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アルツ、仙人、そして  作者: 夏瀬音 流
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第2部.想定外 2-26.コーヒーチェーン店

 2月半ばにK老人病院からアンケート記入の依頼が健次の所に届いた。毎年実施しているもので、患者に快適な入院生活を過ごしてもらうために集計結果を参考にして改善していくとのことであった。淳一がつくばからやって来た時、健次が記入してコピーを取っておいたものを見せてもらった。


『きれいな病院で、職員の方々の対応が明るく気持ちが良い。患者を大切にしているという印象に好感が持て、安心して親族をお任せできる病院だと思っていて、全体的にみて満足している。受付、事務、入院相談窓口の職員の方々も皆さん親切であり、看護師は決して怒らないで辛抱して耐えてくれている様子が判り、患者本位に接してくれるので好感が持てる。ナースエイドも皆さん親切で、一人ひとりの患者によく気配りしてくれている。医師とは接する機会が少なくまだよく判っていないが、他の職員の方々と同じように信頼できると考えている。リハビリの専門要員の方も優しく、少しずつ程度を上げながらリハビリをしてくれていて満足である。

 食事についても、特に不満に感じるところはなく、チヨの左手が硬縮しているため迷惑をかけていると思うが、風邪も引かずに栄養十分な食事をさせていただいていると思っている。入院費用総額は15万円であるが、妥当な額であると思っている』


 一通り目を通した淳一が健次にコメントした。

「確かに父さんが書いた通りで、K老人病院は今のところ理想的な老人病院のように思えるね。ただね、僕が少し心配なのは入院費用のことなんだ。今支払っている金額は、年金暮らしをしている父さんにとってすんなりと出せるものではないような気がするんだけど、実際はどうなの?」

「住居は裕子のところにお世話になっているので大きな負担にはなっていない。つくばの家は売れる見通しが付いたし、食費や光熱費も月々一定額を裕子に渡しているだけだから、まあ何とかやっていけてはいるよ。倹しく暮らしているつもりだけど、やはり若干赤字が出るので貯金を少しずつ取り崩して補っているんだ。なに、そう大した額ではないから淳一が心配することはないよ。楽しくやっていけるくらいの蓄えはあるんだから」

「それなら良いんだけど……。入院費用がこれからあまり上がらないことを祈るばかりだね」

「そう願いたいところだよ、本当に」

「ところで、父さんの方の体調はどうなの?」

「俺ももう77歳だから、元気いっぱいというわけにはいかないけれど、まあ、血圧の方も何とかコントロールできているようだし、今のところ大丈夫だよ。ただな、K老人病院でチヨを初めて院長先生に診て頂いた時、先生から、『この病長いですよ』と言われただろう。あれからもう7年半も経ってしまったんだよな。そのことを思うと俺もいつまでチヨを見舞いに行くことができるか心配になることがあるんだよ」

「確かに痴呆症という病気は長丁場の対応が必要だから、ずっと先の事まで心配しておかなければいけないんだね」

 健次の体調に関する心配事は、今後のチヨの介護にも関係してくるだけに、子供たちにも大きく影響する問題であった。


 この後も健次は週3回のペースでチヨとの面会を続けた。淳一はチヨが入院してからは自分のできる範囲で車に乗って裕子の家に行き、健次を拾ってK老人病院に面会に行った。その帰り道には回転寿司屋に寄ることも欠かさなかった。健次がチヨとの面会よりも寿司の方に期待しているように淳一には感じられることもしばしばあった。

 淳一と一緒に見舞いに行き、病院の屋上談話室で昼食時間を待っている間、健次はいつもチヨに話しかけた。チヨは自分の方を向いて誰かが注目してくれていることが嬉しいのか、あるいは話しかけてくれている人物が自分の配偶者であることが少しは理解できるのか、健次に微笑みを返してくれた。それを見た健次は満面の笑みを浮かべて満足そうに言った。

「そうか、そうか、チヨ。今日は俺のことが分かるんだな」

 そう言った後、傍にいた淳一の方を向いて言葉を足した。

「淳一、真理、そして裕子の三人を立派に育て上げたチヨなのに、今は丸で幼児のような有様だ。こんな姿を見ていると本当に哀れに思えてならないんだよ」

 そう言った健次の目からは涙が一粒こぼれ落ちた。


 1998年8月末にチヨは74歳となり、入院してから2回目の誕生会を迎えた。昨年同様、健次は誕生会を部屋の隅から見守った。

 誕生会のフィナーレとして看護師長から該当者たちに贈られた花束が胸の上に置かれても、チヨはまるで何事もなかったかのような無感動の表情のままであった。健次は慌ててチヨに近づいて片方の手を出し、贈呈された花束がチヨの胸から落ちないように支えた。

