より多く入手できるのが一般的です。部下から見ると、上司が他のことも考慮に入れていることを把握できずに、『あの人は自己中心的な判断をするようになってしまった』と感じられてしまうのでしょうね。まあ、原因がこちらであれば、大きな問題になることは少ないでしょう。
2つ目は、『人間にはいわゆる野獣の一面が残っている』、言い換えれば、『本能に従って行動しようとする強い衝動がある』ことが原因であると考えられます。まあ、普段の生活ではこれは表に出て来ないで済むことがほとんどなのでしょうけどね。それは、『普通の状態にある人間は、野獣の部分を経験や知識や理性によってコントロールしているから』だと思います。人間が権力の座に着くとほぼ間違いなく自己中心的な行動を取るようになるのは、ある程度の期間権力の座にいることによって、コントロールできていた部分の支配が次第に緩み、野獣の一面が表面に出て来易くなってしまうからだと思うのです。しかも、権力者と支配される者という力関係から周囲はそれを容認せざるを得なくなってしまうのです」
「つまり、人間は偉くなると誰でもが自己中心的になってしまい易いのですね……」
淳一は少なからず落胆したような表情で言い、さらに言葉を続けた。
「そうならない方法はないのでしょうか?」
「対処の方法が全くないわけではありません」
仙人の言葉にやや明るい表情を取り戻して淳一が訊いた。
「どんな方法ですか?」
「組織の大小に拘わらず、リーダーの地位に就いた人間は、先ずは先ほど私が言ったことを認め、それを強く意識することだと思います。そして、あまり長い期間権力の座に就き続けないことです。他の人から『あなたは自己中心的だ』との評価を受ける事態になったら、あるいは、自分自身でそのことに気付いたら、潔く身を引くことです。身内以外の人間で心から信用できる人などにその重要な役割を任せるとか、ポストの選考には全く口を出さないようにするなど、実施方法はいくつかあると思います。そうする以外に方法はないと私は考えています」
仙人は少し間を置いてからさらに説明を続けた。
「つまり、『欲望や自己中心的な発想を本来的に保有してしまっている人間はどう生きれば良いのか?』ということになるのでしょうね。その答えは非常に難しいですが、先ず必要なことは、『知ること』であると思います。『何を知るのか?』という質問が次に来るのでしょうね。私は、先ずは自分の属している組織や社会のこれまでの経緯をよく知ることだと思います。組織がここまでに至る経緯には、自分以外の人たちの奮闘がきっと沢山あったと思うのです。それを強く意識すれば、自己中心的になることをある程度は抑えられるのではないかと思うのです。更に、この概念をもっと広げて、その『根源にある大切なこと』を知る必要があると私は思っているのです」
「何ですか、『根源にある大切なこと』って?」
「それを理解していただくためには、非常に長い説明が必要になります。今日は結論だけを言っておきましょう。それは『我々はDNAを継承中なのだ』ということです。この言葉の意味は今後少しずつお話して聖滝さんに理解していただこうと思いますが、今はこの言葉を覚えておいていだだくことだけに留めましょう」
かなり消化不良な状態にある淳一を見て、仙人はもう少しだけ説明することにした。
「それでは聖滝さんに質問です。法律や規則は何故できるのでしょうか?」
「法律や規則がないと、人々が身勝手な行動をして社会が混乱してしまうからではないでしょうか」
「確かに物事がうまくいっていれば、法律や規則など不要ですよね。自己中心的な人間が意図的に、あるいは、悪意を持たない人間が偶発的に物事のスムーズな進行を妨げることがある程度の頻度で発生することによって、取り締まる必要性が生じてきて、法律や規則ができてしまうのです。今の社会に非常にたくさんの法律や規則が存在しているということは、世の中は自己中心的な人間で溢れかえっている、とも言えますね。
また、『自分だけが良ければそれで良い』という考え方は、どのレベルで括るかということにより、回りから肯定されもするし否定にも繋がると思うのです。
『なになにファースト』という言葉があります。例えば、『自分の会社ファースト』とか、「自分が所属する県民ファースト」とかのように。結局、これは「自分、あるいは自分たちだけが良ければそれで良い」と思っていると解釈できますよね。私の心の中には、こういう姿勢を非難したいという気持ちが沸き起こりますが、物事はそう単純ではありません。『自分自身だけが良ければそれで良い』という考え方は非難し易いのですが、『ある一定の地域の住人とか一定の集団とかだけが良ければそれで良い』という考え方は単純には非難できないように受け取られるでしょう。これは『どのレベルで括るか』ということに繋がるからなのです。
例えば、『命を守ることは大切だ』という主張の場合、『命』のレベルをどこに置くかで状況は大きく変わってきます。『人命』とするのか、『動物』とするのか、『地球上の生き物』とするのか、あるいは『太陽系に生きているかもしれない全ての生命』とするのかによって、その受け取られ方は大きく異なってきますよね。ましてや『全宇宙に生きているかもしれない全ての生命』にまで広げると、同調する気持ちよりも『そこまで考える必要はない』との見解の方が圧倒的に多くなるように思えます。つまり、『自己中心的だ』との批判を受けるか否かは、『どのレベルで括るべきか』が問われているということになるのだろうと考えられます」
淳一は仙人の言葉を完全に理解できたわけではなかったので、若干物足りない気持ちであったが、今後の仙人の言動への期待感が沸き上がってきた。




