第2部.想定外 2-27.健次の体調
チヨはその後も病状が著しく悪化することはなかったが、快方に向かうこともなく、漫然と時が流れるのを静かに待つこと以外に打つ手はなかった。それでも、介護はほとんど全てを病院任せにでき、自分は気が向いた時に面会に行く程度でよいという状況は、健次を穏やかな気持ちのままでいさせてくれた。
健次は1998年10月、京都に次いで奥能登で開催された戦友会にも参加した。皆の意気盛んな姿に接し、家に帰ってからも意欲が増したような気分になり元気に暮らしていたが、時々右脚が痺れた。歳のせいだと自分に言い聞かせ、誤魔化しながら生活していたが、この年の12月に入ると痺れと痛みに耐えかね、出勤する裕子に病院まで乗せていってもらい、整形外科で医師の診察を受けた。
「聖滝さん、レントゲン撮影の結果から診ると、椎間板ヘルニアだと思います。このヘルニアが原因で坐骨神経痛になっているのでしょう」
「そうですか。かなり痛いんですがどうすればいいのでしょうか?」
健次は痛さに顔を歪めて縋るような表情で医師に訊いた。
「そうですね。この病気は悪い姿勢での作業や喫煙などで起こり易くなるとされています。それから、椎間板が加齢などで変性し断裂して起こるとも言われています。痛みが強い時は安静を心掛けた方がよいでしょう。コルセットを付けるのもよいと思います。今日のところは炎症を抑える注射をしておき、消炎鎮痛薬も出しておきますから、飲んでください。いろいろとやってもよくならないようであれば手術することをお勧めします」
「手術ですか……」
健次はそれしか言えなかった。
下肢の痺れと痛みがなかなか取れなかった健次は、椎間板ヘルニアと診断された病院での受診を続けていた。翌年の3月末に診察を受けた際、担当医が健次に告げた。
「聖滝さん、やはり手術した方がよいと思います。それで、どこかお身体で心配なところがありますか?」
「ええと、そうですね。心臓の方がちょっと心配ではありますが、今のところその他にはないと思います」
「そうですか。それでは今からこの病院の循環器内科に連絡して検査してもらおうと思いますが、よろしいでしょうか?」
「はい、分かりました。先生のおっしゃる通りに致します」
しばらく待たされたが、同じ病院の循環器内科の別室で心電図や心臓のエコー検査を受けた。検査から循環器内科に戻ると、画像を見ながら担当医が明るく言った。
「聖滝さんの心臓は良く動いていますよ。今のところ大丈夫です。椎間板の手術をしても問題ないと判断できます」
「そうですか、有難うございました」
少し緊張して聞いていた健次は、循環器内科医の言葉に励まされ、手術を受ける気持ちになれた。
整形外科医の所に戻ると笑顔で迎えられた。
「聖滝さん。心臓の方は大丈夫そうだということですが、手術されますか?」
「はい、お願いします」
「それではと……」
担当医はそう言うと日程表を見ながら手術できる日を探した。
「ええと、手術日は4月19日でいかがですか?」
「はい、特に予定はありませんからその日で結構です」
「それでは4月16日に入院してください。今、書類をお渡ししますから、受付の横にある『入院』と書かれた所で手続きをしていってください」
「はい、分かりました。先生、どうかよろしくお願い致します」
健次は深々と頭を下げてから受付の隣に行き、入院手続きを行なった。病室は2階の17号室と決まった。
「去年わざわざ球根を取り寄せて植えておいたチューリップは俺が入院中に咲いて散ってしまうんだろうな」
手術とは直接関係のない植物のことが健次の頭に浮かんだ。
足の痺れと痛みは続いてはいたものの健次はK老人病院への週3回の面会をずるけるようなことはしなかった。4月11日の日曜日はK老人病院の面会奨励日であった。健次はいつもよりはずっと混み合っていた屋上の面談室でチヨの昼食の介助を行なった。
「おい、チヨ。実はな、俺も病院に入院することになったんだよ。前から椎間板ヘルニアで足が痺れて痛くて仕方なかったんだ。16日に入院するから暫くの間ここに来られなくなるんだ。退院して歩けるようになったら直ぐに来るから、しばらく我慢してくれな。淳一や真理や裕子にはいつもよりも面会に来る回数を増やしてもらうように言っとくから安心してくれ」