 誕生会の直後、K老人病院から入院費値上げの文書が届いた。翌年1月より入院雑費を1日当たり500円値上げするので、承諾書に記名捺印の上返送するようにとの内容であった。家族はこれを拒めば入院を継続することができなくなるわけで、了解する以外に選択肢はなかった。月額およそ1万5千円の増額となった。


 10月に入った金曜日、いつもよりは早めに会社から帰った淳一は、健次に電話した。

「あっ、父さん。明日も母さんのお見舞いに行くんでしょう?」

「明日か……。ああ、明日はグランドゴルフの全体練習があるんで、いつもの時間だと俺は行けないな。明後日、大会があるんで、チームの皆で練習することになっているんだよ」

「そうなんだ。それじゃ、どうしようかな……。久しぶりに一人で電車に乗って行ってみようかな。お昼ご飯の介助をした方がいいだろうからね」

「そうかい。済まんが、そうしてくれないか。俺の方は、試合が終わった翌日にでも電車とバスで行くから。チヨにそう言っておいてくれないか」

「分かった。それじゃ、明日は僕一人で行ってきます」


 翌日、朝早めに由美子にJRの最寄り駅まで車で送ってもらった淳一は、雨の中、電車を乗り継いだ後、病院の送迎バスに乗って11時頃にはK老人病院に入った。

 この年の秋に入ってからもチヨの病状は安定していた。健次は一人で面会に行った時はチヨの昼食介助を自分でしていたが、淳一が一緒にいる時は介助を淳一に全て任せ、自分はチヨとの会話に専念した。会話といっても健次からの一方通行で、チヨからの明確な反応はほぼ期待できない状態ではあったが。そのお蔭なのか、この頃になると淳一も昼食介助のやり方を十分にマスターできていて、次から次へとチヨの口に食べ物を入れていけた。


 チヨを病室に戻した淳一がK老人病院のバスに乗って最寄り駅に戻る頃には雨は上がっていた。久しぶりに岩茸石仙人の顔が見たくなった淳一はこの日の前日、酒屋で赤ワインを1本購入しておいた。バスを降りると真っすぐに『食堂大丹波川』に向かった。店の引き戸を開けると、定位置に仙人の顔が見えた。カウンターの上には、残り少なくなった赤ワインが入った大き目のグラスと仙人の好みのワインボトルが載っていた。

 淳一もいつもの席に座り、店主が直ぐに置いてくれたグラスに仙人が注いでくれた赤ワインで軽く乾杯し、ほぼ恒例になっていたチヨの現状報告をごく簡単に行なった。

 しばしの沈黙の後、淳一が仙人に尋ねた。

「仙人は以前商社に勤務されていたそうですから、面白いエピソードをいくつもお持ちではないのですか?」

「今はこんな格好をしていますけど、昔は私も会社勤めをしていたんです。その頃はまだまだ自分のしっかりとした考えはほとんど持てていませんでしたけれどね。今から考えればいくつも面白い話がありました。中でも外国のコーヒー豆に関する出来事は、思い返すと今でも笑ってしまうし、意外と人間の弱みを顕在化してくれているような気がするんですよ」

「面白そうですね。一体どんな話なんですか?」


「私の友達が仕事で外国に長期間住んでいたんです。もちろん日本人ですけど。その人が日本に短期間帰国したことがありましてね、当時日本に住んでいた私へのお土産として、その人が住んでいた国で人気上昇中だったコーヒー豆を持ってきてくれたんです。今では日本でも人気のコーヒーチェーン店になっていますけど、その頃は日本に上陸したばかりで、まだ多くの地域で認知される状況にはなっていませんでした。私はいただいたコーヒー豆を勤め先の皆にも飲んでもらおうと思って、会社に持っていったんです」

「会社の皆さんは喜ばれたことでしょうね」

「ところが、私の期待は大外れだったんです。私がその豆をミルで挽いてコーヒーを淹れて組織の人たちに出したんです。最初に試した人は、見ただけで『うわー、随分色が濃いコーヒーですね』という感想を口にしました。確かにその頃日本では薄いコーヒーを好む人が主流でしたから。そして、一口含むと直ぐに『これはちょっと苦いですよ』と言って、それ以上飲もうとしなくなってしまったんです。その他の人たちも同じような反応でした。その後そのコーヒー豆は電気ポットが置かれていたテーブルの上に放置され、私以外に味わう人はいなくなってしまったんです」

「そんなに人気がなかったんですか」

「そうだったんです。ところが、しばらくするとそのコーヒー豆は特別扱いされるようになったんだから世の中は面白いんです」

「ええっ、何があったんですか?」


「あの豆のことを相当酷く言っていた人たちの中の一人が横浜に遊びに行ったんです。その人が街の中をぶらぶら歩いていると、行列ができている店があったので、『横浜で行列ができる店とはどんな店なんだろう』と思って店の看板を見ると、何と私がいただいたコーヒー豆のチェーン店だったんだそうです。その人は念のために店に入ってそのコーヒーを飲んでみたら、会社で飲んだのと全く同じ色と味をしていたそうなんです」

「それは面白そうな展開になってきましたね」

「本当にそうだったんです。その人が帰ってきて組織のメンバーにそのことを話した途端、あれ程疎まれてその辺に置き放しにされていたコーヒー豆は急に冷蔵庫で保管されるようになり、飲むのを嫌がっていた人たちなのに、『美味しいですね』なんて言いながらあの豆を挽いて淹れたコーヒーを貴重品扱いで飲むようになったんです。私は口には出さなかったものの、心の中では『あんなに酷い扱いをしていたのに、その態度の変わり方は何なんだ。自分自身の判断力やその基準はどこに行ってしまったんだ。世の中で流行っているからっていう理由だけで自分の嗜好を否定するのか。自分自身の判断に余程自信がないんだな』と思いましたね」

「確かに世の中にはブランドに弱い人が本当に多いですからね」


「ただね、この話には後日談がありましてね」

「ええっ、どんな話ですか?」

「何年も経った後で、私はこのことをある知人に話したんです。その人は私の話をじっくりと聞き、しばらく考えた上で、こう言いました。『人間というものは社会の中で生きているからね。特に嗜好に関しては、食べたり飲んだりする時の実際の味覚や嗅覚よりも、脳の判断力に頼っているように思えるんだ。つまり、自分自身だけの判断よりも一緒に生きている人たちの判断を尊重し、最初に感じた自分自身の判断とは異なっていたとしても、周囲の人たちの判断を正しいものと認識させて、自分の判断もそれに従っていくようにするのだそうだ。そうしていると、皆がしている判断が自分自身の判断になってくるのだそうだよ』って」

「そうなんですかね」

 淳一はまだ半信半疑で聞いていた。

「知人の話をコーヒーの話に当て嵌めてみると、たぶんこういうことになると思うんです。私が頂いたコーヒー豆を淹れて飲んだ時、会社で最初に飲んだ人が『随分色が濃くて苦い』と感想を言ったわけです。次に飲んだ人は、本当は最初の人とは異なった印象を持ったかもしれないけれど、無意識に前の人の意見に合わせて『本当にそうですね』と発言し、それが私たちの組織におけるあのコーヒーの最初の評価となってしまったのです。その後、横浜で見た光景は、最初に自分たちが下した判断とは異なったものでした。すると、その人の脳の中では、少数の集団の判断が大勢の集団の判断に大きく影響され、『このコーヒーは美味しい』という判断に変わったのです。その新たな判断情報を組織に持ち帰って皆に話した時、皆の脳の中でも判断が変わったのだということになりますね」


 しばらく間を置いてから仙人が尋ねた。

「聖滝さんはこの話を聞いて、どんなふうに解釈しますか?」

「うーん、そうですね……」

 そう言ったまま淳一の塾考の時間が始まった。

 かなりの沈黙の後、ようやく淳一が静かに口を開いた。

「今の私たちはあまりにも周囲の意見というか、世の中の大勢に飲み込まれ易くなってしまっているのだと思います。そして、そうなる原因は自分の判断力に対して自信が持てていないからなのではないでしょうか」

 まるで風景の一部となっていた仙人は座ったまま足をやや開き、おもむろに口を開いた。

「今の人たちは何故自分の判断力に対して自信が持てていないのでしょうか?」

「うーん、難しい質問ですね……。それでは、とりあえず自分自身のことで考えてみます。小さい時から勉強してきていますが、出された問題に対する答えは常に用意されていて、自分の出した答えがそれに合致するかどうかはほとんどの場合直ぐに分かるようになっていました」