チヨは健次の話してくれた内容は全く理解できていないようであったが、自分の方を向いて男の人が一所懸命に優しく話しかけてくれている状況が嬉しかったのか、時々健次の顔を見ながら終始にこにこしていた。
健次は予定通りに入院した。この日は金曜日であったが、つくばから淳一と由美子も車でやってきて入院の準備を手伝った。真理も商売で忙しい中、心配して甲府から駆けつけた。元来物事に対する準備に手抜かりがあるような健次ではなく、子供たちの手助けなどなくても一人でしっかりとできるのであるが、流石に歳を取ってからの入院であることとチヨをしばらくの間放ったらかしにせざるを得ない状況に置かれたこととで、精神的に少し弱気になっていたようで、子供たちが全員揃って来てくれたことを酷く喜んだ。
19日の月曜日に健次の手術が行われた。淳一はこの日も休暇を取って、金曜日からずっと由美子と一緒に健次の生家に泊まっていた。一旦甲府に帰っていた真理も心配で再びこの日も病院にやってきた。無事手術も終わり、手術室から出てしばらくすると健次も元気に会話できるようになったのを見て、皆安堵した。
その後10日間以上はベッドの上で過ごすように言われ、健次はいつもより元気がなかった。それでも食欲だけは旺盛で、面会に来ていた子供たちをほっとさせた。
4月末日、健次はようやく車椅子に乗ることを許された。これまではチヨの車椅子を押す立場であったが、今回は自分が車椅子に座る番となった。もっとも、健次は他人に押してもらう必要はなく、乗るまでは看護師たちの手を借りたが、自分で車輪を回して行きたい場所に移動することができた。
病室を出て廊下をぎこちなく進んで行くと、正面の窓から病院の庭に植えられている木々の若葉がそよいでいるのが見えた。ここのところ自分のベッドの上からしか物を見ることができなかった健次にとってこのような光景でさえ心をうきうきさせてくれた。元気が出てきた健次はさらに車輪を一所懸命回して同じ階で行くことができる場所全てを移動してみた。窓の外には多摩の里山の春真っただ中の景色が広がっていて、健次の心をさらに勇気付けてくれた。
車椅子に慣れ始めた頃、健次は歩行訓練を勧められた。喜び勇んでリハビリ室に行き、歩行器に両手を掛けてみたものの、半月の間ほぼ完全に使わなかった脚の筋肉の衰えは健次の想像を遥かに超えていて、一歩進むことがいかに大変なのかを味わわされる羽目になった。それでも頑張ることが嫌いではない健次は毎日めげずにリハビリ室に通い歩行訓練に励んだ。
ある日の昼食には心づくしの柏餅がデザートとして出された。
「そうか、今日は端午の節句だったのか。俺の誕生日ももう直ぐだな。ええと、いくつになるのかな。そうか、79歳になるんだ。来年は俺も傘寿だ」
健次は独り言を言って美味そうに柏餅をぺろりと食べた。
その翌々日、担当医が病室にいた健次の所にやって来た。
「聖滝さんは随分と歩行訓練を頑張っているようですね」
「はい。先生のお蔭で足の痺れもほとんどありませんので、頑張るしかないですから」
「そうですか、それは良かった。この調子なら来週半ばには退院できるのではないかと思いますよ」
「えっ、本当ですか。そうなったら嬉しいです」
健次は担当医に頭を下げると、すぐにリハビリ室に行き、いつも世話になっているリハビリ担当者から自分に合った杖の選び方を教えてもらった。
翌日も歩行器でくたくたになるまで訓練を続けたので健次はフラフラしてきた。窓際のベンチに座って一休みし、何気なく窓から外の景色を見ると、シジュウカラの姿が見えた。病院の外の様子を見た健次はますます退院への意欲が増してきた。
5月10日、健次がリハビリ室に行き気合を入れて歩行訓練を行なっていると担当医が入ってきた。健次が挨拶すると、担当医は笑顔で近付いた。
「聖滝さん、頑張っておられますね。ご褒美に明日退院ということにしましょう」
「ええ、本当ですか? 実は明日は私の79回目の誕生日なんです。良い誕生祝をいただきました。先生、本当に有難うございます」
「それは良かった。これこそハッピーバースデイプレゼントですね」
担当医も嬉しそうに引き返していった。健次はにこにこしながら杖を頼りに自力で病院の屋上に出て歩いてみた。