「確かにそうだったかもしれませんね。ただし、直ぐに与えられた予め準備されていた解答が本当に正しいものであったかどうかは定かではないと私は思うのですがね」

「そうだったかもしれません。私は与えられた解答が正しかったかどうかの判断はほとんどしたことがなかったように思います」

「本当はそうすることが最も重要な過程だと思うんです」

「つまり、自分の導き出した結論と多数の人が支持する意見とに違いが生じた時、もう一度考え直しもしないで、直ぐに多数意見に合わせてしまってきたんですね?」

「私はそう思うんですよ」

 仙人はそこで一息入れ、目を瞑ってしばらく沈黙した。淳一は次の展開をじっと待った。


 目をゆっくりと開けた仙人はようやく語り始めた。

「さて、もう一つのエピソードをお話しましょう。私は若い頃、時々論客と議論することがありました。そんな時、お互いが同意し合えているうちは何の問題もないのですが、意見が対立して、私が相手の意見に同意できない状況になるとよく言われる言葉があったんです。『お前は勉強が足りない』って。確かに私は胸を張って勉強が十分であるとは言える状況にはないことはある程度自覚してはいましてね、痛いところを突かれたと思ったんです。しかし、その後いろいろと経験を積んでいくうちに、ある考え方に辿り着いたんです」

 仙人はそこで少し沈黙した。淳一は次の言葉が早く聞きたくなって、目で促すような仕草をした。仙人はにこりと笑ってから言葉を続けた。

「『その勉強が、物事の本質に対する受け止め方や対処の方法論であったりするのであれば、つまり、ある真理そのものに対する勉強ではなく、真理に対する一人の人間の解釈の仕方に関する勉強であるのなら、いくら他の人の考え方を勉強しても、自分の考えが他の人の考え方に偏向されていくだけである。だから、物事の本質や原理を勉強するだけで十分であって、その時の流行や他からの押しつけなどに惑わされずに自分自身でよく考えて判断することが非常に重要なのだ』ってね。

 私の友人から贈られたコーヒー豆の出来事に関して言えば、横浜に遊びに行った人はそこである勉強をしたんだと考えられる訳です。つまり、『あのコーヒーはその当時日本でも人気が出始めてきて、世の中のトレンドとなりつつあるものである』ということを勉強してきたんだと考えられます。こちらに帰ってきてその勉強した内容を検討した結果、以前自分自身が出した『あのコーヒーは色が濃くて味も苦くて美味しくない』という結論は誤っており、『自分は美味しいと感じなければならない』との新たな考え方に辿り着いたということになるわけです。この人は最も大切である自分自身で判断したことを、世間の多数が出したと思われる結論によってねじ曲げてしまったことになるわけです。つまり、本当の自分の判断を、余計な勉強をすることによって歪曲させてしまったのですね。例え、横浜で大人気になっていたとしても、自分自身の味覚で得られた結論は変えないでいてほしかったと私は思うのです」


 淳一は黙って頷いていたが、しばらくしてから質問した。

「では、どうしたら、世間の多数派の考え方に左右されずに自分の判断を信じて行動することができるのでしょうか?」

「そうですね。私はそれ程難しいことではないと思っています。先ず大切なことは、情報の元となっているものに自分自身で直接アクセスすることです。コーヒーの件で言えば、私が友人からいただいたコーヒー豆を使って淹れたものと、横浜でサーブされていたコーヒーとをどちらも自分自身の鼻や舌でしっかりと確認することに相当しますね。次に行うことは、世間で強い情報発信力を持っていると思われている人が発信し、それが多数の取り巻き連中や支持者によって多数意見として世の中に出回っているものであるかどうか、を見極めることです。そのためには、多方面の知識を身に付け、自分自身で判断する力を向上させていかなければなりませんが」

「仙人の言われるようにしてから、自分自身で判断したとしても、世間の大多数が言っていることより自分の判断の方が正しいという自信がなかなか出て来ないような気もするのですが……」

「確かにそう簡単には自信を持つことができないかもしれません。自分で行なった判断が結果的には間違っていても構わないのです。もし後になってから、筋の通った根拠があって自分の判断が間違っていたことが分かったら、自分自身の判断基準にフィードバックを掛けて修正していけば良いのです。この修正をすることを厭わないという謙虚さがきっと最も重要なことなのでしょうね。ただし、明確な根拠があることが大前提です」

 淳一はゆっくり頷くと仙人に感謝の気持ちを伝え、持参した赤ワインのボトルを仙人に渡して店を後にした。


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